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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第五章:ジュン 第三話 「安西粒子総合研究所」
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戦闘家政婦―ジュン 3-1

 四月のある日の夕刻、ジュンは母の紹介で粒子再生医療を研究しているという男を訪ねた。


 神奈川県相模原にある安西粒子総合研究所は、市街から離れた山中にある私設の研究所で、電車の駅からも遠く山間部の忘れられた集落のような場所にあったため、ジュンもバイクで赴くしかなく、おまけに道がせまくがわかりづらかった。名前は立派だが、簡素なアルポリ板に書かれた看板がなければ誰もそれとは気づかないだろう佇まいをしていた。

 

 昭和時代に建てられたものだろうか、コンクリート造の二階建ての建物で、元はちょっとした地元御用達の店だったようで、正面の閉じられた古いシャッターには安西工業と書いてあった。


「どうぞ、入って」シャッター横の古びた鉄のドアの向こう側から、ハリのある声が響いた。


「失礼します」と中を覗き込むと、水色の作業着を着た男が、背中を出入り口に向けたまま、何らかの機械に潜り込むようにして作業をしていた。


「あの……」


 ジュンがそう言い出さねばならないほど男の作業の手は止まらなかった。

「ちょっとまって、今大事なところなんだ」


 粒子総合研究所などと母から聞いていただけに、この佇まいは呆然とするものがあった。要するに機械工業店の御曹司が研究者として独立し、使わなくなった実家の店舗を自らの研究所としただけのことだ。


「あの、母から聞いてこちらとお伺いしたのですが、安西先生ですか」


「ん、ああ。そうだよ。白石教授のとこの息子さん?」


 相変わらず男は機械を触る手を離さず、顔をこちらに向けることもしない。


「ええ、母がお世話になってます」


「お世話だなんてそんな。先輩とはボルタリングのサークルでたまたま一緒になっただけだよ。そもそも彼女と僕は畑違いだしね」


 ジュンの母、白石スミレは考古学研究の権威である的場まとば教授に仕える生徒の一人で、現在は康応大学で、四十歳にして教授として教鞭を振るっている。


 彼女のことを“先輩”と呼ぶ男は筋肉質の長駆をすすけた作業着の下に隠し、相変わらず機械に潜り込んでいる。まるで車の整備士か電気工事士である。とても研究者には見えない。


「そこ、その辺に座っといて。もうすぐ終わるから」


 もうすぐという言葉は何分から何十分くらいを指すのだろうかとジュンは考えていた。窓外は完全に日が落ちて暗闇となっている。祖母が夕飯を用意してくれているはずだったが、いい頃合には戻れそうにないと思った。


 安西が指さした作業場の一角に、一段上がったパーテーションで仕切られている応接スペースがあり、ジュンはそこのソファに腰掛けた。


 安西が潜り込む二メートル立方くらいの機械は作業場の土間に鎮座しており、パーテーションに備え付けられたの窓のサッシ越しに相変わらず上げない後頭部が見える。そういえばまだ顔すらお互いに見ていないのだ。


 暇を持て余し応接室を見渡すが、これといって物珍しいものはない。ただ、スチールの本棚には創刊から揃っているアンダーサイエンス誌がずらりと並んでおり、なるほどなぁ、とジュンは目を輝かせ、何冊かを手に取り読みふけっていた。


「いやぁ、お待たせしちゃって」


 ジュンがアンダーサイエンス誌を物色していると応接室の入口から真っ黒な顔をした男、安西靖雄が顔をのぞかせていた。


「すぐお茶いれるから、うん、ちょっとまって。ああ、まず顔を洗ってくる」


「あ、すみません。勝手に見せてもらって――」とジュンが本を戻そうと棚に手をかけるのを見て、安西は手に持っていた工具箱を床に下ろした。


 頭で考えてることと行動が同期していないということがよくわかる。安西は洗面所に行くわけでなく工具箱からスパナを取り出して、スチールラックのボルトを締め出した。


 気が付いたらすぐにやらないと気がすまない性格なのだろう。安西はほかに緩んでいる場所がないか増し締め点検する。


「で? なんだったかな」


「え? と……」


 真っ黒の顔と手のままソファに腰を下ろした安西を見てジュンは彼と同期しなければと、思考を加速させた。もう、顔も洗わないし、お茶も出てこないというわけだ。


そのかわり首からかけたタオルで顔をゴシゴシと拭きながら安西は言う。


「時間は限られているからね、最も優先すべき事項から片付ける主義なんだ。顔や手は後で時間が有り余った時に洗えばいい。お茶は喉が渇いたと思えば飲めばいい」


 それを聞けばなるほどとは思う。


 高校生のジュンに礼儀も作法もなにもなかろう。ジュンもそれを求めるわけでもない。


 安西の歳の頃は三十五歳といったところだろうか、まだ大人の落ち着き具合が板につかない感が否めない。


「えと、ぜひ安西先生の粒子再生医療についてのお話をお聞きしたくて……」


「だとしたらお門違いかもな」と、安西は工具を仕舞い立ち上がった。


「え?」


「アンダーサイエンスは? どれくらい読んでる?」


「ええと……、一六九号から毎月欠かさず読んでます。バックナンバーも網羅したいんですけど、なかなか手に入らなくて……これ、すごいですね。ミラー博士の超次元理論の概論が載ってる号まで……」


「幻の八四号だよ。俺は子供の頃古本屋で見つけたんだけどな。今じゃプレミアムついてン万円で取引されてるらしいけど――それから“先生”はやめてくれ」と、安西はソファへと腰を下ろす。


