戦闘家政婦―恵 4-2
千鶴が何のことを言っているのかが解らないまま、車体は急加速し大きくバンクしながら元来た道を駆け下りだしていた。
千鶴のステアリングホイールを操作する手が信じられない速さで動き、両の足は慌ただしくペダル類を踏んでは離し、右手はシフトレバーを捉えてギアを小刻みに操作する。石切の細い曲がりくねった路地を貧弱な小型車で鮮やかに抜けてゆく様は、まるで以前に観た昔の映画のカーチェイスのようだと思った。
「ちっ、づるさん! おちるぅうう!」
勾配のついたヘアピンカーブでリアがスライドし、衝撃の後ガードレールに右側面のボディをこすりながら曲がってゆく。恵のすぐ横で一瞬火花が爆ぜる。
「ショック! 側面ゴリゴリや!」
「千鶴さん上、うえ!」
蛙DICは一足飛びにつづら折りの坂道を飛び越えて一気に距離を縮めてくる。
「あかん、見通しのいいところ逃げとっても追いつかれるなぁ!」千鶴は状況を把握し、ここぞとばかりにハンドブレーキで急制動をかけ、グリップを失った後輪が横滑り、ブレーキターンで進行方向を直角に変える。
千鶴が一瞬にやりと笑みを口元にたたえ、到底車が通るような道ではない狭小な路地の先を睨むと、「板金屋にまたツケが増えるわぁ……」とフルスロットルで鼻先を突っ込み、一気に駆けた。
くねくねと曲がる生活道路を、傍らのポリバケツや植木を蹴散らしながら走り抜ける。飛び散る泥、生ゴミをフロントウィンドウにかぶりワイパーで強引に拭き取るが、ほとんど視界はゼロだった。無茶苦茶だ。恵はなす術なく千鶴に任せてしまうより他なく、シートにしがみつき、せめて身を丸くして、衝撃に備えることしかできなかった。
やがて路地を抜けた先の通りにぬけると減速して家屋の影に隠れるように停車してエンジンを切った。車体の底からジワジワと水が蒸発する音が聞こえる。
蛙DICを撒いた千鶴がステアリングに肘をかけ後ろを注視している横で、恵は呆然として脱力していた。
「もう大丈夫みたいやな」といい千鶴は煙草をくわえライターで火を点けた。
「な、んなんですかぁ、千鶴さんって――」巫女で居る時は当然というか、普段から快活な気のいいお姉さんくらいにしか思っていなかった恵にとっては、この短時間のカーチェイスで千鶴への認識を改めざるを得なくなった。
「ははっ、昔とった杵柄って奴や」ウインドクランクを操作して窓外に煙を吐きだして笑う。千鶴の言う杵柄がどんなものだったのかは今は聴いている余裕がなかった。
「こんなとこにディックが現れるとか……どうゆう事や。ゴッズのお膝元やで――」恵が言うように蛙DICと遭遇した場所は山吹邸から数百メートルしか離れていない。もし通常通りに次元波動を感知してゴッズが出動していればとっくに蛙DICは捕捉されて即時殲滅されているはずだった。
「おかしいなぁ、山吹さんとこ電話通じひんやん――まあ他にも道はあるから、そっちから回ろや」
終話したスマートフォンを仕舞う千鶴の言に首肯するも、悪い予感はぬぐえない。千鶴には言えなかったが、ブレスレットによるGODS専用の次元通信回線も繋がらなかった。
またさっきのような遭遇がないとも限らないため、警戒を怠らず制限速度を守りつつ石切の坂を登ってゆく。
もともと生駒山の扇状地に斜面に沿った形で住宅街が形成された石切の町は、雛壇状に宅地が並んでおり町内に平坦な場所はないと言われるほど坂ばかりである。おまけに勾配がきつく道も九十九に折れるなどしていて、自動車であっても徒歩であっても実に交通は不便である。
そんな町の頂付近に広大な土地を持つ山吹邸に続く道もいずれなり険しく、なかなか一般人は訪れようとはしない。これを防衛基地としての山城の理屈と同じであると捉えることも出来るが、実は単に大輔が見晴らしのいい場所に家を建てたかっただけのことで、結果として広大な敷地を使いGODSの本部を置くことになっただけだという。
その山吹邸への道へと差し掛かると、またもや道路の真ん中に影が立っているのが見えた。遠目に見ても明らかに人ではない。
「千鶴さん、車停めて」
「ちょお、あんたまた――」
「大丈夫、“あれ”は話通じると思う……」言いつつ、もうさっきのようなカーチェイスは御免被りたいという思いのほうが強かった。
恵は千鶴の腕を振りほどいて車外へと出、現像義体と思しき影に対峙した。濡れきった巫女装束が重い。
黒い人間のような形をしたそれは少し首を恵に傾け、腰を落とし覗き込む仕草をする。すぐに襲うという意思はないように思える。
だが“彼”の足元には鋭利な刃物で分断された複数の肉塊が白濁液の中に沈んでいる。粘性のあるDICの体液は降り注ぐ雨によって次々にアスファルトの上を流れてゆき、歩み寄る恵の足元に達しようとしていた。
「なっ……」
恵が戦慄していると、黒い影が動き、彼の姿は街灯に照らされて全容を現していた。
