戦闘家政婦―恵 1-1
「恵!」元気のいい声が下校途中の恵の背後から響いた。藤美也子、ミヤだ。
二年に上がってから別のクラスになったので、ミヤとはあまり一緒に下校することもなく、ずいぶん久しぶりな気がした。
「なんかしばらくぶり―、みたいな?」ミヤは後ろ手に恵の傍らに寄り添い顔を覗き込む。相変わらずサラサラと流れるまっすぐな黒髪はとても綺麗だ。
冬からずっと落ち込む要素を蓄えてきた恵は、ここのところ曇り時々雨、ところにより晴れのような気分で毎日を過ごす日々が続いており、忍やカナとも放課後のお喋りは減っていた。
「あ、うん……なんか久しぶりやね」
「元気ないやん、どうかした?」
完治しないマキタの事、高瀬との一件、いまだにヴィ・シードもディックの問題も解決しない。おまけに自分は役立たずの烙印を押され謹慎中の身ときた。元気がある方がどうかしている。
「ううん、別になんでもない。ミヤ、部活は?」
「昨日顧問の山内のなっがーい話があってさ。うちらが写真部やからってことさら言わんでもええのに、ホンマむかつくわ」
「何の話?」
「最近若い男の集団に高校生とか中学生がゆすられてるって件、聞いたことない?」
「ああ、なんか言いがかりつけてお金取ろうとするって奴?」
「そうそう、うちの学校の生徒にはまだ被害者おらんみたいやけど、どうもお金取るのは目的やないみたいやねん」
「なんや……何がしたいん? そいつら」
「写真撮るらしい。お金払われへんねやったら写真のモデルになれって、ホテルに連れ込んでいかがわしい動画撮影したり写真撮ってネットで流すんやて。それがどうもネット上で流通してるらしくてな、被害届も出てへんしDFS使ったハイブリッドネットワーク使ってるから、画像の伝送場所が特定できんから足取りも掴めへんて、警察も動くに動けんらしいわ」
「よおある話やな、今時って感じもするけど、サイテーやな」
「まあ、あんな目に遭ったらトラウマになって泣き寝入りしてしまうんかもしれんけどな」
「あんな目って、ミヤはその画像見たん?」
「うん……ちょっとだけな。触手愛好家倶楽部って悪趣味なサイト。女の子と触手の絡み専門やって、どうやってあんなもん撮ってるのかわからんけど」
「しょ……触手……?」
「ほら、巨大なタコとかイカとかのぐにゃぐにゃネトネトと女の子が絡んでる画像がええんやて。考えられへんわ」
DICの仕業なら説明がつく……が、DICを人が動かしているという事実はまだ世間では知られていないのだ。ミヤが不思議に思うのも当然だ。
「山内はそんなんとあたしらが間違われたりせんように、しばらくはカメラ持って街をうろつくなって!」そう言ってミヤは嘆息を吐いて毛先を弄んだ。問題がまるで見当違いの場所に口を開いているとわかっていながら、それに近しい材料はとりあえず排除する。保守的な教師らしい言動だとは思う。なるほど、呆れた話だ。
「しかしまあ、写真をそんなふうに使われたら、まともに写真撮ろうとしてる人が迷惑するわな」
「そやで。ホンマに迷惑や。ムカつくから今日は部活ボイコットしたった」
ミヤは絵を描くのも上手だが、写真を撮るセンスもいい。おまけに音楽の才能にも秀でている。容姿とは裏腹と言ってはなんだが、内面はとてもミステリアスでアーティスティックで、考え方なども独自の思考と言動を持っている。
街中で魅力的なモノや人を見つけると、声をかけて写真を撮らせてもらうというスナップを日常的にこなしていた。場合によっては女の子が一人で行くには憚るような場所にもどんどんと入ってゆく。ミヤはそれができるのはカメラを抱えているおかげだと言う。
「あたしがこんな風になれたのもそのおかげやって思う」“こんな風”というのは容姿の事を言っているのだろうか。ミヤは確かに自慢してもいい美貌を備えている。可愛いというだけではない、そこに自信と品がある。
あえて言うなら、カナが動じることのない貴金属の輝きを持つならば、ミヤは奥ゆかしく光る天然石の美麗さと気品を持っているといおうか。嫌味な程ぱっちりとした目に、腰まで届くぱっつんのストレートロングヘア。校内でも彼女を気にかけない者はいない。街を歩けば必ず誰かが振り返る。同い年とはいえ、恵はひそかに憧れの感情を抱いていた。
