戦闘家政婦―恵 5-4
襲撃の翌日、一瞬慌てて起き上がったが、なにも仕事がないという事に気づいて脱力し、しばらくそのままカーテン越しの朝日をぼんやりと見つめていた。ここは本部棟にある樹菜子の自室である。
樹菜子の服を借り、身支度を整えて部屋から出るとかぐわしい匂いがGODS本部棟のキッチンの方から漂ってきている。そこには誠一の背中があった。昨日あれだけの騒ぎがあり、下手をすれば徹夜だったかもしれないのに、変わらず朝食を作っている。
だが、誠一の顔はいつものように「おはよう」と微笑みを讃えた顔で振り返ることはなく、おう、と一言だけだった。
外は窓から覗く限り、地元警察による現場保管が続いている。
アウルよりも大型の兵員輸送機が山吹邸の庭に着陸している。その周囲でD&Dの隊員らしき黒いインナースーツにネックピローのような物をうなじに付けたの男たちがヴィ・シードの回収を行っている。そこここにはD&Dの『ハウンドドッグ』と思しき機体が配置されており、警戒は継続中という様相である。
恵の中の口惜しさは拭えない。ほとんどのDICを片付けたのは自分たちなのに手柄を横取りされるような気分だった。それだけならまだしも、GODSの面々は大輔や凛、尊も含めて被害者であると同時に、加害者でもあるという理屈から公安部により本部棟に軟禁状態という解せない扱いを受けている。そのため学校に行くこともできず、荒らされた母屋の片づけをする事もできない。もどかしさはさらに募るばかりだ。
騒動の後負傷した隊員は病院へと運ばれたが、無論こちらも外部との接触は固く禁じられている。
樹菜子は左下肢、左上腕と鎖骨の骨折で全治三カ月、柴島は全身打撲で全治一カ月、吉川は意識不明の重体でICU入り。あとのメンバーは病院に担ぎ込まれることもなく、恵も含めて軽傷で済んでいる。
誠一も恵も簡単な手当は受けたが、せめて一般人の凛と尊は解放してやってほしいと池端に伝えたが受け入れてはもらえなかった。
本部棟には生活一式に困らないだけの設備はある。食料は一ヶ月分、非常時の飲料水、自家発電設備、各種の通信機器。だがこのうち通信機器だけは携帯電話も含めて没収された。どうやら現段階では公安はGODSに外部と連絡を取らせたくはないらしい。
「ヨッシー、大丈夫かな……」
「検査の結果が出るまではわからんな。オヤジが見つけた時には池に半分沈んでたっていうからな。状況的には溺死寸前だったそうだ。最悪だな」
誠一は顔色一つ変えずに言いながらきゅうりの漬物を刻んでいる。
「ウチらこれからどうなるんですか?」
「さあな。どのみち一ヶ月やそこらじゃ部隊の再編はできねぇ。瀬戸や東海の方も襲撃を受け手が離せなかったようだからな」誠一の語尾は重苦しい。
恵は鍋に味噌を溶きながら「やっぱりGODSの壊滅を狙っただけ……?」
「それにしては相手さん方も被害が大きすぎるようだがな。報告を聞くだけでも三地域で三十名近くのサブジェクターが命を落としている。オブジェクターの数は正確には解らんが、それなりの被害だっただろう。彼らがそこまでする大義があるのか俺には判らん。だがオヤジが通信で得た情報じゃ正体不明戦力ってのが随分暴れてくれて助けられたんだとよ」
誠一は炊飯器のご飯を茶碗に装い、順に盆へと置いてゆく。
「――エウロス……」恵はみそ汁の味見をして火を止め、一言呟いた。
「何? なんだ?」
「仲間割れ……いや、そうとは言い切れんかもしれんけど……」
千鶴と山吹邸に向かう途中に遭遇し、戦闘の加勢をしてきた謎のサブジェクターがいたことを今更思い出した。いや、DICではないと彼は言っていた。甲虫のような体をした怪人。そして彼は目の前から文字通り姿を消し、再び現れた時にはGODSを助け、DICを殲滅し、そしてまた忽然と消えた。
「そいつが現像架空体なら消えたり現れたり自在だろうが、三支部を渡るにゃ現像距離が足りねぇよ。本当に義体の方だったのか? 話が出来たとはいえ、ヴィ・シードも確認できなかったんだろ?」
「それはそうやけど……そやけどその、なんちゅうか、雰囲気っちゅうもんあるやん」
「雰囲気でどうこう判断するのもどうかとは思うが……次から次と、訳のわかんねぇ――ほらよ、今確実に目の前にあるのはみそ汁に漬物に飯だけだ、今は確実に腹が減ってる。とりあえず食おうぜ」
Tシャツにジーンズ、いつもと違う誠一の姿と言動。それほどまでに余裕がないことの表れだった。
大輔、凛、尊、誠一に恵。篠山に桧山の無言の食卓が続く。
