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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第三章:ヴィ・シード 第一話 「変革の境界線」
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戦闘家政婦―ヴィ・シード 1-2

 悪夢のクリスマスイヴから一夜が明け、一通りの検査を受けて恵は退院の準備をしていた。折角昨日の日のために綺麗にセットしてもらった髪や服が混乱の中で台無しになってしまったが、ちゃんと着直して戻ろうと思った。コートは汚れ、デニムの膝が擦り切れ、セーターの裾も伸びている。病院を出るときにエントランスのガラスドアに映った自分の姿に泣きそうになった。


 吉川の車の後部座席でただ無言で街を見つめていた。これが年頃の自分の最後の姿だと。お洒落をする、などという機会はもう自分には訪れないと。


 自室には戻らずそのまま三人が待つ応接室に向かった。山吹家の家族および、GODSの隊員はそれぞれの事後処理のためにほとんど引き払っており、屋敷は何事もなかったように、いつもの閑静な佇まいを維持している。


 山吹大輔は代表者としてマスコミに追い回されることを予測して、一足早く石切を離れ、動きの取りやすい北区のセーフハウスへと一時的に拠点を移していた。


「恵ぃ! 無事やったんや! よかったぁ!」そう言って飛びついてくるのは忍だった。体の芯まで筋肉痛だったが、そこは顔に出さずに耐えた。


「あたしら気失ってたから何にも覚えてないけど、ジュン君が助けてくれてん」カナはちらとジュンを一瞥し恵に告げた。恵もまたジュンのことを気づかれないように見た。やはりあの時、恵が目の前のDICを一瞬で薙ぎ散らしたのは覚えていなかった。


「ウチは平気、ただマキタがあんなんなってしもて……ごめん」


「そんなん恵のせいちゃうやん。謝らんでも……」


 忍の言葉に涙が溢れそうになる。だけど泣いてはダメだ、ちゃんと自分の言葉で彼女らに伝えなくてはいけない。


「だって、ウチは――」


 恵が言葉を続けようとしたとき、ジュンがそこに割って入った。


「僕なんかみんなをかばって逃げるだけで精一杯だったからさ。大変だったんだよ、倒れてる二人を順番に安全な所まで運んでさ。でも、人間って火事場の何とやらで必死な時は信じられない力が出るんだね。――けど、それも恵さんが少しでも足止めしてくれたおかげさ」


 恵は眉を上げてジュンを見た。


「ええっ、恵、あの怪物と戦ったん?」恵を振り返り驚く忍に、すかさずジュンは応える。


「ううん、恵さんが怪物の気を引いてくれたおかげでね。いくら合気道の達人って言ってもさ、あんな怪物相手じゃ太刀打ちできっこないよ。まあ、それでも皆無事で良かった。マキタはしばらくは動けないだろうけど、たまにはゆっくり寝て休めばいいんだよ、あいつ、いつでもバタバタして落ち着きないからさ」最後にジュンは手振りを添えて笑いで締めくくった。


 ジュンの間髪入れない説明と振る舞いは明らかに演技だ。忍もカナもその言葉を真に受けるほど子供ではない。彼女らに心配させないように、元気づけようと、ジュンが現場の必死さを隠して謙遜とカラ元気で言っているのだと思っただろう。そのくらい下手くそだった。


 だが、そうではない。


 ジュンの三文芝居は恵のことを悟らせないためだけであり、瞳の奥側にある光は恵に対して別の思惟を訴えていた。


「まあでも、散々なクリスマスやったけど、一生忘れられんわ」


「ほんまほんま、一生ネタになるわ。リアルにナイトメアビフォークリスマスやで」


 ミヤと忍はいつものように笑顔で話している。二人共思ったよりも元気で良かったと、恵は傍らで、歓談に加わるジュンの横顔を見ていた。


「なあ、明日マキタ君のお見舞いに行こうや」恵に向かってカナが言った。


「えっ、でもまだ……」


「あれ、知らんかったん? さっき恵が帰ってくる前に連絡あったんや、もう意識も戻ってピンピンしてるって腕と脚骨折してるらしいけど、元気らしいで。まあ相手があれで生きてただけでも奇跡というかしぶといっていうかやけどな」


 流石にピンピンはしてないだろうと思いつつ、忍の言葉に恵は心せず顔がほころんだ。


「恵ちゃん、よかったやん」ミヤがことさら恵の両手を握りつつ言った。胸の奥が熱くなる。


「うん……よかった」


 恵の無事を確かめることが出来たということで、忍とミヤは早々に席を立ち家に帰るという。二人とも両親に連絡を入れたとはいえ、病院から直接こちらに来たため早く安心させたいとのことだった。


