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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第四章:恵 第三話 「ウチは人殺し」
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戦闘家政婦―恵 3-4


 自分でもバカなことをしているとは思う。


 山吹家の面々はハワイへ、GODSの面々は出動で、恵は夜の屋敷に一人残されていた。冷蔵庫にあったビールを自室に持ち込んで飲んだ。苦い。


 樹菜子や他の大人はなぜこんなものを美味しそうに飲めるのかわからない。いや、これは慣れていないだけだと、もう一本、さらに一本と、眼を瞑って喉に流し込む。高校生くらいになれば誰だってビールくらい飲む。煙草だって吸ってる。


 美味しくもなんともない。盛大なゲップがせりあがってきてむしろ気分が悪かった。


 やめよう。やっぱりバカなことだ。そう思い恵は立ち上がる。


 その瞬間天井が回り、壁が歪んで、手を掛けたカラーボックスの棚と共に床に倒れ込んでしまった。すごい音がしたような気がした。あわてて片付けようとするが手元がおぼつかない。どこかふわふわとした、なんだかどうでもいいような気分になる。


 倒れた棚を片付けるのは諦めてそのまま横になる。息が熱い。目の前をDOSがコロコロと転がっている。


 畳の目がなぜか妙に気になる。


 唯一事情を知るジュン。彼は今何を思っているだろう。


 彼は望んで事情を知りたがり、飲みくだした。思えば自分だって望んでGODSに参加した。でも蓋を開けてみればそこは複雑怪奇な迷路のような次元転送社会の裏通りだった。


 騙されたなんて言い訳はできない。後戻りするチャンスはいくらでもあった。全部自分が選択したこと。子供だったから選択を間違えた、その場の感情だった? だからやり直させてほしい? そんな言い訳が通用するなら誰だって――




「おい、起きろ。メグ!」


 胸を突かれるような声色にどきりとして目を開く。昏睡していた意識の歯車が一瞬にして最高回転数域に達する。


 上体を立ち上げた恵はその視界に樹菜子の姿を捉える。


「セイが見てこいって言うから来てみたら――なんだこれは、ええ?」樹菜子は畳の上に転がるビールの空き缶を指さして凄む。


「何……って……」なぜか吐き出す息に薄笑いが混じった。そんなつもりはなかったのに。次の瞬間、目の前が真っ暗になる。頬に衝撃を感じたのはそのあとだ。


「高校生が昼間から酒かっくらってお昼寝かい? いい身分だね」


 いい身分、という言葉に反応して恵はこ眉間にしわを寄せた。


「別に……ええ身分やなんて、思ってない……」


「ああ? なんだ、聞こえないよ!」


 挑発するような樹菜子の言葉に後に引けなくなった。謝るのも嫌だ。


「別に! ええやんか、お酒くらいのんだって! 仕事はちゃんとやってるやん! 復帰したらゴッズの仕事もちゃんとやるやん!」


 一瞬樹菜子の顔がたじろいだ。樹菜子に向かってこんな言葉を吐くのは初めてだし、それだけに胸が痛む。そして僅かながら快感を伴っていた。


 もう一度目の前が真っ暗になる。今度は衝撃と同時に。


「痛いやんか! バシバシ叩かんとってや!」言いながら恵はさらに手を振り下ろそうとする樹菜子に掴みかかる。だが手首をひねられ、たちまち畳の上に押し倒される。


「ガキが偉そうな口聞くな!」


「その……ガキに……人殺しの真似させて……酒ぐらいでガタガタいいなや!」


「――あたしらがあんたに強制したわけじゃない、あんたが望んでやってることだろうが! 別に酒くらい構わんよ、飲みたきゃ飲めばいい! ただ前向けなくなったんなら、前向いて進もうって気がないんならこっから出て行ってもいいんだぞ!」


 樹菜子は恵を押さえつけながら耳元で怒鳴る。手首一本で全身の動きを封じられている屈辱に恵は顔を真っ赤にして息を荒げ必死で抵抗する。


「――っさい! うるさいわっ!」


やがて抵抗する恵の力が弱まったのを見越し、樹菜子は手を離し、体を立てる。


「番犬がオオカミの群れに加わろうとすりゃ、獲物は狩らないといけない、生肉も食わにゃならんよ。いい加減に慣れろ……」


「人殺しに慣れろ……って? アホいいなや!」


 恵は起き上りざまに樹菜子に平手打ちを食らわせた。だが樹菜子は一向に動じる様子はなく、見下すような目で恵を見ていた。


 恵はその狼の目を持つ女に戦慄し、身を固める。もう、とことんやるしかない。覚悟を決めた。ならば言いたいことを言ってしまえと思った。


「あんな……バラバラになるまで……最低な奴らやったけど、人間を、あんなバラバラに切り刻むことあらへんやん。あれ見てウチはあんたらが怖くなった。ウチにはあんなことはできん……そりゃあ、今までウチかてディックを倒した時に、見えへん場所にいるディベロッパーを殺してるかもしれんけど……実感がなかったってゆうのはホンマに言い訳や。目の前に怪物がいるだけでぶち殺す理由には充分かもしれん。せやけど……もう、ウチにはできん……」