誰もが誰から何を言うのか、どう語り如何に説明をし、理解すべきなのか。あるいは答を得てしまう事への恐れをはらんだ沈黙であったか。座卓を囲んだ七人は口を噤んだまま、黙々と食事を済ませた。
昼前になると大輔が凛と尊を連れて、公安の池端と共に山吹邸を降りた。午後から本部棟の面々及び、施設内の監査が入る。ほぼ何の説明もないままスケジュールだけが進んでゆく。もし今DICが現れでもすれば対処のしようがない。――いや、外に居る黒づくめの連中が対処すればよいだけのことだ。天下のD&Dの栄え抜き隊員が大阪の街を守ればよいのだ。
「――東の風」
「え?」
「東の風って意味だよ、ギリシア神話でな。ティタン神族から生まれた四柱の風の神、西風、南風、北風、そして東風」本部棟の屋上で洗濯ものを干す恵に、外の様子をうかがいながら、篠山が言った。
「それってさすが元情報部、ってゆうとこですか?」
「ははっ、まさかだよ。ちょっとした趣味でな。覚えちまっただけさ」
篠山は眼鏡をかけていなかった。訊けばあれは伊達眼鏡であったのだという。目つきが悪すぎて周囲を恐れさせるのでかけておいた方がいいと、細君にアドバイスされたからなのだという。実際、見慣れればどこかしら愛嬌のある悪魔顔の柴島よりも冷ややかで鋭い容赦のない冷酷な目をしている。なるほど彼のことを見初めた伴侶は彼のことを良く分かっている。彼が内面に宿した優しさというものを。
エウロスの加勢があったとは言え、かすり傷程度で篠山は一人本部棟の入り口を守った。元自衛官かつ師範クラスの剣技の持ち主で、誠一や樹菜子に指導したのもこの男だというのだから驚きは隠せない。
その後、エウロスは篠山の目の前で情け容赦なくDICを切り刻むだけ刻んで、どこかへと消えたという。おかげで本部棟への侵入は免れたとも言える。尊も剣を振るうことなく凛も桧山も無事だった。
状況からすればエウロスは敵ではない。だが、随分な数のディベロッパーの肉塊をこしらえてくれた。屋敷の者である恵としては感謝の気持ち四半分、困惑した気持ちが四半分、そして迷惑な気持ちが残りの半分といったところだ。
「やるだけやってトンズラやねんから、残されるこっちの身にもなってほしいわ。ここに来てあいつらに申し開きして欲しいもんやで」そう言って恵は、次々と訪れる外の警察関係者たちを恨めしそうに見つめた。
サブジェクターは現像が解ければ生身に戻る。戦闘中もダメージを食らい、その衝撃で現像が解け、裸足で逃げ出したものも大勢いた。無論そのような輩は外部を取り囲んでいた普警に取り押さえられ拘留されている。
問題は死亡したサブジェクターの現像が解ければ、人間の死体になるという事だ。エウロスがこさえたような物であればなおさら凄惨な肉塊でしかなく、いくら相手がサブジェクターとはいえ殺人事件であることには変わりがない。
DICを処理する、という名目上では許される行為であっても、結果が殺人であれば向かい合う鑑識や公安警察の心象に何らかの影響を与える。それが大量になればなおさら、こうして待機と呼ばれる軟禁状態に置かれるのもやむを得なかった。
「エウロスなんて名を騙るってことのほうが気にはなるがな」
「どういうことですか?」
「自分の能力に自信がある奴は匿名で名乗る際に、しばしば神の名を使う。だがそれとて大抵は強力な神の名だ。ゼウスとかポセイドン、ガイア。戦いに強い奴ならアレスとか……誰でも聞いたことがあるような名前を騙るもんだ、象徴としてな」
「マイナーな名前だけに――」
「意味がある、ってわけだ」
「ってことは、東……ねぇ。もしかしたら四体いる可能性も?」
「可能性だけならいくらでも、さ。今みたいに物質を素粒子に分解して空間転送しちまうなんざ世界が来れば、解らねぇことなんか無くなるもんだと思ってたけどな。悩みなんてないだろうって。だが――世界は大して変わっちゃいねぇな。人は技術や知識を得て、咀嚼して栄養にすることはできても、それの美味さを覚えるには時間がかかるんだろう」
篠山は屋上の縁に両肘をかけてタバコに火を点け、深くゆっくりと煙を吐き出す。
物干し竿につるされた複数のフィールドスーツがひらひらと人型のまま、五月の風に吹かれてたなびいている。
その隣で千鶴に借りた巫女服も、場違い感一杯に袖を広げて風を一杯に蓄えている。
神聖なものをこんな扱いでいいのかと思いながら、樹菜子の自室から借りたちょっと胸元が大胆なワンピースを着た恵はしゃがみこんで、このシュールな絵面の向こう側に空を見据えていた。




