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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第三章:ヴィ・シード 第一話 「変革の境界線」
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戦闘家政婦―ヴィ・シード 1-1

 覚めた視線の先にあったのは、見知らぬ天井だった。


 どうやら病院だ。


「……生きてる……そうか、ウチやりきれんかったんやな……」


 ほとんど身動きも出来ないほどに疲労しきった体、異常なほどにはっきりとした意識、ただ悔しさだけが恵の両眼にこみ上げてきた。


「おぅ、気が付いた」かすれたハスキーな女性の声の方を見ると、桐谷樹菜子が立っていた。


 樹菜子は黒のエナメル素材のタイトなワンピースをまとっていた。病院に見舞いに来るには少々刺激の強い格好だった。だが大きな目を恵に向けて笑いかける樹菜子はいつもと変わらない。“快活”という二文字が非常によく似合う、気丈で元気な女性だ。


 それだけではなく、彼女の格闘能力はGODSの中でも抜きん出ていた。今まで何度か模擬戦闘をしたが、恵と吉川が二人掛りでもダメージ一つすら与えることが出来なかった。つまり、あの屋敷での対決相手が吉川でなくこの樹菜子であったなら、恵はやすやすと制圧されていたに違いなかった。


「何を泣いてる?」


「だって……全然ちゃんとできんかった」


 樹菜子は恵が臥すベッドの傍らに腰をおろし、恵の頬を伝う涙を指先で拭う。


 この彼女ほどの強さが自分にもあればと、そう恵は思った。


「そうでもないよ。無様だったが、よくやった」


「ぜんぜんあかんやん! だって……皆を……たすけ、……れんかった」


 嗚咽をこらえきれずに、やっと動く右手でシーツを手繰り寄せ、顔を隠した。


「だからぁ、よくやったって、言ってんじゃん? メグは覚えてないかもしんないけど、きっちり最後の一体まで片付けたよ。ま、そのあとは白目むいて立ったまま気絶してたけど、ね」


 泣き腫らした眼を覗かせて樹菜子を見た。


「……それ、ほんま?」


「ああ、みんな無事だよ。メグのおかげで」


「ほ、ほんまですか!」


 恵は痛む体も構わずに樹菜子の身体に飛び込んだ。


 クリスマスの朝日が差し込む病室の窓をみやり、樹菜子はまだ華奢な恵の背中を優しく包むように抱いた。



 樹菜子に続いて誠一が病室に現れた。彼の前で拭いきれない涙を隠そうともしなかったのは、恵の甘えの顕れである。だが誠一の口から告げられるのは涙も乾かざるを得ない事実だった。


 マキタは無事とはいえ、腕と脚の骨を折る重傷だった。忍とカナはまだ気を失ったまま別室で寝ている。目下の問題は恵の正体をその目で見たジュンだった。


 ベッドに腰掛けた状態で、誠一から状況説明を受けた。片側では山吹家の一員として慮る顔も垣間見れたが、大半はGODSの隊員としての連絡通知だった。


 簡単な検査を受け、異常なしと診断されたジュンは、誠一らGODSに呼ばれて隔離されている。とはいえど何も口封じのためだとか物々しいものではない、恵との関係性を問われた上で彼女の裏の顔をどう捉え、今後どのように付き合ってゆくかという話し合いのようなものだ。


 GODSの組織そのものやDOG装着者の正体は、何が何でも隠匿しなければいけないというものではない。できることならば隠すに越したことはないという程度だ。なぜなら正体が知れて得することなど誰一人、何一つないからだ。


 だが、秘密を抱える者、秘密を知っていながら黙する者、双方に人間関係が構築されていればなお、精神的負担を強いることになる。まして恵もジュンもまだ多感な年齢だ。どんなきっかけでその密約が瓦解するかもわからない。人の口に戸は立てられぬと昔から言われているように、互いに今後の友人関係を続けてゆくことは難しくなる。


