戦闘家政婦―恵 3-2
心斎橋の街は恵が中学の頃来た時から幾分も変わっていなかった。御堂筋の交通量は相変わらずだがリニアカーの普及により、排ガスは極少に抑えられ、騒音もほとんどない。銀杏の並木の緑はどこまでも続いていて、五月の空によく映えた。
ふっとさわやかな風が吹き抜け、恵の足元をすり抜けワンピースの裾を揺らす。気温の割に日差しは少し強めで帽子を持ってくるべきだったかと思う。そうだ、なら帽子を買いに行こうと思い立つ。
日々家政婦として働く恵は衣食住の保障と共に、月々家政婦業の一般収入から、実質上の家賃や食費を差し引いた給金が手元に残っている。この体制は恵自身が大輔に設定してくれと頼んだもので、家政婦業を仕事として捉えたいという思いと、小遣いをもらうタダメシ食らいになるのを嫌ったためである。
無論GODSとして働いている分を勘案すれば、より多くの給金が手元に残るはずであるが、こちらの管理は誠一に任せており、恵はその内訳を知らされてもいなければ、自由に動かすことも出来ない。これもまた恵が望んだことであり、なにも自分はお金が欲しくてGODSに居る訳ではないのだから、という訳だ。
資金が潤沢にある訳ではないが、恵は通りのウィンドウを眺めながら、偶然巡り合うお気に入りの帽子を探していた。どこの何が欲しい、といって買い求めに行くのではない。まるでその商品が自分を探していたかのように、何の変哲もない場所でめぐりあわせは訪れる。恵はそんな買い物の仕方が好きだった。ちょうどミヤがお気に入りの被写体を街へ探しに行くのと同じようなものだろうか。だから時間はとてもかかる。その日は結局買わずじまいになることもある。
ホログラムを採用していないショーウィンドウは、昔ながらのマネキンが服を着させられてポーズをとっている。ガラス面を鏡に見立ててそこに映る自分の姿を横目で見ながら歩くのが好きだ。別に己惚れているわけではないが、自分もこんな風にお洒落になれる。ウィンドウの中のマネキンとコラボレーションしている気分になる。
ガラスを覗きこんで跳ねた髪を直していると、店の中の店員と目が合いクスリと笑われ、慌ててその場を去る。この半年の間、ほとんど肌身離さず携帯していたDOSという兵器がいかに重く邪魔なものかと今更感じていた。
心斎橋商店街から一本筋を入った店にいい感じの帽子の専門店を見つける。価格帯もリーズナブル。
「いらっしゃい」気さくな感じで二十代と思える女性店員は恵に声をかけるも、レジのカウンターからは動かなかった。
「少し見せてください」とはいうものの、恵は既にお目当ての商品を見つけていた。偶然訪れる必然的な出会い。帽子をかぶって鏡で確認してみる。
「にあってるよ」店員ならばそうも言うだろう。だから一瞥してにこりと笑うにとどめる。よく見ると店員は足を怪我していた。骨折だろうか、傍らには松葉杖が立てかけられていた。恵が注視したのに気付いたのだろう「ごめんね、今ちょっと足を痛めていてね」
恵が訊くまでもなく店員はかけていた眼鏡を外し、袖口で軽く拭きながら「ディック、にね」という。一週間前に現れたDICの被害に遭ったのだという。
DICはひとたび現れれば必ずGODSに駆逐されるというものでもない。以前の巨大ゆで蟹DICのように、時を変え場所を変え、断続的に現れるものも多い。これを一度で駆逐できないGODSを無能だというには酷な話で、現出が確認できてから出動、現着までの時間でDICが消えてしまえばGODSは為す術もないのだから、無駄足を踏まされることも往々にしてあるのだ。
彼らDICの目的は様々だ。
この社会をただ単に混乱に陥れたいという肥大した妄想。あるいはきっかけは些細な私怨によるもの、あるいはいびつな自認欲求、あるいはGODSとの戦闘における命の駆け引き、命がけのゲームを求める者。恵が遭遇しただけでも様々だった。
