↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第1話 夢の底といつもの朝

初めまして。


この作品を見つけてくださり、ありがとうございます。


本作は、片腕の少年・久瀬ちとせを主人公とした、ダークファンタジー作品です。


侵獣と呼ばれる存在に侵食された世界で、家族や仲間との絆、そして自分自身の欠落と向き合いながら、ちとせが成長していく物語です。


初めて書く作品なので、至らない部分もあると思いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。


どうぞよろしくお願いします。

何も無い。


どこまでも、何も無い。


上も下も、右も左もわからない。目の前には何もなく、足元に地面があるのかさえわからなかった。


それなのに、僕は確かにそこに立っていた。


ここはどこだろう。


そう考えた瞬間だった。


「――ねえ」


背後から、声がした。


知らない声だった。


僕はゆっくりと振り返る。


そこには、一人の人間が立っていた。


顔は見える。服装も、身体つきも、はっきりとわかる。


なのに、誰なのかがわからない。


初めて見る顔のはずなのに、どこか見覚えがあるような気がした。


誰かに似ている。


でも、それが誰なのかは思い出せなかった。


その人は、僕を見て笑っていた。


まるで、久しぶりに会った友達に向けるような、穏やかな笑顔だった。


「……誰?」


僕が尋ねても、その人は答えなかった。


ただ、笑っていた。


トクン。


トクン。


僕には聞こえないはずの鼓動が、なぜか耳の奥に響いた気がした。


そして――。


次の瞬間、僕の首に手が伸びてきた。


「っ……!?」


息が詰まった。


気づいたときには、僕は首をつかまれていた。


指が食い込む。


苦しい。


何が起きているのか、理解が追いつかなかった。


目の前の人物は、さっきと変わらない笑顔を浮かべていた。


どうして。


さっきまで、あんなに優しそうに笑っていたのに。


どうして、僕の首を絞めているんだ。


「な、なんで……」


声がうまく出ない。


息ができない。


必死に相手の腕をつかむけれど、びくともしなかった。


「ころ……す、の……?」


その人は、僕の目を見つめた。


そして、まるで何でもないことのように答えた。


「大丈夫、どうせ死なないから。」


――え?