「さ、サブジェクター……か?」そこには恵が直感的に感じた印象の通りの怪人が立っていた。
プロポーションは通常の人体よりも手足が長く、特徴的な一本角のある頭部も小さい。艶のある甲殻を鎧のごとき全身にまとった人型で、鈎爪のような指先を持つ両腕をだらりとぶら下げている。見た目にはまるで甲虫と人間が合わさったような容姿だった。
「言葉……解るな? あんたはサブジェクターやろ――」
「――驚いたな。巫女さんがディックの構造を正確に捉えてるとはね? 言っとくがお祓いでディックは退散させられないよ?」
「なんでや……おんなじディックの仲間ちゃうんか……なんでや!」
「はッ、これを見て驚きもしないのか?」甲虫怪人は恵の追及を無視して嘲るような声色で闇から告げる。
目の前の甲虫怪人の鈎爪は明らかに殺傷用のそれだ。両手から滴る白濁した体液が、この足元の肉塊を生み出した張本人であることを物語っている。どのような原理で対象を切り刻めるのかはわからないが、切断面は刃物で切ったかのように滑らかでまっすぐだ。
八つ裂きになったDICとおぼしき肉塊……サイズからすればサブジェクターと思われる。
違う、自分は間違っていた。誤解していた。
DOSも全ての物質を両断できるが素粒子分解波は振動波の為、切断面は必ず荒れるはずだった。
「――いままでのも……あんたがやったんか?」
降り注ぐ雨はまるで彼の身体を洗うかのように、黒い滑らかな甲殻に弾かれて綺麗な滴となって流れ落ちてゆく。
「ハッ、どうでもいいだろう。風邪ひく前に家に帰んな、巫女さん」
「ちょっと待ちいや! あんたかてディックやろ! これがどういうことかわかってるやろ! 仲間割れでもしたんか! 何が起きてるんや?」
甲虫怪人は一瞬戸惑ったように顎にあたる部分をわずかに引き上げ、恵を見つめるようなそぶりを見せる。そして肩を震わせて静かに笑う。
恵は、こんな非道な奴にも命の警告をすべきなのかと迷いは生じた。
「何がおかしいんや。今のウチをどうこうするのなんか簡単やろうけど、こんな所でヴィ・シードなんか使ってるあんたはゴッズに見つかって駆逐される。老婆心でゆうたってるんや――」
そこまで言って恵は甲虫怪人の頭部にヴィ・シードがないことに気づいた。その代わりと言ってはなんだが腹部にあたる部分に光るクリスタルのようなものが二つ象徴的に光っている。それがどういったものなのかははっきりと見て取れない。
「言っとくが、俺はディックじゃない」甲虫怪人は両手を広げてみせて言う。どういう構造なのか、瞬時に鈎爪は格納され、丸い指先を持つ掌の形に変形した。
「そんな形で言われても、それ以外なんやゆうねん――解除しい!」
「この姿見て驚かないどころか、解除しろとは――ん、ああ――なんか面倒な事になりそうだ――うん、わかってるよ――うるさいなぁ」
「――誰かと話してる?」
「こっちの話だ。悪いが、解除はできないしこっちの事情を詳しく説明してる時間もない。君の言うゴッズの方がちょっと大変なことになってるみたいだからな、微力ながら助太刀くらいはできる」
「助太刀? どういうこと!」
「山吹邸、ゴッズの本部総攻撃。一気に畳み込む計画のようだ。もっとも世界でも屈指のドッグ使いの連中なんだろ? そう簡単にはやられないだろうけどね」
甲虫怪人は両手を広げて肩をすくめると踵を返し、恵に背中を向けて歩き出す。
「ちょお待ちぃや! あんたは何者や!」恵は艶のある甲殻に覆われた背中に向かって叫ぶ。
「人に名乗るような名前はないんだけどね。ま、エウロス――とでも言っておこうか。じゃあな」
恵は驚いた。エウロスと名乗った怪人は次の瞬間わずかな光を発して目の前から消えたのだ。
何の痕跡も残さずにその生き物は消えたのだ。DICも解除すれば消える。だがあれはオブジェクターではない。人の言葉を話していた。あるいは恵達がまだ知らないDICの種類がいるという事なのだろうか。
恵は我に返り慌てて背後のチンクを振り返る。小降りになり始めた雨の中、車外に出て屋根に肘を置いて立っている千鶴と目が合う。
千鶴とはいったいどういう人物なのだろうと恵は少しだけ思った。肝が座りすぎていると。いや、あちらから見れば自分もそう思われているだろう。
「なんや、お屋敷はえらい騒ぎになっとるみたいやな。――事情はよおわからんけど……恵ちゃんどうする? あんたはこのまま逃げたってかまわんとあたしは思うけどな。けど、あんた次第で――」
「千鶴さん! 急いで山吹家に!」恵の即答を受けて千鶴が雨に濡れた髪をかきあげニヤリと笑う。
「よっしゃ! まかしとき!」
チンクが並列二気筒のエンジンをうならせ再び坂を登り始めた時、背後でかすかな光が点る。エウロスに八つ裂きにされた肉塊の現像が解ける瞬間だった。あとに残るのは雨に洗われた人間の肉塊だ。




