戦闘家政婦―次元転送社会 3-1
この時期の三年生の授業はおおよそ消化課程で、授業という名目であっても実質は自習のようなものが多かった。それゆえ恵も無理を押して登校することもなかったのだが、やはり長年の習慣というものだろうか、冬休みが明けて細々とした加納の家の用事を済まさなければならなかったとしても、学校に行かずに終わる毎日はどこか落ち着かなかった。
「恵ぃ、 久しぶりやん。おはよう!」いつも一番に声をかけてくれるのはクラスメートの山城忍だった。
忍は恵よりも髪が長かったが背はクラス中でも低く、全体的にはこじんまりとした実に可愛らしい、ちょこまかと動き回る小動物のような雰囲気を持っていた。どんぐりのような丸い目と、印象的なふっくらとした唇はよく動き、小柄ながらもクラスのムードメーカー的位置にいる。
彼女もまた恵と同じ学区内の公立高校を受験することになっていたから、受かれば今後も長い付き合いになるはずだった。親友というほどには近くはないが、ただの友達というほど遠くもない。
ただ、そういう関係性であっても今の恵自身の現状を事細かに話すのははばかる。
もっとも忍のほうは臆面もなく自身のプライベートな悩みをぶつけてくるものだから、恵としては同調させるのが難しく感じる側面もあった。
「なあなあ、きいて! あたしんとこ昨日テンソー買ってん! 早速お母さんのお使いでおばあちゃんとこに品物送ってんけどな、すごいでぇ」
「えっ? なに? 電装?」
「ちがっう、テンソー! DFSやん、次元転送器。知らんことないやろ?」
「――ああ、あれか」
恵はDFSという、自動車業界を壊した遠因を心せずに意識の外に追いやっていた。
DFSは特に郵便配達事業の赤字体制が懸念とされていた、遠隔地や過疎地域では積極的に取り入れられ、地方から都会へと導入数は増加する傾向にあった。
それというのも、第二世代に移行した小規模のDFS装置はあらゆるメーカーで量産されつつあり、まだ安価とは言えなかったが、忍の家のような一般サラリーマン家庭なら一カ月分ほどの給料で買うことが出来たからだ。
「ほんでな、転送したあとにおばあちゃんち行って確認したんやけど、きっちり届いてるねん。あたしが入れたメタルキッスのブルーレイも中身ばっちり再生できるんやで」
「いや……なら直接おばあちゃんちに――っていうか、え? おばあちゃんヘヴィメタ聴くん?」
「そやでー、おばあちゃんバンドブーム世代の人やもん」
「へ、へぇえ……」
恵は心の中では驚いていた。忍のおばあちゃんがヘヴィメタルバンドのライブビデオを視聴するということにではなく、物質的なもの以外に形のない音楽や映像データまで転送できることにだ。
二〇一〇年代、情報端末が急速に発達し、各種のデータはクロスメディア化し、紙媒体や光学ディスクに載せる従来の販売手法に並んで、データ配信という形をとる出版社や、レコード会社が当たり前の世界になった。
旧来体制からすれば確かにメディア界の転送社会が訪れたと言っても過言ではなく、個人は書店やレコード店に赴くことなく手元の端末から必要な情報だけを気軽にダウンロードできるといった市場が形成された。
その結果、経営難に陥った書店やレコード店もあったが、その全てが一掃されるという流れには至らなかった。それはやはり、人は金銭を支払って得たものを物質として手に取りたいという衝動があるからだろう。本を読むにしても、紙のページを一枚ずつめくるという行為にその本の内容の読み進み具合と読書の実感をし、本の装丁や厚みや重みにより所有感を覚える。
次元転送装置は物質そのものを転送するため、いよいよもって小売販売店は危機を迎えるかもしれないが、やはり人は数ある商品の中から直接手に取って選択するという行為にも意義を感じるのではないか、という理屈をもって“本格的な次元転送社会が訪れたとしても人の営みは大きく形を変えない”と主張する社会学者も多い。
データソースが無形送信される仕組みは、古くは電話や無線機などが挙げられ、一定のフォーマット上で機能してきた音声データの転送であると考えれば今更驚くことでもない。
だが恵が感じたのはそれではなく、物質に保存された情報がそのまま形を変えることなく転送先でも再生できるということの違和感だった。
次元転送は転送する際に物質の分子のその先の、原子を構成する素粒子のレベルまで分解してから転送行程に入り、転送先で再構築されるのだという。つまり、見かけ的には物質は粉微塵になり消滅したのと同様の状態になるということだ。フォーマット云々という話ではない。
「へぇ、音楽や映像が消えたりせぇへんねや。不思議なもんやな」恵は口を尖らせて感想を漏らした。
それに対し「音楽魂は永久不滅やねんて、おばあちゃんいつも熱く語ってるわ」あっけらかんと忍は言った。
恵は吉川に今日の帰りの迎えを断り、久しぶりに地元の下町をぶらついてから帰ることにした。
父の死からほんの一か月しか経っていないというのに随分懐かしく感じていた。
夕暮れ時の商店街の店先で威勢のいい声を上げる商店主らの顔もお馴染みだった。
「下町やなぁ。おっちゃんのお葬式の時も来たけど、恵の家もこの近くなんやろ?」山手の高台に住む忍の家は、そこそこの中流家庭だ。