 ゆえに、誠一はジュンに対して、かつての恵と同じように事の全てを話し、秘密の共有者になることを求めた。


 ジュンは驚くほど聡明な青年だった。誠一の話を遮ることせず、小一時間あまり、ただ黙って言葉を理解し続けた。“普通の世界”にいたジュンにしてみれば異常な世界だろう。次元転送社会に反旗を翻す組織の存在は知っていても、あのような形で世界に危機をもたらすとまでは考えられなかったに違いない。


 だが、自分たちが対峙したような化物が今後も現出してくることは確実であると、冷静に認識できるジュンという青年に誠一は驚いたという。


 ただ、恐怖の体験をしたあまり、今は感情をうまく出せないのだとすれば、あれこれと不躾な質問をして酷なことをしてしまったと、誠一はできれば恵に、フォローをしておいてやってくれ、と伝えた。


 それこそ恵にとっては酷な話なのだが。


 それを察知してか樹菜子が一瞬恵に向けて口元を緩めた。何かを言おうとしたのだろうが、恵は聞きくまいとして口を真一文字に結び、視線をわざと避け、二人を見送った。


 樹菜子が誠一と共に席を外すのと入れ替わりにジュンが病室の入口から顔をのぞかせた。


「やあ、恵さん。いい? あの……大丈夫?」


「ジュン君……」


 さっきまで泣いていたことを悟られまいと、無理に笑ってみせた。だが、同じく笑い返すジュンもまた不自然な口元を形どっていた。


「どう? 具合は?」


 ジュンは入り口付近の丸椅子を運びながら恵に声をかける。恵にはその様子が極々当たり前のように映る。そう、まるで恵が盲腸で緊急入院した後のような応対だ。誠一から言われたような塞ぎ込んでる雰囲気は微塵も感じない。いつものジュンだ。


「――ねぇ、ジュン君は昨日のあんなのを見て何も思わへんの?」ジュンの異様に落ち着いた様子に、ついそのような訊き方をしてしまった。


「はは、何も思わないわけないじゃないか。これでも結構ショック受けてるんだよ。あんな怪物が現れて、マキタは大怪我だし君は……変身しちゃうしさ」


「ご……ごめん」恵は俯き小さな声で言った。


「でも、概ね受け取れるよ。みんなほどはびっくりしてない。実はね、僕がヴィ・シードの存在を知ったのはずいぶん前のことなんだ。きっかけは先輩の持ってた怪しい科学雑誌だったけどね」恵の病室に入り、ベッドの傍に置いた丸椅子に座したジュンは言った。


「やから、そんなに素直に受け取れるの? ジュン君って前から思ってたけど……その、すごい落ち着いてるから、たまに何考えてるかわからんなって……っいや、ごめん」


「うん、よく言われる。感情の糸が切れてるんじゃないかって――」ジュンは自嘲的に言い、続ける。「それに、田能さんの言っていた事、僕は理解できるんだ。というか技術的には出来ることなんだろうなって思ってたから。なんか変な話だけど、君が変身したのを見て確信できてすっきりしたってのが本音かな」


 ベッドの上で半身を起こした恵は、マキタが海で言っていた事を思い出していた。


 ヴィ・シードという悪意の種のことを、このジュンから聞いたと。


 ジュンのように次元物理科学に興味を抱くものなら、その名を知ることはさほどハードルの高いものではないのかもしれない。


 だが、そんなとんでもない装置の存在は、大抵は疑似科学かオカルトだと片付けられ、都市伝説的に尾ひれがついて雑談の中に埋もれてゆく。事実マキタの認識はすこし間違っていた。


 恵もGODSでDOGを扱うにあたり、一通りの次元物理科学に関するものは短期間のレクチャーを受けて蓄えた知識だけで、一般人よりは備えてはいるという程度のものだ。おそらくは目の前のジュンの方が次元物理科学を正確に理解しているだろうと思われる。


「僕が考えていたことはやっぱり間違ってなかった。ソースがアンダーサイエンスってのは根拠に乏しいんだけどね。彼は、ミラー博士は人類の超長距離宇宙航行への足がかりを次元転送技術で得ようとしてたけど、人体転送ができないという結果に躓いた。そして、発想の転換をしたんだ」


