戦闘家政婦―ヴィ・シード 2-1
USJの事件のあおりで世界は一時的に混乱し、当の周辺地域はもとより大阪府下一円が機能不全に陥っていた。年末の書き入れ時というのに各所の市場は閑散とし、とてもではないがいつもどおりの正月を迎えるという雰囲気ではなかった。大阪の商人は肩を落とし、次元転送社会へと恨み言を連ねる日々が続いていた。
そんなさなか、冬休みの恵は午前中の家の仕事を済ませて、そそくさとスーパーカブにまたがり、石切のふもとに向けて走らせていた。原付の免許は十六になった時に取っていた。特にスクーターに乗るつもりもその用途もなかったのだが、身分証明書として持っておいたほうがいいと大輔からも言われていたからだ。
古い車体は加納モータースから引き上げてきた、父が足替わりに使っていたものだった。恵の記憶では祖父も乗っていたものだから、足掛け親子三代を乗り継がれた五十年選手である。それでも今でも元気に動く五十ccのシンプルかつ丈夫なエンジンには感心する。
それに足を大きく広げずに乗れるのは、着替える手間が省けて助かる。この便利さを知ってからは、もっぱら石切の最頂上付近に位置する山吹邸と、ふもとを行き来する買い物にちょくちょく使用していた。
「あ、いらっしゃい恵ちゃん!」通称『石切さん』の愛称で親しまれる、石切剱箭神社の巫女、千石千鶴は愛想のいい丸顔を社務所のカウンターから出した。
石切神社には、大輔やGODSの面々などもよく参拝に立ち寄っていたこともあり、千鶴とは歳も近いことから恵もすぐに顔なじみになった。以来なにかと暇が出来ると彼女の元を訪れ井戸端会議に花を咲かせるようになった。夕方の買い物帰りなどに寄ってお喋りをしてしまうと、とっぷり日が暮れてしまうほどだ。巫女と言っても中身は少し太めの普通の十九の女性である。恋もおしゃれもほどほどに、恵の良き先輩ともいえた。
「最近顔出さへんからどうしたんやろ、おもとったんやで」
「あー、うん。いろいろあって……」
「それにしてもUSJはあれやねぇ、ほんまもんのホラーナイトやるかぁ? 本格的すぎるわ」丸顔を崩して笑う千鶴に合わせて苦笑いをする。笑いごとではないが、笑い話である。テーマパークが本物を出したらダメだとは思うが。
「今日は今からどっかいくの?」
「え? ええと友達のところに……」いつもと変わらない格好なのになぜ判るのだろうかと思った。
「そやおもた。髪の毛ええ匂いしてるやん」いいながら、口角を引き上げて意味深な顔を向けてくる。
「いっ、いや、そうゆうのちゃいますよ。お見舞いで……」
「ふうん……ほなコレ。持っていき! 病気平癒のお守りや。石切さんはでんぼの神さんって有名なんやで、体の悪いものを剣で断ち切るってゆうてな」言いながら千鶴は半ば強引に白い袋を恵に手渡し、電話の呼び出し音に奥へと駆けていった。
昨日の今日でどうかとは思ったが、恵はマキタの病室の扉をそっと開いて顔を覗かせる。
「マキタぁ……いるぅ?」
相変わらず面白くなさそうな顔でテレビを見ていたマキタは、恵に気づいて体を起こそうとする。
「ああ、ええよ。ベッド起こしたるから」
「自分でできる」と言ってマキタは手元のベッドのリモコンを操作しながら、「なんだお前、もう正月気分なのかよ?」などと言う。
「ああ、この着物? これは仕事着、山吹さんちでお手伝いやってるんや。マキタ、ごはんは?」
「さっき食べた。けどなんか物足りねぇ」
「病院食の味は薄いってゆうなぁ。まあしゃあないで、ちょっとの我慢や」恵はそう言って傍らのソファに座り、手に持った包を膝に乗せた。
「なんだよ、昨日の今日でまた見舞いかよ。それに弁当持ってきたのか?」
「ああ、うん。これはウチの。それにマキタが寂しがってるやろな思ってさぁ」
「別に寂しくなんかねぇよ」
「まあええやん。テレビ見てるよりはええやろ? あとこれ、お守り。うちの近くの神社の巫女さんが持ってけって」肩をすくめて千鶴からもらったお守りをマキタに渡す。
「どうすんだよ、これ」紙の袋の中身を取り出して、マキタは不思議そうな顔をする。