「ミヤはいつも写真写りええもんな。綺麗やし可愛いし、スタイルもええし」嫌味で言ったのではない、本当にそう思うから言ったまでで、自分とは比べ物にならないほど意識が高いと思う。
「研究したもん。自分がどういう角度ならどういう顔をしてるのかって。作ってるといえば作ってるんやけど、それって自己暗示でもある。魅力的な人はどうして魅力的に見えるのかなって、たくさん見て考えたら、どこに人を惹きつける要素があるのかが見えてくる」
以前同じようなことを美千留から聞いたことがある。
女優業というのはいかなる器になることか、なのだという。そのためにイメージをする。ある作品が映像化されるとき凡人は役柄にハマる女優が選ばれると思いがちだ。だが、美千留のような女優は自分のことを器に例えて中身を入れなおすのだという。イメージしたかりそめの人格を上書きするとも言っていた。そして、それを表に出した時に“自分がイメージしたその役の人物”が生まれるのだと。
想いやイメージを制御することで、人に与える自身の外見の印象までをも変えてしまえる特殊技能の持ち主、それが俳優という人種なのだという。
「自分の魅力に気付くって事はすごく大事やで。みんなはウィークポイントばっかり気にするけど、それと同じくらいええ所もあるねんて、恵も」
確かにUSJの時、プロのスタイリストさんにあしらってもらった自分は、自分でも素敵だと思った。こんなに変われるのかと。だから忍に茶化された時もまんざらではなかった。正直嬉しかった。綺麗な服は、凡人が視覚的に理想のイメージを惹起させることができる装置なのだろう。
「恵も、もっと綺麗になれるよ。もっと思いきり自分を出したらええのに!」
「だっ、出してるよぉ……たぶん」
恵は唇を尖らせ顎を引く。ミヤにそこまであからさまに言われると余計に気後れする。
「暗い顔してたらマキタ君にも嫌われるでぇ?」と、にやにやと恵の仏頂面を覗き込むミヤ。
「そ、そんなん! なんでや……関係ないわ!」
赤くなったのがミヤにばれると思うと、顔を上げることが出来なかった。
「なあ、今からカラオケいかへん?」と突然ミヤが切り出した。
ミヤが言うには、こころが曇った時は大声を上げるとすっきりするという。歌を歌うというよりも、ただ思いきり声を出す、そんな感じだ。秋ごろは忍とカナを含めた四人でよくカラオケに行ったが、二人きりはどちらにしても初めてだった。
恵は歌がそれほどうまいという訳ではない、それは忍にしてもカナにしても同じだ。歌唱力は極々一般的。
「あの子はほんまにうまいねぇ」言いながらミヤはカナが十八番にしている曲の予約を入れる。
「えっと、コーラと……ミヤは?」
「ちゃっちゃとジュン君モノにしてしもて、あたしもお手上げや――あ、あたしメロンソーダ! それから山盛りパフェも!」
「メロンソーダと、えと、山盛りパふぇ? お願いします」
室内受話機がまだ健在な古い形式のカラオケボックスは、その安さゆえに地元の高校生の御用達店となっていた。ただ、この時代になってもオーダーをこのような受話機によるやり取りで行うのは、店側の経費の削減のためではない。地元の若者と長らく接してきたカラオケ店オーナーの自主的な青少年育成活動の一環としてあえて行っているのだ。
これは普通に聞けば妙な話に聞こえるかもしれない。
二十年ほど前から各種店舗や業種のオーダーやチェックはかなりの割合でタッチパネルによる端末の無線送信操作で行われるようになっていた。だがこれには大きな落とし穴があることを社会が気づいたのだ。
スマートフォンの普及以前、インターネットの普及時から言われていたことではあったが、他人との会話やコミュニケーション能力が極端に減退するという現象が、子供を中心として顕れ出したのだ。
誰かに物を聞かずとも自分で調べられる。たとえ訊いたとしても、自分で調べろと言われる。アンケートもタッチパネルや、クリック操作で無言で行われる。飲食店のオーダーもパネル操作を行えば機械が厨房へとデータを送り、つつがなく無言のホールスタッフが料理を運んでくる。
用は満たしている、効率もいい、人件費の削減にもなる、それの何が問題なのか?
