戦闘家政婦―GODS 1-5
ハイ、今回はかなり説明が多いです。よく理解ながら読んでください。
テストに出ますのでー、ここ大事―。
次元物理科学の大前提には並行次元帯という概念がある。
宇宙は並行する複数の次元を擁しており、それらは次元周波数帯の違いにより各々が隔てられた別の空間とされている。
有り体に言えば古来よりSF作品においてポピュラーな題材である“パラレルワールド”とも言えるが、並行次元という概念上ではそれを別の世界があるという認識の仕方はせず、周波数帯が地球次元とは違う次元帯とするのみであり、実質実体はないとしている。また、次元転送技術においては並行次元帯とは単なる通路のようなものであるとするにとどめている。
この並行次元と現次元である地球次元のアクセスを自由にコントロール出来る技術が次元転送技術であり、それらの研究や考察がなされる学問を次元物理科学という。
並行次元帯には複数種類があり、現時点で転送に最も適した次元帯は二種類、便宜上それをアルファとデルタと呼んでいる。
この二つの次元帯はミラー博士が発見した中でもとりわけ高い安定性を持っており、強い極性を持たないが故に転送が確実に行われることで、民間転送機器のアクセス先としてはうってつけであるため、現在も広く使用されている。
一般的に転送に使われる並行次元である“転送次元帯”を指すとすればアルファを指すが、デルタは限られた機関や組織だけに解放されている転送次元で、主に政府機関、イズノ、デフィをはじめとしてGODSやD&Dがこの次元帯を使用する。
次元転送に至るまでに使われる技術は二つあり、一つはDOSにも使用されている『素粒子分解』と、地球次元帯と転送次元帯の周波数を同調させる 『次元同調』である。
物質を素粒子にまで分解する技術は次元転送技術より以前に完成していたが、これの利用方法がなかった。そのため技術としてはまず素粒子分解ありきなのだが、いかんせん目に見える形で結果が示される次元転送技術の方が人々の耳目を集めたことは想像に難くはないだろう。
サイアス・ミラー博士はこの素粒子が各次元帯の影響を受けないことに着目し、物質を素粒子に分解し並行次元帯を経由させることで空間転送ができるのではと考えたのがきっかけだ。
物質を素粒子レベルにまで分解し、それらを一定範囲内に収め転送次元帯の周波数に同調させることで、一時的に分解された素粒子は地球次元から消滅し、並行次元へと移動する。これを再び別の座標で逆の手順を踏んで、地球次元に同調させ素粒子を再構成すれば、物質が瞬間移動するといった現象が起きる。
これが最も簡単な転送の仕組みである。
蛇足ではあるが、ここまでが現在の中学で学習することを推奨されている内容だ。高校の物理になるとさらに突っ込んで、素粒子や次元帯の特性などに言及してゆくカリキュラムを作るらしい。
「ここからは今後学校でも習ってゆくかもしれないが、まあ流して聞いておけ。おいおい理解すればいい」誠一はあくびをかみ殺しながら、コンソールを操作し、フロントガラスへ投影画像を映し出した。
「うわ、これハーフスクリーン? 初めて見た」
「やれやれ、車屋の娘とは思えんな。オヤジの骨董品とは違うんだぜ、これが現代の車だ」
自動車がオートモードで渋滞の道を自動的に運行するのもさることながら、運転する必要のない車のウィンドウ部分を半透過式モニターとして使用するなど、あまりに未来に進み過ぎた感の状況に恵は呆気にとられていた。加納モータースではこのような車を見る機会はなかったからだ。
そこには物質素粒子の概念図が描かれており、解りやすい図解説明のビデオ教材のような内容が流れ始めた。恵もこれに似たものは何度か目にしたことがある。
いわゆる人類が地球上で手にすることができる物質を便宜上『地球次元物質』と呼び、それらを次元物理科学では『三元素粒子体』と呼ぶ。
そもそも素粒子とは分子以下の原子、その中の原子核を構成する極小の粒子で、すべての物質を細分化し元をたどればいずれなり素粒子に行き着く。人類が観測できる最小の単位の物質である。
二十世紀、かつて存在した素粒子物理学ではこの素粒子をめぐって延々と議論がなされてきた。様々な素粒子が発見される中、その特性や法則性が解明され、統合されるまで多くの議論と時間が費やされていた。そして二〇二〇年にようやくたどり着いたのが“すべての物質は三種類の素粒子から成る”という『三元素粒子体の原則』である。
