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刻の寓話

刻の寓話 ~夏の寓話~

作者: 朔良

01

朱鷺(とき)様ぁ」

 

 いつものように、名を呼びながら障子に手をかけてひょっこりと部屋を覗き込む。

 長い黒髪に紫紺の瞳の大好きな人を探し、きょろきょろとあたりを見回す。

 

「ん…。あれぇ?」

 

 部屋にいるときは、だらしなく脇息にもたれかかって酒杯を傾けているか、いたずらに琵琶を爪弾いていることの多いその人の姿が今日は見当たらず、睡蓮(すいれん)は首をかしげた。

 

「……どこに行ってしまわれたのかしら」

 

 名ばかりの王とはいえ、刻守の王たる朱鷺の役目は多い。

 何でもないような顔をして悠々と、いや、どちらかと言えば面倒くさそうにだらだらとこなしているからそうは見えないが、祀りや季節の変わり目になると息をつく間もないほどだ。

 

 まだこの屋敷に来て日の浅い睡蓮は、すべての儀式を覚えているわけではないが、今日は特別な何かはなかったはずだ。

 

「お出かけ? ん…でも。朱鷺様なにも…」

 

 屋敷に来たばかりの睡蓮が朱鷺を探して、屋敷中を巻き込むような騒動を起こして以来、急に出かけるときは、睡蓮の住む離れによって声をかけていくようになったのだが、今日はそれもなかった。

 出かける、と声をかけていくだけで、

 

『どちらへお出かけですか?』

『関係ねぇだろ』

『睡蓮も…』

『駄目だ』

 

 と、にべもないことこの上ないのだが、睡蓮にとってはそれでも十分だった。

 大好きなその人が自分を(非常に面倒そうではあるが)気にかけてくれる。

 それだけで心がふんわり温かくなる。

 

 御簾の上がったからっぽの高座をしょんぼりと見つめ、

 

「……朱鷺様、どこに行っちゃったのかなぁ…。今日は一緒がよかったな…」

 

 手にしていた神楽鈴をしゃらんしゃらんと鳴らす。

 今日は特別な日なのだ。

 年に一度の……。

 

 睡蓮は、暮れかけた空を見上げてくすんと鼻を鳴らした。

 すぐに、ふるふると首を横に振る。

 

「ダメダメ。泣いては。」

 

 春を司る水神の娘で春雨姫と呼ばれることもある睡蓮が涙を流せば、それにつられて空も泣き出す。

 年に一度、恋人たちが逢瀬を許される夜に再会の邪魔してはいけない。

 

 朱鷺様と一緒に、お星さま見られたらいいなって…。

 

「ううん!」

 

 小さな手のひらをぎゅっと拳の形に握る。

 

「すぐお戻りになるのかもしれないもん!」

 

 待っててみよう。

 そう考えて、睡蓮は、高座に入り、紐を解いて御簾を下した。

 

 誰か来たら、恥ずかしいもんね。……見つかったら、お稽古さぼってるって、乳母やに叱られるかもしれないし…。

 

「あ…。この匂い…」

 

 御簾を下して座ると、広くはない空間に焚き染めた香が強く匂った。

 

 朱鷺様の匂い…。 

 残り香だけでも、なんとなくほっとする。

 

「…ん…。ねむ…」

 

 朱鷺の気配に包まれてるような気がして、睡蓮はひとつあくびをして敷布の上でまるくなった。

 

02 

「ちッ、あの小舅め、いちいちこまけぇこと言いやがって。ほっとけってぇの!」

 

 忌々しそうに舌を打ちながら、雲船から降りる。

 気にくわない野暮用を何とか無理やり終わらせて帰った朱鷺が、部屋に戻ると、開け放しておいたはずの御簾が下りていた。

 

「ああ?」

 

 屋敷の者が掃除に入ったのか、それとも……。

 

「………」

 

 中には人の気配。

 小さな寝息。

 

 朱鷺はそっと御簾を上げた。

 

「ったく」

 

 予想通りの姿を見つけて肩をすくめる。

 畏れ多くも、刻守の王の御座所に勝手にもぐりこみ…あまつさえ眠り込むような無作法なことを平気でする者など、そうそういない。

 そう。春霞のようなふわふわの白髪に今は瞼に隠された若葉色の瞳の、無邪気で無鉄砲な朱鷺の花嫁以外には。

 

「おき…」

 

 起きろと言いかけ、幸せそうな寝顔を見て肩をすくめる。

 朱鷺は、睡蓮の傍らに座り、やわらかな頬をむにゅっとひっぱった。

 

「や、いたぁい…。もぉ…誰?」目をこすってぱちぱちと目を瞬かせた後「あ! 朱鷺様ぁ」

 

 覚醒直後のふにゃりとした表情が、すぐに満面の笑顔に変わる。

 

「おかえりなさい!」

 

 ほやほやと微笑む睡蓮の目の前に、朱鷺は桃色のものを突き出した。

 

「…ん?」

「土産だ」

「あ…。これ…」

 

 スイレンの花の髪飾りを睡蓮の手のひらに落とす。

 

「これ……うちのお庭の?」

 

 その見事な色のスイレンの花は、水神の庭の池にしか根付かない。

 野暮用のついでに入手してきた戦利品だ。

 あのいけ好かない小舅も、妹のためだと聞けば、希少な花を摘むのを断るどころか、自ら池に入って花を物色していた。

 

「いらねぇなら、す…」

 

 捨てろという前に、睡蓮が朱鷺に抱きつく。

 

「朱鷺様、ありがとうございます! 睡蓮の宝物にします!」

「…い、いやそんな大げさなもんじゃ…」

 

 生花に簡単な細工をしただけだ。

 いくら水神の池の花であっても、いつか枯れる。

 

「すっごく、すっごく嬉しい~」

「……ま、いいか」

 

 喜んでいるところに水を差すこともない。

 

「んで、なんでこんなところで寝てんだ? 勝手に入るなっていっただろーが」

「あ…。ごめんなさい…。あの、今日は七夕様だから、一緒に…そのぉ…」

「七夕ぁ?」

「そう、だから、お星さまを……」

 

 言いかけて、睡蓮は小さな雨音に気付いた。

 身体を起こして外を眺め、

 

「雨ぇ…」

 

 がっかりして、くすんと鼻を鳴らす。

 

「泣くんじゃねぇよ、うっとおしい。俺は疲れてて眠いんだ。他人の逢瀬なんかどうでもいいんだよ。」

「ごめんなさ…」

「いいから、座れ」

「は、はい…」

 

 睡蓮を座らせて、膝に頭を乗せて寝っころがる。

 

「あ……」

「寝る」

「はい」

「いいだろ、星なんか来年でも」

 

 大きなあくびをしながら。

 

「来年…?」


 睡蓮は顔をほころばせてうれしそうにうなずいた。

 来年も再来年も。長い時をこれから共に過ごすのだ。急ぐ必要はない。


「はい。朱鷺様、じゃあ来年、約束ですよ?」

「覚えてたらな」

「ふふ。大丈夫、朱鷺様が忘れちゃっても睡蓮がちゃんと覚えてますから」

「ふん、どーだかなぁ?」

 

 睡蓮の笑顔を片目で確かめ、朱鷺はやわらかな膝に頭を預けて瞼を閉じた。



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