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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第二章:GODS 第一話 「GODS」
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戦闘家政婦―GODS 1-3

「建物は壊したくない。出来るだけ痕跡も残したくはないからな。外でけりをつける」


 誠一は二人の黒服に向かって指さし、対象をおびき出すように指示を出した。恵は車外には出ずに、言われた通り車のフロントガラスから外の様子を見ていた。


 ゆるい風がアスファルトの上の紙くずを転がしている。奥手に倉庫があり、恵の乗った車との間には広い空地、もとは駐車場だった場所だが雑草がそこここからアスファルトを割って生えてきている。


 これも次元転送社会の到来の顛末である。需要を失った運送会社は大型トラックを駐車させ、搬入物を保持しておく大規模な敷地のターミナルを放棄し、タイムラグがほとんどない搬入搬出が行えるDFS営業所という営業形態に推移している。無論家庭用DFSへと直接転送ができない大型物や、テンソー機器をもたない家庭に届けるにはある程度トラック輸送は必要ではあるが、それとてごくごく最低限に限られる。


 便利さが過去を駆逐してゆくのはある程度仕方がない。その過渡期に生きたものは憤りもするが、ある程度定着してしまえば誰もそれを不満に思ったりはしない。社会変革とは時に強引さも必要なのである。水を張った洗面器をかき混ぜてみても、放置すればやがて波紋は消え元の静かな水面へと収まる。それと同じだ。


 ガシャガシャと倉庫のシャッターが揺れる音がする。


 風の所為だろうかと恵は見えもしない風を確認しようと辺りを見回した。しかし、その音は次第に大きくなり、倉庫の電動式のシャッターが上昇してゆく。半分も開いた頃、金属製のシャッターが内側から膨らんだかと思うと、めりめりと引き裂かれてゆくのが見える。


「なに……あれ?」思わず恵は口から漏らした。


 しかし次の瞬間、目の前に繰り広げられた光景にたちまち言葉を失った。


 半開きのシャッターを押し破って現れたのは巨大な爪だ。いや、爪といってもそれは、鮮やかな朱色の甲殻類の表皮を持った蟹の爪だった。


 何か間違っていると、恵は思う。


 料理をしたことがある者ならだれでも知っている。蟹は生きている時は赤くはない。茹でられた蟹が赤いのは蟹の甲殻に蓄えられているアスタキサンチンという物質がタンパク質と分離して発色する。つまり生きたまま赤い蟹はいないのである。


 だが目の前のシャッターを突き破り姿を現す巨大な蟹は全身が朱色だ。畢竟ひっきょう、その光景は巨大な茹で蟹が歩いて動いているという風にしか恵には見えなかった。


 甲羅までの高さは誠一のそれを優に上回る巨大さで、長い脚の部分を含めずとも胴体は象ほどの大きさだ。


 その巨大茹で蟹は明らかに生きている。カニドウラクの機械仕掛けのようなものでないことは口元から垂れる粘性の液体、つまりよだれというのだろうか、それだけで推察できる。そして大きく開いた不気味な口からは威嚇しているのだろうか、「しゃあああ」という音が漏れている。こちらもサイズに乗じてかなりの音量で、車内にいた恵を委縮させるには十分だった。


 だが、だだっ広い駐車場の真ん中に屹立した誠一は、右手にDOSを提げたまま微動だにしない。見た目は茹で蟹だが、何せサイズが尋常ではなく、二本の巨大な爪を逆立てている様は魔蟹と言っても差し支えないだろう。


 そのようなものを目の前にして動じない誠一という男は何なのだろうか、と恵は戦慄する。


 巨大蟹は六本の脚を引き落とし臨戦態勢をとる。単純ではあるが、飛びかかってきて前足で対象を狩る攻撃法だ。動きが読めるといえば読めるが、巨大蟹からすれば誠一のサイズは鼠も同然だろう、飛びかかられて逃げ切れるものだろうか。いや、蟹は前方向へ飛びかかったりできただろうか?