したがって三元素粒子体とは三種類の素粒子により構成されている地球上のすべての物質のことをいい、それぞれ物質の質量を決定する『質量子』、そしてそれらが持つエネルギー量を決定する『熱力子』、物質構成の情報と設計図を記憶している『情報子』により成り立っている。次元転送の際にはこれらが正確に分解と再構成がなされて初めて転送が可能になる。
三元素粒子体が分解された先で各素粒子は無作為に並行次元帯を通過するのではなく、並行次元帯が持つ『触媒』と呼ばれる各粒子に対応した別々の通路を通過することが求められる。
それを次元物理科学では通過できるものが限定されているトンネルになぞらえ、触媒のことを『ルート、Root』と呼び、そのルートが何本あるかで『R1、一元触媒』、『R2、二元触媒』、『R3、三元触媒』、などと呼称する。
現在認知されている三元触媒次元帯は今のところ『R3アルファ』と『R3デルタ』のみとされている。
次元転送の仕組みを最も平易な言葉で説明するならば、“一つのものを三つの要素に分け、三つのルートで目的地へ送り、そこで再び一つに組み立てる”というものだ。
したがって、三元素粒子体である地球次元物質の全てはアルファとデルタでのみ転送ができるということになる。
それ以外に発見された次元帯は単純にアクセスが不能であったり、不安定であったりと難点を持つ物が多く次元転送技術に利用するには不向きで、アクセス可能な『R1オメガ』、『R2ガンマ』は研究用として、変動性の次元波動を持つ『R3イプシロン』は転送技術の副産物としてできた『次元転換』に利用されるにとどまっている。
ちなみに並行次元を“異世界”と解釈し異世界に転移できるのではないかと言いだす者も少なからずはいる。無論、現在のところ次元転送は素粒子単位でしか出来ないことから、仮に並行次元帯に“別の世界”が存在したとしても物質構成理論が同じとは言い切れないため、地球次元に住まう人類がそこへ往くことは不可能だろうとされている。
この人体転送の話題に触れた時はこのような質問が若年層から湧き出るのが常で、異世界に夢や希望を見出すのは良いが、現実はかくも冷静なもので人体転送と並んで次のようなお決まりの問答となる。
「じゃあ、なんで人間は転送できへんのですか? 極論したら人間だって、その三元素粒子体なんでしょ?」恵は細かな理屈はわからずとも当然湧き起こる疑問を疑問として呈する。それに対してやや面倒くさそうに誠一が答える。
「人体および動物を転送をしない理由は生体を分解してしまうという倫理的な問題があるからだ。実質上生きているものを粉々にしちまうんだから、再度組み立てるとしても殺害行為にあたるからNGなんだとさ」
「そらそうやけど……なんか妙にそこだけ言い訳がましいというか、えらくおりこうさんやなぁ」
これまでの煩雑な説明とは裏腹に、人間の倫理観のみをもってして科学技術の不可能性を示唆するなど不自然だと感じるのも無理はない。
「――やっぱりそう思うだろうな……まっ、とりあえずここまでは理解してるようだな」
きょとんとしながらも首を縦に振る恵。それを確認して誠一は言葉を続けた。
「ここだけの話、俺は神も仏も信じねぇが、人間には “魂”とか“人格”ってもんがあるからじゃないかと思っている。人間だけが物質を構成する以外のもう一つの要素を持つからなんじゃないかってな」
少し調子を変えた声色の誠一に目を向け、いままで必死に理解に努めようとしていた恵はやっと自分の思考を取り戻した。
「物質を構成する三元素粒子以外の……うーん? でもブルーレイディスクは物質として成り立っていて、さらに中身の情報も転送されますよね?」
「ビデオディスクのデータは“物質に物理的に記録”されたものだ。あれらはディスクを物理構成する質量子に定着されている情報子だ。溝を削って音という情報を書きこむレコード盤を想像するといい。――もっとも、光学ディスクの仕組みの説明を求められても困るんだが」
ちなみにレコード盤はこの時代にも根強く残っており、今後も電気や電子機器などといった環境に依存する再生機器を必要としない恒久的音声保存媒体として重視される向きが有る。誠一が言う物理的に記録されているという表現はいささか語弊があるがCDにせよDVD、BDもレコード盤と原理としては同じである。
次元物理科学で説明される情報子は、物質構成の情報と設計図を記憶している素粒子だとしており、それそのものが直接生物の記憶や知能を指すものと同じではない。
しかし、記憶や思考は脳の機能に含まれているから質量子や熱力子に定着した情報の一部として、三元素粒子体としてまとめて転送されるというのが定説である。人体においてもそれは例外ではないとされている。
