第5部:革命と再生編
第60話:逆転の告発と、議場に響くハイヒールの音
委員会室の空気は、既に飽和状態にあった。
私の「政治的な力が働いている」という発言以来、傍聴席のざわめきは収まるどころか、さざ波のように広がり続けていた。記者たちはラップトップを猛烈な勢いで叩き、カメラマンたちは望遠レンズを大河内委員長の表情に固定している。
大河内の顔には、微かだが明確な焦燥の色が浮かんでいた。額に滲む脂汗を拭う回数が増え、貧乏ゆすりが止まらない。
彼は直感しているのだ。この中学生が、単なる理想論者ではなく、自分の喉元にナイフを突きつけられるだけの「実弾」を持っていることを。
「……えー、神条参考人」
大河内が咳払いをして、話題を強引に戻そうとする。
「君の言う『政治的な力』などという陰謀論は聞き飽きた。話を戻そう。君のランキング制度は、教育現場に混乱をもたらした。これは紛れもない事実だ。君は、その責任を取って生徒会長を辞任するつもりはあるかね?」
辞任要求。
彼はもう、議論で勝とうとはしていない。権力で私をねじ伏せ、この場を終わらせようとしている。
私はマイクに口を近づけた。
「辞任するつもりはありません。私が辞めれば、学校はまた元の暗黒時代に戻るからです。そして、先生」
私は一度言葉を切った。
「私が辞めたところで、この問題は解決しませんよ。なぜなら、腐敗の根源は学校の中ではなく、もっと高い場所にあるからです」
「……何が言いたい」
「先ほど、私は教頭の横領の話をしました。しかし、たかが一教頭が、350万円もの裏金を数年間にわたって作り続け、それを誰にも気づかれずに処理できると思いますか? 教育委員会の監査をすり抜けられると思いますか?」
私は懐から一枚のフリップを取り出した。
テレビ向けに分かりやすく作った、相関図だ。
『北中学校・教頭』→『市教育委員会』→『???』
矢印は上へと伸び、頂点のボックスは黒く塗りつぶされている。
「この裏金は、教頭の私腹を肥やすためだけに使われたのではありません。一部は上納金として教育委員会へ流れ、さらにその一部は……ある政治家のパーティー券購入費として使われていました」
ドッ!
会場が爆発したような騒ぎになる。
「なんだと!?」「政治献金か!」「誰だその政治家は!」
野党議員たちが色めき立ち、与党議員たちが「根拠を示せ!」「デタラメだ!」と怒号を飛ばす。
大河内が立ち上がり、木槌を乱打する。
カンカンカンカンッ!
「静粛に! 静粛に願います! 神条参考人、発言を取り消しなさい! これは名誉毀損だぞ!」
「取り消しません。事実ですから」
私は冷静にフリップを裏返した。
そこには、裏帳簿のコピーが拡大印刷されていた。
『支出:政治資金パーティー会費(大河内重徳先生励ます会) 50万円』
日付、金額、そして名目。全てが記載されている。
大河内の顔色が、赤から蒼白へ、そして土気色へと変わっていく。
彼は自分の名前が書かれたフリップを凝視し、言葉を失っていた。
「ば、馬鹿な……そんな書類が……なぜ……」
彼の脳内で、高橋スポーツ店の店主や、教頭の顔が走馬灯のように駆け巡っているはずだ。どこから漏れた? 誰が裏切った?
「これは始まりに過ぎません、委員長」
私は畳み掛けた。
「この裏金問題は、氷山の一角です。本丸は、教科書選定を巡る汚職です。貴方は、特定の大手教科書会社に対し、自らの影響力を行使して採用を働きかけ、その見返りとして多額のリベートを受け取っていた。違いますか?」
「だ、黙れ! 嘘だ! 証拠を出せ! 証拠がないなら、ただの妄言だ!」
大河内が喚き散らす。
証拠。
そうだ、彼はそれを求めている。そして、それがないと高を括っている。教科書選定の汚職は、現金の授受がメインであり、証拠が残りにくい。彼のような古狸なら、足がつかないように徹底しているはずだ。
「証拠なら、ありますよ」
私はニヤリと笑った。
「ただし、紙切れではありません。『生きた証拠』です」
私は委員会室の入り口を指差した。
重厚な扉が、ゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
純白のスーツではなく、シックな紺色のスーツに身を包んだ女性。
高村玲子。
彼女は、かつてないほど凛とした表情で、委員会室の入り口に立っていた。
「……高村くん!?」
大河内が素っ頓狂な声を上げた。
まさか。
裏切り者の彼女が、なぜここに。
彼女はもう、私の脅しに屈して沈黙しているはずではなかったのか。
高村は、カツ、カツ、カツ……と、ヒールの音を響かせて歩き出した。
静まり返った委員会室に、その音だけが響く。
彼女は参考人席の横、証言台の前に立った。
そして、一礼した。
「失礼します。市教育委員会、学校指導課の高村玲子です」
彼女の声は、マイクを通さずとも透き通っていた。
「本日は、神条参考人の発言を補足し、教育行政の闇を告発するために参りました」
「な、何を勝手なことを! 退場させろ! 彼女は参考人ではない!」
大河内が衛視に命令する。
だが、野党の理事が立ち上がった。
「待て! 重要な証言だ! 聞くべきだ!」
「委員長、やましいことがないなら堂々と聞けばいいでしょう!」
野党議員たちの援護射撃。これも計算済みだ。有田記者が事前に野党幹部に情報をリークしていたのだ。
大河内は唇を噛み締め、椅子に崩れ落ちた。もはや流れは止められない。
高村は、ハンドバッグから一冊のノートを取り出した。
「これは、私が教育委員会に在籍していた10年間に書き留めた、業務日誌です。ここには、大河内先生からの不当な圧力、教科書会社との会食の記録、そして……リベートの受け渡し日時と場所が、詳細に記されています」
彼女はノートを開き、読み上げ始めた。
「〇年〇月〇日。赤坂の料亭『松風』にて。大河内先生と同席。教科書会社の営業部長より、紙袋に入った現金300万円を受領……」
「〇年〇月〇日。人事異動に関する指示。私の後任に、先生の甥を据えるよう強要……」
生々しい告発。
具体的な店名、金額、日時。
それは、大河内重徳という政治家の生命を絶つのに十分すぎる猛毒だった。
大河内は、もはや反論する気力も失っていた。
ただ呆然と、自分の罪が白日の下に晒されていくのを聞いていた。
私は高村の横顔を見つめた。
彼女の手は震えていた。これは、彼女自身のキャリアを終わらせる自爆テロだ。公務員法違反、守秘義務違反。彼女は今日で職を失うだろう。
それでも、彼女は来た。
「白いスーツを返り血で汚す覚悟」を決めて。
読み終えた高村は、私を見て小さく微笑んだ。
『やったわよ、坊や』
その目は、そう語っていた。
私はマイクを握り直し、カメラに向かって、そして全国民に向かって語りかけた。
「これが真実です。教育を変えるのは、腐った政治家ではありません。現場で戦う教師と、そして生徒自身です。
大河内先生。貴方の授業は、もう終わりです」
その瞬間、委員会室は怒号とフラッシュの洪水に飲み込まれた。
大河内は力なく項垂れ、その姿は、かつて権田が崩れ落ちた時と同じように、小さく、哀れに見えた。
巨悪の崩壊。
私の長かった戦いに、終止符が打たれた瞬間だった。