力が緩むことはなかった。


むしろ、首をつかむ手に力がこもった気がした。


「何故かって、僕は――」


その人の唇が動く。


けれど、声が聞こえなくなった。


音が消えた。


僕の息遣いも、心臓の音も、何もかも。


暗闇の中で、その人の唇だけが動いていた。


僕は必死に、その言葉を読み取ろうとした。


けれど、わからない。


何を言っているんだ。


何を伝えようとしているんだ。


その人は、最後まで笑っていた。


そして――。


「――起きろー」


聞き慣れた声が、遠くから聞こえた。


「起きな。いつまで寝てんの」


身体が揺さぶられる。


暗闇が、ゆっくりと薄れていく。


僕は勢いよく目を開けた。


「っ、はぁ……!」


肺いっぱいに空気を吸い込む。


心臓がうるさいくらいに脈打っていた。


目の前には、見慣れた天井。


そして、少し呆れた顔で僕を見下ろすお母さんの姿があった。


「……大丈夫か? すごい汗だけど」


「……うん。大丈夫」


そう答えたものの、首にはまだ、誰かの手の感触が残っている気がした。


僕は無意識に、自分の首へ手を伸ばした。


何もない。


当然だ。


夢だったのだから。


「変な夢でも見たの?」


「……わかんない」


僕は首を振った。


あの人は、誰だったんだろう。


どうして僕に似ている気がしたんだろう。


そして、最後に何と言ったんだろう。


思い出そうとするたび、言葉は頭の中から逃げていく。


「じゃあ早くおいでー! パン、私が食べちゃうよ!」


……本当に食べそうだから困る。


僕はベッドから起き上がり、顔を洗ってリビングへ向かった。


窓の外には、東京の街が広がっている。


高層ビル。道路。遠くに見える建物の群れ。


そして、そのあちこちに残る、かつての日常が壊れた痕跡。


2013年。


この部屋も、日本も、何も変わらない。


少なくとも、僕たちの生活はそうだった。


「お、やっと来た。おはよー」


お母さんはテーブルにパンを並べながら、こちらに笑いかけた。


「おはよ」


「ほら、座った座った。早く食べないとお兄ちゃん、もう行っちゃうよ」


「いや、もう準備できてるけど」


玄関の方からお兄ちゃんの声がした。


振り向くと、お兄ちゃんはいつものように準備ていた。


侵獣対策本部。


日本で侵獣と戦う組織の中でも、東京湾に浮かんでる東京の奪還と防衛を担う拠点。


お兄ちゃんは、そこに所属するうちの一人だ。


今日もまた、東京の街へ侵獣を狩りに行く。


「じゃあ今日も生きて帰ってくるよう頑張りマース」


お兄ちゃんは軽い調子で手を振った。


「言い方! もっとこう、絶対帰ってくるから安心しろ、とかないの?」


母さんが笑いながらツッコむ。


「いやー、ほら、俺って嘘つけないタイプだから」


「はいはい。じゃあ帰ってきたらお土産よろしくねー」


「侵獣の死体でも持って帰ればいい?」


「いらんわ!」


お母さんのツッコミが部屋に響く。


僕も思わず笑った。


……いつもの朝だ。


こんな世界になっても、僕たちの家族はこんな感じだった。


「じゃ、行ってきます」


「いってらっしゃーい。気をつけてね!」


「お兄ちゃん、いってらっしゃい」


お兄ちゃんは僕の頭を軽くぽんと叩き、玄関から出ていった。


扉が閉まる。


その音を聞きながら、俺はパンを口に運んだ。


テーブルの上では、ラジオがいつものようにニュースを流している。


『昨夜の侵獣による被害者数は32名。ここ最近では最多を更新し続けています。東京の周りにお住まいの方、また、東京の中にまだ居る方は、東京から距離を置く、もしくは侵獣対策本部の人に助けてもらうよう心がけてください』


毎日、毎日、同じようなニュース。


被害者の数が増えて、避難を呼びかけて、それで終わり。


僕はパンをかじりながら、ぼんやりと思った。


(……毎回思うことだけどさ)


(東京の中にいる俺らって、普通に戦えるんだけど。こういう場合、どういう扱いになるんだろうな)


