ソフィア編 第一話
西暦205X年。世界は特に変化を遂げなかった。
漫画や小説で空想された空飛ぶ車やレーザーで仕切られた道などは現実に登場せず、さりとて核戦争で世界が荒廃する事も無い。
人々の大半は2Dのテレビに映る似たような新商品やよくある事件をスパイスに、アスファルトを踏みしめて変わらぬ日々を過ごしている。
世紀が変わって半世紀が経っても、2000年代の時点で完成された社会基盤は簡単には変わらない。
だがしかし、空想未来の中で一つだけ現実に影響を及ぼす発明が成された。
ロボットの発達だ。
年々高齢化していく社会の中で圧倒的に不足していた介護士を補うべく、社会的に介護用ロボットの需要が高まった。
需要に比例するように性能は格段に進歩していく。駆動系、力の比重調整、人間と遜色無い歩行の動き、不気味の谷を超えた人間そのままの親しみやすい外見など、ロボットは生物進化のように着実に能力を会得する。
その中でも特に目覚ましい進歩を遂げたのはAI――人工頭脳だ。
老人との話し相手や予想外な出来事への素早く的確な対応など、人間と比較しても大差ない程のAIは介護の現場に必要不可欠だったのだ。
そうした社会情勢の中で生まれた高性能ロボットは着実に社会に浸透している。
どこかの著名人は「人間は、とうとう無駄な事に手を出すロボットまで産み出してしまった」と言った。
食事のバイキングのように興味ある物にそそられ、効率的な事よりも本能に従い遠回りをする。そんな無駄だらけな事をする、親近感と暖かみを備えた機械仕掛けの『人間』を創りだしてしまったのだ、という意味だ。
そして、ここ東京郊外の一都市――岬ヶ丘市にも、そんな【人間】が有った。
ロボットは今日もせっせと働く。
人と同じように汗を流して日常を謳歌する。
何の前触れも無く日常は崩れるとも知らずに。
♀
住宅街 朝
空は高く、澄んだ秋晴れが広がっている。
その下に広がる二階建ての綺麗な一軒家が並ぶ住宅街に布団を叩く音が響く。
緑色の芝生が広がる庭先で、ロボット――ソフィア5013は鼻歌混じりに布団を干していた。
縦にラインの入ったセーターとジーパンの上に白いエプロンを身に付け、布団を干し終えたソフィアはエプロンと同じ白のシーツを干していく。
涼しいそよ風がシーツを小さく揺らし、腰まである長くしなやかな金髪を剃く。
「もう秋なんだなぁ」
そよぐ季節の風を肌に感じ取り、微笑みを浮かべる。
ふと、ソフィアの背後でガラス戸の開く音が聞こえた。
「ソフィアー、ソフィアやー」
しわがれた年寄りの声に振り向くと、縁側にお婆さん――鷺原ヨネが立っていた。
派手な柄のジャージに大型のヘッドホンを首に掛け、ヘッドホンからはヒップホップらしき軽快な音楽が漏れている。何とも若々しさの溢れる老人だ。
「お婆ちゃん、何ですか?」
「インターフェイスつけ忘れとるぞ」
「え? あっ! ごめんなさい、机に置いたままでした」
頭をぽんぽん触って本来あるべき物が無い事に気がつき、慌てて縁側に駆け寄る。
「ほれ、大事な物じゃろう?」
「はい、ありがとうございます。これが無いとフリジメント社からの情報援助が受けられなくて、奉公に支障をきたす所でした」
ヨネから受け取ったインターフェイスと呼ばれる物を頭に装着する。
髪の上にカチューシャの様にして取り付けられたそれはこぶし大の三角形が二つ付いており、端から見れば猫耳のように見える。
「うーむ、これが萌え~というヤツじゃのう」
「も、もう……お婆ちゃん、からかわないで下さい!」
にやにやと笑みを浮かべるヨネに対してソフィアは恥ずかしそうに赤面する。
「萌えはちと死語だったかのう……それよりソフィアよ、おぬしにこの本を授けよう」
渡された本のタイトルを見て、ソフィアは目を丸くする。
「……何ですか、この『ネギ殺法、奥義書』って?」
「それは昔、拳法の達人が暴漢に襲われた時、店先で売っていたネギでそやつらをこらしめたという話をまとめた本じゃ。ソフィアもワシと同じくぷりちーな乙女じゃから、これを読んで護身術とするのじゃ!」
「えぇ……? はぁ」
どこまでが本気か分からず、ソフィアは苦笑しながら話を濁す。
「その……私、読書って苦手です」
「おぬしは頑固じゃのう。本は人を強くする。本ばかり読んでいるのもアレじゃが、おぬしはもう少し本を読む楽しみを知るべきじゃ」
「本を読む楽しみですか……」
インターフェイスをつければフリジメント社のサーバーにアクセスして必要な情報がすぐに手に入る。だからロボットの自分には本を読む必要は無い。
そんな考えから、ヨネからいつも勧められては読むのを渋っていた。
「ごめんなさい。今洗濯物を干している最中ですので、また後でにして頂けますか?」