 

 そんな疑問がふと湧いたのもつかの間、突然直立していた誠一は大股開きで両手を広げて「――ゴウテン、アカオニぃ!」と、確かにそう叫んだ。


 車内にいた恵の耳にも半分嗤ったような軽薄な声になって届いた。そして誠一の全身を光が包み、彼はその光をまといながら巨大蟹に突っ込んで行った。


 人間業とは思えない跳躍力。山吹家で見た体捌きとはまるで別物だった。


 誠一の身体は巨大蟹の背をゆうに超えた高さまで跳ね上がり、虚をつかれた巨大蟹は攻撃の暇を失い、即座に上方への警戒態勢に切り替えようと眼を縮め鋏を上方に向け捻る。


「セイさん!」車内で叫んだとて恵の声が誠一に聞こえるはずもないが、次に蟹が伸身して上方の誠一を狙うことが判っただけに叫ばずにはいられなかった。

 だが、それは杞憂だった。


 誠一から伸びた光束、DOSの光は目測でも二メートル以上の長さに伸びており、一瞬のうちに巨大蟹がのばした鋏を滞空中に袈裟斬りにし、返す刀で頭頂に向かって振り下ろし、眉間から下顎までを真っ二つに切り裂いた。


 巨大蟹は切り裂かれた箇所から白濁した液体をほとばしらせながら、数秒の間ガクガクと体を震わせ体制を保ってはいたが、やがて事切れてアスファルトの地面に崩れ落ちた。


 勝負は一瞬でついた。


 常軌を逸した巨大な魔蟹といえど、その容姿は限りなく茹で蟹だ。何も知らず俯瞰してみれば今から食前に並ぶご馳走かもしれないが、“生きていた姿”を見ていた恵にとっては無残に切り裂かれた甲殻生物の亡骸にしか見えない。そしてそれを冷徹に実行した誠一と思われる人影は、崩れてゆく茹で蟹を顧みることなく背を向け、歩いて恵の元へと戻ってくる。


「セイさん?」


 人影の外形が鮮明に見える頃、握った手のひらの汗とともに、恵の目にはただただ違和感しかなかった。元の誠一のシルエットではない。派手に張りだした肩や腰部の裾、足元の甲冑に高下駄のような履物、どう見てもスマートなスーツ姿ではない。それに顔面は鉄仮面のようなもので覆われており表情は見えない。


 あえて、あえてその異形の者の姿かたちを形容するならば、歌舞伎の役柄にある、赤と紫の鮮やかな衣装に、白面に荒々しい紅の隈取が施された梅王丸うめおうまるのそれの印象に似ている。


「セ、セイさん?」恵はどんな顔をしてよいものかわからないままドアを開け放ち、飛び出していた。


「――チェックアウト」構わず目の前の歌舞伎役者がそう呟くと、光を発し瞬時に一回り大きなガタイを形どっていた“梅王丸”が消滅し、精悍ないつもの誠一が姿を顕す。


 恵の前を誠一が往復してくるまでどれほどの時間だっただろうか、五分、いや三分にも満たなかったのではないだろうか。


 かける言葉が思い当たらない。


 相変わらず甘いマスクの誠一が目の前に立っていた。彼は恵のことを一瞥すると、すぐに腕時計に向かって話始める。どうやらそれは小型の通信機なのだろう。


「ああ、デベロッパーはイマジナリーバックラッシュを食らったはずだ。救急、医療機関に通達、周辺地域で気絶や記憶障害を起こした奴をチェックさせろ。――そうだ、俺のいる位置から半径五百メートル圏内だ。以上、こちらは撤収する」


 通信を切った誠一は何事もなかったかのように車のドアを開き、そのまま運転席に座り込む。


「帰るぞ」


「ちょ、な、なに? せせっ、説明なさすぎっ! セイさん!」


「話すと長くなるんだよ、とりあえず乗れや。置いてくぞ」


「ちゅーか、あれ、死骸どうすんの? ほったらか――あれぇ?」


 巨大な蟹の骸を恵が振り返った時、それはぼんやりとした光に包まれて、霞のように消えかかっていた。


「消えるんだよ。ありゃ現像体だからな」


「げんぞうたい?」


「波動エネルギーが実体化したものだ。だからDOSで素粒子結合を破壊されれば分解し蒸散してしまう。あれが俺達ゴッズの戦っている相手、ヴィ・シードより生み出されたディックだ」


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