戦闘家政婦―次元転送社会1-3
帳が降りた懐かしい街に、ぶらりと散歩がてら立ち寄ったかのようなその大柄の男は、煌々と電灯の灯った工場の奥の事務デスクで父親の背中にしがみついて揺さぶり、泣きじゃくる娘の姿を見つけ、入口で佇んでいた。
仕事で休日なのに遊びに連れて行ってあげられない父親、駄々をこねる娘。いや、それは少し前の自分の姿でもあったかもしれない。
だが、今、目の前の視界に映る娘はそんな小さな子ではない、まだ少女ではあったが、女性となる一歩手前の……そして不意にただ事ではないと認識を改め、慌てて工場内に飛び込み、デスクに駆け寄った。
「なんや、どないしたんや!」
「い……息、いき、してない。とうさん……!」
首にマフラーを巻き紺のブレザーを着た大柄な男は直ぐに五郎の左手首をとり脈をみる。
「あかん、恵! お父さんそこに寝かせるから手伝い!」上着を脱ぎ捨てた男はどうやら救急救命の心得があるらしく、すぐに心臓マッサージを始めた。
「イチ、ニッ、サン、イチ、ニッ、サン」掛け声とともに両手のひらを重ね、五郎の胸に押し当て、上半身を使って胸部を圧迫する。恵はその様子を涙で曇る視界の中、呆然と見つめていた。
「何ぼぉっとしとる、救急車呼ばんかい! いつからや? いつからお父さんこの状態やったんや!」その言葉に恵は我に返り急いでデスクの傍らの受話器に手を伸ばす。「恵ぃ! しっかり話すんやで! 泣いたらあかん、ちゃんと仕事終わってからや、やることやってから泣くんやったら泣いたらええ!」男は懸命にマッサージを繰り返しながら「お前もやることちゃんとやってから逝かんかい! 五郎! あほっ、帰ってこんかい! 聞こえるか! 俺や、山吹大輔や!」しきりにそう、叫んでいた。
あまりに突然で、あまりにあっけない。
冷え込んだ十二月の夜、加納五郎は還らぬ人となった。
恵は買い物に行く前に自分が気づいていれば、と悔恨の念を何度も口にしたが、監察医務局に送られた結果、五郎の死因は突発性の冠状動脈の閉塞による心筋梗塞で、事件性はないと判断された。そしておそらくは恵が学校から帰る以前に既に亡くなっていたのだろうと医師からも告げられた。
恵が一人娘だということからもわかるように、五郎の死亡により恵は天涯孤独となり、もはや頼れる身内がいなかった。
通夜には顔も見たことがないような遠い親戚が数人集まったのみで、式は商店街の集会所でこじんまりと営まれた。
しかし、次々と訪れる弔問客は、商店街の商店主達、商工会の会長、各種の取引業者はもちろんのこと、周辺の自動車ディーラーの支社長、世界的に名を馳せるプロドライバーやバイクレーサー、そしてモータージャーナリストに俳優やロックミュージシャンなどと多彩すぎる顔ぶれには枚挙の暇がなく、なんといっても生前の五郎に世話になったという車好きの仲間や、バイク乗りの若者達の数は五百人をゆうに超えた。
恵は驚きつつも、とにかく葬儀をつつがなく終えるために不眠不休で動き続けた。恵を気遣い中学の友人も葬儀を手伝ってくれた。
一連の葬儀の流れに関しては、商店主会長の岡部や山吹大輔が付き添って恵を手助けしていたが、体を休めることができたのは二日後の火葬を終えた二時間後だった。
親戚が帰り支度をする中で、最後まで気丈に振舞っていた恵であったが、修理を終えたビートルだけが取り残され、がらんと静まり返った店に戻ったとたんに崩れ落ちた。
「山吹さん……どうしよう。ウチ、独りきりや。ウチこれからどないしたらええん?」嗚咽をあげて恵は大輔の肩にすがった。
実際のところなんの目処もないことは分かっていたのだ。だが恵は訪れる弔問客に対して、ただただ“大丈夫です”と元気な笑顔を作り続けていた。
「とりあえず、落ち着くまでうちにおったらええ。ちょっと騒がしいかもしれんけどな」大輔は恵の頭を撫でながら優しく包み込むような声で言った。
その言葉に甘えるという礼儀を心得ない恵は困惑しながら大輔を見た。
「一緒によお乗ったやろ。幼稚園の時やから覚えてへんかぁ?」
大輔はおもむろに立ち上がり、引き取り手がないまま工場に残されたビートルに近づいてゆく。
「もう一日、早く来とくべきやった。仕事なんかにかまけて大事なことを忘れてなぁ。すまんかった。五郎ちゃんボディまで磨いてくれたんやな……」そう言ってビートルの天井を我が子のように撫でる。
「おっちゃん……?」
「これ、請求書やな。もおとくわ」五郎が息を引き取ったデスクの上に置かれたままになっていた請求書を取り上げると、大輔は丁寧に折りたたんで喪服の内ポケットに仕舞った。
「ずっと動かさんまま倉庫に置いてたんや。会社のもんにここに持ってこさせたんやけど、わしから五郎に連絡入れへんままでなぁ」
「じゃあ、これは……」
「そや。これ乗って、一緒に帰ろか」