避難しろと言われても、俺たちはここに住んでいる。


侵獣がいることも、戦うことも、もう特別なことじゃない。


そんなことを考えていると、お母さんが向かいの席から顔をのぞかせた。


「ねえ、聞いてる?」


「ん?」


「朝ごはん食べたら屋上行くよー!」


「むーん」


パンを口いっぱいに頬張ったまま返事をする。


「はいはい、返事は一人前ねー。ちゃんと飲み込んでからしゃべりなさい」


お母さんは楽しそうに笑った。


僕は慌ててパンを飲み込む。


「……はーい」


今日も、お母さんと屋上で訓練をする。


侵獣がうろつく東京のど真ん中。


そんな場所で、僕たちは今日もいつもどおりの朝を過ごしていた。


僕には、左腕がない。


お母さんが僕を産んだときから、なかったらしい。


「ほら、脇が甘いよ!」


お母さんの声が屋上に響く。


次の瞬間、僕の体は大きく傾いた。


「うわっ!」

なんとか踏ん張ろうとしたが、間に合わない。僕はそのまま地面に転がった。


「はい、一本!」


「いや、今のはずるくない!?」


「えー? どこが? ちゃんと正面から行ったじゃん!」


お母さんは悪びれる様子もなく笑っている。


……絶対、楽しんでるだろ。


僕はため息をつきながら立ち上がった。


物心がついた頃から、左腕がないことは当たり前だった。


けれど、周りの人間にとっては違ったらしい。


子供の頃、お母さんやお兄ちゃんと出かけると、周囲から変な目で見られることがあった。


「なんで腕がないの?」


「かわいそう」


「気持ち悪い」


面と向かって言ってくる奴もいれば、聞こえるように陰口を叩く奴もいた。


お母さんやお兄ちゃんがかばってくれることもあった。


それでも、嫌なものは嫌だった。


なんで僕には左腕がないんだろう。


どうして僕だけ、みんなと違うんだろう。


そんなことを考えていた時期もあった。


「ほらほら、ぼーっとしない!」


「分かってるって!」


母さんの木刀が飛んでくる。


僕は体をひねって避け、そのまま距離を取った。


今はもう、左腕がないことにも、周りから何か言われることにも慣れてしまった。


もちろん、今でも好きなわけじゃない。


ただ、いちいち気にしていたって仕方がない。

そう思えるようになっただけだ。


僕は再び構えた。


お母さんの動きをよく見る。


今度こそ――。


「はい、終わり!」


「えっ?」


気づいたときには、また地面に倒れていた。


「……うそだろ」


「いやー、今日もいい汗かいたね!」


お母さんは額の汗を拭いながら、満足そうに伸びをした。


僕は地面に寝転がったまま、空を見上げる。


十五歳のとき、僕は侵獣対策本部に入ろうとした。


侵獣と戦う組織。


東京を侵食した侵獣から、人々を守るための組織だ。


僕だって、そこに入りたかった。


左腕がなくても戦える。


そう証明したかった。


だから、誰よりも強くなろうと鍛えてきた。


それなのに、入隊を志願した僕に返ってきた言葉は、あまりにもあっけなかった。


『左腕がないから使えない』


たったそれだけ。


僕がどれだけ鍛えてきたかなんて、関係なかった。


左腕がない。


ただそれだけで、僕は必要ないと言われた。


「……ちくしょう」


思わず、そんな言葉がこぼれた。


「ん? 何か言った?」


「なんでもない」


僕は起き上がり、服についた汚れを払った。


侵獣対策本部には入れなかった。


けれど、侵獣と戦うことまで諦めたわけじゃない。


そのために、僕は今もお母さんと鍛錬を続けている。


……まあ、お母さんには一度も勝てていないんだけど。


「よーし! じゃあ、そろそろ行こっか!」


お母さんが手を叩いた。


「どこに?」


「侵獣狩り!」


まるで近所のコンビニにでも行くような軽い口調だった。


「私、ちょっと狩りに行ってくるから。あんたも行くなら行ってきなよ!」


お母さんはよく、こうやって暇つぶしみたいな感覚で侵獣を狩りに行く。


毎日のように鍛錬をして、そのあと敵を狩りに行く。


……正直、なんでそこまでしているのか、僕にはよく分からない。


お母さんは強い。


それも、異常なくらいに。


それなのに、まだ鍛える必要があるんだろうか。


侵獣を狩ることだって、お母さんにとっては日常の一部みたいなものだ。


うちでは晩飯のときに、その日に倒した侵獣の数を家族で報告し合う習慣がある。


誰が一番多く倒したかを競うのだ。


兄ちゃんも参加するし、俺も参加する。


そしてお母さんは、毎回のように勝つ。


……いや、あれ絶対、家族相手でもガチで勝ちにきてるだろ。


たしかに毎回勝ってるけどさ。


もうちょっと手加減してくれてもいいんじゃないだろうか。


「じゃあ、僕も行こーかな」


僕がそう言うと、お母さんはぱっと顔を輝かせた。


「おっ! じゃあ今日も勝負だな!」


そして、得意げに笑う。


「まあ、今日も私が勝つだろうけど……」


「うぅ……」


腹が立つ。


めちゃくちゃ腹が立つ。


でも、言い返せない。


だって、実際に勝てないんだから。


「よーし! 今日は何匹倒せるかなー!」


