初心
覚乃美心は、ホームルームが終わるとすぐに帰り支度を始めた。
今日は終業式。そして明日から春休みである。そのためか教室内はいつにも増して活気付いており、クラスメイト達は休みをどのように過ごすかという話題で盛り上がっている。
しかしそんな彼らとは対照的に、美心は無表情で帰り支度をしている。教科書を鞄にしまい、逃げるように教室のドアへ向かって行く。その様子は、まるでまとわり付いてくる何かを振り払うかのように見える。
出口まであと数歩・・・
というところで、後ろから声をかけられた。
「覚乃さん!ちょっといい?」
その声に美心は振り向いた。見ると、同じクラスの女子生徒が一人が立っていた。声をかけてきたのは彼女のようだ。周囲に少し目を向けると、数人のクラスメイト達もこちらを見ている。
「今日ね、一年の終わりを記念してクラスでパーティを開こうとなってるの。覚乃さんも来ない?」
話しかけてきた女子生徒はにこにこしながら聞いてくる。彼女は美心よりも背が低くいため、自然美心を見上げるような形になる。髪を束ねたポニーテールが尻尾のように揺れていることも相まって、子犬がじゃれ付いてくるようだ。思わず頬が緩みそうになったが、無表情と平坦な口調を以ってこう返した。
「・・・せっかく誘ってもらって申し訳ないけど、今日は外せない用事があるの。ごめんなさい。」
とは言ったものの、それは嘘なのだが。若干の罪悪感を感じたが、目の前の女子生徒は気にする風でもなく、
「そっかー。じゃあ、次に会う時は新学期かな。来年も同じクラスになれるといいね!」
と無邪気に返してきた。美心はそれに対して、「そうね」とだけ言って教室のドアを開けて廊下に出た。後ろではクラスメイト達の談笑の声が聞こえてくる。美心がドアを閉めると、その喧騒は遠のいた。
そのまま玄関に向かって歩き出そうとする。が、そこで聞こえてきた"声"に思わず足を止めた。
(断られちゃったなあ~。わたしの誘い方がいけなかったのかな。)
さらに"声"が聞こえてくる。
(あいつ、いつもクラスメイトから誘い断ってるよな。ノリ悪ぃな)
(学年の最後くらい覚乃さんと話してみたかったんだけど・・・)
(顔が少しいいからって調子乗ってんじゃないの)
美心は口を結んで歩き出した。早足で玄関へ向かう。靴を履き替えて校門へ。周りには帰宅途中の生徒が大勢いるが、彼らを避けてひたすら歩く、歩く、歩く。
やがて、閑静な住宅街にたどり着いた。周りに人はいない。美心はようやく足を止めた。そしてゆっくりと息を吐いた。顔を上げて周りを見てもやはり誰もいない。また息を吐いて空を見上げる。
広い青の中には、小さな雲が一つ漂っていた。
覚乃美心。
私立真寿高等学校1年C組所属。真寿高校は毎年、上位大学への合格者を何人も輩出している進学校であり、授業のレベルは高い。そんな中で美心は定期試験で常に学年10位以内に入っている秀才である。それに加えて文句のつけようが無いくらいの整った容姿を持っている。切れ長の目に煌く漆黒の瞳。すっとした鼻梁と桜色の唇。何より目を引くのは腰まで伸びた、夜空を思わせるような深い黒を持つ髪。
余談だが、美心は「真寿学園美少女ランキング 1年生部門」で堂々の1位である。無論本人は知らないし、このランキング自体、男子生徒たちがノリで行った私的かつ非公式なものであるが。
とにかく、彼女には明晰な頭脳と誰もが認める美貌を神から与えられていたのである。
そしてもう一つ、美心が神から与えられたものがある。それは、
"他人の心を読み取る能力"
である。
