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アスター

作者: 穂波

「うわぁ、空きれい、」

「おい、上ばっか見て歩いてると転ぶぞ。」

「おっとと、」

「ほら、言わんこっちゃない。」


 平日の真昼間だというのに、俺と芽衣子めいこはいつもの丘に来ていた。

 ここは風がよく通る。遊具が出来たと聞いて初めて来たころ、町並みと空の青がひろがるこの景色に幼かった俺たちは感動に近い感情を抱いたものだ。

 風が吹く。

 芽衣子が木の手すりに駆け寄った。陽光を眩しそうに受け止める。

              

いつきぃ、ここはいつ来ても気持ちいいねぇ。」

「そうだな。……体重かけすぎて手すり折るなよ。」


 俺も芽衣子の横に連れ立つ。

 薄く引き延ばした綿のような雲が空の青に溶け込んでいる。


「んんー空気持ちいい!」


 芽衣子がいきなり大声をあげても、幸い周りは静かで人っ子一人いなかったから、変な目を向けられことはなかった。

 風が吹いて芽衣子の髪とワンピースのすそをゆらす。

 首にかけているネックレスが太陽に反射して、きらきら光る。


「樹はさ、私と高校別になってからも一人でここに来たりした?」

「ああ。しょっちゅう来てたよ。」

「私なんて毎日足運んでたんだよ~。」


 芽衣子は見下ろす町並みしか見ようとしない。

 こっちを見なくても俺は嫌悪は感じない。ただじっと見つめる。


「それで色々思い出すんだよね。

 ここで樹が転んだなぁとか、あのベンチで無駄に足引っ掛けてたなぁとか、」

「……よく、そんなこと覚えてたな。」

「それを見て私が笑うとムキになって怒ってさぁ。まったく、子供っぽいんだから!」

「うるせーよ。」

「拗ねるのはよくないんだからね。」


 手すりから離れていつものベンチに向かう芽衣子についていく。

 芽衣子はすとんと腰を落とすと、今度はベンチの手すりに腕をおいた。


「喧嘩した次の日は行動別々にしたりして。いつも一緒にいるから

 すぐに友達に喧嘩してることばれてた。」

「お前は嘘が下手だから。」

「……みんな、チャンスだって思ってたかもね。」

「は?」

「樹のこと好きな人、いっぱいいたもん。」


 頬をふくらませて拗ねたポーズをとる。

 そんなことして、本当は拗ねてなんかないんだろう?

 俺がお前を想っていることはお前だってわかってたはずだ。


 二人の子供が丘を上がってきた。

 駆けてきた足を芽衣子の少し手前で止めて、ヒソヒソとなにか耳打ちし合ってその場から去った。

 それを俺も芽衣子も気にしない。


「私ね、好きな人がいるんだよ。」


 確実に俺に投げかけられている言葉なのに、芽衣子は独り言のようにつぶやいた。


「……あぁ。」

「……その人はね、万物に愛されてるの。

 どんな人だってその人に惹かれる。植物だって嬉しそうにざわめくし、

 星もその人の目に止まろうときらきら輝く。」

「……そいつは神様か何かか?」


 俺の問いかけには当然応えない。


「好きだよ、樹。」


 心臓をえぐられた気がする。

 やめてくれ。


「木漏れ日に囲まれる樹が好きだよ。」

「頼むから、」

「教室の風景に溶け込む樹が、」

「もう、」

「星空をうれしそうに眺める樹が大好きだった。」

「言わないで」


「なのに、」






「なんで死んじゃったの?」



「……、」







「あの木漏れ日の中に樹はいない。

 夜にここに来てみても、樹は、」

「……もうやめろ、芽衣子、」


 ぽっかりと空いた心に流れ込んでくるのは、灰色をした罪悪感。


 目の前に涙で顔を歪ませた愛しい人がいるのに、抱きしめられない。


 この手はすり抜けるんだ。




 ……ただ、


 こいつに触れられる手が欲しい。


 この涙を拭う指が欲しい。


 届けられる声が欲しい。


 抱きしめる身体が欲しい。




「私なんて、庇わなくてよかったのに……!

 道路に、飛び出したのは、私が勝手に、自業自得で……っ、」



 熱いものが、こみ上げる。どこからかせり上がってくる。

 泣ける身体なんて、もう持っていないのに。

 俺がやったことは泣いて許されるようなことじゃないのに。



 『命を捨ててでも護る』と言う奴がいる。

 それは、護られる側にとってはたまったもんじゃないことを知っていたはずなのに、俺は。




「……なぁ、神様。」




初めて神に話しかけた。



「俺成仏する気なんて、さらさらねーんだよ。

 そちらさん、いつまで経っても俺が成仏しないと都合悪いだろう?