つまり人間の持つ記憶や思考や知能、感情はブルーレイディスクに記録された音声や映像データと変わらないと説いていることになり、人体転送は理論上可能であると言っているも同然なのだ。だが、そこは頑なに人の倫理に反するというスタンスを崩さないデフィのために、不問に付されている。
「今は次元物理における理論でデフィの右に出るものはいないからな。実質デフィの言うことは絶対であり完全である。それ以上の理屈を呈したところで取り合っては貰えん。多くの次元物理科学者はデフィの擁する国際次元物理科学アカデミーの会員で、デフィのイエスマンだ」
二〇三三年、デフィの宇宙開発分野への進出よりこちら、長年携わってきた専門分野から次元物理科学の世界へと鞍替えをする科学者は多くいた。科学者とてもはや将来性の薄い分野を延々と続けたとて、やがては次元物理科学へと塗り替えられてしまうならば、早々に手を引こうとしたのである。
これを個々人の先見の明というか、科学界全体の萎縮というかは微妙なところではあるが、誠一などの目からすれば日和見主義に映るのだろう。いずれにしても論理、権益の独占といった一極集中する世界はいずれ綻びを生じると、憤りを隠せない思いがありありと取れた。
「じゃあセイさんの理屈では人間の身体には意思が定着してないって事になるん?」
「俺もあまり詳しくは説明できないが、そういう事でもないらしい。そうだな……人間が死んだら肉体と魂に分かれちまう、ってのを想像するといいのかもしれないな」
「つまり、幽霊ってことですか?」
「今のところ仮説というか、妄想の域は出ないが考え方の一つだ。いずれにしても学者連中は認めたがらないからな。波動集束体――人は知性や智慧を伴う感情や想像力、あるいは理性に裏付けされた欲求という、肉体構成に関わらない別種の情報体を持つと言われている。それを魂というならそうかもしれんし、幽霊というならそうかもしれん。GODSはその波動収束体のことを『ゴースト』って呼んでる。さっきの化け蟹はゴーストから生み出されたものだ――っていうのがうちらの主張だ」
「ごーすと? 生み出す……?」
「もし仮にR3のアルファやデルタで人体を転送すれば、ただ単に物理身体だけが転送され、ゴーストは通過するべきルートを見つけられずに乖離し、その場に残留するか、消滅するだろうと言われている」
「ちょ、ちょっと待って、まとめるから――ええと、ええと……」
「もっとも、人体転送の不可能性を最初に示唆したのは、かのサイアス・ミラー博士ってんだから、どうしようもないよな。だから世に出ているDFS機器は生体反応を感知すると自動停止する仕組みになっている。試しようがないってわけさ――」
そもそも次元転送技術に興味を示すことを今まで意図的に避け、テンソーに触れたのもつい先日のような恵に、誠一が話した内容は高校の次元物理科学の履修課程などにはない。いわば研究者クラスの知識と理論概要である。
「う、うーん? なんか頭が熱くなってきた」
恵は先程から誠一の弁による聞き慣れない単語のオンパレードで、自身の脳内のシナプスがオーバーヒートしているイメージしか思い浮かべられなくなっていた。
いくら学校の勉強ができるとはいえ、それでいて頭が良いのとは訳が違う。この場合において必要なのは知識の外枠と情報処理能力であり、いくらそれらの理屈を注がれたところで当てはめる器を持たない恵には半分程も理解ができなかった。
「そもそも次元物理科学には死って概念がないんだ。遡れば魂をも物質として捉えようとした古代ギリシアのプラトンに始まり、デカルトの実体二元論、脳量子理論へと続くんだが――」誠一は考え込む恵をよそに語り続けた。
恵は考え込む中でこくりこくりと意識が遠ざかり、眠りに落ちようとしていた。家に着いたらすぐに食事の準備をしなければと思いながら。
誠一は反応のない恵の様子を見て取り、もはや起こしてまで説明するまでもないかと言葉を切った。フロントガラスのスクリーンを切り、サイドウィンドウを開放しながらため息をついた。
助手席に身を預け眠りに落ちる恵を一瞥すると、インテリアコントロール画面をタッチし、シートリクライニングを操作して彼女が楽な姿勢でいられるように背もたれを倒した。
室内換気を最大にしてコンソールから取り出した煙草をくわえ火をつける。
リニア化が進み、自動車の排熱量が減ったとはいえ、いまだ窓の外は夏の熱気よりもひどい。誠一は静かに暮れてゆく渋滞の中央本通りを恨めしく見つめながら、愚痴の一つも漏らしたくなるのを煙と一緒に車外へと吐きだしていた。




