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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第一章:次元転送社会 第二話 「ウチは家政婦になる」
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戦闘家政婦―次元転送社会2-1

 こうして恵は山吹家に居候することになった。いつまでという期限はない。大輔をはじめとしてその妻、明奈美千留も三人兄妹のたけるまもるりんも恵を快く受け入れた。


 特に十歳になる長女の凛は姉が出来たと飛び跳ねて喜んだ。だが、いくら家族のようにしてくれていい、と言われても恵は自分が山吹大輔の情けで招き入れられていることくらいは判っている。かといって帰る場所もない。


 五郎は恵には黙っていたが、随分前から家を抵当に入れており借金を続けていた。五郎としては二代に渡り長年心血を注いできた店を担保にするなど苦渋の決断であっただろう。しかし債務に滞りは一切なかったという。


 店を潰す気などさらさらない、自身もまだ若いと自負していたと取れる。娘にいらぬ心配をかけて不安を煽るよりは自身の身体に無理を強いるほうがよほどましだと考えたのだろう。


 だが、五郎の生命保険は死亡時の保障が極端に少なく、怪我や入院に特化したものだったため、死亡保険金で賄える額でもなく、恵は泣く泣く十五年という短い人生ながら自身の全てが詰まった家と工場を手放さざるを得なくなった。


 実質、頼れる親族もおらず、今のままでは根なし草も同然だった。このまま山吹家の居候として表層の笑顔で家族ゲームを続けてゆくのかと思うと気が重かったが、仕方のない選択だった。



 山吹大輔の家は大阪の東の外れの高台にある、それは屋敷といって差支えのないものだった。典型的な日本建築の様式でありながら一般的ではない広さの家屋。全ての部屋をじっくり見学しようと思えばおそらく小一時間はかかるであろう。


 五人家族にこれほどの家が何故必要なのだろうか、などと愚問を重ねてもみたくなる。恵は越してきた当初その広さに迷うほどだったからだ。


「あっれ? ここさっきも通ったっけ?」木造の平屋とはいえ同じような田の字型の部屋が幾つもあり、枯山水や池がある広大な庭に面した、屋敷をめぐる長い回廊が渡り廊下のように母屋や離れをつないで入り組んでいる。


 奇妙なのはさらに奥手にこの日本家屋の敷地には似つかわしくない鉄筋コンクリート造の建物があり、家人から立ち入ることを禁じられていた。


 恵は他人の家で隅々をかぎまわる趣味はないと、別段それ以上の興味を示さなかった。


 しかしながら屋敷は恵が育った工場の一部のような家とはまるで違う。第一、廊下の行く先が曲がって先が見えないなんてことはなかった。恵の育った家の二メートル足らずの廊下の先は、見まごう事なきトイレの扉でしかなかった。


 余りに違う生活。ありていに言えば山吹家は大金持ちといえた。ちょっとした住宅街が収まりそうな広大な庭にさぞ手入れには多くの人手がいるのだろうと考えながら縁側に佇んでいた。しかし恵は屋敷の中心にある、四方を軒に囲まれた坪庭のほうが好きだった。


 こじんまりと完璧に計算され尽くした植栽と庭石、三坪にも満たない正方形の箱庭。日のあたりがまばらでところどころ湿っぽさを残しているが、そこに鮮やかな緑色の苔が茂り、日陰になった薄暗い中でも坪庭は実に鮮やかに穏やかな光りをともしていた。


「恵ちゃん!」


 突然背中を刺す黄色い声に驚いて飛びのいた。


「なんやぁ……りん、ちゃんかぁ。びっくりするやん」


 山吹家の長女、凛がにこにこと笑顔を作りながら立っていた。


 ポニーテールに卵形の綺麗な輪郭、背はどちらかといえば低い方なのかもしれない。その目尻の下がった目は一見気が弱そうに見えるがそうではない。


「そんな驚くことないやん。なあなあ、恵ちゃんは何色が好き?」


「色? 何色……うーん……何色かぁ」


「えー、そんな考えるぅ?」


 凛はせっかちである。顔のつくりとは裏腹に気も強い、ここに来てほんの数日だが、既に恵は彼女が二度ほど男子と喧嘩しているのを目撃している。


「あ……黄色、かな」


「黄色かぁ、ほなちょっと待ってや」そう言って凛は背中に隠し持っていた何かを差し出した。「これあげるわ」


 凛が手にしたものは紫色の表面処理がされた軽合金のブレスレット型のアナログ腕時計だ。盤面は楕円形でほとんどリングと一体化したようなデザインで、時計として実用的かと言われれば、時刻は確認しづらいと言わざるを得ない。


「え、あ……きいろ……って」


「オシャレやろ? 黄色はあたしのんやから、あかん」


 気が強いだけではない、小賢しさも兼ね備えている。


「じゃあ、赤はないの? 青でもいいや」


「二つしかないねん。だから恵ちゃんは紫や。これでお揃いや!」じゃあ、そもそも選択肢なんかないではないか、と恵は思ったが、凛の無邪気な笑顔を見ていると何も言えず、ただ笑みが漏れてくる。凛は恵の腕をとり、紫色の時計をはめる。


 透き通るような紫色、光に反射するとそれは青にも赤にも映る。


「綺麗……」


 坪庭に面した縁側の廊下から冬の青い空が見えた。


「うん、恵ちゃん美人やねんから、笑ってるほうがええで。やっと笑ってくれた」


「え……?」


「ほら、あたしとお揃いや。今日からあたしのお姉ちゃんや! 恵姉ちゃん」凛は自分の左腕に黄色、というか鈍い金色の表面処理がされた恵のものと同じ形の腕時計をはめた。


 メグネエチャン……一人っ子でそんな呼ばれ方したことはなかった。祖父も母も父も自分の前からいなくなった。無遠慮に名を呼んでくれる人などもう永久に現れることはないと思っていた。心を通わせ心を委ね、その上土足で踏み込んでくる図々しい存在、こちらの気持ちなど察していても、それに即した気の利いた行動をしない。


 期待してはいけないが、疑う事をしなくてもいい。そしてどこか暖かい、そんな存在。


 瞼が熱くて、じわりと潤みを増して涙があふれ出てくる。


「そんな感動せんでもええやん、クリスマスプレゼントやで。美千留ちゃんがくれてん。あたしと恵姉ちゃんに、って」


 ここ山吹家では妻、母である明奈美千留のことを美千留さん、あるいは美千留ちゃんと呼ぶ奇妙な慣習がある。凛もその上の二人の兄も誰ひとりとして彼女をお母さんとは呼ばない。それに引かれてか彼らも互いにお父さん、お兄ちゃん、といった呼び方をしない。皆名前で呼び合うのだ。


「……ありがとう」涙は両手で拭っても追いつかないほど溢れてくる。


 小学生の目の前でボロボロと泣くことを止められないなんて格好悪い。


 誰かが言っていた。嬉しい時の涙は格好悪くなんかないって。


 だけどこれはただ嬉しいのではない。


むしろ溜まった悲しみの開放を許してくれるこの場への安心感、そんな風に恵は心の片隅で感じていた。


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