美心は他人の思考、感情を耳で音を聞くかの如く読み取ってしまうのである。それは便利な能力であるが、美心にとっては嬉しくないものだった。美心が読み取る心は、基本的に取捨選択ができない。他人の心が、他人の会話が耳に聞こえてくるのと同様に伝わってくるのである。例えるなら、一人の人間が二つの口を使って別々のことを同時に話してくる、といった感じだ。単純計算で2倍の"声"が美心に届くのだ。だから先程の教室のように、大勢の人間が談笑をしている空間は美心にとっては居心地が悪いのだ。
美心はこの能力が昔から嫌いだった。この能力の所為で、自分が知りたくも無いことを知ってしまう。他人の純粋な気持ちを知れば、それを覗いていることへの罪悪感に襲われる。他人の邪な思いを知れば、その悪意に対する嫌悪感を覚えてしまう。
だから、なるべく他人と関わりあうことを避けてきた。それでも、周囲に人がいるだけで心が伝わってきてしまう。嫌な思いをしてしまう。でも、それを表情に出さないようにしてきた。感情をなるべく表に出さないようにしてきた。他人に嫌な思いをさせないように。
長年自分の能力に耐えてきて、今ではその折合いのつけ方に慣れてきてはいるが、やはり耐え切れなくなるときもある。正直、明日から長期休業に入るので美心はほっとしていた。わざわざ人の集まる場所に行く理由がなくなるからだ。しかし、春休みが過ぎれば今度は進級して2年生になる。また進級して3年生、その次は大学、社会人・・・。
要するにこの長期休業は、人生の中の単なる気休めでしかないのだ。それを考えて、美心は気分がさらに落ち込むのを感じた。
「あの」
考え事をしていた美心は、後ろから不意にかけられた声に一瞬呼吸が遅れた。振り向くと、一人の男性が立っていた。上は濃紺のブレザー。そして下は灰色のスラックスをはいている。真寿高校の男子生徒の制服だ。襟元からのぞく赤いネクタイから、美心と同じ一年生であることが分かる。しかし、美心と同じクラスではない。
少し動揺した美心だったが、なんでもないように返事をした。
「私に用かしら?」
「いえ、道の真ん中で何もせずに立っていたものですから。どうしたのだろうと思いまして」
どうやら立ち止まって考えていたことを不審に思われてしまったらしい。別に対して事ではないので適当なことを言ってこの場を切り抜けようとした。
―ちょっと待って。
美心がここで初めて覚えた違和感。
どうしたのだろうと思った?
不審に思われた?
なぜ、その考えを読むことができなかった?
美心は周囲の様子を探った。周りには自分と目の前の男子生徒以外見当たらない。住宅からも"声"が聞こえてこないとなると、偶然にもこの辺の住人は出かけているようだ。ならば、目の前の男子生徒の"声"を聞き取れなかったのはおかしい。いくら考え事をしていたとはいえ、近くにいる一人の人間の"声"を聞き逃すなんて。いや、それどころか今も男子生徒から"声"は全く聞こえてこない。何も聞こえない。
突如生まれた静寂に美心は動揺していた。ようやく、男子生徒の顔をはっきりと見た。髪は長くも無く短くも無く、所々アホ毛が飛び出ている。上側だけが縁取られたシャープな形の眼鏡をかけていて、そこからのぞく目は柔和な印象を受ける。しかしその目をいくら見ても、男子生徒の心を読むことはできない。
「あの、僕が何か?」
男子生徒が少し怪訝そうな目を向けてくる。そのことにまた動揺してしまった美心は、自分を落ち着かせようと男子生徒に意識を集中させた。
美心の能力は基本は受動的であるが、自分の意思で能動的にすることも可能だ。他人に意識を向ける度合いを強くすると表層心理だけでなく、その人の主義、信念、思想など精神的なものをくまなく読み取ることもできる。普段は絶対にしないことだったが、今までに無い事態が美心を混乱させていた。
美心が男子生徒の深層心理を読み取ろうとした、その瞬間―
バシッ!!
