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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第三章:ヴィ・シード 第三話 「ハルヨコイ」
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戦闘家政婦―ヴィ・シード 3-2

 春を予見する陽気がぽつりぽつりと顕れ始める三月、世間は特別なDICによる事件も目の当たりにしないまま、脅威を意識の外に追いやりかけていた。


人間とはよくよく愚鈍な生き物である。USJの事件でも死者が出なかっただけに遺恨も極少に抑えられ、もはや巷ではまさにUSJのイベントごとの一つだったかのように面白おかしく語られることも多い。


 近頃では“DICハンター”と呼ばれる、DICの現像場所を予測して遊び半分で見物に訪れる輩が増えているという。無論遭遇は危険であるし到底看過できない行動ではあるが、現像地の事前予測などGODSですらできないのだ。したがって今までハンターたちが抑えた画像は多くがGODSが戦闘を行った跡であり、分解直前の息絶えたDICをなんとか撮影できたという程度でしかない。


 そういった流れは、未確認生物を探索する興奮に似ているのだと、とあるハンターは熱く語るのだが、実際にその被害に出くわしたものの恐怖は計り知れないものであるということを勘案できないのは、所詮は他人事であるからだと、誠一は言う。


 自身に累が及ばない限り物珍しさ以外の余計なことを思考から排除するというのは道理である。


「そやけど、どうせ自分が被害にあったら文句ゆうんやろ」恵はこんな世間の動向に憤りを感じていた。


「そう言うな。俺たちが出張って事が収められてるうちはそれでいい。どこまでいっても理解なんてされんさ。正義の味方ヅラして感謝されても気持ちが悪いだけだ」


 誠一が言うように、DICの現出があれから止まった訳ではなかった。あれ以来大規模な集団現出がなかっただけで、ほんの小競り合い程度のDICとの遭遇は週に一度ほどのペースで継続していた。


 その中で恵も『轟天不知火』を駆り、実際にそれらと対峙し、駆逐してきた。躊躇がないと言えば嘘になる。DICの向こう側に人がいることを知れば、自分とは何ら関わりのない人種だと言い聞かせてみてもやはり抵抗はある。


 彼らにどんな事情があってDICを現像するのかはわからない。そんな相手に対し、戦闘のたびあれこれと考えるのにも疲れを感じる。まして高校生という現実の表側の顔を保ちながらだ。撤収後の食事はたいてい喉を通らなかった。


 GODS、皮肉にも“神々”などと名付けられた機密組織の隊員は冷徹に任務をこなしてゆく。恵のそんな思いを吐露したところで「慈悲をもって接したところで相手がこちらの事情を考えてくれるわけではない」と一蹴される。「バックラッシュでディベロッパーを殺害してしまうかもしれない、という覚悟がないなら降りたってかまわない」と刺される。


 そう言われて「はいそうですか」と降りるほど恵の心の天秤は平衡を保てていない。やはり目の前にある脅威、偶発的な暴力、拡散する不安を予見できていながら放置するほうが無責任であると断じる。


 GODSに参加すると決めた時、恵はただの十六の家事手伝い、府立高校の女子高生という意識の柵を乗り越えている。今更何も知らない、関知しないなどと言えるほど彼女は人として幼くはない。


 バックアップが期待できない状況下では近隣の被害を最小限にとどめるべく、迅速に処理することを優先した。出来る限り対象を見ないようにし、心を閉ざそうと努力してきた。


 実際、DICが単体で現れたとて、GODSの戦闘力の前では戦闘の痕跡を残さないほどの迅速さで片付けられる。何度やったとて同じことだった。


 これは恵をはじめとしてGODSのメンバーの能力が上がっていることも関係しているだろうが、DOSの一振りを中てることさえ出来れば殲滅を可能とする、現像架空体(DIC)は強力な敵ではない。問題はその数と拡散性である。


 これらDICを現像するディベロッパーを排除しない限りは、延々と戦闘を継続させられる。何度消えたとて、ディベロッパーが疲弊して命を失までDICの現出は止まらない。また、彼らは自身で現出と消滅を制御できるため、周辺に被害を与え、GODSの到着を待たずに現場から遁走しているなどという事も珍しくはない。公安では愉快犯、テロの両側面、あるいはもっと大きなバックグラウンドの上に画策された犯罪をも想定しているが、未だ意見は組織内でも分かれたままだ。


「セイさんの推測では、人の思い起こすイメージがエネルギーになってディックが現れるってことなんやろ? ヴィ・シードが別の人間に引き継がれていくとしたら、そんなんもう、ほとんど無限のエネルギーみたいなもんやん」作業ツナギを着た恵はマキタのハーレーのエンジンオイルを抜きながら言う。


