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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第四章:恵 第二話 「ゆっくり風呂につかりたい」
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戦闘家政婦―恵 2-4

 机に伏して朝を迎えてしまった。窓際に置いた机の前の窓のカーテン越しから、新鮮な朝の光が差し込んでいた。どんな寝方をしていようがどうも五時には起きてしまうようだ。恵は傍らの時計を持ち上げ、一息ついて固まった首をストレッチしながら立ち上がる。結局あれから部屋に戻り宿題の続きを自室でしている間に眠ってしまっていたのだ。


 昨日風呂に入りそびれていたのを思い出し、ジョギングのためのジャージに着替えかけた手を止めしばし逡巡する。今日はジョギングを休もうか、という思考が頭を横切った。


 GODSに参加すると決めた日から、二度の入院明けからもすぐに再開するほど、ほぼ欠かさず続けてきた朝のジョギングだったが、こんな動機で休もうと思ったのは初めてだった。


 ゆっくり風呂につかりたい、と。


 山吹家の風呂は六畳間がすっぽりと入るほどの浴室に、五人が同時に入れそうな贅沢なヒノキ材を使った風呂桶で、おまけに常時循環で二十四時間沸いている。これは風呂好きの大輔の家でのこだわりの一つであり、現在は庭に露天風呂を作るという計画もある。もっぱらこの風呂を維持するのも誠一や恵の仕事ではあるのだが、掃除だけは大輔が自らするという溺愛ぶりなのだ。


 その家長が手塩にかけた檜風呂は恵にとっても心地の良い、最高にリラックスできる場所であり、一人でぼんやりとするのにはよかった。


 広い広いと言えど誰かと一緒に入るなどという事もない。ここに来て一度たりともそのような遭遇はなかった。


 湯船につかりながら左腕の傷跡を撫でる。蚯蚓みみず腫れのように盛り上がったまま、赤い線が残っている。昨今では傷跡は極力残さないような治療技術が確立しているが、それも限度がある。イカ怪人にやられたほどの傷ともなれば、通常一ヶ月は腕を動かせないはずと言われており、この程度の傷跡を残すのみで現在普通に動ける恵の回復力に医師は驚いていた。


「体は丈夫なもんやけど、乙女の玉肌に必要なもんでもないわな……」よく見ればあちこちに傷跡やあざが残っている。


 DOGを運用する際は、体のラインに密着するインナーのフィールドスーツを着用するのが望ましい。GODSの作戦行動が事前に通達される場合はこの準備もできるものだが、過去に恵が経験したUSJや高瀬の時のような突発的な遭遇戦ではそうはいかず、私服を犠牲にし、戦闘後は実に残念なことになる。


 服は買いなおせば新しくもなるが、やはり気に入った服を痛めて使い物にならなくしてしまうのは嫌だった。そのため突発的な遭遇戦になるとわざわざ服を脱いだりもしたことがあったが、体中がアザだらけになるのは避けられず、恥ずかしい全身タイツコスプレとはいえ、DOGと身体の干渉を防ぐように各部位が守られるようになっている専用装備の有り難みは、こうして自身の身体を眺めるとしみじみ感じるのだ。


 とはいえフィールドスーツとて完璧ではない、無骨な機動兵器を駆る身はいずこで擦過し、出動のたびに擦り傷を作っていた。以前樹菜子が装甲の修正をしていたのを思い出して、やはり体に合わせて微調整もしなくてはいけないのだろうなと思い巡らせていた。



 湯船の心地よさと寝不足がたたったため、恵は半身浴の状態でうとうととし始めていた。


 湯気の中でカランコロンと浴室内に洗面器の当たる音が響いている。ぼやけた意識の中で恵はそれを心地よく聴いていた。


 昔、家の風呂が壊れた際に商店街の外れにある銭湯に何日か通った時のことを思いだしていた。その時一度湯船の深いところで溺れそうになったことがあった。あの頃は全然背も足りなくて、周りの子たちよりも体が小さくてよく風邪もひいて両親を心配させた。泣きじゃくる恵はジュースを買ってもらい、湯上りの街を母と手をつないで歩いて帰った。


 強くなろうと思って合気道を始めた。ご飯もたくさん食べた。それでこんなに健康な体に育った。今では平均よりも高い背が疎ましく思える時もある。忍のような可愛らしさが羨ましいと思う事がある。でも、カナやミヤはこんな自分のことを均整の取れたカッコいい女性の身体だと言ってくれる。カワイイや色っぽいではなくカッコいい、だ。


 胸が平均よりある訳でなく、肩も張っている上、骨盤も大きくはない。これは合気道を続けてきたせいもあるだろう。あえて言うなら逆三角形だ。ただの女だったら、ただの女の子だったら、今とは違う人生を歩んでいたのだろうか、とまどろみかけた思考は何かに気づいて、そこで止まった。


 浴室に、別の誰かがそこにいた。あわてて湯船に肩まで浸かり息を潜めて警戒する。


 樹菜子だった。


 さすがにいかにデリカシーがない連中とはいえ、女性が入浴している所に入ってくるほどではないだろうと思い直す。


「おはようございます――あ、ウチすぐ上がるから」


「いいじゃん、ゆっくりしてなよ」


 同じ屋根の下に居ながらこの一ヶ月、面と向かってまともに口をきいていなかった。彼や彼女らに複雑な思いが募っていたのは事実だ。意図的に避けてもいたし、彼らも恵のことを慮って事件にはあまり触れないようにしているのが見て取れた。