「!!!」
美心と男子生徒の間で何かが弾けた。その衝撃に美心は顔を腕で覆う。
その後は何も起こらず、再び静寂に包まれた。恐る恐る、腕を下げて正面を見る。男子生徒は驚いていた。しかし、どうやら今の炸裂音に驚いているわけではないらしい。美心の顔を見て目を丸くしている。
「もしかして、あなたは・・・」
男子生徒が声をかけてくる。その声に美心は肩を震わせる。
何が起こっているのか理解できなかった。今の炸裂音は何なのか、なぜ目の前の男子生徒の心が読めないのか、分からないことだらけだ。不測の事態を前に、美心の頭の中は飽和状態だった。男子生徒が何と言ってくるのかが読めない。それが怖い。
男子生徒が続きを口にする前に美心は背を向け、走って逃げ出した。
心の読めない男子生徒と遭遇した翌日。
美心が起床した時には、もう正午になろうとしていた。いつもなら休日であっても平日と同じように起きているのだが、昨日の一件で熟睡することができなかった。
あの男子生徒は何者なのだろう。自分の能力が通用しなかったのは初めてだったので、わけも分からず動揺してしまった。そして今も、美心の頭の中はそのことで占められている。テレビ、家事、勉強、どれをしていても身が入らない。これではいけないと思い、美心は気分転換をかねて買い物に出かけることにした。手早く準備を済ませると、自分の住むアパートを出た。
美心は現在、親元を離れて一人暮らしをしている。実家が学校から遠いわけではない。ただ居づらいのだ。両親に能力のことを知られているから。
美心の能力を彼女の両親が知ったのは、美心が小学1年生のときだった。能力が顕在化したのも、確かこのころだったか。
両親に能力を知られてからというもの、親子の間にずれが生じてしまった。幸いにも、と言って良いのかは微妙だが、美心のことをのけ者にすることはなかった。しかし、両者の間に微妙な距離ができてしまった。両親は普通に接しようとしてくれるのだが、隠し様の無い不自然さが出てしまっていた。やはり、美心の能力のことをどこか恐れているのだろう。
その不協和音に耐えられなくなった美心は、義務教育の終わりを機に一人暮らしをすることにした。両親は特に反対をしなかった。それどころか、必要な生活費や物資を定期的に送ってくれる。おかげでバイトなどをする必要もなく、勉学に専念することができている。そのことには素直に感謝しているが、能力による不和がある限り両親と一緒に暮らすことはないだろうとも思っていた。
今の自分の状況を思い返していた美心だったが、頭を軽く振ってそれを打ち消した。最寄のスーパーへと向かう。現在の時刻は午後2時を少し回ったところ。昼時は過ぎ、夕方にはまだ早い中途半端な時間帯だ。この時間帯であればスーパーにあまり人がいない。早めに買い物を済まそうと早足で目的地へと向かう。
ところが、視界に入ってきた人物が美心の足を止めた。シャープな眼鏡とそこからのぞく柔和な瞳。制服は着ておらず私服であったが、紛れも無く昨日会った男子生徒だ。彼も美心に気づいてこちらに向かってくる。
「ちょうど良かったです。今あなたの家に向かおうと思っていたんですよ」
「・・・どうして私の家の場所を知っているのかしら?」
男子生徒の開口一番の台詞に美心は眉を顰めながら訊いた。
対して男子生徒は当たり前のことを言うように返答した。
「少し調べれば簡単に分かることです」
・・・確かに方法はあるだろうが、昨日今日で行動が早すぎではないだろうか。
この男子生徒の言葉遣いは丁寧だが、口調はどこかふざけているような印象を受ける。慇懃無礼というのか。彼の顔に浮かぶうっすらとした笑みが余計にその印象を深めている。信用性がいまいち欠ける。
美心の半眼も気にせず男子生徒は続ける。
「あなたに届けたいものがあって。どうぞ」
差し出された手の平には、某テーマパークのネズミのストラップ。
「これは・・・」
美心が通学用の鞄につけていたものだ。留め具の具合が甘くなっていたのだが、昨日ついに限界を迎えてしまったらしい。そして目の前の彼がそれを拾い、届けに来てくれたようだ。
「・・・ありがとう」
美心は素直にお礼を言った。昨日ロクに会話も交わしていない人間の落し物をこうしてわざわざ届けに来てくれたのだから、いい人なのだろう。しかし、これ以上相手をする気は無かった。
「用事はこれで済んだかしら。それじゃ」
そして美心はまた歩き出そうとする。だが、
「いえ、待ってください」
男子生徒が呼び止める。
「まだ何か?」
「それを届けに来たのは建前のようなものです。本当は、あなたと話がしたかったんですよ。・・・少し付き合ってくれませんか?」
