戦闘家政婦―ヴィ・シード 2-4
《と、しますと――人の気持ち一つで傷病の治療も可能である、ということになりますか?》司会者は思わせぶりなボールを投げかける。
《そら、イメージを物理変換できるような装置があれば出来るわな》場にふさわしくない下品な口調の関西弁が飛ぶ。
「あ、太閤様や!」凛が画面を指さした。
「どこにでも出てるな、このおっさん」と吉川。
自称“なにわの天才科学者”豊富英善はGODSの装備品の一切の開発と整備を仕切る人物であり、次元転送社会における技術特許も世界一を誇る。
名実ともに世界屈指の工学博士であり、次元物理科学博士と言えるが、功績の割に目立った評価がないため、世間では科学者としての豊富の認知度は低い。そのためか、本人にはその自覚がないのかおどけているのか、度々バラエティ番組に出演しては「変人科学者」として笑いの種にされている。かつてのミラー博士を彷彿とさせる風景ではあるが、それもこの容姿と名前が多大に影響していることは否めない。
名前が“とよとみひでよし”であり、痩せ細った体に貧相な頭髪、口元にはちょび髭を生やし鼻の頭は赤らんでいる。このお笑いメイクのような様相をして偉大な科学者と認識できる一般人は多くはない。ちなみにペンネームは“エーゼン閣下”ニックネームは“太閤様”である。本人もいたく気に入っているという。
そんな豊富ではあったが、次元物理学会ではその豊富な知識と深い洞察力に一目を置かれており、各界の企業体からは彼の頭脳を欲して次から次へとオファーが来る。ただ、豊富はそれらを相手にはせず、山吹の日本DNS株式会社とのみ技術顧問の契約をしている。
この彼を変人と呼ぶ材料は枚挙に暇はないが、少なからず一筋縄では扱えない人物であることは確かである。
《たとえばいま世の中を騒がせてるディっ――》突然カメラは切り替わり《豊富博士、ちょっと一旦CM入ります!》司会者は豊富博士と呼ばれた関西弁の男の言を遮った。
「あ、切られた。おっさん、ゆうたらあかんこと言おうとしたんやな」
「だろうなぁ」と誠一は額をさすり、吉川の酌を受ける。
CMが明けたあとに豊富博士の姿はなく、仕切り直すかのように司会者主導で話題は少年の方へと向けられた。サンデーサプライズがこのように不都合な意見を切ることは珍しい。番組はむしろ偶発的に発生するトラブルを歓迎する向きにある。
以前などは反目しあう学者同士で流血を伴う殴り合いまで発生し、それをカットもせず放映したというのだから呆れた番組である。逆に言えば今回の豊富博士の意見はそれ以上に流してはいけないものだったということになる。無論少年とてここでDICを肯定する話などされたくはないだろう。そのせいで不自由を強いられているのだから。
恵の中で少年とマキタが重なって見える。
《先ほど彼が謎の生物に襲われた経緯を申し上げられましたが、ごらんの通りこの少年は以来足が不自由です。しかし、私が彼に力を貸すことで彼の足は治ります》六角堂は言う。その向かい側で少年の主治医は渋い顔をしている。
もしそれがこの六角堂という男の手により治るのであれば大変なことである。無論柴島が先に言ったように次元物理科学があるこの世界では理屈は通る。豊富が言いかけたDICを現像するヴィ・シードにならばその可能性は秘められている。だがゴーストの認識はおろか人体転換も行われていない現段階で、次元物理学をもってそこまで言及することもできない。
《簡単に説明して差し上げましょう。私はイメージを媒介する触媒です。私は彼のイメージとリンクし、彼が以前自由に足を動かせた時の記憶を探ります。それを一度私の中で構築し、再び彼にイメージを流入させます。そうすることで私が持つ物理顕現化する触媒の一部も組み込まれます》
どこが簡単なのかと恵は思ったが、となりの誠一は口をつぐんでまっすぐに画面を見つめていた。
六角堂の行ったことは、単に少年の両手を取り、しばらく互いに目を伏せただけだ。あまりにあっけない。その間五秒あったかなかったかくらいだ。
《さあ、これで君はもう歩けるようになったはずだ》
六角堂は驚くべき言葉を告げる。スタジオ内には低いどよめきが湧く。
「思ったものをなんでも実現することができるとか、そんなん魔法やん……神様とか――」
まさに恵の言った通り、それは神の御技だった。
少年は恐る恐る車椅子から立ち上がり一歩、二歩と歩みを進めた。自分でも信じられないといった風に驚きを隠せない顔を画面に映し出していた。