「だから撒かれたヴィ・シードを回収するか破壊するしか止める術がない。以前ディベロッパーを確保できたのは異例中の異例だ」誠一は用意したオイルのボトルを地面に置く。


「結局あの人からはなんの情報も得られんかったし、人格だって元には戻らんまま引き取らせてしもたし……」


「次元転送評議会がうるさくなってきたからな。池さんの言ってた通りだ。そっちも、敵とは言わんが、俺たちの足枷ではある」


「池さんって公安の人でしょ?」


「池端さんな。あの人もたいがい狸だからな、俺も気を抜いてはいないが。政府主導の評議会は日本DNSから転送ネットワークの権限を移譲させたくて仕方がないんだよ。ディックの事件が明るみになってしまった今、俺たちは足元すくわれないように活動しなきゃならん。向こうさんが譲歩して、うちに協力してくれるという流れにはならんだろうからな」


「ほんま、腹立つわぁ。そんなん内輪でやってる場合やないやろ」


「同感だが、今はうまく立ち回るより仕方がない。幸いなのは現場の公安連中の理解が得られてるってことだ、とりあえず池さんには感謝するよ」


 警察庁における『ヴィ』をはじめとする一連のDICの対応は警視庁公安部が管轄しており、特にGODSと関係が深いのは、もともと暴力団抗争を含む国内テロ対策を担当していた『警視庁公安部五課特捜係』という特別広域捜査係で通称ゴトクなどと呼ばれている。池端はその長であり、山吹とも親交が深い。


 元暴力団認定されていた組織の人物の長と警視庁キャリアの親交が深いなどと大っぴらにできることではないが、業界では珍しいことではない。所謂蛇の道は蛇というものである。


「しっかしお前、なんでもできるなぁ。俺はこの機械モノってのはてんで苦手でな」


「父さんがやってるの見て覚えただけや。このくらい古いのになるとやっぱり勘とか大事やから、父さんにはかなわへんけど……でも、どうせあいつオイル交換もしてへんやろから、せっかくやし悪いとこ直してから送ったろうと思って。ほんま、この車体の事めっちゃ調べてんから」そう言ってメモ書きした紙の束を指さす。


「……やれやれ、素直じゃねぇな」


「べ、別に……希少なバイクやし、乗りっぱで壊したらもったいないから――それだけや!」


「はいはい、お前はいい奴だな」


 エンジンオイルの交換を終え、漏れたオイルを拭きとる恵の傍らで携帯が鳴る。


「もぉ、はいはい、出るから待って」と薄手の作業用ゴム手袋を両手から剥ぎ取り、着信相手も確認しないまま電話を鷲掴みにして通話ボタンを押した。


「はい、もしもーし」


 傍らにいた誠一は廃油のトレーを引き受け、中身を処理箱へと移しながら恵の様子を伺う。


「ああ、ジュン君――ん、ああ、ええよそんなん。作りすぎたからおすそ分けや――うんうん――ほんまにぃ? ほなよかった――」


 恵の電話が終わるのを待つまでもなく、誠一は廃油の処理箱を片付けて戻ってきた。


「ジュンか?」


「うん、この前のお礼」


「ああ、あれか? まったく、これから毎年あんなことになるのは勘弁だぜ?」


「もお、ごめんて。凛ちゃんがどうしてもってゆうから」


「ま、うちのお転婆が少しでも女らしいことに興味を持ってくれているのは、良しとするべきか……恵、オジョウサマを任せたぞ!」そう言って恵の頭を掌でぐしゃぐしゃと撫でた。


「もうっ! なにすんねんな!」


 恵の抗議など耳に届いていないといったように「おお、桜の蕾も膨らんできてるなぁ」と、輪郭の美しい横顔に微笑みをたたえた誠一は、一振りの桜の木の枝に目を向けていた。


「なあっ、セイさん! あれ!」誠一とは別の視界に、空中を漂う奇妙な物体を発見する。人型に巨大な翼が付いた、所謂“天使”などと形容される空想生物である。白い布のような衣装をまとった数体がひらひらと優雅に山吹家の上空に近づいてきている。


「ほぉ、空を飛べる奴もいるのか」


「感心してる場合やないやないですか! どうするんですか?」


「まだ天に召されるつもりはねぇからな。それに俺は神も仏も信じねぇ――」と言ったが早いか、誠一は懐のDOSを振りぬいていた。


 神の雷ならぬ、地上から数十メートルにもわたって伸びた光子束は上空を一閃し、同時に白い羽根が雪のように舞い散る。山吹邸の屋根にはひらひらと羽根が積もり、一瞬雪化粧を思わせる。そしてそれらはほどなくして消えてゆく。


「あ……て、天使……です、よ?」


「ディックだろ」


 誠一はDOSを懐に仕舞うと、何事もなかったかのようにその場を去って行った。


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