正直、断りたかった。男子生徒には悪いが色々と怪しいし、昨日は何か弾けたし、そして何より、今も男子生徒の心が全く読めない、から。
しかし、落し物を届けてくれたこと、昨日不審な態度をとって逃げてしまったこともあり、しぶしぶながら美心は返事をした。
「分かった、いいわ」
男子生徒は微笑んだ。
「ありがとうございます。それでは場所を変えましょうか。ついてきてください」
先を行く男子生徒の後ろについていく美心。
と、急に男子生徒が口を開いた。
「そういえば、自己紹介をしていませんでしたね」
男子生徒は立ち止まって振り返り、続きを口にした。
「僕の名前は孤里一也です。よろしくお願いします、覚乃さん」
歩くこと10分、着いた先は小さな児童公園だった。設置されている遊具は滑り台、ブランコ、シーソーの3つ。そして奥のほうにベンチが一つある。一也は美心にベンチを勧め、彼自身は美心の正面に立った。公園には二人以外誰もいない。とても静かだ。もちろん、一也から"声"が聞こえてくることも無い。普段と異なる静けさが落ち着かず、美心は自分から話を切り出した。
「それで、話って何なの?」
「そうですね。まずは覚乃さんに訊きたいことがあります」
「訊きたいこと?」
「はい」
一也はそこで一拍置き、再び口を開いた。
「覚乃さん、あなたは何か特殊な能力をお持ちですか?」
その質問に美心の心臓は大きく跳ねた。しかしその動揺を何とか心の中に留め、いつも通りの無表情で聞き返した。
「特殊な能力って何?」
「つまり、"異能"です。ほら、分解と再成とか、12体の召喚獣とか、鈍感なくせになぜか複数のヒロインにもてるとか。」
常識のように、非常識なことを口にする一也。というか、最後のは何かずれていないか。
「そんなものあるわけ無いじゃない。ライトノベルの読みすぎじゃないの?」
肩をすくめてしらばっくれる美心だったが、
「そういうのは無しでお願いします。話が進まないので」
一也に一蹴されてしまった。顔は笑っているが、なんとなく無言の圧力を感じる。
とぼけても無駄と理解した美心は、観念してため息をついた。
「・・・分かった。とりあえず話すけど、誰にも言わないでよ」
「ありがとうございます。もちろんですよ」
一也は頷いた。その言葉に美心も頷き、自分の持つ能力、すなわち、"人の心を読み取る能力"について説明した。一也はただ黙って聴いていた。
美心は話終わると、一也の顔を見た。彼は、心を読む能力・・・そういうことでしたか、などとつぶやいている。どうやら考えに没頭しているようだ。
「ねぇ、あなた一人で納得されても。私にも質問させてくれないかしら」
「ああ、すいません。どうぞ、できる限り答えましょう」
美心は少し間を置いてから訊いた。
「どうして私が・・・あなたの言うところの"異能"を持っていると分かったの?」
常識で言えば人の心を読む"異能"なんて、見ただけでは分からないはずだ。というか、存在自体を肯定している人なんてそうそういないだろう。だが一也は、当たり前のように肯定していた。疑問に思うのも当然だろう。
美心の問いに、一也はすぐに答えてくれた。
「僕も"異能"を持っているからです」
その答えに美心は目を見開いた。
「つまりあなたも・・・人の心が読めるの?」
「いいえ。僕の"異能"は、"他人による意思を持った干渉を自動的に拒絶する"というものです」
「意思を持った・・・干渉を・・・拒絶?」
いまいち理解できず聞き返す美心。
「実演した方が早いですね。僕の手に触れてみてください」
一也が手を差し出してきた。美心は意図が分からず、恐る恐るといった感じで手を伸ばす。そして二人の手と手が触れ合う、その瞬間―
パチッ
「!?」
急に、静電気が走ったような感覚が美心の手に伝ってきた。思わず手を引っ込めて、その手を胸の前で抱くような形になる。その様子に一也は少し申し訳なさそうにして、
「・・・このように、見えない力が"僕に触ろう"という意思を持った相手を弾きます。この力は僕の意思とは無関係に働くんです。ただ・・・」
言いながら、今度は一也が美心の肩に触れようとしてくる。避けようとした美心だが、少し遅かった。肩に手が置かれる。
美心は衝撃に備えて身をすくめていたが、先程と違って何も起こらなかった。
「僕の意思で相手に干渉した場合は除外されます。僕が自分で干渉しようとする意思を持っている限りは相手が拒絶されることはありません」
そう言って一也は肩から手を離した。内心不安だった美心はほっと息を吐いた。
