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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第九章:ガイア 第一話 「ガイア」
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戦闘家政婦―ガイア 1-4

 ケイと椎名は熊面のDICに襲われた公園から数十キロ離れた、人気のない葦が群生する湖畔へとキャンプベースを移していた。テントを張り終え、腰を据えて落ち着いたときには日が昇り始めていた。もっとも眠れるほど心穏やかではなかったのだが。


「ってことは……その機械があればなんにでもなれるちゅうこつかいな……」


「オレも詳しい仕組みはわかんねぇ。ただ、頭で思い描いた姿になれたり、思い描いたものを出現させたりできる。最近ニュースになってるディックって奴はぜんぶ人間が作り出したものなんだ……オレも、そのディックなんだ。元は……男だった」


 当然だが、椎名は口をあんぐりとあけて、ケイの説明を聞いていた。


 新たに移動した先で、再びテントを立ててみたはいいが、すでに太陽は昇り始めていた。


「こいつを使うときに出る、次元波動って奴を察知してDMMの連中はディックを狩りにくるんだ。このヴィ・シードを回収するためらしい」


「ケイ……あの、触っても構わんか……」


「うん? ああ」


 椎名にヴィ・シードを差し出そうとしたのだが、椎名はケイの手を取った。掌の裏表、そして腕、肩と。


「なっ、なんだよ! ちょ……」


「普通の人間や……これがその機械で作った体なんか?」


「ああ。見た目も触った感じも普通だよな。けど、笑っちまうほど丈夫でよ、さっきみたいなことがあっても傷一つつかねぇし、こんな気温でも大して寒くねぇ。それにさっきあいつを殴って気付いたことだけどさ、馬鹿みてぇに強い力が出せるらしい」


「らしい、って……ケイはそれを望んだと? 女になりたかったと? ――――そ、の、あんたも……」


 目を見開いた椎名を落胆させたくなかったが、ケイは目を逸らして正直に答えた。


「いや……そりゃ……色々あってよ。俺が女になりたかったわけじゃねぇんだ……出来ることなら戻りてぇんだ……」言ってからゴメンと小さく付け加えた。


 ところが椎名はちらとケイの顔を見ると、目を伏せて薄く笑った。


「そっか……ほな、これで戻れるんやろ。よかったやん!」


「いや……オレが現像した装置でないと戻れねえんだ。そいつがどこにあるかはわからんし、もうないかもしれん……」


「ほな、そのまんまか?」


「ああ、だから家を出た。過去の自分を捨てるつもりでさ、新しい人生をやっていくつもりでさ――」


 傍らのパーコレーターが湯気を上げていた。ケイは継ぐ言葉がなくなり、手を伸ばしてコーヒーを注ぎだす。


 朝日の光が向かい合う二人の頬に差し込み、カップから立ち上る芳香な香りの湯気をより際立たせていた。


 シュラフを羽織った椎名は、コーヒーを一口すすると、ふうと白い息を吐いて朝日に目を細めた。


「一年前に災害で家族を亡くしたんや……アタシにはな、妹がいたんや。妹だけはアタシのことを解ってくれててな、家の中では"兄ちゃん"って呼んでくれとった」


「……そう、なのか」


「突然家が崩れよってな。アタシは瓦礫から自分がはい出すのに必死やった。近所の人も同じように、みんな助かるのに必死でな、地獄やったわ。警察も消防も現場は広域で大混乱でいつまでたっても救援に来よらんかった。妹は足が悪ぅてな。家の下敷きになった妹をアタシの力ではどうしたって助けられんかった。真夜中のことやったし、何がどこにあるのかもわからん中で必死に妹の名前を呼び続けた。妹の遺体が発見されたのは二日も経ってからや。兄貴面してや、いっつもいっつもアタシが守ってやるゆうてたのに、肝心な時に何の力にもなれん。男やったらなぁ、思たっちゃ。ほんにこの身体が恨めしかったったい……」


 ほんの一年前に福岡で家が倒壊するほどの地震があっただろうか、と思いめぐらせると同時に、大規模災害の現場で、仮に椎名が男だったとしても、いくら腕っぷしが強くとも、素人ではどうにもならなかったかもしれない。