 樹菜子の揺るがない深い闇のような大きな瞳から視線を外すことなく伝えた。本当のことだ。怪人になった三人が言っていたようにヴィ・シードを使用することが“命懸けの遊び”であろうが、自分たちまでもが殺戮マシンになっていい理由にはならない。


 やり方はあったはずだ。でなければ殺人犯に対処する警察組織は殺戮集団にならねばならなかっただろう。常識を超えた存在のDIC、それに応対するのは法を超えた力を持つGODSだ。DICを制圧するための力は存分に持たされている。自分以外なら、彼らならあそこまでしなくとも制圧できたはずだ。そのくらいに力の差はあったはずだ。


「ウチも樹菜子さんも人殺しや――」


 絞り出すように漏れた言葉はこぼれ落ち、畳の染みとなった。僅かに樹菜子が息を吐くのを感じ、身をこわばらせた。


「――わかった。あんたの気持ちは、受け取っておく。セイにはあたしから伝えておく」


 そう言って床に転がった恵のDOSを取り上げて、樹菜子は立ち上がる。彼女が立ち上がる瞬間、蹴り飛ばされるかもしれないと身構えた恵だったが、意外にも落ち着いた声に拍子抜けして所在なく視線を泳がせた。


 これでDOSまで手放せば、本当にただの家政婦に戻る。いや、この山吹家にいられないだろう。誠一もここまで言ってしまった自分を傍に置いておくなんてことをしないだろう。全てわかった上での言い分だ、もう全て見てきた上での決断だ。前とは違う。


 だが、山吹家の人々が留守にしている間はいなければいけない。それまでに身支度はしておこうと思う。


 彼らのことを思うと胸が痛んだ。両親を亡くしてどうしようもなくなった自分を引き取ってくれて、住まわせてもらって、親切にしてくれて、家族みたいに接してくれて。自分もなにか役に立たなければと思って、彼らのために出来ることなら何でもしようと思った。


 本当は誠一のことも樹菜子のことも、吉川のことも柴島のことも、篠山、桧山、GODSの下で働く人々、みんな好きだ。かけがえのない人々には変わりない。だけどもう、自分にはできない。役に立つことはできない。


 樹菜子が出て行った戸をいつまでも見つめていた。


 恵が自室として使わせてもらっている個室と廊下を隔てる鍵のかからない障子戸。それは一人っ子だった恵にとって随分な懸念材料だった。誰でも自由に出入りできるなどプライバシーがないと苦言を呈したものだが、障子戸にかける鍵などないと誠一に一蹴された。今にも凛が、ノックもせずに勢いよく戸を開くような気がした。


 だが聞こえてくるのはこちらに駆けてくるバタバタと慌ただしい軽快な足音ではなく、樹菜子が去っていったあとの、霧のようにシンとした重い空気をかき消してゆくかのような、窓外の鳥の鳴き声だけだった。


 状況とは裏腹に、呑気に、それでいて穏やかな気持ちで、あの鳥はなんという名前の鳥なのだろう、などと考えている自分がいた。




 連休が終わり、今日は雨降りの一日だ。恵は最終時限の授業が終わっても席から立たず、教室の窓からぼんやりと灰色の外を見ていた。ざんざんと絶え間なく朝から同じペースで降り続いている。まるで地上を水で覆い尽くそうとしているかのように、あと何日降れば世界は海没してしまうだろうか。やはり四十日間絶え間なく降り続かなければ世界は沈まないのだろうか。


「何や恵。物思いに耽ってからに」忍が向い側の席から話しかけてくる。


「別に――世界が滅ぶときとかこんな感じかな、思って」


「なんやそれ……悪い病気か? 宗教か?」


「ウチは神も仏も信じへんねや」


「テンション低いなぁ」


「低気圧やからね」


「ええと……そういうもんなん?」


 まるで乗り気ではなかったが、結局帰りにいつものドーナツショップでお茶をする羽目になる。今日の夕飯は誠一の当番だ、凛も一緒に何かを作ると言っていたから、食べすぎないようにコーヒー一杯とオールドファッション一つだけにする。


 向かいでは、いつもと同じようにカナと忍のマシンガントークが鳴り止まない。


 カナは連休の間ジュンに会いに行っていたそうで、なにやら昨晩列車のテロ予告があったとかで帰りが今朝方になってしまったそうだ。結局今日は朝から登校せずに、昼から顔を出してきてこの放課後の歓談に参加している。どうしても話したいことがあったそうだ。