テレビを凝視する山吹家の面々も言葉が出なかった。少年のことを知らない者ならば単に茶番であると一蹴したかも知れない。だが、ここGODSの人間は違う。
少年の傍で言葉を失う主治医も言っていたように、彼の機能障害は神経断絶によるもので、回復は絶望的と言われていたのだ。少年自身もそれを承知していた。いまテレビ画面の中で自由に歩く彼の姿はおよそ考えられないものなのだ。
《どうですか、……今の、お気持ちは》普段饒舌な司会者が言葉を詰まらせながら少年へとマイクを向ける。
《えっと……なんか、信じられません。お――僕が歩けなくなったのはほんの二ヶ月前のことだったんですけど……それまでは動いたはずのものが動かないって事がもどかしくて、動いていた時の記憶って覚えてるから……》
「セイ、この男のこと調べぇ」少年の感激のコメントが流れる中、山吹大輔は鋭い視線を誠一に投げかけ、誠一もそれに応え頷いた。
「メグ! ビール足らんぞ」場を改めるように大輔が声を張り上げる。
もしこの六角堂という男に会えたなら、マキタの脚は治してもらえるだろうか。その事ばかりが恵は気になって、ビールが足りなくなっていることに気づかず慌てる。そこへ、深刻になりかけた空気を樹菜子が塗り替えようと声を上げる。
「はいっ! 一曲やらせてもらいますっ!」カラオケではない。樹菜子は自前のフォークギターを持ち出し弾き語りを始める。山吹家の面々は一転して一様に拍手を送る。
大輔の一言で場は変わる。いや、変えろという意味なのだ。この話はここまで、これ以上は話さないし考えもしない。今日という日がこの話で持ち切りになるべきではないという意思の表れなのだ。
樹菜子の歌は全編英語で意味は解らなったが、叙情的でどこか懐かしい情景を浮かべたくなる歌声は素晴らしいものがあった。キーが高くそれでいてハスキーでかすかにしゃがれている。日本人にはないソウルフルという感覚、といっていいのだろうか、独特の節回しが彼女の歌の特徴だった。
どうやらこの流れは今日のために準備されていたらしく、次は衛と吉川が漫才を始める。以前よりネタ合わせはしていたようだ、互いの大阪弁による絶妙なボケとツッコミ。さすがは俳優の卵である。それに吉川のトークはプロ顔負けで一気に場を笑いに引き込んでしまう。
腹を抱えるほど笑った。久しぶりかもしれない、こんなに笑ったのは。しかしこの調子でいくといずれ自分にも鉢が回って来るのではないかと恐々とする。恵はアドリブは苦手だ。それよりなによりこういった芸の心得がない。
「メグも来年は芸仕込んどきぃや」と大輔の笑顔が向く。さっき深刻な顔をして指令を告げた人物と同一とは思えない。GODSだけでなく山吹家の心臓にはみんな毛が生えているのだろうと思う。
恵はその山吹家の一員の証でもあるブレスレットの時計を確認しつつ、彼らの話を聞いていた。ここで鍋をつつきながら歓談しているのも愉快で、種々の話題に尽きない面々の話ぶりも面白い。
大家族、というのとはまた少し違う、次元転送社会という海を航海する荒くれ者の船長以下船員達、すなわち“海賊”といった感覚に近いのかもしれない。
そんなGODSの長ではあるが、誠一も恵と共に台所と大広間を往復している。ここでは家政夫の誠一が優先される、ということだ。
恵も仕事ばかりをさせられているという気持ちはない。ここの一員としてやれることをきっちりやって受け入れられているという喜びの方が大きい。みんなが楽しければこの場はそれでいいのだ、と。
台所に引き込んだ時、恵は携帯のメールを打っていた。マキタ宛てだ。
やはり今日は行けない、という旨の文面を考えながら丁寧に打ちこむ。この時代でも所謂ガラケーと呼ばれる、電話とメール機能に特化したアナログボタン式の携帯電話は健在で、恵は父が使っていたものを電話帳なども消さずにそのまま使用している。
これは彼女がまだ加納モータースの跡継ぎであることの証の一つでもあり、{あちら側|自動車業界}とをつなぐ電話でもあったからだ。
無論スマートフォンがスタンダードとなっている学生の中では珍しい部類に属する。忍らにもたびたび機種変更を勧められるが、今のところそのつもりはない。
「どうしたの? なんかそわそわして」台所のダイニングチェアに腰かけながら美千留が声をかけてきた。
