戦闘家政婦―GODS 4-3
それとほぼ同時に、通路の先の暗闇から、人の気配を持たず四肢と巨大な尾をもつ、鱗で全身がおおわれた怪物の姿がぬるりと眼前に現れた。
肩甲骨を盛り上げ尋常ならざる幅の双肩を震わせながら四人の前に立ちふさがる体高四メートルはあろうかという緑色の巨人。
口は大きく裂け、眼は爬虫類のそれのように金色に光り、眼下の脆弱な存在を見据えている。
「う、あ……」いくら冷静なジュンですら言葉が出ずただ後ずさりするだけだった。カナと忍はとっくに失神して地面に倒れ込んでしまっている。眼前の蜥蜴男に弾き飛ばされたマキタのブーツを履いた足が目に入った。
「マ、マキ……た」恵は足の感覚を失い崩れそうになるのをこらえて歩みを前に進める。
「め、恵さん! さがっ……て」ジュンがようやくひりだした言葉を恵は忸怩たる思いで受け止める。
正体が知られることを避けたがために結果として四人を危険に晒した自分に歯噛みした。ピクリとも動かないマキタは腹を下にして通路の隅に転がっている。
生きているのか死んでいるのかすら確認する術はない。このままではジュンもマキタのように殴り飛ばされるだけだ。ジュンは背を向けず後ずさりしながら倒れた忍とカナをかばうように両手を開いている。
恵は意を決してコートを脱ぎ、DOSを握り締め、眼前に右手で一文字につき出す。そしてその底部を左掌で添えると左手首のブレスレットが共振を始める。
「声紋認証、コードG5DS5、2203DIRECTリンク、DOGフォワードシークエンス発信。オーダー、FXD459GT7398轟天、不知火!」その声と共にDIRECTドライバを中心に鋭い光が弾け出し、恵の体を包む。
咄嗟に振り返ったジュンだったが、そのまばゆさに顔をしかめて身を伏せてしまう。
そのジュンが言っていたように、DFSのような密閉型転送機器を使用せずに、身体に装着したフィールドセンシングデバイスを用いて衣服を受け取る開発途上の次元転送技術を、Dimentional Interface Clothes & Equipments Transmitterの頭文字をとって、便宜上{DICET|ディセット}と仮称しているのは事実だ。だがそれは正式名称ではない。また、それが技術の根幹でもない。
この指向性開放型次元転送装置はディセットではなく、ダイレクトという。すなわちDimentional Interface Reinfocement Equipments & Clothes Transmitter。直訳すれば次元帯接続による武装および装備の転送装置、頭文字からDIRECTと表記される文字通りの戦闘兵器技術である。
そしてその中でも身体に直接転送装着するモーションアシストパワートレインを持つ強化服のことを、DIRECT・Overdrive・Gear、その頭文字を取って『{DOG|ドッグ}』と呼ばれている。
今のところ次世代オーバードライブギアとして、個人が携行運用できる戦闘用動甲冑はD&DおよびGODSの隊員だけに使用が認められている。つまり、恵も例外ではなかった。
白銀の鎧を模った線が光の中に次々と現出し、それらは恵の体の周囲を囲んだかと思いきや、瞬時に四肢を包んで装甲化してゆく。体のラインに吸い付くような、なまめかしく湾曲した装甲表面は透明感のある銀色に見えると同時に輝く白にも映る。
恵がオーダーした『轟天不知火』とは、なにわ工科大学特殊工学研究所分室で開発された轟天シリーズの最新機で、恵専用のDOGである。
甲冑状の手足の無骨な装甲とは裏腹に身体部分、特に胸部と腹部を覆う装甲は動作の邪魔にならないよう、体のラインに沿ったデザインがなされ、スカート状の腰部は左右に広がった垂れを有している。この戦闘服はこう言ってしまっては何だが、実に女性らしい美しいラインが形どられている。
これは設計の段階であらかじめ恵の身体をキャプチャーして形成されたものであるから、体のラインに間違いなく沿うのは当然だった。頭部のヘルメット状の装甲はバイザー部分が大きく張り出し顔面のほとんどを隠してしまうが、そこに付けられた両端の角飾りが甲冑全体のバランスを整え、優美なシルエットに整えていた。