 恵は玄関まで二人を送りながら、自分のためにわざわざ足を運んでくれたのに、真実も話さないまま帰してしまうことに、自身の不誠実さを感じて胸が痛んだ。


 だがそんな恵の思いとは裏腹に「あーあ、ええなぁ恵ちゃん」と、唇を尖らせたカナに振り向きざまに言われ「なにが?」と、恵は目を丸くして向き合う。


「ジュン君とお泊りぃ」不機嫌そうな口元を寄せ瞼を伏せ気味に、とぼけた恵に言い聞かせるようにカナが小声で言った。


 恵が、何のことだ? と問うまでもなく「ほら、ジュン君何日もおることなんか考えてへんかったから、マキタが落ち着くまでしばらくここに泊まらせてもらうって。あんたなんも聞いてへんねんなぁ」と、呆れ口調で忍が補足説明を入れた。


「きっ、聞いてへんわ、そんなん!」


「手ェ出したら怖いでぇ、カナちんが黙ってへんで」


「そんなん、出すかいな!」


「そやなぁ、恵はマキタ一筋やもんな」


「アホ、それもないわ! もおっ、早よ帰りぃや!」


 恵は顔を赤らめて、はしゃぐ二人の背中を押した。吉川が車のドアにもたれかかり、気だるそうに三人を見て笑っている。


 恵は事情を知っていたらしい吉川を横目で睨んだ。彼は何も言わず恵を一瞥し微笑んだかと思うと、運転席のドアを開けて車に乗り込んだ。




 ここからが本番だと、忍とカナを見送った恵は息をついて屋敷へと戻った。応接室ではジュンが同じ席で応接室に備えている雑誌の一つを読みながら待っていた。


「山吹さんもアンダーサイエンス読んでるんだ?」雑誌から顔を上げたジュンが言った。


「読んだことないけど……それって面白いん?」


玉石混交ぎょくせきこんこう真贋旁魄しんがんほうはくの娯楽科学雑誌。面白いといえば面白いけど、普通の人にはどうだろね?」


「ウチ、あんなことやってるけど次元理論とか難しいことはわからへん。ジュン君は詳しそうやけど……」


 恵は盆に載せたコーヒーカップをジュンのもとに差し出した。


「ありがとう。別に……趣味だよ。マキタもよく知ってるけど、MAKITA転送……ああ、マキタの家DFS営業所でね、そこのバイトに啓太郎さんって先輩がいてさ。その人はすごいんだ、次元物理科学なんて言葉がまだ今みたいにメジャーじゃなかった頃から知っててさ、僕らはそんな話、半分くらいしか信用してなかったんだけど、このところ世の中が啓太郎さんの言ってた通りに変わっていってる。この三年間は特にね」


「その人から……その、今朝の話も?」


「うん……、今朝はごめん。僕ちょっとおかしかったよね、本当にごめん」ジュンは目を伏せながら本を閉じて傍らに置いた。


「ううん、こっちこそごめん。黙ってて。それに、さっき二人にうまく言ってくれてありがとう。その……助かった」


「彼女たちに本当のことなんか話せるわけないよ。話したところで誰も喜ばない」


「うん……」


 ジュンはサラサラとした髪をかきあげて、全国の女子を魅了するかのような甘い笑顔を見せた。だが、恵にはそれが冷えたものに感じた。そう、“冷めた” ではなく“冷えた”である。言葉で表すのは難しいが、再会してからずっとジュンに対して感じていたことだ。


 恵はジュンの視線を追っていた。また別のものを見ていると感じたのだ。


 マキタのように感情をそのまま露にするタイプでないことはひと目で判るが、ただ単に冷静というには冷えすぎている。端的に言えば“感情の一部が抜けている”と言おうか、意図して感情を隠そうとしている。なにかトラウマがあるのかとも思ったが、今の恵にはそれを探り出そうとするほどの興味も余裕もなかった。


「なに?」ジュンがそうして訊くほど恵は視線を彼に向けていた。


「ううん。今朝の話……その、ジュン君が知ってることウチにも教えてくれへんかな」


「構わないよ。その代わり――」


「わかってる。セイさんが言うてることとの擦り合せをしたいんやろ? ウチも知ってることは話す。でも、話されへんこともあるから……それはゴメンやけど」


「いいよ、交渉は成立だ。じゃあ、さっそくだけど今朝の続きを話したい。マキタと会うまでには整理をつけておきたいんだ。いい?」


「うん」


 ジュンがコーヒーカップを手に取ろうとしてソーサーからカップを持ち上げた瞬間、小刻みに音を出した。ジュンはの手は震えていた。


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