戦闘家政婦―次元転送社会 3-4
少女にとって三か月という期間は実に長く、そしてその一日一日が濃密で新鮮である。
彼女は次々と誠一の持つ家政の技術や知識を吸収しながらも、学業においても成績をグンと伸ばし、一学期末テストの頃には全教科をほぼ満点という成績を残した。もちろん中学に引き続き校内トップクラスの成績である。
夏休みに入る終業式で恵は担任の磯川から呼び出され、職員室に出向いていた。
「悪いな、友達との約束とかなかったか?」磯川は物理の教師で大輔と同じくらいの年齢と思える。地方出身なのか、どこかしら話し言葉もイントネーションが違っており、変わった話し方をする教師だとは入学当初から思っていた。
「いえ、今日はこのまま家に帰るだけですから。それで、先生、用って何ですか?」
磯川は少し間をおいて、咳払いをする。傍らには吸殻がうず高く積もった灰皿が置いてある。
「いや、な。加納は山吹さんのところに身を寄せてるってことやけど……なんもないか?」磯川の言い淀み具合からして恵が言いにくいことを訊いているという自覚はあるようだ。しかし恵にはあのことぐらいしか思い当たる節はない。
「ええ、特には……山吹さんは父の親友みたいな人でしたし、親切にしてくださってます」
「あ、ああ、それならええんやけど。最近な、次元転送ってのにうつつを抜かして人間は大事なことを忘れていっているように俺は思えるんや、皆が皆、そっちの方向を向いてるってのはどうやろなぁ」
唐突にそんな話題を振られても恵はぼんやりと首をかしげることしかできない。かといって自分から会話を辞すのも失礼にあたるので大人しく続きを聴くより仕方がなかった。
「加納のとこも自動車整備をやってたんやってな」
「ええ。それはそうですけど……廃業したのは父が亡くなっての事ですから、それについては……」
「やっ、すまんすまん。嫌なこと思い出させてしもたな。ただな、ここのところ次元転送社会に反抗するっていう、過激な集団が日本でも活発になってきてるんは確かなんや。転送社会が壊した業界の逆恨みってとこや。一時はなりを潜めた感もあったけど、恨みつらみってのは世代まで超えよるから――」
「あのっ……先生、そういう話はホームルームでお話しされたほうがよかったんじゃないですか? 私個人にではなくて」
「い、いや。まあまあ世間話や。お前に何かあるって訳やないんや。ただ、夏休みの間そういうトラブルに巻き込まれへん様にきいつけやって話や。最近ユーマとかいって、あちこちで変な生き物が現れてるとかゆわれとるし」
磯川の弁は最初から最後までたどたどしく不自然だった。まるで山吹家に遠慮しているような、それでいて恵個人を慮っているかのような。
「では先生、これで失礼……します」
「うん、ああ。引き留めて悪かったな。期末テストよお頑張ったな! 二学期もその調子で頑張れよ!」
恵は席を立ち磯川にお辞儀をした。
いい教師だと思う。教師と生徒の壁を越えて自分のことを陰ながら心配してくれているという気持ちが直に伝わる、タバコ臭くて人間臭い大人の男だなと思った。
「大体、用事ってなんやったん?」校舎の出入り口で、夏服のシャツの胸元をパタパタとさせて暑さにうだっていた忍が、恵を見つけてだるそうに言った。
「夏休みの間に転居届を用意して、学校に提出しろって話」
「ああ、恵ずっともう、あそこに住んでるもんな。なんなら養子にしてもらって財産がっぽりもええんちゃうの?」人情の機微を軽く笑い飛ばすのは大阪の心地よい文化だ。
「ウチはそういうつもりはあらへん、ウチが養子に行ったら加納の名前が消えてしまうやん」夏に向けて襟足まで切った頭に両手を載せて口をとがらせる。
「ええーもったいない。そんなん結婚したらどうせ消えてまうやん」大体養子になるなんて話を恵はこの忍に話したことなどない。
実際は大輔から養子に来ないかと言われたこともあるが、その時も同じような言葉で返した。あえて今は保留にしているという状態ではある。
大輔が他人を家族に迎え入れることに抵抗感を持たないのは、明奈美千留の連れ子と凛の関係性があるからだろう。だが、はたして自分はまるで血のつながりのない彼らを、本当の意味での家族として認識できるかどうかは怪しい。
養子になれば相続権も生まれる。あれだけの屋敷に住まう企業の社長である、おそらく財産は目もくらむような額に違いない。忍のいう事も一理はあるが、軽々しく口にすることではないし、軽々しく決断することも出来ない。
第一、恵は大輔の企業や仕事内容を何も知らない上に、外部から来た人間がもしも会社と財産を継ぐなどというような事になれば、それはそれで悶着の種になる。
そして何より山吹大輔の申し出としても、加納家への裏切りになってしまうのではないかという気持ちが常に渦巻く。
この心の底に沈む澱はこの先いつか晴れて消滅するのだろうかと恵は道の先の陽炎を見つめていた。