「ほんでアタシは余計に自分が嫌になった……で、自棄になりよってな」


 椎名が悪い訳ではない、と言おうとしたが言えなかった。ケイには返す言葉がなかった。ところがそんなケイを見越してか、彼女は急に笑い出した。


「ははっ、ばぁってん――結局はカミサマに与えられた運命や、そげん無茶なことゆうて落ち込んでたら罰が当たるったい! ケイもなぁ!」


「――っ、オレは……」


「あたしもこん身体で、世の中と折り合いつけないかんと。いつまでも逃げとってもなんもならんばい――そろそろ戻るかねぇ……ケイはこれからどーすっと?」


「オレは、ここで働き口でも探そうかと思ってる。地元帰ったってなんとなく居心地わりぃしさ」


「そっか――――あー腹減った。さ、飯でも食おうか。レトルトのカレーあったやろ、アタシは飯炊いとくばい、ケイは水汲んできてや」


 椎名を残し最果ての地と形容するにふさわしい、葦が生い茂る湖畔を歩き、ケイは少し離れた水場へと向かった。ほとんど自然のままの原風景が広がり、ところどころに名も知らない花が咲いていた。さっき昇ったばかりの太陽はすぐに薄曇りの中に隠れてしまったが、そのほのかな光線が靄のような空気に触れて、湖畔を幻想的な美しい景色を作り上げていた。


 最初は馴染めなかったこの女性の身体も、今では何の違和感もない。間違って男子便所に入ってしまうことも、女湯でどぎまぎすることもない。最初は自分の身体ながら興味はあった。心は男でそれが自分であると認識したとしても、自分と齢の変わらない若い女性の身体、それも自分が好いている女の身体だ。


 だが、この自分のイメージによって作られた身体レプリカはどういう仕組みなのかまるで分らないが、普段の生活上では元の自分と同じか、それに近い体力を発揮することができた。元の自分からすれば細い腕に細い脚と、さほどに筋肉があるようにも感じない身体なのに、何かが持てなくなったという気はしなかった。

 

 おまけに身体的には疲労や損傷のようなものは感じない。そのため元の身体よりも無茶が出来たのだが、イメージとしての疲れや痛みは感じる。これは妙な感覚だが、自分がケイになるまでに培ってきた知覚が染みついているからだろうと思っていた。


 高いところから落ちれば加速度や衝撃は感じるし、それに伴う痛みらしい感覚は脳へと直接送られる。それが実際の生身で感じるのとどのくらいの齟齬があるかなど、比べることも出来ないが、まったく感覚がないのとは違う。


 ケイはそういったことも含めて、この恵を模した現像義体サブジェクトの身体に慣れていた。だが、さっきDICとやりあった時のような、信じられない力があることは今の今まで判らなかった。どこぞのアニメのように脅威に対してだけ発動するのだろうかと漠然と考えてみるが、そんな力があったとて早々使うものではない。


 ずっと向こう側まで透けて見えるほどの、澄んだ湖面を覗き込むと、当たり前のように見慣れた顔が映る。


「……おかしいよな、こんなの……お前がこんなに強ぇはずねぇもんなぁ」


 ケイは水面に映る自分の顔がゆがむのを見つめ、ひとりごち笑う。


 すると水面が一瞬光った。


 雷だろうかと、空を見上げたが、いつまで経っても雷鳴は轟かなかった。空はあいにくの曇天だったが、雨が降りそうな気配はなく、薄く青い色も透けて見える。バイク乗りはその性質上天気には敏感になりがちだ。


 今日の夕方までには最北端にたどり着くつもりでいたので、ほっと胸をなでおろした。


 半身が使えないと判った日から、もう彼女には会えないと思った。何もかも終わりだと思った。


 あの時、体が治ったら遊びに来いよって、東京に誘った。ファンタジアランドにも浅草にも行ったことがない、東京タワーもスカイツリーも登ったことがないという彼女のことを笑ったら、怒っていた。じゃあ東京に来たら案内してやるよと言うと、偉そうにって、また頬を膨らませた。でも、心なしか嬉しそうに見えた。


 だから、ずっとその日を待っていた。


 歩けるようになる日を。右腕が動く日を。


 だが、訪れなかった。


 楽しみにしていた自分がバカみたいに思えた。もう一生動かないなんて。


 あの一撃で、あんな訳のわからない怪物にやられて……男気出して、一瞬で自分の人生を粉々にしてしまった自分をバカだと思った。


 こんな自分の事を知らないで、彼女はバイクを送ってきてくれた。


 親父の形見のローライダー。隅から隅まで磨いてきてくれたマシンを一度でも動かしたいと思ったが、アクセルを回すどころか、スターターのスイッチすら押せなかった。


 もう会えないと思った。


 こんな自分の姿は見せられないと思った。


 バイクに乗れない自分なんて、何の取り柄があるのか。いや――あんな怪物に一瞬で奪われてしまうような、それしきの物しか持っていなかった自分に絶望して呆れた。


 今こうしてバイクに乗れているのは、ジュンが持ってきたヴィ・シードのお蔭だ。自分のすべてを奪った者を作ったそれで、再生された今の自分。


 せめてこの自分を受け入れ、かつて焦がれたひとと共に生きていこうと北海道に渡った。


 センチメンタルだなとは思うが、身体は傷すらつかない。このまま自分は齢をとったりするのだろうか。それとも不老不死なのだろうか。だとしたらどうすればいい? 考えたとて詮無いことだとは思うが……。


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