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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第一章:次元転送社会 第二話 「ウチは家政婦になる」
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戦闘家政婦―次元転送社会2-3

 山吹家は大晦日を迎える。山吹大輔とその息子二人は家に戻っていたが、妻であり母である明奈美千留は今朝から海外ロケのため家を空けており年明けの中旬まで不在となるらしかった。


 凛はそれでも久しぶりに在宅している二人の兄と、ここぞとばかりに庭で戯れていた。そこには大輔の姿もある。これでお母さんもいれば年末の和やかな家族の風景なのに、と恵は少し残念に思った。


「恵ちゃん、向こうの大テーブル運ぶから手伝ってね」誠一は縁側の廊下をすれ違いざまに言う。すでに仕事着である和服姿に着替えている誠一はスタスタと小走りに居間へと姿を消した。


 恵もそれに倣い、慣れない和服に着替え、たすきをかけエプロンをつけた。生まれて初めて着る着物に足さばきが思うようにいかずもどかしかったが、美千留からもらった本格的な絣の着物にときめきもしていた。


「恵、よお似合うとるわ。大変やろうけど頼むで」縁側の恵に向かって庭に立つ大輔が声をかける。背が高く骨格が細い恵は和装が大変良く似合っており、十六にも満たない少女ながら髪を上げたうなじからは艶っぽさが醸し出されていた。


「あ、はい! ありがとうございます!」居候よりは雇用関係のほうがいい。それを恵がどこまでの意味として捉えていたかというと、極々表層の部分であることは推し量れるだろう。


 商売人の親の背中を見ていたとはいえ、自身はそのもとで育ってきたただの中学生である。就業しているというよりは、お手伝いという意識のほうが強い。


 だがそれよりも、立場が釈然としないなら、何かを目的の中で自分からこなしている方がよほど気が楽だ、と思っていた。


 昼過ぎにもなると屋敷の中は一層あわただしくなりはじめる。彼らも誠一と同じような会社の人だろうか、男手が十人ほど集まっていた。


 彼らは一様に直立不動で誠一からの指示を受けると、方々へと各々の仕事を理解し、散ってゆく。見事な統率感だ。


「姐さん、これはどちらへお持ちしやしょう?」


 突然恵の背後から声をかけてくる男性の声。若いが明らかに恵よりも年上、二十代前半くらいだろうか。それが、あねさん……とは。


「おい、吉川。言葉に気をつけろ」誠一が一瞬凄んで睨みをきかし、サテン地のスカジャンに額にサングラスをかけた男に向けた。


「へっ、へぇ。しかし……どうお呼びすれば?」吉川と呼ばれた男は困ったような顔をして短く切った茶髪を掻いて視線を泳がせる。


「恵ちゃん、でいいんだよ。ここはもうあっちの世界じゃあねぇんだ」


「へっ、へぇ、……あ、ハイ!」


 あっちの世界、その誠一の言葉と吉川の言葉遣いがすべてを語っていることに、恵が気づかないはずはなかった。あっちの世界とはつまり、社会の裏側、極道の世界に違いなかった。この一昔前のチンピラのような風貌の吉川は、まるでヤクザの子分を体現したような存在だった。


 誠一や大輔だけを見ていれば、それには気づけないだろう。彼らは外向きにはその一片の匂いも発しないほど上手く清廉潔白さを演出していた。もっとも見るものが見れば彼らが堅気でないことはすぐに見通せるのだろうが。


 吉川はそそくさと恵の指示するように、持っていた花瓶を運んでゆく。


「恵ちゃん、大体わかってるとは思うけど、僕らは元“コレ”だ」誠一は左の頬を人差し指で縦になぞって指示した。「ここに出入りする連中は言葉遣いも気をつけさせてはいるんだが、なかなか癖が抜けなくてね」


 恵が物心つくころには、いわゆる極道という人種は目に見えてそのあたりにいるような人種ではなかった。あえて言うならば映画やドラマの中に、やや誇張された姿として登場する程度で、恵自身も加納モータースに出入りする少し“やんちゃ”な人間と触れ合うことくらいしかなった。


 それでも細々と山吹大輔の率いる集団は元極道という形を隠し、その社会を引き連れ、そのまま法的には何ら問題のない会社として日本DNS株式会社を打ち立てている。


「ぜんぜん、気にしてませんよ。だって今はみんな会社の人たちなんでしょ?」


 内心面倒だとも思ったが、嬉しさがそれを上回った。誠一の言っていた“みんな”や“家族”の意味がここで結合して、自分が迎え入れられたという喜びにつながったからだ。だからといって別に自分がこの先やくざ者になるわけではないし、なるつもりもない。


 田の字型の四つの部屋のふすまを取り除き、五十畳弱に開け放たれた大宴会場に膳が並ぶ様子は圧巻だった。


 この膳の数だけの人間が明日ここに集まるのかと思うと、給仕をする恵の背筋は張りつめた。この日の屋敷をひっくり返すような騒ぎは、まるで文化祭の準備のようだと中学生らしい感想をもちつつ、健気に労働に従事する喜びのようなものをひしひしと感じていた。


「今日はお疲れさん。明日――というか今日は元旦で大変だけど、たのむね」誠一は台所で佇む恵に湯気の立ちのぼる鉢を差し出す。蕎麦だった。


「あ、ありがとうございます」そう言えば忙しすぎて夕食を食べる暇もなかったのだ。現在午前零時をとおに過ぎた一時半、誠一も片手に鉢を持ちながらダイニングに腰を下ろした。