 あのクリスマスがきっかけで、東京のジュンとカナは付き合っている。以来カナは月に一度くらいのペースで東京に行っているらしく、端々でマキタの話も聞いていた。


 ジュンの知り合いに、次元物理科学者がいるという話から、そのペットが可愛かったという話もどうでもよかった。彼女は東京から帰ってくるたびに土産話を披露するのだが、今回ばかりはずいぶんもったいぶるようなカナの話しぶりが鼻につく。


「じ・つ・はぁ……ジュン君の家に一晩お泊まりしちゃったー!」とドーナツを口にくわえたまま天井を見上げて悶えるカナに、すかさず忍が突っ込みを入れ「どーゆーこと? 詳しく教えーやぁあ!」とカナの服を掴んでゆさゆさと揺さぶる。


 そんなことか、と二人に気づかれないようため息をつく。


 ジュンが山吹邸に仮住まいしていた事への意趣晴らしとでもいったところか、自分はジュンに恋愛感情などないというのに、まだそんなことにこだわっているのかと、恵は呆れた態度で窓外の雨のアスファルトを見つめていた。


 しばらくカナと忍はその話題で盛り上がっていたのだが「なあなあ、恵っ! あのさ、きいて欲しいのはここからやねん」というカナのテンションに、不機嫌な顔で応対するわけにもいかず、無理に顔を平常に戻す。


「ジュン君の従姉妹ってのがさぁ、恵にそっくりで――――」


 他人のそら似。世の中には自分に似た人間が三人いるという。


 そう、不思議なこともあるものだ。カナが最初に会った時見間違えたほど、そのジュンの従姉妹は恵に似ていたのだという。それが、どうしても伝えたいことだったらしい。


「ふうん、そうなんや? 写真とかあるん?」


 別に、それを見せられたところで、恵の心に響くものは何もなかったのだが、どうやらバタバタしていたらしく、すっかり忘れていたそうだ。


 そのテンションの低さを感じ取られたのか、声を落とした忍が唐突に訊いてくる。


「なあ、恵ってまだ家政婦みたいなんしてるん?」


「まだって、そんなんあそこで世話になってる限りはずっと続けるよ」


「でも、衛君とか……は、まあ東京暮らしやろうけど、同い年で同じ家のもんで、こう、なんちゅうの? 釣り合い悪いっていうか……」


「衛君は山吹衛や。ウチは加納恵。御曹司と使用人、全然違うよ」


 結局この半年で忍たちはもとよりクラスや学年全体に、山吹家の内情、とりわけ恵が身を寄せているのが芸能人である美千留と衛の家であるという事が白日の下にさらされた。当初はサインをもらってくれなどと方々から頼まれ、断るのが大変だった。特に衛のサインを求める女子の猛攻。


 衛はあれから随分露出も増え、月曜九時からのドラマにも出演しているし、CMでもちょくちょく出ている。業界としては注目株なのだろう。





 山吹家の面々がハワイから帰ってきて早々、恵は大輔の元へと向かった。GODSからは抜ける、家政婦業は切りのいいところまで続けて、いずれは山吹家を出て働く。それが自分の本来の姿だと告げた。


 大輔は旅行から帰ってすぐに書斎にこもって仕事を始めていた。その背中に語りかける恵を振り返ることはなく、「そうか、恵にその考えがあるんやったらわしはなんも言わん。ただわしも五郎から託けられてるからな」と背中で低く唸った。


「父さん……に?」


「俺に何かあった時は娘を一人前に育ててくれって、修理頼んだ車の中に手紙が入っとった。後見人ってのは別に傍にいた都合のいい人間やったからって訳やないんやで。あいつもわしがどういう人間かは判って頼んどるんやとは思っとる。だからわしなりにお前のこともみてきたつもりや」


「――そのことについては、感謝しています」


唇をかんだ恵の言葉を受け、大輔は書斎の椅子をくるりと恵に向けて言った。


「別にゴッズが嫌ならやめても構わん、五郎もその方が安心するやろ。家政婦だって始めたんはお前の機転がきっかけや。別にお前がやらんでもセイがおる。凛にもちゃんと兄弟がいる、母親もおる。恵は生きたいように生きても構わん。わしは口出しはせん。ただな――」