「うむむ……体よく逃げられた気がするが、まあ良かろう。無理強いしては楽しいものも楽しめないだろうしのぅ」
残念そうに室内に戻っていくヨネに申し訳なさを感じつつ、ソフィアは室内の様子を眺めた。
木製の家具やフローリングの綺麗な雰囲気があるリビング・ダイニングは、射しこむ暖かな陽射しに照らされてふんわりとした明るさに満ちている。まるで森のロッジのようなカントリーチックの室内からは、木の香りが今にも庭先まで香ってくるかのようだ。
部屋の隅に置かれた40インチの液晶テレビに映るニュース番組からはイベント関連の楽しい話が聞こえ、穏やかな朝の模様を演出している。
室内を見渡して、ソフィアは首を傾げる
「そういえば、咲ちゃんはまだ起きてないんですね」
「そういえばそうじゃったな。起こしに行くのを忘れておったわ。……あいたたた、急に膝の痛みが……」
今座ったばかりの椅子から立ち上がろうとして、膝に手を当ててまた座り込んでしまう。
要は咲の部屋がある二階まで上がるのが面倒くさいのだ。
普段から若者に混じってヒップホップダンスをしている人の言葉とは思えない。
「ハァ……私、起こしてきますね」
「ふぇふぇ、すまんのう」
笑顔のヨネを見てため息をつくと、ソフィアは室内に上がり廊下を経由して階段を登った。
二階に上がって一番近い扉が咲の部屋だ。扉に母の手作りの『さきのへや』という可愛らしいネームプレートが掛けられている。
「咲ちゃん、朝だよ」
扉を軽くノックした。しかし数秒待っても反応は無い。
もちもちの寝顔を想像し、想像だけでも十分な程の可愛らしさに、起こすのを躊躇する。
しかし規則正しい寝起きをさせるのも介護ロボットである自分の役目なので、名残惜しいが起きてもらう。
「咲ちゃん、入るよ」
扉を開けて、中に入る。
薄暗い部屋の中で最初に目についたのは、沢山のぬいぐるみだった。
本棚やタンス、そしてベッドなどでアヒルや猫などの動物のぬいぐるみが溢れかえっており、それら全てがキチンと並べられている。
ベッドでは掛け布団が微かに上下し、かすかに女の子の寝息が聞こえる。
安心しきった寝息に口元を綻ばせつつも、部屋を横切って、カーテンを勢い良く開いた。
「咲ちゃん、朝だよ、起きて!」
ベッドに向けて放った声と突然差し込んだ日光に反応して、布団がもぞもぞと動く。
「うにゅ……すー、すー」
咲は朝が苦手な子だ。
簡単には起きてくれず、起きてもすぐに二度寝をしてしまう、困った子だ。ソフィアにはそこがまた可愛いのだが。
「咲ちゃん起きて。起きてくれないと……布団ひっぺがしちゃうぞー!」
返事も起きる様子も無い。
仕方ないという風にため息をつくと、ソフィアは掛け布団を勢い良く剥ぎ取った。
現れたのは身体を丸めた五歳の女の子だった。
ピンクチェックのパジャマを着て、肩まである栗色の髪にぷにぷにのほっぺたや整った可愛らしい顔立ちが包まれている。
咲は突然の温度変化に身を小さく震わせると、ゆっくり上体を起こして寝ぼけ眼でソフィアを見上げる。
「おはよ、咲ちゃん」
「おはよ……ママ」
あくびを一つすると、そばに置かれている焦げ目のついた大きな熊のぬいぐるみに体全体を埋めるように抱きつく。
ソフィアは膝に手をおいて、咲に目線を合わせる。
「もうすぐ幼稚園のバスが来るから、早くごはん食べよ?」
「……ん」
咲はぬいぐるみを抱えながら、ベッドから降りて部屋を出ていった。
そんな咲を微笑ましく見つめながら後に続く。
咲がソフィアをママと呼ぶ理由は、ソフィアにもヨネにも誰にも分からない。
半年前、咲の両親は死んだ。
その後目が覚めて以降、何故か咲はソフィアをママと呼ぶのだ。
カウンセラーが言うには、死んだ母親の死を受け入れられず、ソフィアを代わりの母親として認識しているのかもしれない、という事だった。
事件の影響、咲の心の傷は半年経った今も消えずに残っている。
ならば咲の心が癒えるまでそっとしておこうというのが、咲に関わる人々の総意だった。
ソフィア自身もそれを理解した上で、介護ロボットと母親という二つの役割をこなしている。
いつか咲が本当の笑顔を見せてくれると信じて。
一階に戻るとテレビの音が聞こえてきた。ニュースは事故や事件の話に移っているらしく、緊迫感を漂わせる声に変わっている。
「ママー。見てみて、ママがいっぱい!」
先に降りていた咲がテレビ画面を指差しながらはしゃいでいる。
画面には開封前のデフォルト衣装を着た量産型ソフィア5013が映っていた。黒を基調としたドレスに左肩からスカートの右裾までを緑と白のラインが入れられており、一見すると歌手か何かのようだ。とても介護ロボットの衣装とは思えない。
