表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第二章:GODS 第二話 「女子高生は闇を駆け抜ける」
34/192

戦闘家政婦―GODS 2-5

 ドーナツショップで三人と別れて帰途についたとき、手元の時計を確認すると予想以上に遅くなってしまっていたことに恵は気づいた。今日の家事は誠一の当番だから、最低限の門限さえ守れば問題はないはずだったが、自宅までの坂を上る足は心せず足早になっていた。


 毎朝欠かさずに走り込んでいる坂は、ここに最初に来た一年前に比べると随分と見え方が違っている。それに、両手に荷物を抱え、少し早足で登ったくらいでは息切れ一つしない。屋敷の前にたどり着くと恵は小さく息を吐いて吸い、ほんのりと汗をかいた体に冷えた空気を取り込んでから門をくぐった。


 玄関の引き戸を開けると家の中は真っ暗闇だった。


 誰もいないのか――大輔や尊、美千留はともかく、誠一や凛はいるだろうと思っていた。だがどの部屋にも電灯がついている気配はない。


 誠一は自身が急な用事で出かけて家にいない時は、必ず恵に連絡を寄越していた。それは必ず。


と、すれば、やはりこの状況は普通ではない。


 もはやGODSの見習いとはいえ、この家を守る立場になった恵は瞬時に警戒の気持ちに切り替える。鞄とドーナツの袋を玄関脇に置き、電灯のスイッチには手を触れずに、外から入り込む外灯と月の明かりを頼りに耳を澄まし左右に視線を走らせる。


 時計の針は午後八時をまわったところだ。もし仮に、既にテロリストの襲撃があったとしてもこの静けさは不自然だと思う。そうでなければ夏の時のような直線的な攻撃ではなく、家に戻った者から順に手を掛けてゆくという殲滅作戦か……だとしても誠一がそんなに簡単にやられるとは思えない。


 第一、恵自身が今異常を感じて玄関で警戒しているのだ。誠一とて自分が帰った家が静まり返っていれば懐の光剣を握り締めただろう。当然そうなっていれば、屋敷がこれほどの仏頂面を保てているとも思えない。


 恵には武器といえるものはない。基本動作は合気道とこの三か月で叩きこまれた打撃武術とにわか剣術。いずれも相手が複数だった場合や腕力に大差がある場合、制圧するには心もとない。


 GODSのメンバーはその誰もが高度な制圧術を身に付けていたが、恵はそこまでの訓練をまだ受けてはいない。それに人体を行動不能にするほどの覚悟は、実戦なくして一朝一夕の武術訓練で得られるものではない。


 敵を見極めずして勝算があるかと問えるほど心中は呑気ではない。敵がいること自体が覚悟の範疇外であることを思い知らされる。だが、やらねばならない。

 恵は板の間に上がる前に滑ることを嫌い、靴下を脱ぎ、そっと冷たい床に足をつけた。冷え切った床板が体の芯の緊張をより高める。


 腕のいい大工による板間はみしりともぎしりとも音を立てない。壁に背中をつけ、足裏を床に這わせるように一歩ずつ廊下の先へと歩み進む。


 長い廊下の先は暗闇で何も見えない。しかし何かの予感を察する。


 誠一から暗闇を見る訓練をしろと言われていた。


 普通人間は暗闇の部分は意識してみることをしない。それはどうせ見えないと諦めているから見えるものも見えなくしているのだという。そのような生活に慣れきった現代人は視力をどんどんと失ったのだという。この理屈はどこか心理的な戒めにも聞こえる。


 賊がプロならば恵の動きも感知しているはずだと考えるほうがよい。互いに条件が同じならば技量の低いものが勝てる見込みは少ない。上から来るか、下から来るか、それとも右か左か。それを見誤れば一瞬にして自分が制圧されるだろう。いや、制圧ならばまだいい、一閃で首を掻かれるかもしれないのだ。


 月光の死角になった廊下の角まで進むとその先は坪庭を囲うように面した縁側だ。ほのかな月光に照らされた坪庭が暗く沈んだ屋敷の中に浮き上がっている。庭と縁側を仕切るガラスの引き戸で外界と仕切られた縁側の廊下を挟んで部屋側は障子戸、いずれにしても部屋側に賊が潜んでいた場合、自分の姿は影絵の人形のごとく浮き彫りになる。縁側を歩くのはリスクが高すぎる。