「あの、訊いてもいいですか?」


「うん? なに?」


「誠一さんって、ずっとここで、こういうことしてはるんですか?」親しみを込めた気持ちと、一緒に仕事をしているという仲間意識が言葉尻を崩させた。


「……僕はね……いや、ここじゃ演技はやめておくか、かまわないか?」


 演技と聞いて昼間の吉川とのやり取りを思い出した。なるほど、この田能誠一という人間も世間体を持ってして染み付いた極道的気質を抑えているのだ。


「ええ、話しやすいほうで」


「じゃあ、お言葉に甘えて――俺はね、もともとは兄貴の右腕だった男だ。兄貴ってのは君も想像してるとおり山吹大輔だ。俺は彼が組を潰すって決めた時にそのままついて来た。他の奴らも同じだ。いっちょ花火を上げてやるかってなもんでな、日陰者として生きてゆくよりはおもしれえことが出来るんじゃないかって、そう思った」


 誠一の話し言葉は予想通り突然変わった。今までも普段は感情を殺しているという片鱗は見えたものの、“僕”から“俺”と一人称が変化するだけで、これほど口調が変わるものなのかと驚いた。


「ただ、それだけのこと?」


「ああ、俺たちにとっちゃ、何を為すかってのはそれほど問題じゃない。むしろ“何を為す人間になるか”ってことのほうなんだよ。何も極道のすべてが暴力団って訳じゃない。今じゃむしろ統率のとれたマルチビジネスシステムの側面のほうが色濃い。まあ、なんだ、つまり儲かる話なら何だってする。法に触れない限りはね」誠一のその考え方には、二世代で継いできた加納モータースを見てきた恵としては賛同しがたい。 


「お金さえ儲かれば、ですか?」


「それは否定しない。だけど実際やり始めて考えも変わったさ。世界が変えられるかもしれねぇって思ったからな。俺たちの手で」


「世界を……変える?」


「だから、山吹大輔には身の危険も伴う。俺は右腕として時に、彼の影武者となり、ボディガードとなり、時に今みたいに家の事もやりこなしてきた。ま、なんでもできるスーパー家政夫ってところだ」


 笑って話す誠一は恵が訊きたいことには答えていたが、新たな疑問というか、謎めきが浮上しつつあった。世界を変えるとは何を指すのだろうか。


 その時台所の戸口から声がした。


「恵姉ちゃん!」パジャマを着た凛が笑って立っていた。


「おやおや、凛お嬢様。いくら大晦日といえど夜更かしはいけませんね。セイさんは一時までには寝るようにと言ったはずだけどなぁ?」誠一は声色と表情を瞬時に変え、凛の目線に合わせてしゃがみこんだ。


「だーって、みんなまだ起きてるやん。あたしだけ寝るのいやや」


 思わずさっきまでの誠一の言動を忘れてしまいそうなほどに、彼の言葉は優しく恵の心を和ませる。騙されてはいけないと思いつつも。これは本当の顔ではないと思いつつも。


 やがて、恵は頬杖をつきながらその様子を眺めているうちに、何を気にしていたのかを欠伸と共に忘れて、どうでもよくなっていた。


「恵姉ちゃん、一緒に寝ようや」


「え、ええ? ウチはまだ仕事あるからあかんよぉ」そう言って恵は眠い目を丸くした。


 今の今まできょうだいのいない恵は戯れであっても他人と一緒に寝るなどという事はしたことがなかった。だが誠一は視線を恵に向けて彼女を促している。


 これも仕事のうちか、とあきらめ顔を内心に隠しながら席を立ち、凛の手を取る。


 仕方がない、凛を寝かしつけてからまた戻って仕事の続きをしようと考えた。


「やったーやったー」と、実に子供らしく凛は恵の思いをよそに、腕に取り付いて飛び跳ねた。


 朝、光が差し込みだす見慣れない天井を見つめ恵は目覚めた。隣では寝息を立てる凛の寝顔。


 あわてて台所に向かい、戸口をくぐりながら割烹着を身に付けると、そこにはすでに誠一が調理台に向かって料理を始めていた。


「すっ、すみません!」


「いいよ。昨日はご苦労さんだったね。起きたのなら、顔を洗って準備出来次第手伝ってくれるかい?」まな板の音に乗る誠一の声は穏やかだった。


 まだメイクも似合わない顔、どうやって自分を着飾ればよいのかもよくわかってはいない。瞳に凛とさして変わらない眼差しを残したまま、その視線は鏡の中を真摯に見つめていた。


 こんなことじゃダメだ。子供だって、半人前だって、自分に甘えがあるから転寝なんてしてしまう。お腹がいっぱいに満たされて朝まで眠りこけてしまうなんて、なんて格好の悪いことをしているのかと自責の念は絶えなかった。


 山吹家の尊大な玄関先に次々と訪れる強面の男たち。誠一の言葉によると彼らもまた同じ“社員”だという。恵は心のなかでため息をつきたくなったが、それよりも次々と指示される仕事にてんてこ舞いになって、昼を過ぎるまでその暇はなかった。


 そしてその調子は正月の間、三日間ぶっ通しで続いた。流石に根性では負けないと意気込んだ恵も、手馴れているはずの誠一も、その手伝いの吉川も疲労困憊で三日間を終えた。山吹大輔に至っては三日間絶えない来客を相手に、不眠不休で喋り続け、呑み続けた。


「あのぉ、お正月っていっつもこうなんですかぁ?」


「ああ、いつもこうだけど、今年は特にな、ひどい」


 恵と誠一は台所に据えたダイニングテーブルに延餅のように突っ伏していた。


「初詣にも行けへんかったぁー、お雑煮も食べてへんし、御節も食べてへんー」


「ぼやくなよ、お前の分はちゃんと分けてあるから」


「なんか、そんなん一人で食べてもなぁ……」恵は俯き、口をとがらせて着物の袖を弄んだ。


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