「さあ、身につけとけばいいんじゃないの?」千鶴が渡したお守りは少し変わっていて、普通のお守りの様な袋が付いていない。あえていうなら“中身”だけの様なシンプルなもので、札を包んだ白い紙にただ“御守り”とだけ書かれている。
「うーん……ほな今度袋作ってきてあげるわ」
特に異論はないが、という顔で恵を見たあと、テレビを消した。
「ほんで、マキタのハーレーさ、とりあえず駐車場から移動してうちの家に運んでるんやわ。だから安心しい。それから年始に東京の方の病院に転院できるらしいから、その時にバイクも一緒に送ってくれるって、うちの人が。ああ、それから革ジャンな、袖切ってチョッキにしてしもたらどうやって言われたんやけど、どうなん?」
「ははっ、チョッキって! ベストだろ? まあ、任すよ。でも、何から何まで悪いな。ジュンまで世話になって……あいつ大丈夫か?」
「うん? うん、元気やで?」
「いや、そうじゃなくてさ……あいつ、いつでもどこでも次元物理のことばっかり考えててよ、俺以外と会話なんてまともにできるのかって思うから……」
そうだろうかと恵は思う。
海の時もUSJの時もちゃんとカナたちをエスコートしていたし、第一もう高校生だ。友達や母親がいないと他人とコミュニケーションすら取れないようなボクちゃんではないだろう。マキタはずっと彼を見てきているからこそわからないのだろうと思う。
「あ、そうそう! うちの凛ちゃんがジュン君のことカッコイイって気に入ってなぁ、もうぞっこんやで! 家ではええ感じになっとるわ」
「えっ! あのジュンが?」
「凛ちゃんは小学生の女の子やけどな」
それを聞いてマキタは安堵したかのような笑いをもらす。これだ、マキタはジュンを見る目線が子供のままなのだ。
マキタはともかくとしてもジュンは十二分にカッコいいと、世の中の女子に言わしめるだけの器を持っている。
それがたとえ理系オタクだったとしても、背恰好と顔さえよければモテるものはモテる。ましてあの物腰の柔らかな語り口調は乙女心をくすぐるだろう。
逆に背格好が良くても、ガサツな物言いと察しの悪い上に、頑固で強情なマキタなどは世界がひっくり返りでもしない限りモテることはない。もともとひっくり返ったような女性ならばこのかぎりではないだろうが。
簡易の机替わりになるチェストを引っ張り出し、手作りの弁当を広げる恵はできるだけ明るく振る舞った。
ジュンは家で東京に戻る準備をしていたが、出来る限り情報を集めたいとGODSのメンバーに頼んで本部のデータベースを閲覧させてもらっていた。無論誠一の許しを得た上でだ。
普通はあり得ない話ではあるだろう。だからジュンがどのような方便を駆使して誠一を説得したのか不思議でならなかった。
「それ、お前が作ってるのか?」マキタは随分と気持ちの腫れも収まってきたようで、落ち着いていた。
「そやで、ちょっと食べてみる?」
「意外だな。料理できるのか」
「あ、なんかそれ偏見?」
「まあな。そういうの出来そうに見えないからな」
あまりに率直に言われると、怒りを通り越して悲しみに堕ちる前に、疑問符が渦巻く。
「そ、そんな風に見えるん? ウチ……」
「ん、ほら」目を丸くした恵をよそにマキタは子燕のようにベッドの上から口を開けてみせた。
「なっ……」
高校生男子の無邪気とも思える姿に恵は拍子抜けしたかと思いきや、口を結びマキタに向かって自信たっぷりのだし巻き卵をつまんで口の中に突っ込んだ。そして、どうだと言わんばかりに腕組みをしてマキタが咀嚼するのをしばし待った。
だが、いつまで経ってもマキタは口を開かない。
「なあ、どうなん? おいしい? まずい?」
つい待ちきれず訊いてしまう。
「ありがとうな……」
マキタは俯いたままぼそりとつぶやいた。
どっちつかずな返事に、結果を得られないもどかしさが恵の眉間にしわを作らせた。
「もう、なんなんそれ。はっきりせんわぁ」
マキタが口にしたのはだし巻き卵の感想ではなかった。
「――あのハーレーな、親父が遺したバイクでな。俺の親父とおふくろな、飛行機事故で死んだんだ。ずっと前、俺がまだ五歳の時だ。生き残った俺は親戚の叔父に引き取られた」