そこで思い至る。頭の中に昨日の出来事が浮かんだ。あの衝撃は・・・
「昨日の出来事も僕の"異能"のせいです。そして、その"異能"が近づかれてもいない覚乃さんに反応した。だから僕は、あなたが"異能"によって僕に何かしようとしたのではないか考えたのです」
それが一也の示した、美心の質問に対する答えだった。
意思のある干渉を拒絶する能力・・・
昨日、美心は一也の心を読み取ろうとした。それはもちろん"自分の意思"による行動だ。その意思が一也の"異能"によって拒絶され、弾かれたのだ。
「待って。確かに私は自分の意思であなたの心を読み取ろうとしたわ。でも、あなたの表層心理の"声"は意識せずとも聞こえてくるわ。なのに、あなたからはその"声"すら全く聞こえない。これはどういうことなの?」
示された答えから新たな疑問が浮かび、再び一也に質問する。一也の説明からすると、"声"を聞くという行為は一也に干渉しているわけではないので拒絶されないのではないだろうか。
一也はこの質問の答えもすでに結論付けていた。あまり間を置かずに口を開く。
「これはあくまで推測ですが・・・そもそも"異能"というのは、その人の心の本質、在り方が顕現したものです。つまり、"異能"そのものが一つの意思の表れであると言えます。そして、覚乃さんが聞いている心の"声"というのは、あなたにしか聞こえない。よって、あなたの"異能"は何らかの力が他者に作用することで"声"を聞き取っているのだと考えられます。僕の"声"が聞こえないのは、その他者に作用している力が拒絶されているからでしょうか」
暗記していたかのようによどみの無く考えを口にする一也。説得力のある考えだ。
しかし美心は、その考えに納得がいかなかった。"声"が聞こえない理由ではない。美心が聞き捨てならなかったのは、そこではない。
「"異能"が心の本質・・・?冗談でしょ、私はこんなもの大嫌いよ」
美心は思わずベンチから立ち上がった。彼女が発した声は静かながらも激しい感情が宿っており、一也を見るその目は鋭利な刃物を連想させる。気の弱いものならすくんでいたであろうが、一也は全く動じた様子を見せない。
「そんな怖い目で睨まないでくださいよ、何かに目覚めそうになっちゃうじゃないですか」
「・・・むしろ永遠に眠ってしまえばいいのに」
今の一言だけで、一也に怒りをぶつけるのが馬鹿らしくなってしまった。さっさと話を終わらせてしまった方がいいだろうと話を進める。
「それで?あなたの用事は私の"異能"を知ることだったの?」
「いいえ、本題はここからです。実は僕、新学期から同好会を立ち上げようと思っているんです」
「同好会?何の?」
いきなりの話題の変化に首をかしげる美心。
「学校生活支援同好会です」
美心はますます分からなくなって眉を顰めた。同好会名はともかく、その実体がつかめない。
一也はそれを見て咳払いを一つ。
「順番に説明しましょう。美心さんは、真寿高校で起こる不思議な現象について耳にしたことはありませんか?」
その質問に美心は少し考えて、
「・・・そういえば、たまにそんな噂を聞いたような気がするわ」
普段他人と関わらない美心であるが、人の噂話というのはこちらが意図せずとも入ってくるものだ。その中に、学校で起こる怪現象についてもあったような気がする。もっとも、都市伝説のようなものであまり本気にしている人はいないようだった。もちろん美心もその一人である。
「それで、噂になっている現象を少し調べてみたんですが、どうやら異能者が関係しているらしいんです」
その言葉に美心は軽く眉を動かす。
「私達以外にも異能者がいるの?」
「あくまで"らしい"というだけで確証はありません。もう高校生となると自分の"異能"との付き合い方を心得ているのが大半でしょうし、そうでなくとも一般人には"異能"なんて分からないと思いますから。なかなかわかりにくいんですよ」
確かに"異能"など、本人が上手く隠しさえすれば他人、特に一般人には分からないものである。美心とて両親に知られて以来ばれないよう気をつけていたし、実際に今日まで他人に知られることは無かった。
「ですが噂になっている以上、やはり影響が出ているのでしょう。そこで、依頼を募ってその問題を解決する手助けをしようというわけです。それが学校生活支援同好会の活動です」
「へぇ・・・ずいぶん立派な心掛けね。見ず知らずの他人を無償で助けようなんて。あなたには何のメリットも無いのよ」
多くの心を読んできた美心にとって、一也の言葉は薄っぺらいものに感じられた。今までそのような殊勝な言葉を本心から言う人に会ったことはない。つい口から皮肉が出る。