 二〇二五年に発売されたアンダーサイエンス八十四号は、サイアス・ミラー博士が初めて世に『超次元理論』を発表した記念すべき号である。


 もっとも記念すべきと言われるのは現在のような次元転送社会あってのことで、当時は空想か妄想科学の類だと世間からは一蹴されるようなものだった。


 当時サイアス・ミラー博士は所属していた大学の研究室はもとより、その荒唐無稽さゆえに学会を追われるような立場にあり、研究発表の場はこのアンダーサイエンス誌上にしかなかった。それを日本人研究者である東条一郎博士が論文に目を通して、協力を申し出、彼らは次元転送技術を完成させた。


 その経緯は偉人伝にもなり、小学生でも知るような有名すぎるエピソードである。


 一人の天才が世界を変える。このような風向きは社会のみならず各種の学会の存在をも揺るがすことになった。必ずしも権威ある教授筋や学会に所属せずとも、成果さえ上げれば認められる。


 そして若い研究者が立ち上げるベンチャー研究所が急増し、二〇三〇年からここ十年は小規模施設でもあらゆる研究が精力的に行われ、それなりの成果を上げ、次元物理科学技術は多岐にわたりねずみ算式に成長してきた。


 既存の考え方にこだわらない、貪欲かつ愚直で有り続けることができる研究スタイルは、本来の科学への探究心を大いに飛躍させることができたのだ。この安西とてそういった研究者のひとりである。


「安西さん、あの、さっき触ってた装置はなんですか?」


「ああ、あれ? 古いイプシロン変換器だよ。前にいた研究所が機材を新しくするってんで下取ってきたんだ。指輪とかのサイズを変更させたりするのでメジャーになった感はあるが、以前から物質の素粒子情報をいじって分子間密度を変更したりして素材の強度を上げたり、構成を変化させて新しい物質を作ったり――」


「次元変換装置ですか。初めて見ました、結構大きいんですね?」


「ああ、材料業界ではメジャーなものだし、今はもっとコンパクトになっているな。だが、俺みたいな貧乏研究者が手に入れられるのはこのくらい旧式のものしか無理だよ」


 次元変換技術は次元転送技術から派生した、物質変換技術である。転送がR3のアルファやデルタの並行次元帯を使用するのに対し、変換はR3のイプシロンを使用する。転送と変換の行程の違いは、転送は座標転移するのに対し転換は『定点相転移』という物質の移動を伴わないことにある。


 これを平易な表現で示すと、地球次元物質、すなわち三元素粒子体を素粒子分解し、三つのルートへ送り込み再び同一地点で構成するというだけのことだ。


 なぜ転送次元にイプシロンが使われないのかというと、イプシロンは三元素粒子体が通過できるR3にも関わらず、通過の際には素粒子の構造を変化させてしまうため、転送先では物質が変化して現れてしまうのだ。


 これはミラー博士がアルファやデルタを発見する際に偶然遭遇した次元帯で、当時転送のことしか頭になかった博士は転送には不向きとして放置していた。しかしそこへ助手であった東条博士がこの変換特性に目を付け、物質変換次元帯として利用を推めた。


 その結果、イプシロンの次元波動を読み取ることでコントロールが可能であるとし、次元材料工学へと昇華させることに成功した。現在でもイプシロンの波長研究は進められており、あらゆる材料の変換が試みられて、現在では千五百数十種類の地球には存在しなかった物質の合成変換に成功している。このイプシロン変換は次元物理科学第二法則の『等価交換の法則』を用いたもので、素粒子の総数を変化させず構成を変化させる、素粒子的には“等価”であるという原則に従って行われる。


 無論、この次元材料工学がイズノの宇宙開発技術躍進に寄与しているのは言うまでもない。そして同時に軍事技術、そこから派生する民間転用される工業製品群、次元転換技術は転送の普及よりも早く世界に浸透していた。


 安西が下取ってきた変換器は民間に普及しているごく一般的なもので、大きな工業研究所や工業メーカーなどでは材料強度や物質密度の変更等によく使われているスタンダードなものである。


 基本性能は変わらないが、現在のイプシロン変換器は処理速度が飛躍的に伸び、波長設定も細かく正確にできるようになっており、安定した変換が行われる。


「俺の専門は粒子再生なんだが、目指すところは“生体の素粒子変換”なんだ」


「えっ、でもイプシロン変換器で有機物は処理できないんじゃないですか?」


「だからだよ。市販されてる変換器じゃエラーが出るからな。こうやって改造してるってわけさ。幸いこの時代のやつはシールドが甘い」


「それって違法行為じゃないですか!」


「堅いこと言うなって。でなきゃ、こんなとこで隠れるようにやってないよ。言うなよ?」



 イプシロン変換器で有機物の定点相転移を許可していないのは、変化させた有機質が拡散することで地球生態系を破壊しかねないという事態を防ぐためである。そのためイプシロン変換器には厳重なアクセス制限シールドが施されており有機物と無機物を厳重に選別している。次元同調装置そのものを完全分解でもしない限りそれを解除することはできない。


 もっとも、全ての転送器に備えられているブラックボックスと呼ばれる次元同調装置はデフィの直接管理下でしか生産できず、非分解とされており、当然ながら機器の分解改造などは次元転送法で禁止されている。


「ま、大きなことは言ったが今のところはマグロの赤身をトロに変えるってレベルの実験だ。不正な遺伝子が拡散するような事態には至らんよ」


 ジュンには安西が何故マグロを例に出したのかがわからなかった。


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