理由は違えどマキタも両親を失っていた。当初家がDFS営業所を営んでいると聞いていたので、柴島にそう伝えマキタが入院しているという連絡を入れてもらったのだ。事故当時は彼らが両親なのだと思い込んでいた。
「でも肩身狭いって訳じゃないんだぜ、意外と気楽なもんさ。俺が入院してるってのに電話一本で“死にかけになったら電話して来い”だってよ」
「ええっ? ヒドない?」
「ひでぇだろ?」
そう言うマキタの顔に悲壮感は微塵もなかった。だから一緒になって笑えた。
とはいえ、恵はこの時点ではすでにマキタの事情を知っていた。マキタと彼らが本当の親子ではないこと、マキタのことを心底心配はしていること、山吹家の面々や恵に甘えているのは心苦しいといった心情を吐露していることも。時期が時期でなければすぐにでも飛んできただろうことは容易にうかがえる。実に情に篤い夫婦だと電話で話した柴島自身からも聞いていた。
「叔父も叔父なら親父も親父だ、さすが兄弟ってとこだな。五歳の息子が将来バイクに乗るかどうかもわからねぇってのに、救助された先の病院で、今際の際に言った言葉が“ハーレーはお前にはやらん、息子にやる”だぜ? まっ、本当かどうかなんてわからんけどな。叔父が“お前の親父の遺言だ”って言ってた」
「じゃあ、マキタは両親とは……」
「ああ、会ってねぇ。俺は事故後一週間意識が戻らなかったらしい。そのあとはバイクと一緒に引き取られてな、ずっと叔父のとこで暮らしてる。もうほとんど親と同じさ、遠慮も何もない。本当の両親の顔なんて写真でぐらいしかわからねぇし、ほとんど記憶もない。ただ、叔父もバイクキチでさ、なんつーの? 結局俺にはそういう遺伝子が組み込まれてんだよ、本能みたいなもんかもな」
マキタは病室の壁に視線を流して薄く笑った。
「ウチの父さんも最後までバイク手放さんかった。家出るとき山吹さんに“これだけは持っていけ”って言われて……ああ、家は借金のカタに取られてしもたから」
恵は伸ばした足に両手を置いて、天井を見上げた。悲壮感からその言葉を発したわけではない。
「――何乗ってたんだ?」
「へ?」
「バイクだよ。親父さん何転がしてたのかって」
「ああ、古い奴やで、カタナってバイク。今は山吹さんの倉庫に仕舞ってる」
「お前が乗ってやればいいじゃん。オヤジさんも喜ぶだろ」
「そうなんかなぁ? 男ってロマンチストやなぁ、って思うわ。変なの」そう言って笑った。
「ははっ、確かに。揃いも揃って子供に残したものがバイクだなんてな。笑える――あ、バイクはいつでもいいぜ、どうせこのなりじゃ乗れねぇし」ギプスをはめた右の腕を一瞥して薄く笑う。
「うん、ほな暖かくなる頃に送るわ。うちに置いておく分には問題ないし。また乗れるようになったらええな」
マキタとの会話は終始穏やかであり続けた。恵は年末で忙しい中、足繁く病室に見舞いに来ては退屈だろうと雑誌や、映画のビデオソフトを差し入れた。時には話題のスイーツを買っていったりして二人で食べた。革ジャンは任せるという事で、恵の知り合いの革職人の手により、袖を切りベストへとリフォームされた。
自分の力が及ばず、怪我をさせてしまったことへの償いというわけではなかった。恵にとっては毎日彼と顔を合わせ会話することが、何より楽しく嬉しかった。
年が明ければマキタは転院する。この生活もそうは長くは続かないからと、無理を言って正月の間の屋敷の仕事を誠一に頼みたかったが、まだUSJ事件の事後処理で奔走している彼にそんなことを言える訳もなく、家政婦業の合間を見つけては屋敷を抜け出して病院へ通っていた。
職場放棄もいいところだと自身を{詰|なじ}りながらも、おそらく、彼らは、山吹家の人々はそれを止めろなどとは言うことはない。だが、家政婦業をするのは自分が決めたことだ。だからこそ自分都合でそれが全うできないならば家を出されても仕方がない、とまで考え、昼間にこなせない分の仕事は深夜になっても片付けるようにしていた。




