イントロダクション
流れを調整するための新規挿入話です。
お初の方もそうでない方も、一読いただければ幸いです。
未塗装のジュラルミン製のボディをオレンジ色に輝かせた小型の空輸機が、大阪の市内上空を滑空し南へと進路を向けていた。
双発のプロップローターから発生する共鳴波は内耳の奥で膨張して、まさに内側から人の思考力を削ぐ。それに加えて無機質な円筒のボディ内壁に断続的に響き渡る振動と、時折訪れる浮遊感は身体感覚をより鈍化させる。
この不快感を感じるのは自分だけなのだろうか、といった憂鬱な顔を隠しもせず、まだあどけないとも形容できる少女は窓外の景色をぼんやりと見つめていた。
彼女の他には向かい側の簡易搭乗者席で貧乏ゆすりをする男が座っている。所謂小型兵員輸送機の乗組員はカーゴスペースに座る彼らと、機首で操縦を担当するパイロットの三名だけである。
彼らが身に付ける全身を覆う薄手のフィールドスーツは、熱、薬品、ガスから身を守る伸縮性の黒づくめの素材で出来ており、同色に統一されたブーツとグローブ以外は体に密着している。更に要所要所に配された最低限身体を保護する、炭素繊維樹脂よりも堅く軽い外皮装甲と、その裏側に設けられた衝撃吸収パッドは全ての動作の妨げにはならないように作られている。
生身の頭部には額からこめかみにかけてフィールドスーツの装甲材と同じ材質で作られたヘッドギアを装着するが、頭部全体を覆うようには出来ていないため防御力に心許なさは否めない。
首筋に貼り付けられた薄型のインカムは骨伝導で咽頭の振動を拾いながら、同じく振動波で直接鼓膜に伝えるため、外耳にイヤホンを装着する必要はない仕様となっている。これは作戦行動における周囲の状況把握を最優先にするためで、同じ理屈でヘッドギアに装備された空間投影式の簡易ディスプレイの採用など、両目両耳を塞ぐことのないスタイルは昨今の特殊部隊におけるスタンダードなスタイルである。
だが彼らの戦闘服ともいえるフィールドスーツが、このように極限まで防護性を削り運動性を優先する仕様なのは、彼らがもうひとつの“外皮”を装備する前提であるからに他ならない。
少女は肩に触れるほどの長さのストレートの黒髪を、無造作に後ろで束ねていた。
横顔はまだ子供といってもいいほど、透明感のある肌は輸送機の窓から差し込む赤い夕日に照らされて綺麗なオレンジ色に染まる。その様子をそばで見ていた二十代と思しきの若い男の隊員は腕を組み、ぞんざいな口調で語りかける。
「なんや、寝不足か?」
夕暮れに染まりゆく眼下の街並みに気を取られ、あと少しの振動で魂がコロンとこぼれ落ちそうなほど無機質に微動だにしなかった少女は正気に引き戻され、穏やかに首を振って否定する。
「心配事でも?」続けて男は問う。数分で作戦状況に突入するというタイミングであるが、自分を慮ってくれているのだろうとそれには応える。
「――いやまあ、買い物。間に合うかなぁ、って思って。洗濯物も取り込んでないし」両手を組み合わせて掌を返し、そのまま腕を前に突き出して伸びをする。
「はは……こんな時に? 所帯じみとるなぁ。まさに戦う家政婦やな」少女の対面の簡易搭乗者席に座った男は顔を歪めて笑う。
嫌味のない笑いだ。少女は今作戦の相棒ともなる彼のことは嫌いではない。男としてではなく、同じ組織の隊員としてでもなく、人として信用たる人物だと思っている。
「同じ“カジバ”の守や。どっちも大して変わらんわ」そう言い放ち、再び窓外へと視線を傾ける。
夕暮れの大阪の空を飛ぶ小型兵員輸送機は大きく旋回し、降下ポイントへのルートを探る。パイロットの男は卓越した操縦技術でティルトし、着々と高度を下げてゆく。
規則的なローター音は、やがて少女の記憶の底に沈んでいる機械音とリンクしてゆく。
バスバス、ガタガタ、バタバタ、いや、もっと金属音的だったか。生まれた時から断続的に耳にしていたコンプレッサーの作動音。ひどい時は一日中工場内に鳴り響いていた。
うるさいほどに、あれほど聞いていたのに、今はよく思い出せなかった。