この轟天シリーズDOGの機能には、身体を衝撃から守るシールド効果と人体の動きをパワーアシストする以外はないが、内蔵するDIRECTドライブによる分解転送機能は任意に掌と足先に振り分けることができ、その効果はDOSでの攻撃と同様の効果を発揮する。要するに殴る蹴るもまたこのDOG装着状態であればDICに対して有効な攻撃手段となり得るのだ。
とはいえど打撃系の格闘戦を経験していない恵にはDOSによる攻撃法を薦められていた。その何でも切れるというDOSを扱うにあたりレクチャーの中で、コンクリート壁や鋼鉄素材を難なく両断にして驚いたものだが、実際に生きた何かを斬ったことはない。おそらくは目の前にいる巨大な蜥蜴のモンスターであっても、このDOSの能力ならば四肢を切り刻むなど造作もないことだろう。
目の前の友人たちが直面している危険性の回避と、見た目に生物として命の存在を認めさせる脅威の排除、それらを実行できる力を天秤にかける恵の心中は戦慄していた。
迷うまでもないことは判っていても、武器をもって何かを殺傷するなど、合気道で教えられたものでもなければ、今まで生きてきた中で衝動であってもそのような経験はない。背後に迫るゾンビと眼前に立ちふさがる蜥蜴男、異形の者達とはいえ、できれば何も殺したくもないし傷つけたくもない、この目の前の危機さえ回避できればいい。そう考えだしていた恵はDOSによる攻撃をためらった。
「ジュン君!」地面に膝をついて顔をしかめるジュンに向かって叫んだ。
「恵……さん?」
「事情は後で! 今からウチがこの蜥蜴男止めるから、その間に二人を連れて逃げて!」
とはいえどジュン一人で気を失っている女子二人を抱えてゆけるわけがない。まして倒れたマキタを移動するなど。
その時、ドンという衝撃と共に恵の背後にのしかかる重みがあった。腐臭を放つゾンビだ。恵は顔をしかめ腕で一撃しそれを振り払う。
モンスターといえどゾンビは通常の人間には及ばない程度の筋力で、体が腐っている分重量も体力もない。そのため通常の人間でも振り払うぐらいは造作もないが、DOGのパワーアシストで常人の五倍近くに増幅された腕力は数体のゾンビの体を一撃で四散させてしまう。
正直ぞっとする。体液と共にアスファルトの染みになって飛び散る様は、このスーツがれっきとした兵器であることを再認識させる。
恵の体は小刻みに震えていた。人体を模したDICという模造品であったとしても、生物を潰してしまうという冷えた罪悪感が全身を覆ってくる。抗わねばならないが、アニメや映画のように躊躇なく目の前の生物を敵として潰してしまえるほど、恵は荒んだ世界に生きてはいない。そしてそんな使命感を未だ自身に課せられないでいた。
背後にはさらに匂いを嗅ぎ付けてゾンビが集まってきている。今にも飛びかかってきそうな蜥蜴男、両脇を建物に囲まれた一方通行の道、その先に倒れるマキタ。逃げ場はない。
「ジュン君!」
出来る限りゾンビの足止めをジュンに頼むより他なかった。恵はバイザーを上げ、ジュンに目配せをし“こっちを頼む”と、示す。ジュンは一瞬諦めの表情を作り、やがて視線を避けたかと思うと口元を引き締め鉄のパイプを再び取り上げた。
恵はそれを確認するとこくりと頷き、膝を折り全身に力を込め一気に伸身し、ジュンの頭上を飛び越え蜥蜴男の頭頂部に突撃した。この超人的な脚力もまたDOGのアシスト機構によるものだ。
空中から全身を捻り踵落としの要領で右足を伸ばし蜥蜴男の頭頂部を狙う。だがその直線的な攻撃は腕の一振りで払われてしまう。予測はできていた。それほど単純に、一匹の生物が致命傷とも言える身の危険を回避しない訳がない。
蜥蜴男の腕力で肩甲骨部分を勢いよく払われた恵だったが、衝撃の約八十パーセントを不知火の装甲が分散吸収するため、中の身体に伝わるダメージは極少ない。
しかし、それでもこの痛みなのだと考えると、生身で対峙することの無謀さは文字通り骨身にしみる。同時にそれを受けて倒れたマキタはどれほどのダメージだったのだろうと、膝をついて着地したその傍らの身体に目を向けた。
さっきから動いてもいない。出血などはないようだが、それとダメージの大きさは関係がない。打ち捨てられたぼろ布のように、不自然な格好で路地の隅に転がっているマキタ。
「マキタ!」呼びかけてみるも反応はない。
早く処置をしなければ命の危険さえあるかもしれない。
斬るしかない。
