第5部:革命と再生編
第59話:言論の迷宮と、張り巡らされた蜘蛛の巣
参議院文教科学委員会室。
天井の高い重厚な空間には、歴代の議長たちの肖像画が見下ろすように掛けられ、真紅の絨毯が足音を吸い込んでいる。
円卓状に配置された議員席。その中央にある証言台に、私は一人で座っていた。
背後には無数のテレビカメラ。そのレンズの向こうには、数千万人の国民がいる。そして、私の学校の仲間たちも、固唾を飲んで画面を見つめているはずだ。
正面の委員長席に座る大河内重徳は、手元の資料をゆっくりとめくりながら、眼鏡越しに私を睨めつけていた。
その目は、獲物をどのように料理してやろうかと品定めする捕食者の目だ。
彼は焦っていない。時間をたっぷり使い、私の精神を摩耗させ、ボロが出るのを待っている。
「……さて、神条くん。先ほど君は『膿を出すための痛み』と言ったね」
大河内が静かに口を開いた。マイクを通した声は、低く、腹の底に響くような威圧感がある。
「君の言う『膿』とは、具体的に何を指すのかね? 教師の指導力不足か? それとも、教育委員会の管理体制か?」
誘導尋問だ。
ここで「教師が悪い」と言えば、「教師を敵視する偏った思想の持ち主」とレッテルを貼られる。「教育委員会が悪い」と言えば、「行政批判をする過激派」として攻撃される。どちらに転んでも、私の立場は悪くなる。
「膿とは、特定の個人や組織ではありません」
私は慎重に言葉を選んだ。
「それは、『評価されない権力は必ず腐敗する』という、構造そのもののことです。教室という密室で、教師が絶対的な権力者として振る舞い、誰もそれをチェックできない仕組み。それこそが膿の正体です」
「ほう。構造の問題、と」
大河内はニヤリと笑った。
「つまり君は、現在の日本の教育システムそのものを否定するわけだね? 文部科学省が長年築き上げてきた教育の根幹を、たかだか14歳の子供が『間違っている』と断じる。……随分と傲慢ではないかね?」
来た。人格攻撃だ。
論理のすり替えを行い、「生意気な子供」という印象を植え付けようとしている。
委員会室に失笑が漏れる。与党議員たちが「そうだそうだ」「子供が何を言うか」と野次を飛ばす。
四面楚歌。完全なアウェー。
普通の神経なら、ここで萎縮して言葉に詰まるところだ。
だが、私は冷静だった。
テーブルの下で、自分の膝を強くつねる。痛みで意識を鮮明に保つ。
「傲慢でしょうか? 私はむしろ、現場の声に耳を傾けない大人たちこそ、謙虚さを欠いていると思いますが」
私は野次を無視して言い返した。
「教育基本法第1条には『人格の完成を目指し』とあります。教師が生徒の人格を否定し、暴言を吐く現状は、法の理念に反しています。法を守れと言うことが、傲慢なのでしょうか?」
法律論。
大河内の眉がピクリと動いた。中学生が法律を持ち出すとは思っていなかったのだろう。
「……屁理屈を言うな。法解釈は君の仕事ではない」
大河内が声を荒らげる。
「では、事実の話をしよう。君の導入したランキング制度によって、松島教諭が精神疾患を発症し、休職に追い込まれた。これは事実だね?」
「はい。事実です」
「君は、一人の人間の人生を壊したのだよ。その責任をどう感じるかね? まさか『痛み』の一言で済ませるつもりではあるまい?」
攻め手が鋭い。
松島先生の件は、私の最大のアキレス腱だ。ここを突かれると痛い。
カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。私の表情の変化を逃すまいとしているのだ。
私は深呼吸をした。
ここで謝罪すれば負けだ。「私は間違っていました」と言えば、ランキング制度は全否定され、私は敗北者として歴史に刻まれる。
