第5部:革命と再生編
第57話:新聞部の覚醒と、深夜の輪転機
僕、小林健太は、新聞部の部長だ。
……と言っても、名ばかりの部長だけど。
部員は5人。活動内容は、月に一度発行される「北中新聞」の作成だが、その内容は惨憺たるものだ。
『花壇の花が満開です』『校長先生のありがたいお話』『給食の食べ残しを減らそう』
僕たちが書きたい記事――例えば部活動の予算配分の偏りや、校則の矛盾点についての特集は、すべて顧問の検閲で没にされる。
「生徒がそんなことを知る必要はない」「学校の評判が落ちる」
そう言われて、真っ赤に添削された原稿を突き返されるたび、僕は「分かりました」と愛想笑いをしてきた。事なかれ主義。それが僕の処世術だった。
だから、生徒会長の神条湊くんに呼び出された時も、僕はただ怯えていた。
放課後の生徒会室。
神条くんは、テレビで見るような傲慢な独裁者には見えなかった。むしろ、少し疲れた顔をした、普通の同級生に見えた。
「小林くん。君に頼みがある」
神条くんは僕に缶コーヒーを差し出した。温かい。
「君たちの手で、号外を出してほしい。タイトルは『神条湊の真実』だ」
「えっ……ご、号外ですか?」
僕は耳を疑った。
「はい。今、マスコミが垂れ流しているデマを否定し、私がなぜランキングを導入したのか、そして国会で何を話すつもりなのか。それを全校生徒に伝えたい」
「で、でも、そんな記事、顧問の先生が許してくれません! 検閲で一発アウトです。それに、僕たちがそんな政治的な記事を書いたら、内申点だって……」
僕はおどおどと、いつもの言い訳を並べた。怖い。先生に怒られるのが怖い。マスコミに目をつけられるのが怖い。
神条くんは、そんな僕を静かに見つめた。
軽蔑するでもなく、同情するでもなく、ただ真っ直ぐに。
「検閲? そんなものは無視すればいい」
「え?」
「君は1年生の時の文集に『将来はジャーナリストになりたい』と書いていたね? 僕は読んだよ」
ドキッとした。
そんな昔のことを知っているなんて。
神条くんは一歩踏み出し、僕の顔を覗き込んだ。
「小林くん。ジャーナリストの仕事とは何だ? 権力の顔色を伺って、提灯記事を書くことか? 違うだろう」
「……ッ」
「真実を伝えることだ。たとえ相手が誰であろうと、自分が正しいと信じたことをペンで書く。それが矜持だろう?
君は、このまま大人たちの嘘を垂れ流すスピーカーで終わるのか? それとも、自分の言葉で戦う記者になるのか? どっちだ」
心臓が早鐘を打つ。
図星だった。
悔しかったのだ。テレビのワイドショーで、コメンテーターたちが神条くんのことを「異常者」「危険人物」と決めつけているのを見て、僕は腹が立っていた。
だって、神条くんは僕たち陰キャにも優しかった。文化祭でパソコン部や新聞部に予算を回してくれたのは彼だ。彼のおかげで、学校は少しだけ息がしやすくなった。
なのに、僕は何も言えずに、ただ黙って見ていただけだ。
僕は拳を握りしめた。爪が食い込む。
「……書きたいです」
小さな声が出た。
「本当は、僕だってテレビの偏向報道に腹が立ってたんです! 神条会長はそんな人じゃないって! みんなに伝えたかった!」
「なら、書け。君の言葉で。印刷は影山が手配する。配布はサッカー部がやる。君たちは記事を書くことだけに集中しろ」
神条くんがニカっと笑った。
その笑顔を見て、僕の中のリミッターが外れた。
その夜。
新聞部の部室は、かつてない熱気に包まれていた。
普段は早く帰りたがる部員たちが、誰一人帰ろうとしない。
机の上には、ICレコーダーと、書き殴ったメモの山。
神条くんへの独占インタビュー。1時間にも及ぶ激白。その言葉の一つ一つが重い。
『僕は独裁者になりたいわけじゃない。ただ、みんなが笑って過ごせる学校にしたいだけだ。そのために、僕は泥をかぶる覚悟がある』
『国会に行くのは、大人の不正を正すためだ。僕一人のためじゃない』
部員の女子が、キーボードを叩きながら泣いている。
「会長、こんなこと考えてたんだ……。私、誤解してた」
「これ、絶対記事にしよう。先生に見つかってもいい。停学になってもいいから、伝えたい」
もう一人の部員が叫ぶ。
僕たちは憑かれたように筆を走らせた。
顧問の顔色などどうでもいい。内申点など知ったことか。
今、この瞬間の真実を切り取る。それが新聞部だ。
深夜2時。
原稿が完成した。
タイトルは、『僕は逃げない。この学校を守るために』。
次は印刷だ。学校の輪転機を使うわけにはいかない。履歴が残るし、夜中に動かせば警備員に見つかる。
ここで登場したのが、情報局の影山くんだった。
「任せて。有田さん――新聞記者の人の伝手で、町の小さな印刷工場を借りてある」
僕たちは夜の闇に紛れ、学校を抜け出した。
町外れの古い印刷工場。
油とインクの匂い。
ガシャン、ガシャン、ガシャン……。
古い輪転機がリズムよく音を立て、真っ白な紙に僕たちの想いが刻み込まれていく。
刷り上がったばかりの号外。インクがまだ湿っている。
それを手にした時、僕は震えた。
これが、僕たちの武器だ。
翌朝。
登校時間。
校門前で待ち構えるマスコミの群れをかいくぐり、サッカー部の桐島くんたちが号外を配りまくった。
「新聞部号外でーす!」「読んでくださーい!」
桐島くんの大きな声が響く。運動部の連中が、壁となってマスコミをブロックし、生徒たちに新聞を渡していく。
生徒たちが新聞を手に取る。食い入るように読む。
教室で、廊下で、至る所で新聞が広げられる。
『……神条会長は、私たちのために戦っている。彼は怪物ではない。私たちと同じ、一人の生徒だ……』
僕たちの言葉が、活字となって生徒たちに染み込んでいく。
テレビの作った虚像ではなく、同じ目線で書かれた等身大の言葉。
空気が変わった。
怯えていた1年生が、「神条先輩、やっぱりいい人じゃん」と呟く。
疑っていた3年生が、「マスコミって適当だな。俺たちのこと何にも分かってねえ」と笑う。
信頼が、戻ってきた。
昼休み。
僕は放送室のマイクの前に立った。美咲委員長が頷いてくれる。
深呼吸。
「……新聞部部長の小林です。今回の号外は、私たち新聞部が、自分たちの意思で発行しました。顧問の先生の許可は得ていません。校長先生の検閲も受けていません。でも、これが私たちの伝えたかった真実です! 私たちは、神条会長を信じます!」
放送を終えた瞬間、校内から拍手が沸き起こったのが聞こえた。
地鳴りのような拍手。
僕は放送室の椅子にへたり込み、ボロボロと涙を流した。
やった。僕たちは伝えたんだ。
新聞部は、今日、本当の意味で「覚醒」した。
屋上でその放送を聞いていた神条くんは、静かに涙を拭ったという。
ありがとう、小林くん。君は最高のジャーナリストだ。
これで戦える。背後(学校)の憂いは消えた。
あとは前(国会)を見るだけだ。