「なあなあところでさぁ、夏に旅行いかへん? 三泊三日くらい」
「三泊みっか? それを言うなら二泊泊三日やろ、ホンマあほやな忍は。せやけど家の仕事もあるしなぁ」
「三日くらいええやろ、小間使いのシンデレラをあたしが連れ出したるわ」
「別に嫌々やらされてるわけやないねんで……ははっ、ほな忍は魔女かいな?」
「え……? ええー! いややわそんなん!」
言ってから気づいたらしい。そういうところが忍らしいと恵は思う。
下校のバスを待つ間、梅雨明けを告げる蝉の声がジャンジャンと耳に鳴り響く。太陽が地面を焼き、ふたりの短い影を浮かび上がらせる。
「タカシくんは?」
「あー、タカシは部活」
タカシとは忍が中学から付き合っている一つ上の先輩のことだ。もう付き合って一年近くになる。
「サッカー部やったっけ」
「うん、ああ、そうそう。サッカー馬鹿やねん、あいつ」
「喧嘩したん?」
「してへん!」
頬を膨らませるなら別にウソをつかなくたっていいのに。でもそのおかげで旅行に誘ってもらえることには感謝する。そして彼女らの先行きなら何も心配することはないだろうと、恵は微笑ましい心の温かみを感じていた。
早速帰って庭掃除をする誠一に旅行のことを告げると、彼は実に快く許可してくれた。
「家政婦の仕事っていっても、別に僕らが強制してるわけじゃないし、たまには息抜きしてきたらいいよ。本来は僕の仕事だしね」家政夫の時の誠一は、相変わらず甘いマスクに甘い声色の演技をしている。よく保つなと恵は思う。
「ありがとう! セイさん!」
恵はこの頃になると誠一の事を“セイさん”と呼ぶようになっていた。直上の上司への愛称というより、仲のいい近所のお兄さんといった感覚のほうが強かった。
そこへ恵の背後を通り過ぎる人影があった。
「ヨッシー、ほなぁまた明日来るわ! お、メグやん、学校帰りか?」
近所の悪童金田宗次だった。このところよく山吹家に出入りしているとは思っていたが、どうやら吉川に用があるらしい。
「こら、恵さん、やろ!」
「なんやねん、背も俺より小さいし、歳だって二つしか変わらんねんから偉そうにすなや。じゃあなメグちゃん!」宗次はガシャガシャと騒がしく自転車を漕いで山吹家を後にしていった。
「くああ、なんや、腹立つわーあいつ、中二のくせに! 背も一センチ高いだけやん!」
「同族嫌悪か?」誠一が背後でぼそりとつぶやく。
「え? ウチあいつと似てますか!」
「お前が男だったらあんな感じなんじゃないか?」そう言って誠一は箒を恵に手渡し「飯の支度するぞ」と言って玄関に向かった。
恵の二つ下にあたる十四歳の宗次という男子は凛と幼馴染で、普段から何かと面倒見がよく、下級生連中のリーダーのような存在として親しまれている。恵も地元でよく顔を合わせることがあるが、いつもなら源太という子を筆頭に何人かの子分を連れている印象だ。
恵は心の中で“チンピラボーイ”というあだ名をつけていた。それというのも宗次は本物のチンピラ吉川によくなついており、むしろ尊敬しているといった感すらある。服装や言動も吉川のそれを真似ているようなところがある。
その流れで吉川が付き添って、地元では宗次を筆頭とするやんちゃな中学生の連中と一緒にキャンプに行くという。凛もそれについてゆくらしい。
吉川はひょうきんでおっちょこちょいな面もあったが、子供が好きで、アウトドアに関しては飛びぬけた知識と技術をもっており、地元の子供から少年少女にまで人気者だった。
当然恵も凛から誘われたのだが、たまには子守りから解放されたいなどと、専業主婦のような思考が断りを入れさせた。もっとも忍との旅行の約束と日程がバッティングしたという表向きの真っ当な理由があったからではあるのだが。
吉川や宗次たちの関係性は地域のつながりが希薄になりつつある昨今では珍しくあったが、このような流れは全国的に沸き起こりつつある。
それはDFSの普及により人々に時間的な余裕、すなわち心の余裕が出たせいで、コミュニティの復活を望む声、出生率の増加、家族のきずなや、社会への貢献といった人間の求めるべき社会的幸福を享受することに目を向け始めるという方向に、徐々にではあるが向かっている。
次元転送社会の到来は破壊した様々な因子と引き換えに、多くの人々に幸せももたらしつつあると言ってよかった。
無論そうした幸せに興じることが出来たのが大多数であったとしても、恵の担任の磯川が言っていたように、カリブ共同戦線のような反次元転送社会組織を形成する者達は、変わりゆく世界に取り残された少数派の被害者であり、世界の紛争が消極化しつつある時代において社会革命、宗教対立、国家間紛争といった火種とは趣を異にする。
この時代、新たな流れと共に、細々と第四極のテロリズムが反次元転送社会組織として{跋扈|ばっこ}していた。