命を奪う事より、命を奪われることのほうが嫌だ。単純に本能がそう叫ぶ。それに許可を出すのは恵の心だ。そのツケを自分が受けることになるとしても、為さねばならないことがある。
身の丈五メートルにも及ぶ蜥蜴男と平均的な女性の身長と体格の恵には歴然とした体力差が見えたが、それは恵が生身であったならばの話だ。
恵がまとう不知火の能力をもってすれば、この程度の現像架空体を分解してしまうことはたやすい。そしてあらゆるものを一刀両断する光学剣もある。
《G1、S10から駆逐する。G2、G3、指向性波動のチェック、特定急げ》
《こちらG2、こりゃ無理だぜ、多すぎる。パークの内外に紛れてる。確保するにゃ人工島塞ぐしかない》
《こちらG4、俺は兄貴と逆の方向から攻めるぜ》
《G3よ。G4、コード使いな! 今数十体が自己消滅した。こっちの動きに気づいたのね》
《こちらG1。かまわん、動いてる奴だけ視界に入れとけ。接敵する》
恵は内蔵されたヘッドセットに向かって応援を一人寄越してほしいと言いかけたが、やはりやめておいた。このくらい、一人で片づけられる。そうでなければ自分など何の価値があるというのだ。雑音が入り混じる聴覚から意識を外した。
目の前に意識を失い臥せる三人の友人、そして一人は未知の存在を何たるか判らずに対峙する羽目になっている。次元転送社会が生んだ副産物、抵抗勢力とその手先。
こんな世界は間違っている。
誰もこんな世界など求めてはいない。
そして恵はこんな世界を認めたくはない。
ならば、いま自分にできる最大限の事を為すまでだ。恵は心に強く念じ右手にDOSを握り、左足を踏み込んだ。
蜥蜴男は左右の腕と尻尾を使い牽制をするが、恵にはその動きは緩慢に映る。地球上重力下という条件下であれば体格の小さなものの方が機敏に動くことができる。仮に蜥蜴男が最大速に攻撃の腕を振るったとしても滞空中でもない限り避けるのは造作もないことだ。だが、尻尾の攻撃力は未知数で、その軌道はあまりに不規則で読むことができない。これは人間が尻尾を持たないがゆえだ。
一旦DOSを腰部の装備ラックに収め、蜥蜴男の動きを止めようと試みる。尻尾を除けば人型だ、うまくやれば投げられる。人とて糸のように細くてもろい障害にすら引っかかって転ぶ。それは躓いたのではなく自身の姿勢制御と危険回避の二者択一を誤った結果起きる反射行動の所為である。合気道の体捌きは相手にその錯誤を起こさせることにある。
恵は大きく飛び上がることをせず、腕からの攻撃を避けつつ蜥蜴男の足元をステップを踏むようにして何度もめぐる。一見すればただ周囲をぐるぐると逃げ回っているようにしか見えなかったが、蜥蜴男はそのスピードについて回ることができずに、完全に翻弄されている。
学習しろ。恵は相手を見据え、数か所の位置を前後左右に避けながら腕の軌道を読む。
やがて蜥蜴男は恵の動きを読み取り、鋭い鈎爪は効率よく恵を追い詰めるようになる。背後には建物の壁があるのみ。もはやこれまでと左側面から襲い掛かる巨大な質量の手。
最後の一閃ともとれる攻撃を紙一重で逸らしながら蜥蜴男の鋭い鈎爪が付いた小指を一瞬のうちに握り、同時に引き下げながら、攻撃のために踏み込む相手の右足の先を蹴る。
巨体がいとも簡単にもんどりを打ち頭から壁に激突する、はずだった。
それを見てなるほど、と考える。まだ呼吸は乱れがない。思考も正常に働く。
蜥蜴男はたたらを踏みながらも巨大な尻尾を振り姿勢を立て直していた。
蜥蜴男には意思がある。ただ闇雲に本能にしたがって目の前の獲物を狙っているわけではない。動きは人のそれ。
ジュンが対峙している側のゾンビの数が増えてきている。恵はここが潮時とばかりに一気に蜥蜴男の股下をスライディングでくぐり抜けた。
蜥蜴男はバランスを崩しよろめき、巨大な尻尾をブンと横に振る。
恵はそれを待っていた。軌道が読めない攻撃ならば、相手が無意識に動かさざるを得ない機会を作れば良い。普通に考えれば、巨大な尻尾がわざわざ配されている身体であればこそ、それはなくてはならない姿勢制御用の器官であるということの証だ。だが、この蜥蜴男は“人間の動き”しかしない。どう動けばどう動くのか、戦闘が始まってからずっと恵は蜥蜴男のその挙動を観察していたが、蜥蜴男は尻尾による姿勢制御を必要としていない。要するに関係がない。そして意識してそれを動かしているに過ぎない。