だが、開き直れば「冷酷な人間」としてバッシングされる。
逃げ道のない袋小路。
「松島先生の件については、深く心を痛めています」
私は静かに言った。
「ですが、彼女が倒れた原因は、ランキング制度そのものではありません。彼女が長年、生徒に対して行ってきた体罰や暴言、それが可視化されたことによる『自責の念』と、それをサポートしなかった学校組織の冷たさです」
「責任転嫁かね? 詭弁だ!」
大河内が机を叩く。バンッ! という音が響く。
「君が彼女を追い詰めたのだ! ネットに彼女の動画を晒し、生徒たちに誹謗中傷を書き込ませた。これは集団リンチではないか! いじめの構造そのものではないか!」
大河内の声がヒートアップする。
「いじめ」「リンチ」。大衆が最も嫌悪するキーワードを連呼し、私を悪役に仕立て上げる。
傍聴席から「ひどい」「なんて子供だ」という囁き声が聞こえる。
空気は完全に大河内のものだ。私は蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように、動けば動くほど不利になる。
「……委員長。一つ、質問させてください」
私はあえて攻撃に転じた。守りに入れば負ける。
「何だね?」
「先生は先ほどから『教師が被害者だ』と仰いますが、では、その教師によって傷つけられ、不登校になり、自殺未遂まで追い込まれた生徒たちのことは、どうお考えですか? 彼らの人権は無視されるのですか?」
「……それは個別の事案だ。今は君のランキング制度の話をしている」
「関係あります。ランキングは、声なき生徒たちが悲鳴を上げるための、唯一のツールだったのです。それを奪えば、また闇の中で子供たちが死んでいく。先生は、それでも『秩序』の方が大事だと仰るのですか?」
私の声に熱がこもる。
これは演技ではない。本心だ。
大河内が一瞬、言葉に詰まる。
チャンスだ。
私は畳み掛けた。
「先生。貴方はご存知ですか? 本校の教頭が、部活動費を横領していた事実を。そして、それを教育委員会が隠蔽しようとした事実を」
爆弾投下。
まだ決定的な証拠は出さない。ジャブだ。
大河内の顔色が変わる。横領の話は、彼にとって想定外だったはずだ。あるいは、知っていて隠していたか。
「……な、何を根拠にそんなデマを……」
「デマではありません。証拠はあります。そして、その隠蔽工作に、ある『政治的な力』が働いていたという情報も掴んでいます」
私は大河内を指差した。
「先生。教育現場を腐らせているのは、生徒でも教師でもない。その背後にいる、利権にまみれた大人たちなのではありませんか?」
委員会室がざわつく。
空気が変わった。
「生意気な子供の説教」から、「巨大な疑獄事件の予感」へと、緊張の種類が変質したのだ。
大河内の目が泳いだ。
彼は気づいたのだ。私がただ防戦一方の獲物ではなく、喉元に牙を突きつけてくる猛獣であることに。
「……静粛に! 静粛に願います!」
大河内が木槌を乱打する。
「神条参考人、発言には気をつけたまえ。根拠のない誹謗中傷は、国会侮辱罪に問われるぞ」
「根拠なら、今ここにお出ししましょうか?」
私は懐に手を入れた。
そこには、高村玲子から託されたUSBメモリが入っている。
大河内と教育委員会の癒着、そして教科書選定を巡る汚職の決定的な証拠。
まだだ。まだ出さない。
もっと引きつけて、彼が完全に油断し、ボロを出した瞬間に叩きつける。
「……いや、今は結構だ。時間の無駄だ」
大河内は慌てて話題を変えようとした。
逃げた。
その瞬間、勝負の流れは私に傾いた。
蜘蛛の巣は破られた。
あとは、蜘蛛の本体を引きずり出し、陽の下に晒すだけだ。
私はマイクを握り直し、次なる一手を繰り出す準備をした。
「さあ、後半戦といきましょうか、先生」




