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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第四章:恵 第一話 「サブジェクター」
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戦闘家政婦 恵 1-2

 まだ日が長くなるには早く、カラオケを出るとあたりはすっかり夜だった。


 二人で三時間歌った。さすがに喉が嗄れたが、どこかすがすがしかった。ミヤとこんなに長く話したのも初めてだった。恵は改めて彼女と友達になれたような気がしていた。


 駅前の繁華街はまだ賑わっている。高校生が歩いていても別段不思議ではない時間帯だったが、あまり通行するにふさわしくない場所というのもある。所謂風俗街という奴だ。


「ちょっと、ミヤぁ。ウチは慣れてるけどあんまり歩かんほうがええで、こういう道。事件のこともあるし……」


「あたしも慣れてるから大丈夫やって。まだ時間も早いし人目もある。こんなとこでちょっかい出してくる奴なんかおらんって。近道近道!」


 恵が“慣れている”というのは、恵の育った街がこれに似たようなものだったからに過ぎないし、いざとなれば痴漢だろうがナンパだろうが振り切れる自信があったからだ。


 ミヤの容姿は腰まであるまっすぐな黒髪でスカート丈も短く、ノーメイクでもまつげが長く艶っぽい顔をしており、恵のそれよりもずいぶんと華々しく映る。制服を着ていなければ学生などと思われないどころか、物憂げに遊びに誘われるのを待っている寂しい女のようにすら映る。


「それに、恵ちゃんみたいな地味目の子のほうが狙われやすいねんでぇ?」


「えっ! そういうもんなん?」


 そんなやり取りをしながら、広いとはいえない路地を抜けて行く二人はすれ違う通行人を上手くかわしていた。


 前方から割に体の大きな男が数人歩いてくるのが見え、恵は注意していたのだが、ミヤはカラオケの延長でテンションが上がっており、会話もずいぶん弾んでいた。おまけに手に持っていたスマートフォンに注意がそれて、誤ってすれ違う男の肩に腕が当たってしまう。


「あっ、すんません!」ミヤは少し振り向いて言う。通常ならばそれで済むほどの出来事である。しかし男の一人は背後で舌打ち、立ち止まった。


「おい、姉ちゃん!」


 その声、ドスがきいているとはいえないが、素行の悪そうな男だ。パーカーのフードをすっぽりとかぶっており見えにくいが、無精ひげに色眼鏡で痩躯。悪い顔をしている男だと直感的に恵は思う。仲間の男は他に二人、小太りで筋肉質な背の低い男と、もう一人は中肉中背の目つきの鋭い男。いずれもパーカーのフードを被っており、ネオンの光で逆光になるこちら側から見ればファンタジー世界の魔導士のようなシルエットだった。


 そして呼び止められているのが自分だと解っていて、無視するほど肝が据わっているわけでもないミヤは身体を男に向ける。


「人に当たっといてすんませんで済むかいな。これ見てみぃ、壊れてもおたやんけ」


 男が掲げた右手には大柄のデジタル一眼レフカメラ、大仰でそれほど安いものには見えない。だが外から見て何が壊れているのかはわからない。

「姉ちゃんこのカメラいくらするか知ってるか?」


「あ、いえ……。でも私が当たったことには間違いありません。壊してしまったのならすみません……」ミヤは口をすぼめながらも正面を向いて丁寧に頭を下げた。


 恵はそう言うカナの脇腹に肘打つ。こういう場で先に謝ったらダメだと聞かされていた。いい流れではない。


「そやから頭下げて済むゆう話やないて――」小太りの男が少し強めに言う。


「――どうやったら許してもらえるんですか?」隣のミヤはもっとも言ってはいけない言葉を口にしてしまっていた。


「十万でええわ、新品買えとか言わんから修理額で許したる」


「――! 十万?」と、二人で声をそろえて思わず訊き返してしまう。


「払えへんゆうんやったらええねん、君らの家に連絡して新品の値段で払って貰うし。あっ、いたた、手首ひねってもぉたかな、これは仕事出来んかもしれんなぁ……。一方的に当たってきて人怪我させて持ち物壊したとかあかんやろ? 俺はな、君らが困らへん程度の額を言うてるんや、ここで話が済むんやったらそのほうがええやろって」


 十万が安いか高いかと言われれば、恵ら高校生にとってはおおよそ三か月のバイト代といったところだろう。身を引く額である。


「そ、それはそうですけど……そんなお金は」ミヤはもじもじとしながら声を弱めスマートフォンを弄びながら、高圧的な男の態度にすっかり萎縮してしまっているという様子だ。