人が人との会話を失ったのだ。
これを社会学者は“TPP症候群”と呼んだ。TPPすなわちTouch Panel Promise 画面上の液晶パネルにタッチすることで全ての契約をこなしてしまう世代の事、あるいは口約束は信用しない、無駄な会話は個人情報が漏れると危惧し、指先の意思を尊重する傾向を言う。
そういった流れから、店側も相手がどんな人物で年齢はいくつなのか、相手が何を考えているのかという感情の機微をも把握しなくなった。
外側の社会だけではない。家庭でも母親が今晩の希望の献立のフローチャートを送信し、その集計結果から自動的に母親の端末へとレシピが送信される。あなたの家族が求めている今夜のメニューは〇〇です、といった具合に。
これを便利だというか、殺伐としているというか、人はどちらの判断もしないまま二十年を過ごしてきた。やがて都心を中心にして極端に会話ができない青少年が生まれた。無論土地柄もある。地域コミュニティの活性が細々と続けられてきた結果、このカラオケ店のように青少年にアプローチする体制を確保することで、“パネリズム”を防ぐ努力もなされて、このような問題を緩和している自治体もある。
技術は人を進歩もさせるが、退化もさせる。DFSとて同じである。いずれ人類はDFSによる弊害をまた発見することになるだろうと言われている。そしてまた新たに現出する症候群を後手であれど刈り取る努力をすることになる。人間とは螺旋階段を登るかのように、一見堂々巡りを繰り返しているように見えながら未来へと躍進していくものなのだろう。
「もぉ、おっちゃん! アホなことゆうてんと早よ持ってきてやぁ」とは、恵と五十代カラオケ店オーナーとの会話だ。受話器を切った時にはミヤの予約曲のイントロが流れ出していた。
「恵、おっさんキラーやな。ちゅうか、恵ちゃんって男に好かれる性格はしてるなぁ」
曲の前口上でもあるまいし、そんなことをマイクで言われて『悪女』を歌われても困る。そんなつもりじゃない、男に好かれるために何かをしたことなんかない。女性としての嗜みは母からほどほどに、美千留から変化球で叩き込まれているが、それを行使する機会など今までほとんどなかった。
「ちょっと噂になってたで」歌い終わったミヤがメロンソーダのストローに口をつけて言う。
「校内一のヒーローを振った女、って?」この辺の捻具合は美千留からの受け売りだ。
「なんかあれやなぁ、嫉妬ってうっとおしいなあ」
「ははっ、ミヤもいろいろ誤解招くもんねぇ。ちゅーか、ミヤってジュン君のこと本気ちゃうかったやろ」
今まで散々好き放題言われていたので、尻馬に乗ってここぞとばかりにミヤへの反撃を試みる。
ミヤのような外見を持っていればそうそう並の男は近寄らない。その代わり彼氏が何人いるだとか、逆に同性愛者と間違われて女の子から告白されたり、どこぞの御曹司と許嫁の仲にあるだとか、いわれのない噂が立つ。だがもちろんそんな事実は一切ない。
「あたしはあたしで好きなことを夢中でやってるだけやのに、外見の印象で高慢ちきで我儘みたいな見られ方される、まあ正直なとこ、惚れた腫れただのゆうてる暇があるんやったら他にもやりたいことあるし」
「に、しても。よお食べるなぁ」
恵は目の前に出された丼鉢のような巨大なパフェの向こう側のミヤの事を、目を細めて見つめていた。
「甘いものは別腹なんよ。恵も食べるやろ?」
ミヤは大食を指摘されても意に介さない。先ほどもカラオケ店の用意するフードサービスでパスタ一皿とピッツアを平らげたばかりだ。別腹とかそういう問題ではない。彼女は人一倍体の線が細く、先ほど食べたものが物理的に一体どこに収納されたのかと思うほどである。その細い腰の中にテンソーでも仕込んで次元転送しているのではないかと思うほどだ。
「あたし、食べても太らへん体質なんよ。ほんとはもう少し太りたいくらいやねんけど」
「それ、世の中の女性からは反感買うで? まあ、ウチも意識してダイエットしたことなんてないけどさぁ」
「うーん」ミヤはスプーンをくわえたまま天井に視線を泳がせた。
そしてペロリと舌先でスプーンのアイスをなめると、それを指揮棒のように眼前で立てて振ってみせこう言う。
「あたし思うんやけどさ、太る太らないって実は“本来の姿”なんとちゃうんかなぁって思うんよね」
「ん? どういうこと」
「みんなちょっと食べたら何キロ太った、とか騒ぐやん? あれって結局は体が欲しい分を吸収したって事やし、逆に言うと体重五十キロの人が百二十キロになるのはやっぱり大変やと思うのね」
「自然にしてれば収まるべきところに収まる、ってこと?」
「うん。あたしはこうやけど、別の人には別の身体があるし心もある。素直にそれに従えばいいのにって思う」
素直に従った結果がミヤのプロポーションならば誰だって文句は言わない。だが人はアクセルとブレーキを同時に踏むという行動からは逃れられないものだ。
「確かに痩せた人も太った人も、それはそれでもって生まれた情報子の特性ってことやもんなぁ」次元物理科学をかじっている恵としては一応は理解を示すしかない。
「だから食べたいときには食べるし、食べたくない時は食べない。三食決まって食べなあかんて子供じゃないんやから。なんでそんなに決まりごとに従いたいんやろ?」
恵はミヤのこういうところが心地よく感じていた。よく言えば目の覚めるような発想や自由奔放な行動、悪く言えば傍若無人。引っ張りまわされ、振り回されているともいえるが、彼女は彼女の素直な気持ちを常に行動に移している。
自分の美貌を鼻にかけるような言動をして、女子からは疎ましがられることは多いようだが、彼女は天然だ。誰かを傷付けようなどという気はさらさらない。あえて言うならば彼女の行動原理はどこかしら美千留に似ている。とにかく自信がある。
恵も含め、カナ、忍にしてもいずれなりどこかに自分という矜持があるから、うまく彼女と付き合えるのだろう。
なるほど、恵は美千留といるのが心地いい理由が少し判ったような気がした。




