第5部:革命と再生編
第50話:崩れる足場と、内なる疑念の芽生え
衆議院議員・大河内重徳の「忠告」から数日後。
その報復は、まるで真綿で首を絞めるように、静かに、しかし確実に私の周囲を蝕み始めた。
月曜日の夕方。家に帰ると、いつもは明るい母が暗い顔で電話対応をしていた。
父が経営する中小企業に、突然の税務調査が入ったのだという。
父は真面目な経営者で、脱税などするはずもない。だが、国税局の調査員たちは「悪質な所得隠しに関するタレコミがあった」として、工場の操業を止めさせ、帳簿をひっくり返し、些細な経理ミスを重箱の隅をつつくように指摘し続けているらしい。
夕食の席で、父は疲れ切った顔で酒を煽っていた。
「まいったなぁ……。取引先の銀行からも、融資の見直しをほのめかされたよ。一体、誰に恨まれたんだか」
父の独り言が、私の心臓をえぐる。
彼らは、これが私の活動と関係しているとは夢にも思っていないだろう。だが、私には分かる。これは大河内からの「挨拶」だ。『お前のせいで家族が路頭に迷うぞ』という脅しだ。
翌日、学校でも異変が起きた。
協力者たちへの攻撃だ。
PTA会長の権藤サユリから、怒りと恐怖の入り混じった電話がかかってきた。
『神条くん! どうなってるの! うちの夫の会社が、市の公共事業入札から締め出されたわ! 「総合評価方式」で最低点をつけられたって……。夫が、あんたに関わったせいだと怒鳴り散らしてるのよ!』
有田記者からもメールが来た。
『すまん。編集長から「教育問題の記事はもう書くな」と圧力をかけられた。地方支局への左遷も打診されてる。大河内の秘書が新聞社に来たらしい』
外堀を埋められ、兵糧攻めに遭っている。
私の手足となって動いてくれた人々が、次々と狙い撃ちにされている。
政治権力の恐ろしさを、私はまざまざと思い知らされていた。中学生のゲリラ戦など、国家権力の正規軍の前では無力に等しいのか。
だが、もっと深刻なのは「内憂」だった。
ランキング制度の歪みが、ついに犠牲者を出したのだ。
木曜日の午後。
2年生の英語の授業中、松島先生が倒れた。
彼女はランキングで常に下位に低迷し、生徒からの『授業が下手』『服がダサい』『声がキンキンする』といった辛辣なコメントに精神をすり減らしていた。挽回しようと連日深夜まで授業準備をし、睡眠不足とストレスで限界を迎えていたのだ。
救急車で運ばれる松島先生。
その蒼白な顔を見て、生徒たちの間に動揺が走った。
「おい、松島マジでやばくないか? 白目むいてたぞ」
「俺たち、やりすぎたのかな……。先週、『死ね』って書いちゃった」
「でも、自業自得だろ? あいつも散々俺らをいじめてきたんだし」
「いや、死んだらさすがに寝覚め悪いって。俺らが殺したことになるじゃん」
放課後の生徒会室。
空気が重い。重苦しい沈黙が支配している。
副会長の一ノ瀬が、深刻な顔で口を開いた。
「神条くん。……もう、ランキングやめない?」
「……なぜだ?」
「松島先生、過労と栄養失調だって。もしあのまま倒れて打ち所が悪かったら……私たちは殺人者になってたかもしれないのよ」
彼女の手は震えていた。
「生徒たちも怖がり始めてる。『自分たちが先生を壊したんじゃないか』って。このままじゃ、みんな罪悪感で押しつぶされちゃう。私だって、夜眠れないの」
私は窓の外を見た。校庭ではサッカー部が練習しているが、いつもより声が小さい。桐島たちも動揺しているのだ。
「ここで止めたら、元の木阿弥だ。教師たちは『やっぱり生徒に自治など無理だ』と嘲笑い、以前よりも酷い管理教育を復活させるだろう。犠牲を無駄にする気か?」
私はあえて冷徹に言った。リーダーが揺らげば、組織は崩壊する。
「松島先生が倒れたのは、彼女の自己管理能力の問題だ。我々の制度に瑕疵はない」
「……っ! 神条くん、変わったね」
一ノ瀬が立ち上がり、悲しげに私を見下ろした。
「最初の頃は、もっと楽しそうだった。学校を良くしたいっていう情熱があった。今は……何かに取り憑かれてるみたい。ただの独裁者よ」
彼女は部屋を出て行った。バタン、とドアが閉まる音が、私の胸に響いた。
残されたのは、私と影山だけ。影山もまた、パソコンの画面を見つめたまま無言だった。
孤立。
かつて総理大臣時代に味わった、あの冷たい孤独が蘇る。
私は正しいことをしているはずだ。腐敗を正し、正義を実現しているはずだ。
なのに、なぜ誰もついてこない? なぜ誰も理解しない?
私は自分の手をじっと見つめた。
その手は、松島を追い詰めた加害者の手に見えた。
その夜、私は一人で理科準備室にいた。
ここだけが、喧騒から離れて思考できる場所だった。ビーカーやフラスコの冷たい感触が、高ぶった神経を鎮めてくれる。
「……悩み多き若き指導者、という顔ですね」
不意に声をかけられた。
理科担当の田中先生だ。彼は洗い物をしながら、背中で私に話しかけてきた。彼はランキング2位。生徒からの支持も厚い、数少ない良心的な教師だ。
「田中先生。……貴方は私を恨んでいますか? ランキングのせいで、貴方の同僚たちは地獄を見ていますが」
「恨んでいませんよ。むしろ感謝しています」
意外な言葉だった。私は彼の方を向いた。
「感謝?」
「ええ。君のおかげで、僕は教師としての原点を思い出せました。生徒に評価されるという緊張感は、確かに怖い。でも、それはプロとして当たり前のことなんです。これまでは、その当たり前から逃げて、ぬるま湯に浸かっていただけだ」
田中先生は振り返り、濡れた手を拭きながら私を真っ直ぐに見た。
「松島先生が倒れたのは、君のせいじゃない。彼女自身の弱さと、彼女の変化に気づけなかった学校という組織の問題です。……ただ」
彼は言葉を区切った。眼鏡の奥の瞳が鋭くなる。
「君は急ぎすぎている。劇薬は病気を治すが、使いすぎれば患者を殺す。そろそろ、薬の量を調節する時期なんじゃないですか? 破壊の次は、再生が必要でしょう」
薬の調節。再生。
田中の言葉が、私の胸にすとんと落ちた。
私は破壊者としての役割に固執するあまり、治癒者としての視点を忘れていたのかもしれない。倒すべき敵は倒した。だが、その屍の上にどんな城を築くのか、そのビジョンを共有できていなかった。
「……ありがとうございます、先生。少し、頭が冷えました」
「それは良かった。あ、ちなみに次の理科のテスト、難しくするから覚悟しておいてくださいね。ランキング1位の意地を見せてやりますよ」
田中先生はニカっと笑った。
私は準備室を出た。
迷いは消えていない。だが、進むべき方向が少しだけ見えた気がした。
大河内の圧力、生徒の動揺、教師の崩壊。
これら全てを一挙に解決する「ウルトラC」の策が必要だ。
そのためには、これまでの常識を覆す手が必要だ。
私はスマホを取り出し、ある人物に連絡を入れた。
それは、昨日まで敵だった人物。私を最も憎んでいるはずの相手だ。