メーカーのフリジメント社がイメージアップの為にわざわざデザイナーに頼んで作らせたそうだが、この衣装では介護には全く向かないだろう。それに今の自分は縦セーターにジーパンを愛用しており、デフォルト衣装は恥ずかしくて、これから先二度と着たくないなと思う。
ふと、画面の隅に書かれた単語が気になった。
「不正使用……違法命令?」
不吉な単語を説明するように、ニュースキャスターは報道を続ける。
『――ソフィア5013は、介護ロボットとしてフリジメント社が企画開発している製品です。しかしその容姿から不適切な使用方法・不法投棄をするユーザーが社会問題となっており、一部では販売を中止にするべきという声が――』
「……」
思わず、言葉を失った。
画面に映る自分と同じ容姿に恐怖を感じ、それが不当に扱われている事に悲しみを覚えた。
自分はロボットだ。消費される存在だ。だから同じ存在が大量にあって当然だし、それに対して感情を覚えるのは間違っている。
そんな事わかりきっている
だが不思議と、気持ちが荒むのを抑えられない。
きっと、この大好きな生活が壊れる事が怖いからだろう。
いつか自分は壊れて、会社から回収される。もしくはいつの日か家族全員が年老いてこの家庭が消えたら……そこには自分という存在が取り残される。
そんな『ただの物』ゆえの恐ろしい未来が頭をよぎった。
ソフィアは頭を振って馬鹿げた考えを頭の片隅に追いやると、キッチンへと咲の朝御飯を用意しに行く。
自分の今は、確かにこの時間、この場所で流れている。
未来の不安に押し潰されて目の前の事も不安になるなんて、なんて馬鹿げているのだろう。そう自分に言い聞かせる。
「咲ちゃん、顔ばしゃばしゃ(顔洗い)してきて、くちゅくちゅいー(歯磨き)してきてね」
「んー、今やるとこー」
「今?」
キッチンから咲に目を向けると、咲はいつの間にか洗面所から歯ブラシと歯磨き粉を持ってきていた。
「あらま、用意の良いこと」
「でしょー? テレビ見ながらくちゅくちゅいーするんだぁ」
「でも歯磨き粉で周りが汚れるから、なるべく洗面所でして欲しいなあ」
「うーん、わかったぁ……」
咲は残念そうにうつむく。
この年頃の子は知恵がついてきて、楽をする為に頭を働かせ始める。
だが教育的に楽を覚えさせるのはあまり良くない。物事の分別を理解してもらう為にも、あえてこうするべきだ。
なのだが……。
(あーん、残念そうにしゅんとなる咲ちゃんかあいいよぉ。どや顔で歯磨きセット取り出した所、ちゃんとメモリに永久保存しとこ)
思わずよだれまで出るほどの可愛さに身もだえしてしまう。
自分でも自制しなければと思うが、咲が可愛いのがいけない。
穏やかな空気がその瞬間まで確かに流れていた。
しかし次の瞬間、空気は一変する。
『それでは、次のニュースです』
始まりはニュースキャスターの声だった。
『フリジメント社の重役が何者かに殺害され、これで被害者の数は――』
咲が持っていた歯ブラシと歯磨き粉が落ちる音が聞こえた。
見れば咲は洗面所へ向かおうとしていた所で立ち尽くしている。顔を恐怖にひきつらせ、大きく見開いた目は瞳孔が開いている。それまでの可愛い仕草からは想像もできない状態だ。
恐らく両親が死んだ時の事がフラッシュバックしているのだろう。フリジメント社関連の殺人事件を見たり聞いたりすると、いつもこうなる。
テレビは既に消えていた。ヨネが直ぐ様リモコンで消してくれたからだ。
だが時既に遅し。
こうならない為に、ソフィアとヨネは日頃から咲のいる時にはニュースを点けないよう気を付けていた。それなのにこの体たらくだ。
気を緩めていた不甲斐なさに、二人は悔しさを滲ませる。
「……えぐっ、えぐっ……ふぇえええん、ままぁああああ!」
抑えていた気持ちを解き放つ様に、咲は泣き出す。
「あらあら、さあ咲……ばっちゃのお膝においで」
ヨネは急いで咲に駆け寄り、小さな体を抱き寄せる。
「えぐっ、えぐっ、ままぁ……」
小さな子供をあやす祖母の美しい光景を、ソフィアは複雑な気持ちで見つめていた。
咲が呼んでいる母はソフィアでは無い。死んだ本物の母親――鷺原束音だ。フラッシュバックの中で本物の母親の姿を咲は見たのだろう。
自分に泣きついて来ない事に、やはり自分は咲の母親になれないという事を実感する。
やはりロボットはロボット。
人の真の拠り所となる事は不可能なのだと、気づかされる。
「咲ちゃん……」
ソフィアも歩み寄ろうとしたが、ヨネは(ここは任せて)とばかりにソフィアへ微笑む。
仕方なくその場で立ち尽くす。悔しさと哀しさに、全ての元凶であるテレビを憎々しく睨み付ける。
テレビ画面には何も映らず、黒い画面が部屋の景色をぼんやりと反射していた。
黒く、黒く……まるで夜のように、闇に沈む室内を写し出していた。