仰向けのまま目の前を横切る尻尾の根本に向けて恵はDOSを突き立てる。
無論不知火の質量を足したとしても八十キロに満たない恵の体はいとも簡単に尻尾の力により地面から引き剥がされる。だが恵は突き立てたDOSを離さない。
痛みを感じているのか、蜥蜴男はこの世のものならざる悲鳴を上げる。
蜥蜴男は自身の尻尾に取り付いた異物を振り払おうと、尻尾を勢いよく大きく動かし壁に打ちつけようとする。
計算尽くだった。
尻尾に振られた遠心力を利用して恵はDOSの出力を最大にして、突き立てた箇所から蜥蜴男の尻尾の先に向けて縦に一刀両断し、二股に裂いた。
そのまま蜥蜴男から振りほどかれた遠心力で壁に飛んでゆく体を反転させ、器用に両足で壁に膝を曲げ慣性を相殺し、一瞬だけ“着壁”する。そして目一杯踏み込んだ両足で再び壁を蹴り高く飛び上がる。
尻尾の機能を失い、その切り口から白濁液を飛び散らせながらバランスを崩す蜥蜴男は、眼前から迫る白い物体を認めながらも、なす術なく腕で自身の顔を咄嗟に覆った。まるで人間のような行動だった。
恵がそう思うよりDOSを振り下ろす方が早かった。
眼前を庇った蜥蜴男の腕を逆袈裟斬りで切り落とし、さらに刀を返し頭頂部に向けてDOSを振り下ろした。
恵の全身を使った上段からの一閃は蜥蜴男の身体を、頭頂部から股間にかけて真っ二つに切り裂いた。鉄であろうが石であろうが素粒子の結合を解いてしまう光学剣の前では、あらゆる地球上の物質は全てゼラチンのように無抵抗で切れてしまう。
生きた物を斬ったという実感すらなく、ただ人の形をした蜥蜴の身体は、紙人形のようにぺらりと左右に反りかえり、地面へと沈む。
攻撃の間息をつく間もなく、振り下ろしたDOSを引き上げられないまま、崩れる大質量の肉塊の中で動くことが出来なかった。降りかかる体液を避けることも出来ず、浅い呼吸と止まらない激しい動悸に倒れそうになり、急激に吐き気が襲って来る。
しかしそうしてもいられない。ジュンがうめき声をあげてゾンビの群れに押し倒されようとしている。蜥蜴男の分解消滅を確認するまでもなく、恵はジュンのもとへと駆けつける。
「ジュン君!」
「恵さん! もうだめだ!」
「伏せて!」
恵はジュンが押し倒されるのと同時にゾンビの群れに飛び込み、右薙で数体の頭を一度に跳ね飛ばす。蜥蜴男と同様にそこから雨あられと白濁液が噴出する。
だが生き物ではないDICどもは恐怖で動きを止めたりはしない。そもそも生命活動などしていない個体なのだから痛みも生命維持の機能も働かないはずだ。彼らは仲間が何体やられたとしても自身の体が物理的に動かなくなり素粒子分解されるまで対象を襲撃し続ける。
数はさっきよりも随分と増えている。このままDOSを振り続けて恵の方の体力が持つかどうかも怪しかった。
「ジュン君! とりあえず忍とカナを安全なところに移動させて!」声が枯れてちゃんと言えているかも怪しかった。
ジュンは恵の足元から起き上がり、すかざず倒れた二人のもとに駆けてゆく。
恵は彼の冷静な判断力に感服する。想像以上に強靭な精神だ。こんな化物を目の前にしてそれでいて最良の選択肢を直ぐに実行できる。それは明らかに自分が恵よりも戦闘に適していないということを素直に受け入れているからだ。
背後に守るべきものが退避してしまえば、あとは力の限りこの場でDOSを振り続ければいい。GODSである自分を彼らが心配する必要などない。無謀などという言葉は今の恵にはない。ただやらなければいけないことが目の前にある、それだけだ。
ゾンビの群れは百体では済まない。分解しても次から次へと湧いて出てくるようだった。酸素が足りない。目の前が暗くなってゆく。そして全身の筋肉が悲鳴を上げて感覚が麻痺してきている。もう自分がどこに向けてDOSを振っているのかもわからない。
ほとんど音を発しないはずのDOGのドライブユニットの駆動音が体の奥から聞こえる。体が機械に操られて動いているような錯覚を覚える。感じるはずのないアウターシェルの重みが双肩にかかっている。動作不良か。
ヴィ・シードと呼ばれるあらゆる異形の存在を召喚することが出来る特殊な装置。
人間は、人類は、一体何を手にしてしまったのだろうか。次元転送社会のツケがこれなのか?
恵は霞に沈んでゆく意識の中でふと、考えていた。