「何が狙いか知らないけど、上手くいくといいわね」
「はい、そのために美心さんにも参加して欲しいんです」
「え?」
突然の言葉に固まってしまう美心。普段は無表情の彼女だが、この時は口が半開きの呆けた表情をしてしまった。
どうやら、美心にも同好会に参加して欲しいというのが話の本題らしい。しかし美心にはそれに応じる理由が無い。
「あ・・・、と、悪いけどそんな気はないから。あなた一人でやって」
「お願いします」
「駄目」
「そこを何とか」
「無理よ」
「今ならパラディのケーキをお付けして・・・」
「いらない」
がくっと首を折る一也。おいしいのに・・・、とかつぶやいている。
"パラディ"は学校の近くにある洋菓子店のことで、おいしいと評判だ。雑誌に載ったこともあるらしい。だからといって、それでつられると思われていたのが心外だった。美心は思わずため息をついてしまう。
「とにかく嫌よ。あなたの自己満足に付き合う気なんて無いわ」
そう言ってこの場を後にしようとする。少し言葉が過ぎるとも思ったが、ここはきっぱりあきらめてもらうしかない。
ところが、一也はそれを聞いて、ふふっ、と笑った。美心は振り向いた。再び視界に捉えた一也の顔には、自嘲的な笑みが浮かんでいた。
「"自己満足"・・・、全くですね」
そう言って今度は一也がベンチに座る。彼の口から長い息が漏れる。
「僕が同好会を作って他の異能者の手助けをしたいと思ったのは、そうすることで他者との繋がりを得たいからなんです」
淡々と語り始めた一也。先程までとは違い、声にふざけた様子は一切無い。美心はそれを黙って聞くことにした。
「僕が"異能"に目覚めたのは中学2年生のときでした。当時の僕はこの"異能"にふさわしく、他人との関わりを拒絶していました。他人のことをいまいち信用できなくなってしまって」
そう語る一也の顔は無表情で、何を考えているか窺うことはできない。
「何かあったの?」
当然、心を読むこともできないので直接訊いてみた。
「それは今は置いておきましょう。いつか番外編で語られるかもしれませんね」
笑いながらはぐらかされてしまった。
「とにかく、"異能"に目覚めてからの僕はますます他人を拒絶するようになりました。まさしく中二病でしたね、あれは」
一也は冗談めかしているが、美心の心は少しも軽くならなかった。彼の言う「中二病」、状況は違えど自分にも思い当たる節がある。今まで自分が出会った人の中で、誠意を以って接してくれた人なんてほとんどいなかった。多くの人は欺瞞を以って接してきた。そんな心を見るたび、美心は他人に対する不信感を強めていった。
一也の話は続く。
「そして望み通り、僕は周囲から孤立しました。というか、僕としては孤立していたという自覚すら無かったかもしれません。他人なんて元からいない世界にいるようなものでしたね」
他人と関わりを持たず、他人から煩わされることの無い世界―
世間一般的な見方をすれば、それは正しくないのかもしれない。でも、正しくなくても、悪い世界とは言い切れなかった。他人の心に常にさらされ続け、苦しんできた美心にとっては。
「ところが、とある人が僕の作り上げたその世界を壊してしまったんです。その人は僕の"異能"を以ってしても拒絶できませんでした」
そのときのことを思い出しているのか、一也は笑っている。自然な笑みだ。
「その人が僕に言ったんです、『拒絶していても、世界のほうが変わることはない』って」
「・・・・・・」
「その人と会って、僕の考えは少し変わりました。始めから拒絶するのではなく、まずは自分の周りをちゃんと見ようと。そして、僕が心から受け入れられる人を探そうと」
「・・・そのための同好会ということ?」
「そうです。依頼人や、問題の中心となっている人々と接することで実現していこうと考えました。特に異能者・・・僕と似たような経験をしてきたであろう人達と向き合ってみたいと思ったんです」
話し終えて一也はまた息を吐いた。しかし今度は、顔にすっきりとした表情を浮かべていた。
反対に、美心の心の中はもやもやしていた。まるで霧に覆われているように。この霧の出所を探ってみるが、手が届きそうなのに、ますます霧が深くなるように感じた。
「覚乃さん」
はっとして一也を見る。その表情には一切の緩みも無い。
「自分勝手なことを言っているのは分かっています。ですが、僕のわがままに付き合ってください」
一也の目は真っ直ぐ美心に向いている。
「僕と一緒に、学校生活支援同好会を始めてくれませんか」