「よし、わかった。姉ちゃんら一時間ほど僕らに付き合ってくれたらそれで許したろ、どや? ええやろ? かわいそうやん」鋭い目の男が無精ひげの男の背中に向かってなだめるように言う。すると長躯の男は急に態度を柔和させ嫌らしい笑みを浮かべる。


 だが恵としては、彼らの一方的な物言いと屁理屈と感じる主張は到底承服できるものではない。ふ・ざ・け・る・な、だ。


「いやいやいや、ちょお、まって。この子が当たったの兄さんの肩やん? しかも手のひらがちょっと当たったくらいですやん」


 恵の刺すような視線と掴みかかるような下町育ちの大阪弁に男はたじろぎもしたが、すぐに鼻息を吐いて言う。


「そんなもんこの暗さで見える訳ないやろ、ネエチャンが思てるよりきつう当たったわ」と、小太りの男が言うが、恵にはちゃんと見えていた。


「だいたい、ほんまに壊れたんですか?」恵はさらに畳みかける。


「アホォ精密機械やぞ、俺らはこれで飯食うとるんや、商売道具やぞ? お前ら学生なんかにわかるかい!」小太りの男が息巻いて応戦する。ならばこちらも言わせてもらう。


「分からへんから訊いてるんや! 何処がどう壊れたのか修理明細出してもらうで? それに元から壊れたもんやったとしてもウチらには分からへんから、今壊れたってことを証明してくれな出すもんも出せへん!」


「そんなんできるわけないやないか、あほか!」無精ひげの男が言う。


「粒子測定研究所に持ち込んだらいけるで。それで情報子測定をすればいつから粒子構造が変化したのかはわかるやろ」GODSで得た専門知識である。一介の女子高生が口にするような弁ではない。


「……っく、こんのガキ! ベラベラとくそ生意気なクチききよって!」


 無精ひげの男は突然右腕を伸ばし、手前にいたミヤの襟を掴みにかかってきた。


 恵はとっさにミヤの制服の襟を後ろから引き、彼女と入れ替わるように自身の身体を男の前に滑り込ませると、男の毛深い手首を取り小手先で路地の隅の植え込みに向かって流した。


 恵が上体をほとんど動かすまでもなく、男はいとも簡単に二人の脇を抜け飛んでいった。


 ミヤの目からは、恵が避けたので男が勢い余って勝手に植え込みに突っ込んだようにしか見えなかっただろう。別にダメージを与えるために投げたわけではない。これで諦めてくれればそれでよかった。


 が、立ち上がった男は完全に頭に血が昇っていた。他の二人は何が起きたのかわからないと言った風にフードの中の目を見開いていた。


 自分の体格に多少なり自信のあった男が、女としては高い方の身長とはいえ、高校の制服を着た年端もいかない小娘に投げられたとあっては黙ってはいない。当然そうくるだろうと恵は立ち上がる男に身体を向ける。鋏打ちのこの状態なら背後の二人も警戒しておかなければいけない。


「ミヤ、さがっとき」


 次に男が飛びかかって来たら肩口から脱臼させてやろうと考えていた。背後の二人が先なら、足をすくった上で顔面に肘を叩き込めばいい。この距離と道幅なら勝手にもつれて転ぶだろう。


 力のない者はいつも饒舌な口と無慈悲な力に屈しなければいけないのか。話し合えば分かり合えるか? そんなことはないだろう。一方的に他方の利益を奪い取ることしか考えていない。一方的に他人の幸せを陵辱することしか考えていない。目の前の男は話の通じないDICと同じだ。叩きのめして何が悪いものか……そう、一瞬考えた。


 男はその長い腕を振り上げ恵に飛び掛る。何度やったとて同じことだ。素人の打ち込み。まるで踏み込む箇所が見当違いだ。


 右半身に構えた恵は、そのがら空きの足元へと大きく踏み込み、一瞬腰を落とし男の肘と肩に手を添える。すると長躯は自らジャンプしたかのように、自身の勢いに任せて反対側にいた二人を巻き込み、さらに傍らのあやしいスナックの内照式看板に頭から突っ込んだ。けたたましい音が路地裏に響き渡り、質量の大きな生き物が圧力で押しつぶされる不快なうめき声が耳を撫ぜた。


 その音を聞いて何事かと、隣の店のドアが開き胸板が異常に厚い強面の男が顔を覗かせ、崩れる三人を怪訝な顔で睨みつけていた。恵は振り返ることなく、そのままミヤの手首を掴んで一目散に路地を走り去った。


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