お母さんは楽しそうに拳を握った。


僕は小さく息を吐き、母さんの隣に並ぶ。


「……今日こそ勝つからな」


「ん? なんか言った?」


「なんでもない!」

お母さんはケラケラと笑いながら、屋上から出る階段へ向かっていった。


僕もその後を追う。


東京の街には、今日も侵獣がいる。


そして俺たちは、今日もそいつらを狩りに行く。


いつか、お母さんに勝つために。


……まあ、まずは一匹でも多く倒すところからだ。


僕は自分の刀を手に取り、家から少し離れた場所まで歩いてきた。


「早く侵獣出てこねーかなー」


小石を蹴りながら、あてもなく辺りを歩き回る。


侵獣の多くは赤い目をしている。


昼間は比較的大人しいが、夜になると活動が活発になり、強力な個体も現れやすくなる。


だから、昼間の狩りは夜に比べれば危険が少ない。


……まあ、あくまで比較すればの話だけど。


そんな話を思い出しながら歩いていると、廃校になった学校が目に入った。


「ん?」


校舎の中を覗くと、奥のほうに一匹の侵獣がいた。


人間とは似ても似つかない、異形の姿。


赤い目をした、いかにも弱そうな侵獣だった。


「お! 侵獣いたぞ! それにあいつは弱そうだ!」


見た目からしても弱そうだ。


これなら僕でも簡単に倒せそうだ。


「よーし! まずは一匹!」


僕は侵獣に向かって勢いよく飛び出した。


その瞬間だった。


ドゴォンッ!!


爆発したような轟音が、校舎の中に響き渡った。


「……は?」


僕は思わず足を止めた。


目の前で、さっきまで狙っていた蟲級の侵獣が潰されていた。


そいつを潰したのは、僕よりも大きな人型の侵獣だった。


赤い目。


人間と同じような身体。


けれど、その姿からは普通の侵獣とは明らかに違う、異様な圧力が感じられた。


「人の形をした……侵獣!?」


僕は息を呑んだ。


人型の侵獣は知能が高く、人間の言葉を話す個体もいる。


人型の侵獣が昼間に現れるなんて、聞いたことがない。


しかも、たった今、僕が倒そうとしていた侵獣を一瞬で潰した。


……こいつ、何級なんだ?


僕は二十メートルほど離れた場所にいるそいつから、目を離せなかった。


距離があるのに、身体が勝手に警告を発しているようだった。


近づくな。


逃げろ。


本能がそう叫んでいる。


すると、そいつがゆっくりとこちらを向いた。


赤い目が、俺を捉える。


「おいっ、お前」


低い声が、静かな校舎に響いた。


「浩太郎ってやつ……知ってるか?」


「し、知らない……」


僕は正直に答えた。


浩太郎。


誰だ、それ。


聞いたこともない名前だった。


「そうか……」


そいつは小さく呟いた。


そして――。


次の瞬間、姿が消えた。


「うがっっっ!!」


気づいたときには、僕の身体は壁に叩きつけられていた。


「がっ……はっ……!」


肺の中の空気が、一気に押し出される。


何が起きたのか、理解できなかった。


さっきまで、目の前にいたはずなのに。


あいつは――。


人型の侵獣が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


一歩、また一歩。


その足音が、やけに大きく聞こえた。

逃げなきゃいけない。


そう思っているのに、身体がまったく動かない。


全身に激痛が走り、指一本動かすことすらできなかった。


「ぐっ……あ、あぁ……」


視界がぼやけていく。


息をするのも苦しい。


さっき何をされたのかさえ、まだ理解できていなかった。


(やばい……僕……死ぬのか?)


頭の中が真っ白になる。


お母さん。


お兄ちゃん。


もう二度と、二人に会えないのか?


そんな考えが浮かんでは消えていく。


意識が朦朧とする中、侵獣はとうとう俺の目の前までやってきた。


赤い目が、俺を見下ろしている。


そして、そいつは鋭い爪の生えた腕をゆっくりと振り上げた。


避けられない。


防ぐこともできない。


僕は、ただそれを見ていることしかできなかった。


(……ああ、もう無理だ)


僕は諦めた。


その瞬間だった。


スパッ。


何かが切れる音がした。


侵獣が振り下ろそうとしていた腕が、肩口から切り落とされていた。


「……?」


侵獣は何が起きたのかわからないといった様子で、自分の腕を見つめている。


切断された腕が、床に落ちた。


「おい、あんたの相手はこっちよ」


聞き覚えのない女性の声が、校舎の中に響いた。


僕は残された力を振り絞り、ゆっくりと顔を上げた。


そこに立っていたのは、女性だった。


身にまとっているのは、兄ちゃんが着ているものとよく似た服。


侵獣対策本部の人間……なのか?


誰だ、この人。


いつからそこにいたんだ?


侵獣が、ゆっくりと女性のほうへ顔を向ける。


その赤い目が、今度は彼女を捉えた。


女性は怯むことなく、侵獣と向き合っていた。


その姿を見届けたところで、僕の意識は途切れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。