 ならば意を決して障子を開き、部屋に侵入するより他ない。


 恵は壁に背をつけ左手で障子戸の縁を引っかけてゆっくりとスライドさせる。ほとんど音も立てずに二十センチほどを開く。


 不用意に首を差し入れて確認することはせず、制服のポケットから取り出した手のひらサイズのエチケットミラーを差し入れ、部屋の中を鏡越しに確認する。障子紙を通して月光でぼんやりとした光が差し込む部屋内は、それだけでなんとか様子がうかがえる。


 人影は見えない。動く物の存在も認められない。


 屋敷の母屋の中心にあたるこの部屋は、四つの十二畳間を麩で仕切った田の字型の四十八畳の大広間で、今恵が覗き見ているのはその内の一つだ。普段は使われることのない部屋だけに家具らしいものは何もない。


 それでも警戒するに越したことはないと恵はすばやく障子戸の隙間から体を滑り込ませて、再び壁に背を付ける。


壁を背にして横歩きに慎重に移動し、残る三部屋も同じ手口で様子を見ようとそっと麩に手をかけたとき、向こう側からそれは開かれて、恵は一瞬体勢を崩す。同時に黒い影が恵の顔の横に腕らしき物を伸ばす。咄嗟に恵は右側へとステップを踏む。


 声も音もなくその黒く動く影は恵を狙っていた。


 やはり察知されていた。


 襲い掛かる影ははっきりと目に映るものではない、頼りは月の明りだけ。せめてこれが縁側であったならもう少しましな取り回しもできるのにと悔いたが、影は恵に間合いを取らせる暇を与えず、棒状の鈍器を振り下ろしてきた。


 あたるわけにはいかないと身を翻し、隣接する部屋の麩を破り、体ごと飛び込んで逃げる。まずは間合いだ。それさえ確保できれば――。


 恵は受身をとり、すぐさま立ち上がって呼吸を合わせて左半身に構える。田の字の居間のもう一つの部屋に移った彼女を悠々とした足取りで追う影。


 おぼろげな印象ではあるが、相手の背は誠一ほどではなくとも、恵の筋力を上回るものを持つであろう男だ。黒ずくめの体に張り付いたような衣装に目出し帽、今時の強盗のスタイルだと言われればそれまでだが、格闘技の心得があることは構えを見ればわかる。柄モノは木刀、おそらくは普段恵が誠一との稽古で使っていたものと同一かそれに類する長さだろう。


 賊は一人か、それとも他にいるのか。恵の思考はすでにそのことを考えていた。


 仮に間合いに飛び込み、投げることができたとしてその後はどうする? 加勢を呼ぶこともままならない状況でこの目の前の体格の男の反撃を食らうことは目に見えている。これは合気道の稽古ではない。制圧しなければならない。


 男は間合いを詰めさせないように素早い突きを放ちながら、恵に襲い掛かってくる。突かれた木刀を払うことも考えたが、おそらく敵の狙いはそこだろう。木刀を払い上体の軸がそれた瞬間に下方から蹴りが襲ってくるはずだと確信した。

挑発に乗ってはいけない。


 恵は基本通り自分の間合いを確実に確保することに専念する。


 胸元が上気し、汗がにじみ出るのがわかる。このまま逃げ回ったところで勝負はつかない。


 敵の突きが見せかけの牽制なら、その裏を取れる。


 視界は悪く突きは素早いが見切れないわけではない。双方とも相手が見えないという条件は同じだ。恵は意を決して、突きの瞬間に半身を前に出す。


 通常攻撃をかわせば上体は攻撃態勢へ移行するために反動作を行う。敵もその隙を狙っていたはずだ。


 だが恵は、放なたれた木刀の切っ先を手甲で払うと同時に上体を前に、体全体を黒ずくめの右外側に素早く避け、そのまま敵に寄り添うようにして腰を落とし、死角へ滑り込むと同時に瞬間的に木刀を持つ相手の右手首を外側に取り返す。