 職務怠慢だって神様クビかもな。……神の上司が誰かは知らないけど。」



 むこうに一筋の光が見える。きっと、あそこに行けば俺は。


 なぁ、神様。


「成仏する前に、俺の願いをきいてくれ。」


 芽衣子が、


「芽衣子が、前に進めるように。」




 俺を忘れますように。



 芽衣子が泣き止めればそれでいい。

 前に進められれば、それで。




「樹……?」




 ……神ってやつは、どうも鈍感で空気が読めないらしい。


 叶える願いがひとつ分遅い。




「樹っ、」


 俺の胸に飛び込んでくる小さな身体は、小刻みに震えていた。


「……そう簡単に、女が男に抱きつくもんじゃねぇぞ、」

「やっぱり嘘だった!」


 顔をうずめたまま、喉が張り裂けそうな声を出す。


「いなくなるわけない!樹は私と、ずっと一緒だもん!」


 まるで駄々っ子のようだ、と笑えたら、どんなによかっただろうか。


 「芽衣子、聞け」


 びくっとする芽衣子の肩を掴んで、ゆっくりと身体を離していく。

 俺が言わないと芽衣子は進めない。


 化けてまでして伝えたかったことは、仮初(かりそめ)の安心なんかじゃない。


「俺は死んだよ。」


 見つめると、見つめ返される。

 もうこうして見つめあうことなどできないと思ってた。


「俺は俺のために死んだんだ。お前のせいじゃない」


 芽衣子の目が見開かれる。同時に眉根を下げた。


「樹…、」

「自分のせいだとか、考えるな。そうやってお前は、昔っから自意識過剰なんだ。」

「なっ、」


 芽衣子の表情が変わった。


「なんでそんなこと、」

「そっちのほうがいいよ。」

「えっ……?」


 目の下を親指でなでてやる。


「芽衣子に泣き顔は似合わない。」

「……、」

「そういえば、さっきの告白の返事してなかったなぁ。」

「え、あっ、」

「好きだよ。」



 力いっぱいに抱きしめる。



「芽衣子のことが……好きだよ。」



 俺の罪を、ひとつだけ許して。


 この想いは伝えさせて。

 


 俺は本当に最悪だ。

 芽衣子が自分を忘れるようにと願っておきながら、自分を芽衣子の中に植え付けようとこんなことを口にする。

 身勝手で残酷なことだと知りながら。そのくせ、許しを請うて。


 でも、想いが溢れるんだよ。

 もうお前には逢えない。神様の気まぐれもこれきりだろう。逢えないんだよ。


 好きだよ。

 



「そんな顔、しないで。」


 さっきまでぐしゃぐしゃに泣いてたくせに、もう一人で大丈夫って顔してやがる。

 こういうときのお前は、 



「忘れないから、樹のこと。心に残したまま、進んでいくよ。」



いつも一番に欲しい言葉をくれる。



「……お前を慰めにきたはずなのに、いつの間にか立場逆転されちまったな。」

「大丈夫、私も樹に救われたから。」

「そりゃ良かった。」

「……樹、身体が……。」


 自分では分からないが、芽衣子の目には俺が消えかけて見えるらしい。

 奇跡の時間はお終いということだろう。

 

「……神様ありがとう。」


 芽衣子にも聞こえないほど小さく礼を言ったって、あの天まで届きはしないだろうな。

 また向こうに行ってから改めるとしよう。


「芽衣子、最期にあと一言。」

「……なに?」


 あ、こいつまた目が潤んできてる。泣き虫な奴だ。


「幸せになってな。」


 突然、強い風が吹いた。芽衣子が髪を抑え目を瞑って強風に耐える。

 次に瞼をあげた芽衣子には、俺が見えていないようだった。


「樹……。」


 しばらく動かずに、芽衣子は静かに泣いた。

 そして、前を向いて丘を下りて行った。

 


 芽衣子はもう歩いて行ける。次は俺の番だ。



「……成仏ってどんな感じなんだろ……。」



 ほんの少し疑念はあるが躊躇はない。

 

 

 光の中に一歩、踏み出した。 





おわり





神様がこんな風に気まぐれで優しかったらいいなと思います。

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