 ジュンは早口でまくし立てていた。それはいつになく落ち着きを欠き、興奮しているかのようでもあった。


「彼は“もはや人が人として宇宙に出る必要はない”ってね。ちょうどイズノがコロニー宇宙船の建造に着手した時に出された声明なんだ。当時は騒がれたけど、その後の進捗報告もないままミラー博士は亡くなってしまったから、何を意味していたのかまではわからないままだった。もっともその研究が原因で殺されたって可能性もあるけど、でもマイアミの研究所は今も極秘施設としてミラー財団の管理下に置かれていて外部から――」


「なあ、ジュン君ちょっと……」


 ジュンは一瞬恵を見た。ただ、その視線は恵を見ているというより恵の後ろ側にある“何か”を見るような目だった。


「――完全に隔離されていて、極秘の施設なんかもあるって話だ。それに次元転送社会テロは彼らのマッチポンプだって話もあるにはあるんだけど、まあ――」

「ジュン君!」視線を避けて話し続けるジュンを促すように、ベッドの布団を掌で叩いた。


「…………」ジュンは再び視線を止めて恵のことを見つめた。いや、また恵の後ろにある何かに眼差しを向けていた。だが恵はそのことを気にかけず続ける。


「今そんなことを話しているよりも、みんなのこと――」一寸ジュンは怯んだように見えたが、直ぐに眉尻を釣り上げて、今度は恵の瞳を睨んで言った。


「話しておかなきゃダメなんだよ!」

 

 突然激昂した彼の衝動に、恵は両肩を跳ね上がらせ硬直した。声を荒げるなどということをしない人だと思っていただけに、衝撃は大きかった。


「恵さんはあの怪物のことを彼らにどう説明するつもり? 夢だったとでも誤魔化せるのかい? それに君のことだって僕は……もしかして君は普段からあんな怪物が跋扈していることも、襲撃がある事も知っていたのか? 何故世界がこんなことになりかけてるのにひた隠しに黙っているんだ! マキタだけじゃない、下手をすればカナちゃんや忍さんだって、僕だってどうなっていたかわからない。君は何なんだよ! 一人で覚悟を決めたようなふりをして……だったら――!」


 椅子から立ち上がり今にも恵に掴みかかろうとするジュンの肩を、背後から伸びた頑強な手が掴んだ。


「そのくらいにしとけ」


 氷のように冷えきった声色を発したのは柴島だった。


 隊員の中で最も背が高い彼が病室に入ってきたことすら恵は感知できなかった。それほどまでに動揺していたということなのだろうか。


 いや、恵だけではない。柴島に引き剥がされたジュンは涙目になりながら呼吸を乱していた。


「わるい、まだ顔を合わせるべきじゃなかったな。おい、坊主。もう少し休んどけ」


「柴島さ……」恵は唖然としながら、ジュンの肩を抱いて病室を出る柴島の背中を見ているしかなかった。


 彫刻刀で彫ったような尖った印象の柴島の顔から表情が顕れることはなく、ただ去り際に恵を振り向いて「恵、人を守るってのはこういうことだ」とだけ告げてドアを閉めた。


 ジュンが言っていたこと、確かにそうだった。GODSという機密部隊に所属していることを誰にも知らせなかった。知らせたところで彼らを危険に巻き込む可能性……いや、彼らと明らかなる隔たりを感じるのが嫌だっただけだ。どこかで普通の女子高生でいたいなどと甘い考えを持っていることは確かだ。そして、実際に目の前に現れたヴィ・シードにより生み出された現像架空体ディックとの即時交戦をためらった。


 もしあの時、ジュンがゾンビどもに対峙することをためらい、押されていれば彼ら四人の命はなかったかもしれない。持てる力を使うことを一瞬、いや、それ以上ためらった。


 ろくに動くことも出来ない恵の身体を登り切った太陽が照らし、彼女はただ俯いて朝食の時間を告げるドアのノックの音にも気づかずにいた。


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