この辺でDICを狩ったという話は誠一から聞いていないのだから、彼女を襲ったDICはおそらく、GODS到着前にトンズラしたのだろう。市民はこの半年の間に身近にDICの脅威がある、という事を感じざるを得ない事態に推移していた。多くは都市部に集中しているとはいえ、USJ事件以降はDIC現出が確実に増えている。
恵は女性店員の目を見ながらかけるべき言葉がない自分に迷った。
「どないかした?」恵の心中とは裏腹に、にこやかに微笑む店員。
「いえ……あの。これください」麻素材のキャスケット帽を彼女に手渡し、被っていくので包装はいらないと告げる。
店を出る際の、ありがとう気を付けてね、という店員の言葉には違和感を覚えざるを得ない。女性の一人歩きで気を付けなくてはいけないほどの時間でも路地でもない。DICはいつどこで現れるかわからない、そういう事なのだ。
凛に武道を仕込むことに恣意的なものはない。まして自分のようにDICと戦う使命など背負わせたくはない。何もなければそれでいい。彼女が本当に実力を持ったときその力を使うことなく歯がゆい思いをするような世界が出来上がっていればそれでもいい。戦闘し相手を蹂躙し殲滅するなど、人の行いとしては愚の骨頂なのだ。そんなことのために合気道を教えるつもりはない。
彼女が彼女自身を守るため、あるいは彼女が彼女の大事なものを守るために、致仕方なく行使する最低限の保険として捉えてくれればいい。
綺麗事すぎるだろうか、とも思う。自分が遭遇したいずれのケースでもそんなに冷静に対処できなかったではないか。人は考えることをやめてしまえば獣となる、それを地でやったのは自分ではないかと、恵は下唇を噛んだ。
地元にはないハンバーガーショップにふらりと足が向き中を覗く。お客の多くは若くて騒がしい。子供連れも多い。滅多に一人になることなどないのだからあまり騒がしいのは御免だった。
美千留によく連れ回されているおかげで、そこそこの格の店にも物怖じしないで出入りできるようになったのは感謝する。とはいえ今の恵の手持ちでホテルのランチに行くことははばかれる。
結局二軒またいだ奥まった質の良さそうなイタリアンの店を選ぶ。少し客層を見渡すと明らかに自分と同年代はおらず、恵は顎を引きできるだけ大人らしく装ってみる。
もちろん未成年が入ってはいけない店ではないが、隣の席のカップルが傾けているルビー色の飲み物はオーダーできないだろう。外から見るとまるで葡萄ジュースのようだが、やはりああいった味がするものなのだろうか、と少し興味が沸く。
恵はワインに関わらず酒に類する飲み物を戯れにでも飲んだことがなかった。未成年の飲酒は法律によって現在も禁じられているが、高校生くらいになれば興味本位から口をつけたり、味もわからないまま酔っ払い失態を晒すようなことはあるものだ。ただ、山吹家に居候をし、同級生とやんちゃをしていられるほど気楽な立場でもなく、ましてGODSなどという特殊部隊に属している恵にはそういう機会がなかった。
ただ、美千留に付き添ったり、山吹家で誠一について業務から家事雑務までをこなしているうちに、種々の作法や手順を多く覚えられた。もともと老成している節はあったものの、この濃密な一年半の自身の働きぶりを自賛する気持ちがある。そんな恵からみれば酒を飲んだことを自慢している同級生がまるで子供に見えていたのだ。
客層はカップルが多い。皆スーツで決めるというほどではないものの、上品な大人しい服装の人々だ。大きな声で会話することもなく、落ち着いてランチを楽しんでいる。
席に案内されて途端に寂しくなる。一人用の席などはないのだ。一番隅の窓際の二人がけの席、正面に座る者はいない。注文を済ませると、できるだけ店内を見ないように窓の外を見つめ続けた。
