第1章:未開の地にて
第5話:宣戦布告なき戦争
生徒指導室の扉は重かった。
鉄製のドアノブを回し、中に入ると、タバコの臭いが鼻をついた。本来なら校内全面禁煙のはずだが、この部屋だけは治外法権らしい。
奥のソファに、権田がふんぞり返っていた。
机の上には竹刀が置かれ、威圧感を放っている。
「失礼します。お呼びでしょうか」
「遅えよ」
権田は吸っていたタバコを空き缶に押し付け、立ち上がった。
その巨体が影となって私を覆う。
「神条。お前最近、チョロチョロ動き回ってるらしいな」
やはり、勘づいていたか。
だが、具体的に何を掴んでいるわけではない口ぶりだ。
「何のことでしょう? 私はただ、充実した学校生活を送っているだけですが」
「とぼけんじゃねえぞ。3組の石田となにコソコソ話してやがった」
「理科の質問ですよ。私は勉学に熱心なもので」
私が平然と嘘をつくと、権田は苛立ちを露わにして机を蹴り上げた。
ガンッ! という轟音が狭い部屋に響く。
普通の生徒なら、これだけで縮み上がり、泣いて謝るだろう。
「俺はな、お前みたいな利口ぶったガキが一番嫌いなんだ。屁理屈ばかり捏ねて、大人の言うことを聞かねえクズが」
権田が私に顔を近づける。口臭が漂う。
「いいか、この学校のルールは俺だ。俺が白と言えばカラスでも白なんだよ。お前が裏で何を企んでいようが、俺の拳一つで全部潰せるんだぞ」
それは明確な脅迫だった。
そして同時に、彼の限界を示していた。
彼は暴力でしか他者を支配できない。知性も、理念もない。ただの暴力装置。
総理大臣として、数々の独裁国家の指導者を見てきた私からすれば、あまりに稚拙で、哀れですらある。
私はふっと笑ってしまった。
「……何がおかしい」
「いえ。先生は、ご自分が『最強』だと信じて疑わないのだな、と思いまして」
「ああん?」
「ですが、歴史を紐解けば、力による支配は必ず終わりを迎えます。それも、最も惨めな形で」
権田の目つきが変わった。殺意に近い光が宿る。
彼は私の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
「テメェ、殺されてえのか」
「おや、教育者が殺すなどと。……録音されていても知りませんよ?」
私はハッタリをかました。
実際には、今回は録音していない。身体検査をされるリスクがあったからだ。
だが、権田は一瞬動きを止めた。
その一瞬の躊躇いこそが、彼が私の「情報収集」を恐れている証拠だ。石田の一件が、噂レベルで教師間に広まっているのかもしれない。
「……チッ」
権田は舌打ちをして、私を突き放した。
「失せろ。次、妙な真似をしたら、録音だろうが何だろうが関係ねえ。病院送りにしてやる」
「肝に銘じておきます。それでは、失礼」
私は一礼し、生徒指導室を後にした。
廊下に出ると、緊張の糸が切れ、大きなため息が出た。
足が少し震えている。
やはり、肉体的な力の差は歴然だ。もし彼が本気で暴力を振るえば、私はひとたまりもない。
だが、勝った。
彼は手を上げられなかった。
「見えない証拠」への恐怖が、野獣の手を止めたのだ。
(これで分かった。奴らは、失うことを恐れている)
教師という地位、世間体、退職金。
それらが彼らの弱点だ。
そこを徹底的に攻めればいい。
教室へ戻る途中、窓からグラウンドを見下ろした。
サッカー部の練習風景。大野と桐島が、後輩たちと笑いながらボールを蹴っている。以前のようなピリついた空気はない。
少しずつ、学校は変わり始めている。私の手によって。
1年生の残りの期間、私はさらに深く潜り、根を張る必要がある。
全校生徒を掌握し、教師たちの悪行の証拠を山のように積み上げる。
そして2年生になった時。
革命の狼煙を上げるのだ。
「待っていろ、センセイたち」
夕日に染まる校舎に向かって、元総理大臣の少年は静かに宣戦を布告した。
戦いは、まだ始まったばかりだ。