「美千留さん! ええ、いえ……。友達にメールを、その、新年の挨拶を打っておこうと思って……」あわてて携帯のフラップを閉じた。
落ち着かない素振りを悟られるつもりはなかった。もしそれが表に出ていたならば格好の悪い話だと思った。
「あの、お水でも入れましょうか?」
「ううん、いいわよ。私は呑んでないから――に、しても変わったわね、この家。なんか明るくなった。やること増えたとも言えるけど、面白くなった」
「前は面白くなかったんですか?」
「ううん、前は前で面白かったわよ。でも今は、家族って面白さがある」
相変わらず妙な言い方をする人だと思う。
「うーん……そうですよ、家族って面白いものやと思います。面倒な時もあるけど、離れられないから一緒に面倒事抱えていかなあかんわけやし、でも逆に面白いことも共有できるっていうか……えと……すみません」
社会的にも年齢的にも女性としても上の立場の美千留に、こんなことを臆面もなく言う自分は場の空気にのまれて高揚しているのだと、あわてて口を噤む。
「いいのよ、恵ちゃんは家族なんだから。ここはお互いの存在を揺るがさない、干渉もしないって家なの。私たちは流れる小川に突き立てた杭のようなものでね、杭同士は干渉しあわないけど、川の流れには影響する。小川に恵ちゃんっていう新しい杭が刺さったことで流れが変わったのよ。もしかしたら結構太い杭なのかもしれないわね」美千留は笑う。
いつもイマイチ掴めない喩え話をする美千留だったが、今回の話は割と心にすとんと落ちる。ただ、喩えとはいえ“太い”以外の影響力の大きさを示す言葉はないものかと思う。
「じゃ、ウチ外に置いてるビール取ってきますから――」携帯を手に持ったまま裏口へと向かおうとする恵に、目を向けることなく美千留はテーブルに腕枕を作りにんまりと笑う。
「――もしかしてぇ、今晩約束とかあったんじゃないの?」そう言ってゆっくりと顔を向け、またあの目で恵の心の奥底を覗き込んでくる。そうか、なるほど。凛の持つ独特の心を見透かすような視線はこの母親譲りか、と改めて気づいた。
「もぉ、美千留さんには隠し事できませんね」恵は嘆息を吐きだして携帯を机に置いた。
三十分後、恵はマキタの病院にいた。
美千留に事情を話すと咄嗟に、有無を言わさず腕を掴まれ皆が歓談する大広間で「恵ちゃん、ちょっと借りるわよ!」と一喝し、彼女が運転する車に乗せられ、ありえないスピードで病院へと向かった。尋常ではない美千留の形相に大広間で歓談していた誰もが口をぽかんと開けていた。
「恵ちゃん」普段見ているのとはまるで違う美千留の顔は、ドラマ『トクソウ』の伊勢寺渚警部のそれだった。
「は、はい」まるで容疑者確保に突入するクライマックスシーンのように、病院の廊下の壁に背中を付けたまま、大晦日のカーチェイスの動悸が収まるのを待っていた。
その眼前で腕を組み「チャンスは自分から掴みなさい、ピンチから生まれるチャンスなんて所詮は牡丹餅よ、おいしく食べたらそれで終わり」と、相変わらず言葉の意味はよくわからなかったが、なぜかその態度と自信に背中を押されて病室に入る。
「うっ、お?」驚いたマキタの態度に、さすがにいきなりはまずかったと言葉を探し、いつものようには向き合えなかった。
「えと、いきなり来て……ごめん」
「あ、ああ。来ないと思ってたから……びっくりした」
「あの、これ……作ったから、御節。あれやったら明日にでも食べてや」そう言って、重箱一段にこじんまりとまとめた可愛らしい御節を広げてみせた。
「え、これ俺のために作ってくれたのか?」顔をほころばせ、驚きを隠せないマキタをみて気恥ずかしくなり「他になにがあるん?」などと恵は言ってしまう。
マキタは丁寧にその言葉を飲み込みしばらく思案する。
「何考えてるん? お節嫌い?」
恵はやはり待てずに訊いてしまう。
「いやぁ……今、一緒に食べようって、そう思うんだけど?」
意表を突かれ一瞬マキタの顔をじっと見てしまい、やがて照れて俯いた恵の顔に花が咲く。
十一時四十五分、どこからか除夜の鐘が鳴り響いてきて二人は窓外に意識を巡らせる。二〇四一年が過ぎ去り、次元転送社会が新たな夜明けを告げる。
恵はこの胸の高鳴りがカーチェイスによるものだったとしても、目の前の彼のことが本当に愛おしいという気持ちに間違いはないと思った。そしてこれからはさらなる混乱と混沌それらを普遍として受け入れ、乗り越えてゆく試練の始まりの鐘が鳴り響いているようにも感じた。