“女性ならばどんなシーンであっても最低限のマナーはおさえておいて当たり前、それを見越した行動が取れなければあっというまに三流とみなされる”いつしか美千留が言っていた言葉だ。だが美千留の言説がこれで済むわけはない。
このあとに続くのが“いい女になりたければ、若いうちにいい男と付き合ってどんどんご馳走してもらいなさい。男だって女をエスコートできてナンボの価値なんだから”というわけだ。そして“それまでは自身を磨いて最大限の魅力を引き出す努力を惜しまないこと”とも言われた。身につまされる言葉だ。
鮮やかな彩りのクリームパスタを口に運びながら、後ろの席にいる関東弁の男性と関西弁の女性の会話に聞き耳を立てる。
「急な仕事でこっちに来ることになってさ、実質休みは移動日の今日だけだったから、会えてよかったよ」
「うん、お疲れさま。世間は連休なのに大変ね。体壊さないように気を付けてね」
「ありがとう。そうだね、いよいよ来月は式だし――ま、少し離れるけど俺がいない間、準備頼むな。あと、うちの両親のことも」
「あーあ、人も転送で移動できたら楽やのになぁ。こんな時代になっても遠距離恋愛は変わらず大変」
「ははっ、でもこれからはずっと一緒に居られるじゃん。今回のプロジェクトが成功したらでかい報酬が入るんだ。家の頭金くらいにはなる」
「ねぇ、東京の方はどうなん?」
「どうって?」
「ディック」
「うーん、周りで聞く限りじゃ大阪よりは被害が少ないかもね、俺も実物は見たことないし」
「そっか。なんか安心した。最近大阪は多いし……」
「確かにね。これからどうなるんだろうなぁ」
DICが世界の大都市圏に現れるのはもはや常識で、年末からこの短期間の間に、一般人の口から“ディック”という言葉が発せられるのもあたりまえになっていた。各国各地の被害の規模や対応状況は様々だが、これらは全てD&Dの各支部が対処にあたっている。
酷い酷くないでこの日本の状況を測れば十二分に酷いうちに入るのだが、GODSとD&Dの二つの組織が対処しているため、彼らをはじめとする一般人にDICの影は見えづらくなっている。政府から国民の恐怖を煽るとして、マスコミにも、特に目立ったDIC被害でない限りは報道を自粛するようにと促されているらしい。
彼らはいずれ結婚をするのだろう。他人ながら幸せを密かに祈りたい。
ロールスクリーンの下ろされていない窓から差し込む正午過ぎの太陽光線が、正面の空席感を一層際立たせている。もし目の前にマキタがいたならばどんな話をしているだろうか、などと考えた。恵の会話のない一人の食事は淡々と進み、先に入っていた彼らを追い越して席を立ってしまう。
会計を済ませ再び一人で通りを歩く。行き交う人々は皆連れ合いを伴って楽しげに話をしながら歩いている。恵は注意力が散漫になっている彼らを避けながら、あてもなくウィンドショッピングを続けた。五月の日差しがアスファルトに影をくっきりと映し出す。下を向いて歩いているのに気づき立ち止まる。
情けない気分になっている自分に喝を入れるため、テナントビルの壁面に使っている鏡に自身の姿を映してみる。
大柄な藍色の花柄をあしらったワンピース、さっき買った麻のキャスケット、皮革素材のシンプルなサンダル、白基調のカーディガン。太くも細くもない脚、やや肩幅が広いかもと、体を少し斜めにひねる。
なんだかこうしている自分がより悲しく見えた。自分にそんな人並みの幸せが訪れるだろうか。うら若きとはいえ天涯孤独の戦う家政婦など誰が好き好んで選ぶものか。こんな自分を認めてくれるものなど――。
髪をかきあげ帽子をかぶりなおすと、口角を無理に引き上げて笑顔を作る。らしくない、らしくない。こんなの自分らしくない。一人だってことはとっくに承知したはずなのに。戦うって決めたことも、この世界を守るって決めたことも、納得したはずなのに今更――何を考えているのだろうと、恵は深呼吸をして通りの先を見つめ直した。




