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D線上のクオリア ー家政婦は戦うー  作者: 相楽山椒
第一章:次元転送社会 第三話 「石切の町、山吹の家」
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戦闘家政婦―次元転送社会 3-3

 地元の府立高校の入学試験の当日はひどい雪が降った。


「あーもう、まったく自信ない―」


 試験終了のチャイムが鳴り忍は机に突っ伏した。


「ま、ここまで来たらじたばたしたって始まらんやろ、腹くくり」


「恵はええわ、成績だってほとんどトップみたいなもんやん。その成績でわざわざ府立なんか狙わんでも――」


 確かに恵の成績は中学三年生の中でもトップクラスだった。高名な私学の進学校を狙うことも十二分に可能だと担任の教師からも言われていた。


 だが、金銭的な問題が横たわっているのと、通学時間に問題があった。山吹家という大金持ちの家に居るとはいえ、恵がその経済的援助を受ける道理はない。車での送り迎えにしてもいつまでも甘えているわけにはいかない。大輔はそのあたりの口出しを一切しなかったし、恵も彼らの言に添う生き方を選択する意思もなかった。


 あくまで自分は加納恵であり、山吹家の人間ではないからと腹に据えていた。

 居候は嫌だと、自分の意思で始めた家政婦だったが正直厳しいと感じる時もある。忍たち友達とカフェに入り浸って、とりとめない話にいつまでも興じていたい時もあった。自由がまるでないわけではないが、やはりこの年代の女の子からすれば、定職があるという制限に心の底から若さに浸ることはできていなかった。


「なあなあ、このあと気分転換にドーナツでも食べに行こうや。今はお手伝いさん休業中なんやろ? 試験も終わったことやし、あとは野となれ浜となれ、や!」


「うん、ああ、まあそやけど……あの、忍ぅ……山やで?」


「大丈夫! 張ったヤマは外さんかった! 恵ならあたしと違って余裕で合格や! ほら、いくでぇ!」威勢よくそう言い切ると忍は恵の手首を掴んで引っ張った。


「あれ、なにこれ? ブレスレット?」


 忍は恵の左腕にはめられた紫色の金属の輪を覗き込んだ。凛を通して美千留からもらった時計だ。


「へぇ、かわいいやん。恵ってこういうのせえへんタイプかと思ってた」

 忍の言う“こういうの”ってどういうものなのかは恵には判らなかったが、変だという事ではないらしい。


「変わった時計やなぁ、高そうやけど。誰かからもおたん?」


「うん、うちの……えと、美千留さん」


「みちるさん? って」


「ああ、山吹さんのところの奥さん……やね」


 恵はそう言い直してみたが、その時の違和感から自分がもはや居候ではなく、山吹家の人間であることを受け入れ出しているのだと気付いた。


「あ、そうや! なあなあ、今からあそびにいっていい? 家めっちゃ大きいんやろ?」


「えっ! うち、に?」


「他にどこがあるねんな」


 恵は心せず狼狽した。忍には明奈美千留の事はおろか、山吹家が元々“ヤの付く自由業”の人たちの集まりだとか、イケメンの執事……ではなくて家政夫がいるとか、そういう事は一切話していない。


 ややこしすぎる。と、恵は感じて即刻話題を逸らす。


「あー、お腹空いたー。はよドーナツ食べにいこ!」


「なあっ、ドーナツはお持ち帰りにして、恵んちにいこうやぁ。庭の池に鯉とか泳いでるんやろ? 縁側から餌とかやりたいわぁー」


「またこんどー」


 忍を振り切り恵が学校から帰ると、屋敷は何やら緊迫した空気が漂っていた。

 見慣れない黒い高級車、そこには不自然に運転手が座ったまま屋敷内の駐車場で待機しており、車内を覗き込んだ恵を驚かせた。


「ああ、びっくりしたぁ、ただいまー」と引き戸を開けると、玄関の広い板の間で吉川が直立不動で立っている。


「あれヨッシー、どうしたん? なんか悪さでもしたん」


「あほ、立たされ坊主ちゃうわ。お客さんや」


 言いながら吉川は顔を歪めて視線を斜め上に流した。それを見て恵は上がり框に置きかけた足をそっと離す。


「ああ、ええって。部屋行っとき、ハムや。しばらくしたら帰りよるわ」


「ハム?」


 恵がきょとんとしたのを見て取り、口を半開きにした吉川がばつが悪そうに再び視線を逸らした。


 その時、傍らの障子戸が開き、どかどかと男たちが出てくる。ガタイのいい二名と、小柄で眼鏡を掛けた細面の中年男が一人、いずれもスーツは着ているがビジネスマンといった風には見えない。どちらかといえば“こちら側”かと。


続いて彼らの背後からは誠一と山吹大輔が現れた。吉川がそうしたように、恵は玄関わきの端に身を避けて、顎を引いた。


「山吹、わしらもいつまでもって訳にはいかんからな、評議会かて大人しくはしとらん。あれらはうちの管轄やないから動きだしたら厄介なんや」眼鏡の小柄な男がその風体をよそに、大輔と同等かそれ以上の弁舌でまくしたてる。


「まあ、池端さんのゆわはる事はわかってま。うちらかてさっさとけりつけて足洗わせてもらいたいんは山々なんや。そしたらいつでも……おう、恵か。今帰ったんか?」


 大輔に続いて一斉に突き刺さったスーツの三人組の視線は、即座に堅気ではないことを確信させられる。


 こくりと頷く恵に「嬢ちゃん、またなぁ」と池端と呼ばれた小柄な男は口角を上げたが、顔は笑ってはいなかった。その背後で誠一の突き刺すような視線が気になった。


「落ち着いたら、また行きましょうや、巨大蟹が釣れるかもしれまへんでぇ」笑いながら池端は釣竿を振るジェスチャーをしてみせる。戸口を潜りながら和服の大輔は誠一に、後ろ手で掌を向け見送りは不要であることを伝え、池端に対して懇ろに応える。