 そこで、カナの威勢のいい呼びかけに意識を引き戻される。


「なあなあ、夏休みになったら東京いこうや! 今度はミヤも一緒に、マキタやジュン君も誘って!」


「東京……かぁ」忍もまんざらではない様子だ。


「恵、ファンタジア! 行ったことないやろ?」カナがかぶせてくる。


「東京自体行ったことないよ」


「え、ほな東京スカイツリーも昇ってへんねや?」


「そらそうやろ」


「マキタに東京案内してもらったらええやん」


「せやけど――」


「恵もマキタに会いたいやろ?」


 矢継ぎ早に発せられる東京、マキタ、東京、マキタ、イラッとしてつい怒鳴りそうになる。懸命に目を閉じて心を閉ざす。辛い。本当に辛い。こんな時どんな感情を表に出せばいいのかわからない。


 カナと忍が自分の事を心配して元気づけようとしてくれているのは解る。いつものようにいつもと変わらず。あらゆる話題を駆使して。だから余計に辛い。


 二人と別れた後、脚は自然とかつての東大阪の町へと向いていた。変わらない商店街。新しく入った店もあるにはあるが、ほとんどはまだそのままだ。前にも来た時も感じたことだが、やはり懐かしいと感じている自分がいる。


 それほどまでに時間が経っているわけでもないのに、距離が離れた訳でもないのに。つまりこれは心が離れたという事なのだろう。


 元加納モータースはまだシャッターが閉まったままだ。赤い傘から垂れる雨水が線を引きまっすぐに足元に落ちてゆく。ざんざんと、夏至が近い六月の某日の雨は容赦がない。もう時計の針は七時を指しているのにまだ明るい。覗き見た路地にずぶ濡れの子猫が佇んでいた。


 肉屋の岡部精肉店の前でふと立ち止まる。店主の岡部は接客中で恵に気づいた様子はない。人が途切れたところで声をかけようか逡巡しているうちに、また別の客が現れてタイミングを逃す。まるでもうこことは関係がなくなった人のようにあしらわれている気がする。通りがかりの異邦人のように。恵は踵を返し、顔を俯け水たまりのアスファルトを歩み出す。


 髪はすぐに濡れて頬に首に張り付いた。夏服へと衣替えしたばかりの制服のシャツは濡れきり下着まで透けていた。靴はずくずくに水がたまり、歩くたびくっちゅくっちゅと、ダジャレみたいな音が鳴る。教科書もノートももうずぶ濡れだ。


 行き交う人が恵を見て好奇の視線を浴びせる。特に若い男に限らず男は皆、恵の姿に釘付けになっているのが判る。だから――どうした。


 この住宅街には不釣合いな大型のバンが猛スピードで走り抜けてゆく。それも一台ではなく二台三台と立て続けに。恵のことなど見えていないかのように、彼らは盛大に水をはねていったが、今更濡れたところで同じだった。


 歩いて石切神社まで登ってきたころには、あたりはすっかり夜になっていた。それでもまだ降り続く雨、雨、雨。永遠にやまないのではないかと思う。恵の心の中の雨のように。雨雲がかかっている限り続く雨。


 手提げ鞄の柄を強く握りしめる。じわっと雨水が染み出るのが判る。百度石のある社殿の前で立ち止まると、不意に柴島と話した時の記憶がよみがえる。そしてまた泣きたくなる。神も仏も信じない。神も仏もいるなら恨みたい。そう念じ、社殿の脇をすり抜けて社務所のある方へと歩みを進める。


 何かを期待して? いや違う、そうじゃない。


「あれ? 恵ちゃん!」


 虚ろな瞳を差し向ける恵に声をかけたのは、神社の巫女の千石千鶴だった。


「なにしてんの? こんなに濡れて傘もささんと……風邪ひくで、こっちおいで」


「――いです」


「え、なに?」


「いいです、って」


「ええことないわ。もうじきアガりやさかい、家まで送ったるから中はいって体拭きぃ」


「――っ、ほっといてや!」


 恵は千鶴が掴んだ手を振りほどいた。唖然とし動きを止める千鶴。


「ぅぐううぅ」腹から喉を通じて感情の波がせりあがってくる。泣きたくない、今ここで泣いたらダメになりそうだった。


 俯き肩に力を入れて懸命に堪える。そして巨大な感情の波を飲み込む。抑え込む。


 しかし次の瞬間千鶴の豊満な胸が恵の顔を包み込んだ。そして背中をポンと叩かれて、抑え込んだはずの波ははじけてしまった。


 まるで子供のように泣いていると思った。自分でこんな泣き方をするのかと不思議に思ったくらいだった。


「――なんか、なんかわからん、けど、どうしたらええのかわからん。どこにいたらええんかわからん、ウチは、どうしたらええのかもうわからん――」


 千鶴は天を仰ぎ、胸の中で泣きじゃくる少女をきつく抱きしめた。


 その力強さは、こんな子をこれほどまでに絶望に追い込んだのは誰なのか、何なのかと叫んでいるようだった。


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