その言葉を聞いて、美心は心の霧が少しずつ晴れていくのを感じた。美心は目を閉じ、一度深呼吸をした。そして、返事をするために口を開こうとする。
しかし、その直前にまたしても心が霧に覆われる。まるで美心の行く手を遮るように。結局、口から紡がれたのは否定の言葉。
「・・・ごめんなさい。あなたの頼みを聞くことはできないわ」
そう言って美心は頭を下げた。唇を噛み締める。
彼は心を開いて話をしてくれた。それなのに、自分は一歩も踏み出せない。頭を下げていようと、ちっとも誠実ではないじゃないか。
「・・・さようなら」
美心は振り返って公園の出口を目指す。早くこの場を去ろうとして、自然に歩調は速くなる。
公園から出る直前、後ろから声がかかる。
「大丈夫ですよ」
その声はくだけた調子に戻っていた。後ろに意識を向けつつも、美心は振り返らない。
「こういう場面の後は、転換点となるイベントが起こるのがお約束ですから」
買い物を終えて、美心は自分の住むアパートへと歩いていた。
片手には買い物袋を持っているが、その中身は自分でも良く覚えていない。買い物中も、そして今も、頭の中は一也とのやり取りで占められていた。
どうして自分は、一也の頼みを拒絶してしまったのだろう。あの時、自分の心は決まっていたのに。それを邪魔した、心を覆う霧の正体は何なのだろう。
周囲の音が聞こえないほど考えに没頭していた美心は、前を向いていても、前を見てはいなかった。必然、目の前にいた人物に気づかず、そのままぶつかってしまった。
「わっ」
「っ・・・」
後ろによろけはしたが、なんとか踏みとどまる。ようやく意識が現実に戻り、何事だろうと前を見る。
「痛~、あ、覚乃さん、大丈夫!?」
目の前にいる人物が声をかけてくる。後ろに束ねられたポニーテールが揺れていた。
ぶつかった人は、美心と同じクラスに在籍していた女子生徒だった。確か終業式の日にクラスの集まりに誘ってくれた子だった、と思い出す。
「ええ、大丈夫よ。ごめんなさい。あなたこそ大丈夫だった?」
「ありがとう、大丈夫だよ!」
元気な返事が返ってくる。やはりその様はじゃれ付いてくる小犬のようだ。気持ちが和んで美心の表情が緩む。といっても、他人から見れば全くわからない変化だが。
「びっくりしたよ、前から覚乃さんが歩いてきたこともだけど、こっちが声をかけても気づかないでずんずん歩いてきちゃうんだもん。いや、というかちょっと怖かったよ」
「う・・・、ごめんなさい」
素直に謝るしかない美心。確かに、客観的に考えてその状況は怖いと自分でも思う。さながらロボットが突進してくる感じだろうか。無表情だし。などと自虐的な考えが浮かぶ。
(あれ、覚乃さん黙っちゃったよ!流石に怖いは言い過ぎた!?)
女の子がとても困った顔をしている。気を遣ってくれているようだ。彼女の動揺も直接伝わってきて、いい子だなと思いながら苦笑する。
「気にしないで。私もそう思ったから」
「へ?」
目の前の子がきょとんとしている。美心も頭上にはてなマークを浮かべたが、すぐに先程の発言が失言だったことに気づく。
「いや、うん、その、・・・こっちの話よ」
ため息が漏れる。どうやら今の自分はかなり気が抜けているようだ。目の前の子は首を傾げたが、すぐに話題を変えてきた。
「ま、いっか!それよりも覚乃さんってこの辺に住んでるの?買い物袋持ってるってことは買い物して今帰る途中かな!?あ、このお菓子私も好きなの!でも新しい味のもなかなか・・・」
爆発したかのように会話がとんでくる。その勢いに美心は気おされたが、答えられる範囲で返答した。このような話題がめまぐるしく変わる会話は得意ではないのだが、目の前の子がほほえましくて、ついいつも以上に話してしまった。
だって、かわいいし。なんといってもかわいいし。
あと美心自身は気づいていないだろうが、先程の一也とのやり取りも口が軽くなった要因だった。
「いやー、学校だと覚乃さんとあまり話したこと無かったから楽しかったよ!」
それは私が避けていたから・・・とは思うが、とりあえず何も言わない。また心がもやもやする。
「っと、そういえば私も買い物があったんだった!じゃあね!」
そう言うと、女の子は美心が来た方向へと走ってゆく。途中、こちらを振り返って手を振ってくる。
「新学期にねー、覚乃さん!」
終始元気だった女の子。彼女から伝わってくる感情は、美心の気持ちも明るくしてくれる。美心は女の子に挨拶を返そうと、彼女の名前を呼ぶ―
「ぁ・・・、っ」
口から出てきたのは意味を成さない音。
その瞬間、美心の意識が飛んだ。視界が真っ白になったとか、そんなことさえ知覚できない絶対的な空白。