「うん、この商店街抜けた先……」もう今は違うけど、とは言えなかった。しかし忍は「なんかええ匂いするなぁ」と、鼻先を突き上げて周囲を嗅ぎ回る仕草をする。
「あ、忍。コロッケ食べる?」もう今は家のことは考えたくなかった。
「あーっ! 食べる食べる! どこにあんの?」
しかしここを訪れる限り思い出してしまうことになる。
父が亡くなったあの日に立ち寄ってすき焼き肉を買った岡部精肉店。あの日と同じく店主の岡部はあずき色のニット帽をかぶり、いつものように店先に立っていた。
「おっちゃん、こんばんはぁ」恵は出来るだけ明るい口調で軒をくぐった。
「おっ、恵ちゃん。しばらくやな、元気しとるか」岡部もそれに呼応して元気な声を出す。湿っぽい話は無しというわけだ。
「はい、コロッケ二つで百二十万円!」
「ほな、二百万円から」
「はい、八十万円のおかえし!」
「え、ちょ、おっちゃんこれ八十円やで!」と、いうベタベタなやり取りをしたのは忍だった。
岡部精肉店のコロッケは大きくて味が濃厚で、一つでも結構お腹が満たされる。揚げたてで熱々のコロッケを一口頬張ると、口の中が肉の風味の湯気で満たされる。二人はハフハフと口元をほころばせながら商店街を歩いた。
少し離れただけだったが、生まれ育った商店街の下町をこうして見るとシャッターが下りた店舗が年々増えている。大型スーパーが出来なくとも、地域人口が命綱である商店にとって昨今の少子化や居住人口の地域偏向化は痛手となる。それに追い打ちをかけるように、次は次元転送社会が来る。
恵はかつて新聞の営業所であった“空きテナント”と書かれた商店を横目に短いため息をついた。
紙媒体の新聞がこの時代になってもなお生き残っているのは奇跡的といえたが、DFSの導入により各地の営業所は廃業あるいは縮小し、配達員も不要となるため、印刷所からダイレクトに各家庭へと転送される仕組みが作られつつある。
いずれ駆逐され要なしとなるならばと、将来を見据えて余裕のあるうちに早々に撤退を選択するここのような営業所も各地で激増している。
「便利な世の中になるのはええことやけど、こういう商店街がなくなるのはさみしいなあ。コロッケ買い食いできひんくなるやん」と言うのは恵。
「ん……まあ、そやなぁ。でも、食べ物は転送できひんらしいからコロッケ屋は残るで! 安心しい、恵」
忍の「安心しい」という言葉にどれほどの安心感があるのかは恵にはわからなかったが、少なくともこの商店街は生き残れるのかもしれないと感じ安堵する。
「なあ忍、なんで食べ物は転送できひんの?」
「そんなん知らん。やけど今のところ食べ物はテンソーに入れてもエラーが出るねん」
「ふうん」
今のところDFSは無機物は転送可能としていたが、有機物には対応していなかった。それはできないのではなく、日本では厚生労働省と日本DNSとの折り合いが悪く、DFSでの転送物質には規制がかけられており、生物および食物に転送許可が下りていないのだ。そのため新聞配達とは違い、牛乳配達は人力による配送で生き残っている。
街を行くトラックによる配送業務も多くは食料の通信販売であったり、食材の宅配サービスであったり、あるいはレストランやスーパーなどへの納入業者が目立つ。
しかし、食物の転送が不可能というわけではなく単に規制されているだけで、いずれは認可される事になることが予見されるだけに、お上の一声が彼らの生命線とも言えるのだ。
確かにこの一年の間を見ても、道行く運送トラックは減り、宅配便や、郵便もその配達業務に携わる人の数も減った。大輔が予見した通りに交通渋滞は大幅に軽減され、運送コストが軽減され、排ガスや騒音などによる公害を従来の半分以下に留めるめども立ちつつある。まさに世界のインフラは換骨奪胎の大変革途上にある。
だが、次元転送が運送業に成り替わるというのであれば、運送業者は単純に廃業し失業することになる。それに付随する業務もすべて立場を失う。単純に変革といえど、この波が世界を大混乱させる懸念は十二分にあり、国際次元物理科学委員会デフィもただ普及を推し進めるだけを考えればいいというものでもなかった。
デフィは、廃業する運送会社に優先的に大容量業務用DFSを無償貸与するとしたのだ。
これにより大手運送会社はDFSを持たない家庭向けに、DFSネットワークの中継地点として従来の営業所を活かし、小口の地域集配送を請け負うことができるという緩衝策を提案した。
しかしそれが人道的救済措置などではないことは判るであろう。
デフィの目的はより早くこの世界を次元転送のインフラで埋め尽くしたいと考えてのことには変わりはない。やがてDFSが完全普及すれば小口配送そのものがなくなる。
“トラック輸送が次元転送と勝負して勝てる道理などない。利口な者は次元転送社会の一員となるべきだ”と暗に耳元でささやかれている気色の悪さは付きまとう。
それが見え透いているからこそ、運送関係者は素直に首を縦には振らない。いきなり横紙破りで、これからは転送社会です、と言われても、自分たちの半生を全否定された気分に陥るだけの荷物運び(ポーター)達は手取りの減少と共に仕事への意欲もかき削がれる。