「冗談じゃない。公安風情が……」


玄関口に佇んだ誠一がぼそりと呟くのを恵は確かに耳にした。そして池端が最後に言った言葉が引っかかった。巨大蟹、数日前にクラスの男子が言っていた話を思い出していた。




 受験が終わり、恵と忍は無事地元の公立高校に合格した。学校の生徒の大半は中学から同じ校区にいた者達で、ほとんどが顔見知りだったためさほどの新鮮味はなかったが、受験という人生で初めての大きなプレッシャーを越えた同胞意識のようなものが、緩慢な学校生活を作り上げつつあった。


 しかしその中で恵は上手く人格たるものを形成する必要があった。複雑な家庭環境であることは間違いないが、家なき子のような意味で同情されるのも、山吹家の内実を晒すのも避けたかった。それ故に山吹家のことを知るのは忍をはじめとする身近で親しい人々に留めておき、クラスメートには恵は遠い親せきの家に住まわしてもらっているということにしていた。


 中学までは吉川の送迎があったが、それも高校に上がってからは断り、バス通学に切り替えた。学校は学校で一人の高校生として、家では家政婦として、中断していた早朝のジョギングも合気道も再開して、ちゃんとした恵本来の元の生活を取り戻そうと心に決めた。


 山吹家の人間は口をそろえて「家族なんだから」と言ってはくれるが、そこに甘えれば自分の立場、自分の人間性、あるいはルーツが失われてしまうのではないかと、なんとなく感じて額面通りに受け入れることが出来ないでいた。


 美千留は芸能の仕事がない期間はよく家にいた。家事は基本的にしない。それは誠一という存在ありきではあるが、家事ができない訳ではなく、所帯じみるのを嫌うためだと尊からよく聞かされていた。その代わりと言っては何だが、新しいものや珍しいものには目がなく、お役立ちグッズや、最新アイテムなどはいち早くゲットしなくては気が済まない。


 恵もそれによく付き合わされて、入ったことがないようなセレクトショップを梯子することもしばしば。嫌な訳ではない、正直なところこう言ってしまってはなんだが、母親と言えるほど歳の差があるのにどこか可愛いと思える、奔放な姉のように感じていた。


 何より業界人のみぞ知る穴場やグルメスポットに恵を誘って連れていってくれることは、女子としての恵の好奇心を十二分に満足させるもので、その経験は文字通り恵の血肉となっていった。


「あの、奥様……」恵と美千留は市内のカフェレストランでモーニングをしていた。ここも美千留の情報網によるグルメスポットだった。


 モーニングのために開店一時間以上前から並ばなくてはならないという妙な状況ではあったが、こんな経験も美千留と居ればこそだ。


「恵ちゃん、それはやめようよ。あたしねぇホントそういう堅っ苦しいの苦手なんだ」


「あ、えと、すみません……では」


「美千留ちゃんでもミッチーでも、なんならお姉ちゃんでもいいわよ。でもお母さんはダメ」


 美千留がお母さんと呼ばれることを嫌がるのは、恵に限っての事ではない。山吹家でも美千留は“美千留さん、美千留ちゃん”と呼ばれている。実子である三人の子供からもだ。この状況に恵はなかなか慣れることが出来なかった。


「あたしはね、妻であり母ではあるけど、それ以前から明奈美千留なわけ――」聴きかけて恵は“稚拙だな”と感じ始め眉をひそめかけた。だが美千留は続けた。


「だけど、どうあがいても母になれば母からは逃れられない訳よ、あたしがどんな女優であったとしてもね。逃れられないからこそ足掻いてみる。女性はね、状況で移り変わる存在だと長らくされてきた。そうであることを求められてきたから」焼きたての厚切りトーストにバターをたっぷりと塗る。


「なんとなく、わかります」本当になんとなくしかわからなかった。


「でも、それは男でも変わらないのよ。男も状況に翻弄されるし変化もする。いわば合体して巨大ロボになるために形を変えるヒーローのマシンね!」


 もう、美千留の言っていることがわからなくなった。恵が目を瞬かせてぼんやりしているのを確認すると、美千留はもう一度言い直した。


「二人なり、五人なりでひとつの組織を作ろうと思えば、それぞれどこかで変化しなければいけないってこと。合理化と言えばそれまでだけど、伸び代を切ってしまっているとも言える。そう考えるともったいないじゃない。せっかく家族になったんだから。家族という枠で囲い込む牢屋よりも、家族という重りのついた足枷のほうがいいと思ったの」


 不穏な喩えをする人だな、と思った。これが天才女優と呼ばれる所以だろうか。同時に恵は山吹家の人々が名前で呼び合い、それぞれが独立している家族形態の意味を理解した。


「それにうちは大輔さんと尊と衛、それに凛がいて、誠一くん、恵ちゃん、それにヨッシーや大勢の会社の人もいる大家族だから、それぞれが誰かを独占することもできないわけ。みんなにとってみんなが大事な存在なの」


 恵は、それは明奈美千留という女優が誰のものでもないということと同義なのだろうかと、ぼんやり考えていた。同時に、まるでハチャメチャ家族のドラマだな、とも思った。


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