それはほんの一瞬だった。すぐに世界が戻ってくる。向こうにいる女の子は不思議そうな顔をしている。美心は首を横に振って、何でもないことを伝える。それ見て女の子は頷き、もう一度手を振って行ってしまった。
走ってゆく女の子を見つめる美心。ポニーテールが揺れている。その動きを目で追っていたが、それはやがて道を曲がって消えた。女の子が見えなくなってもしばらく突っ立ったままの美心だったが、不意にその口から音が漏れる。
「ふ、ふふ、ふふふふふ」
それは笑い声だった。顔には笑みが、自嘲が浮かぶ。数人の通行人が怪訝そうな顔で美心に見ていくが、彼女は気にせずに肩を揺らす。公共の場で声を出して笑うなんていつ以来だったか、そんな考えが浮かんでまたおかしくなる。
何だ、そういうことか。分かった。分かってしまった。心の霧の出所。なぜ一也の頼みを断ったのか。そして根本的なこと、なぜ自分は他人の心を読めるのか。単純なことだ。自分はヒロインじゃない。物語のような、衝撃的な理由なんてない。そう、
怖かったのだ。
他人と付き合うことが。他人に自分を見せることが。
だから、他人の心を知りたかった。相手の心を知り、上手く立ち振る舞えるような"異能"を欲したのだ。そうすることで自分が傷つかずに済むように。
他人の心を暴くことで、自分の心を守る。それが私の"異能"。それが私の、"本質"。
私はそれを見ない振りをしていた、無意識に避けていた。自分の"異能"が嫌いとか言いながら、それに頼って逃げてきた。その結果がどうだ、一年間共に過ごしてきたクラスメイトの名前すら分からないじゃないか。他人の心を覗いただけでその人を知った気になっていたのか。そして他人と向き合うことを放棄していたのか。馬鹿だ。あまりにも馬鹿らしい。
ひとしきり笑い、美心は上を向いた。心が軽くなった感じがした。心が空になったように感じた。しいて言えば、不安と恐れを表す霧があるのみ。
それでも、こんな自分でも、一也は必要としてくれた。私の本質を見抜いたわけではないのだろうが、"異能"を持つ人間がどのような人間かは分かっていたはずだ。他ならぬ、彼自身も異能者なのだから。拒絶の異能者が、自分に歩み寄ってくれたのだ。彼は一歩を踏み出したのだ。
だから私も、それに応えたいと思う。私も一歩踏み出してみたい。
さっきの女の子の名前は何だろう。仲良くなってみたい。学校の行事にも参加してみよう。そういえば、さぼって本を読んでいるのがほとんどだったっけ。父さんと母さんともきちんと話し合ってみよう。また昔みたいに笑い合えたらいいな。ああ、それから、同好会にも参加しようかな。
美心が見上げた空には、様々な形をした雲がたくさん浮かんでいた。
「イベントは無事に終わったようですね」
唐突にかけられた声に美心が視線を前に戻すと、いつの間にやら一人の人物が目の前にいた。孤里一也だ。びっくりして思わず後ろにのけぞってしまった。
「すみません、驚かせてしまいましたか」
そう言って一也は笑う。その両手には箱を持っていた。洋菓子店"パラディ"の箱だった。その箱の大きさは一つに少なくともカットケーキ10個は入っているだろうもので、単純に20個以上のケーキを持っていることになる。これを一人で食べるつもりなのだろうかと、美心は別の意味でまた驚いてしまった。
「それで、どうでしょう。もう一度お願いしたいのですが、僕と一緒に学校生活支援同好会を始めてくれませんか」
先程と同じ問い。そして美心の心の中にはやはり、霧に覆われている。しかし美心の答えは決まっていた。霧は未だ晴れないが、今は確かな指針がある。
「ええ、私でよければ」
だから、その答えを確かに口にすることができた。
その答えを聞いて、一也は笑った。今まで見た中で一番の笑みだと美心は思った。
「ありがとうございます。いや、安心しました。イベントのおかげでしょうかね」
全く、分かっているのだろうか。一也の台詞に内心で苦笑しながら美心は答えた。
「勘違いしないで。私が了承した理由は・・・」
そこで一旦言葉を区切る。一也の持つ箱を指差して、唇の片端を上げて笑う。
「パラディのケーキが食べたかったからよ」
それを聞いた一也は、一瞬呆けた顔をしたが、唇の片端を上げて笑った。
「では、同好会結成の前祝として。行きましょうか」
振り向いて先を行く一也。その瞬間、美心に一也の心が伝わってきた。
一瞬のことだった。だから気のせいとも思った。だけど、伝わってきた心の余韻は確かに残っていて。美心の顔に、自然と笑みがこぼれた。
その感情は美心にとっても、そしておそらく、一也にとっても、始めてのものだった。