 一瞬だけ掌と手首に全神経を集中し、体に染みついた技を発動させ相手の体軸を崩す。


 合気道の技の発動はそのポイントとタイミングにある。体力で投げるのではなく、体を捌き相手の突きの勢い、つまり相手の力をもってして投げる。


 相手からすれば暖簾に腕押し状態で、踏み込みの予測を翻されてつんのめり倒れるといった形であり、正確には“投げ”にはあたらないが、相手次第では精神的なショックとダメージを与えることも出来る。街で遭遇する暴漢相手なら十分な効果だろう。


 だがこの場においてはこれだけでは済むまい、ましてや床面は倒れ込んだとてダメージの少ない畳敷きである。恵は敵が倒れこみ受け身を取るまでの間に上体を翻し、素早く倒れ込んだ黒ずくめに飛び乗り、腕を取り背に回して逆関節を極める。


 興奮しているとはいえ、呼吸の乱れはない。日々の走り込みで体力を養った成果だ。


 黒ずくめは身動きが取れず無言で悶絶している。


 だが体力的に勝る相手にこの状態を長く続けていては反撃される。こちらに完全制圧の意思がなければ五十キロ未満の恵の体躯などすぐに振りほどかれるだろう。


 警察官による被疑者の身柄確保など、抵抗する相手を自身が有利な状態にまで制することが第一義ならばこれでいいが、一対一で殺し合う場合になればそうはいかない。相手が戦意を喪失するまで痛めつけるか、物理的に行動不能に陥れなければ終わりは無い。


 ここからは合気道ではない。筋力の少ない恵であっても体幹と体重を駆使すればこのまま大の男の腕一本を折ることぐらいはできる。


 やむを得ない、と心に念じた恵は、とった右腕をさらに引き上げ全身を使って潰しにかかった。こんな技は道場で教わったわけでもなければ推奨された覚えもない。外道だ。


「ちょ、ちょっとぉ! タンマタンマ! イタタタ! マジでまってぇ!」突然黒づくめが叫びだした。


 何事かと驚き、恵は呼吸が乱れ、力を抜いてしまった。


 黒づくめは拘束者の力が抜けたすきに咄嗟に身を翻し、部屋の隅に逃れたが、敵の声を聞いた恵はもはや追撃する気力が失せてしまっていた。それと同時に大広間の電灯が灯る。


 暗闇に慣れきった目にはただの電灯がフラッシュライトのように眩しく、今攻撃をされれば一瞬で制圧されるだろうと自身の不甲斐なさに堅く目をつぶった。

 だが、いつまでもその衝撃は訪れなかった。


「これ、なに?」目を開き、ようやく出た言葉と同時に襲いかかる脱力感に、恵は畳に跪いた。


 隣の部屋の襖と縁側の障子が同時に開き、そこからそれぞれ、傍らにひれ伏す強盗と同じ黒づくめの男二人と女が現れた。


 目出し帽と思っていたものはバラクラバという特殊部隊の隊員が付けるフェイスマスクだ。


 居間に侵入してきた男のうちの一人がそのマスクを自身で剥ぎ取ると、そこから見慣れた甘いマスクが現れた。恵はそれを確認して深いため息をつき、全身を畳にあずけてうつ伏せになって脱力した。


「悪かったな、恵。おい、これで分かっただろ」


「兄貴ぃ、コイツ本気で俺の腕を折るつもりやったで? あーいてぇ」バラクラバを剥いだ男は恵に痛めつけられた右腕をさすりながら言った。


 見慣れた顔に聞き慣れた声、その男は吉川だった。


「真剣勝負なら当然だろうが。それともテメェ、手ぇ抜いたとでも言いやがるか?」


 誠一の説明を待つまでもなく、敵襲ではなかったということはわかる。だがなぜ彼らが揃いの全身タイツのような黒づくめを身にまとい、自分を襲ってきたのかはわからない。というか緊張からの開放で頭がうまく働かない恵だった。




「でぇ、つまりウチを試したってことですかぁ?」


「ま、そういうことだ。吉川がな――」と、誠一が襲撃役の男の方を見やる。


「兄貴がメンバーに女子高生……恵ちゃん入れるとか言うからや。まったく、どこぞの萌えアニメの話かと思ったわ……そ、恵ちゃんの言うとおり、腕試しや。悪いけど本気でどれだけの技量があるのか確認させてもらったってことや」吉川は恵の方も見ずに、ぶっきらぼうに言い捨てる。