 樹菜子はメリハリのある引き締まった体に、恵とは比べ物にならない豊満な胸を備えている。その体つきたるやアニメに出てきそうなセクシーキャラそのものである。恵は樹菜子を見つめながら心せず湯船の中に乳房を沈める。


「樹菜子さんいつも朝にも入ってんの?」


「うん? ああ風呂? 普段は夜だけだよ、酔い覚ましさ。風呂はいいねぇ、こりゃ日本人の偉大な発明だよ」そう言って恵の浸かる湯船へと脚を入れる。


 黒人というには薄い、ハーフ特有の褐色の肌のきめは細かく、極少ない皮下脂肪の下に蓄えられた肉食獣を思わせる筋肉がより際立つ。そしてなにより目に付くのは背中から肋骨にかけてと脇腹に刻まれた酷い傷跡だ。


 恵は聞いてはいけないと意識してその傷跡から目をそらした。


「これね――」樹菜子は乳房で隠れるようにしてあるその傷を恵に見せた。


「――ディックに?」


「ハッ、まさか……子供の時の傷だよ。むこうに居た時にちょっとね」


  桐谷樹菜子は日本人医師の父と旧スーダン北部に分布するヌビア人女性との間に生まれた混血児であり、当時紛争地帯だった北アフリカの地で生まれ、十四の頃に日本に来た。


 長い手足に優れた身体能力は母親の血を引き、肌の色は日焼けした日本人くらいと言ってよいだろうか、頭髪はアフリカ系民族特有の縮れ毛だったが、顔の造りはネグロイドの特徴をもちながらもオリエンタルな美人顔と言ってよかった。日本人から見れば美人だカッコイイなどと分類される類の容姿だ。


「モデル事務所からのオファーもあったけど、この傷はいただけないわよね。ははっ」自嘲的に笑う樹菜子に悲壮感はない。


「だからって……なんでゴッズに参加したんですか、樹菜子さんはそれで……」


「いいのかって、聞きたいんだろ? でもさ、オヤジには世話になってる訳だし、協力できることは何だってやるつもりでいたから」


「義理……ってこと?」


「まあ、そんなところだ。他に行くところがなかったんだよ、あたしみたいな人間がこの国で役に立つとすれば今みたいな稼業に浸かるしかないのさ」


 樹菜子は胸まで湯船につかり、両肘を浴槽の縁に置いた。


「それでも――」


 樹菜子の投げやりな言葉に恵の心が強く否定を試みる。行き場を無くした自分もそうなのだろうか、結局は恩返しを理由に自分の居場所にしている。戦う大義は自分にあるのか、他人と命のやり取りをしてまでそこに居続ける理由はなんだと自分に問いかける。そんなのはダメなんじゃないだろうか。


 樹菜子は考え込む恵に向かって掌を振って笑って返す。「朝からしみったれた話しちゃったね、ごめんごめん」と。


 何がダメなのかということを恵は明言できなかった。あんな傷を負う程の人生。どんな重い半生を彼女が送ってきたのかはわからない。それに自分などが口を挟むことができないと冷静さを保った結果だ。だが同時に、自分のようにぬるま湯の国ではなく、紛争の絶えない凄惨な地で育った彼女だからこそ、あんなこと(・・・・・)に抵抗がないのか、とも思う。


 風呂から上がり髪を乾かすと着物に着替え、すぐに朝食の準備に取り掛かる。誠一もあとから少し遅れてやってきた。


「おい、恵。今日は朝食いらないって、聞いてなかったのか?」


「え? そうでしたっけ……」


「朝早めに出て、空港のフードコートで済ますって言ってただろ、まったく……」


「――すみません」聞いていたかもしれなかったが、記憶になかった。ぼんやりしてたのだろうか。


 山吹家の一行を見送った後は簡単な掃除以外に仕事がなかった。連休の予定もブランクのままだった。GODSの面々も昨晩は貫徹だったようで、樹菜子はお気に入りのアイドルのコンサートがあるからと昼から出てゆき、誠一は縁側で読書を、吉川は庭先にいそいそとサンラウンジャーを設置しパラソルを立てて、五月晴れの日がな一日を何もせず過ごすつもりのようだ。


 恵も仕事がないのだから何もせずにぼおっとしておけばいいのだろうが、実家でも母がいなくなってから何もせずにいられる一日などほとんどなかったのだから、今更何もすることがないというのは落ち着かないものだった。


 試しに忍に連絡を取ってみるも、例のタカシ君とデートだという。カナは案の定東京に連泊予定で今日から出ずっぱり、恵と一緒に事件に巻き込まれたミヤはしばらく写真から離れるといい出し、このところは音楽の方に没頭して、バンド仲間とつるんでいる。


 恵はそれを聞いて少なからず安堵する。ミヤが気絶したまま“あれ”を目撃せずに済んだことを。


ミヤはあの時のことをほとんど覚えてはいない。怪物に襲われたという事実は理解しているようだが、彼らの容姿まではまるで覚えていない上に、恵が戦っていたという事も知らないままだ。GODSが助けに来てくれたから助かったのだと。無論恵がGODSであることも白状する必要はなかった。


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