久瀬編 第一話
同時刻 岬ヶ丘市内 雑居ビル郡
岬ヶ丘市の中心部から離れた場所に雑居ビルが立ち並ぶ区画がある。
その中にある古ぼけた四階建てビルの前に、一台のスクーターが止まった。
乗っていた男は薄汚れたベージュのコートに緑色のキャスケットを身に付けており、その容姿は時代遅れの雑誌記者のイメージを体現している。
彼――久瀬真実はその見た目通り、『売れない』雑誌記者である。
眼前のビルには側面に『朱済出版』と書かれた縦長の看板が付けられており、久瀬はここに所属している。
階段を登ると、二階の編集部に入る扉の前で「ンンッ!」と気合を込めた喉を鳴らす。
「ただいま戻りました、朱済編集長!」
部屋に入ると、広々とした編集部にはテレビの音のみが響ていた。本来編集部にあるべき人喧騒は全く無い。
それもその筈、部屋に居るのは机に頬杖をつきながらテレビを見ている中年の男ただ一人だからだ。
『フリジメント社の重役が殺害され、これで被害者の数は七名にのぼりました』
「七人か……いよいよ大量殺人の域だな」
テレビのニュースを見て呟く男――朱済元十郎の顔は久瀬の位置からでは見られない。机を見ると蓋の空いた缶ビールがあり、こんな朝から飲んでいたらしい。
しかしそれで久瀬は朱済の評価を落としたりせず、悠々と朱済のデスク前に立つ。
テレビの電源が切られ、波打ったくせ毛に覆われたシワだらけの顔が久瀬を見上げてくる。
「編集長、戻りましたよ!」
「ああ、久瀬か。どうだった取材は?」
「無事に終わりましたよ。これから取材内容のまとめに移ります」
「ああわかった。……それで、何を取材してきたんだ?」
「不法廃棄されるロボットについてですよ」
「不法廃棄……テーマは『フリジメント社のロボット』についてだから、問題は無いな。そのまま進めてくれ」
「はい、分かりました」
久瀬の取材は編集長の指示では無く、独自取材だった。
現在朱済出版で刊行されている唯一の発行物『朱済月報』というゴシップ雑誌は、編集の全てを久瀬と朱済の二人だけで行っている。
現在、朱済出版の社員は編集長の朱済と副編集長の久瀬の二人だけだ。
そうなるとあれこれ指示するよりも、テーマだけを決めてそれぞれ独自行動でテーマに沿った記事を纏める形式の方が効率がいいのである。最終的に二人で呑みながら会議(?)して微調整すればいいし、この方法で『朱済月報』は二年間持ちこたえた。
しかし――
「なあ、久瀬」
机に所々剥げた革製のバッグを置いて一息ついた所で声がかかる。
「何ですか、編集長?」
「『朱済月報』……来月分で廃刊になったから」
「……はい?」
突然の事に目を丸くする。
しかし徐々に理解すると同時に、ただ驚きだけがふつふつと湧き上がる。
「な、何でですか! どうして突然!?」
「突然も何も、お前も知ってるだろ。定期購読の契約はゼロ。購入数も先月号はたった3冊。とうとう唯一提携してる書店からも契約の更新を断られちまった。ここらが潮時なんだよ」
「で、でも……! 俺は必死に記事作って纏めて……あ、あとそれに三人も楽しみにしてくれてる人がいるって事じゃないですか! ……俺含めてだけど。次の号を楽しみにしてくれる人達を裏切れませんよ!」
「そうは言っても、もう決めた事なんだ。今纏めている来月号で廃刊。同時にこの出版社を閉じる。これは決定した事だ」
そう言って朱済は立ち上がると、編集部を出て行こうとする。その背中に久瀬は最後までやりきれない想いをぶつける。
「そんな……朱済さんは、それでいいんですか! この出版社を建てたのは朱済さんなんですよ!?」
「……夢は十分見せてもらったさ」
朱済は編集部を出ていき、後には静寂が残された。
久瀬は一人立ち尽くしたまま、朱済出版の思い出に記憶を巡らせていた。
…
久瀬は拳を握りしめ、その静寂を振り払う。
「だったら……俺が立て直してみせる!」
外へ出る為の扉を開く力にはやる気に満ち溢れていた。
逆境を跳ね除けて、自分の居場所を守る為の男の戦いが今、ゴングを鳴らしたのだ。
すぐに外のスクーターに乗り込むと、ある場所へと向かう。
その場所とは岬ヶ丘市の中心にそびえ立つ『フリジメント社』本社ビル。
「例の連続殺人事件の犯人を見つけ出せば、部数が増えて会社が存続できる筈。やるぞおおお!」
意気込みを露わに、久瀬は事件の渦中へと突っ走っていく。
その先にどんな悪意があるとも知らずに、やる気をのせたスクーターのエンジン音は雑居ビルの間に響き渡っていた。