 改めて見る吉川は、筋肉質の体格を黒いスーツに浮だたせており、普段見ている印象ほど細くはなかった。


「アハハっ、それであんたが負けてりゃ世話ないわね」と、大広間の柱を背にして笑うのは、桐谷樹菜子。初めて見る顔ではない。確保したディベロッパーを監禁している部屋で何度かすれ違った程度だが。


 年齢は二十代の中頃か、それよりも上といった感じで、出るところはしっかり出ているナイスバディを、肌に張り付いた黒づくめの全身スーツがひときわ誇張していた。髪は肩口まで広がったセミロングのアフロで、その髪にたがわず目が大きく唇が厚く、肌もやや褐色で、アフリカ系民族とのハーフなのだろうと推測がつく。

「俺んとこ来てたら可愛がってやったのによぉ」骨ばった軽薄な笑いが、マンガで見る悪魔のような顔をしたスキンヘッドの柴島祐也、彼は初めて見る顔だった。目尻も口角も鼻もその全てが尖った印象で、背は四人の中で一番高い。


 どうやら屋敷全体で各々の持ち場を決めて、恵に襲い掛かる算段だったようだ。それがたまたま吉川の持ち場に恵が侵入したということだ。


「クニさんのところに行かなくて幸いだったよ、何されるかわかったもんじゃない」と、樹菜子が嫌悪感を顕にして言うということは、見た目にたがわないような男なのだろうと、恵は相手が吉川だったことに今更胸をなで下ろす。


 一通り彼らを観察し終えた恵は制服のままあぐらをかき、鼻を鳴らしてふてくされた表情を作った。


「ヨッシーとこの人たちがセイさんの言ってたゴッズってこと?」


「そうだ。お前を入れたら西国本所のメンバーは五人だ、今後顔を合わせることも増えるからな、仲良くしろ」誠一の言葉に呼応するように三人は恵のことを見つめた。


「それから、こいつを渡しておく。ゴッズのメンバーの証だ、受け取れ」誠一はそう言って棒状の包みを恵に向かって投げてよこした。


「なにこれ、卒業証書かいな?」


「アホ! いくら兄貴のもとで訓練したからって、三ヶ月で卒業なんざおこがましい。それは、に・ゅ・う・が・く・い・わ・い、やっ!」吉川が同じくあぐらをかいて顎を突き出して恵に突っかかった。


「なんや、あんた。はらたつなぁ。負けたくせに!」


「ぐぅうるさいわぃ、油断しただけや!」


 いがみ合う二人を傍観していた柴島が横からぼそりと「なんだヨッシー、お前油断したのか? だめだなぁ、なぁあ? 真剣さが足りねぇってのは、な?」不気味な笑いを吉川に向ける。


「いっ、いや! おれぁいつでも真剣っすよ、ええ」目を見開いて身体を起こし柴島に向き直る。


「はあん、真剣にやって女子高生に負けたのか?」


「いっいや、って、ちょっとぉ! マジで、ね、マジですから、お願い……しま、クニさぁあん」見る見るうちに顔が青ざめてゆく吉川。どうやら彼にとって柴島はそれほどに恐ろしい存在らしい。


 二人共涼しい目で、祐也に襟首を掴まれ隣の部屋へ畳の上を引きずられてゆかれる吉川を見送った。


「ま、こういう奴らだ。いささか苦労するかもしれんが、踏み込んだ道だ。覚悟はしろ」


 真剣な目を向ける誠一に、恵は立ち上がり対面し、包みからDOSをゆっくりと引き抜く。見た目は誠一が持っていたもの同じだが、恵の手に合わせているのか一回り細く感じた。


「それにはお前の生体紋を登録してある。お前以外には起動できんがくれぐれも扱いには注意しろ。なんでも切れちまうからな」


 半目でその様子を傍観していた樹菜子は前に踏み出して右手を差し出し、恵を引き起こした。


「気が利かないねぇ、誠一は。ま、お嬢ちゃん、どこまでやれるかお手なみ拝見ってとこだけど、あんたはこいつらみたいな変態にならないようにするんだよ。山吹の家族とこの社会を守る使命、あんたの肩も貸してもらうからね」


 右の口角をやや引き上げて樹菜子はその大きな目で恵を見つめた。


 恵はそれに応えるべく「あたりまえや」と、不敵に笑った。そして「ドーナツ食べようや、みんなで。よおけ買ってきたから!」と付け足した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