第5部:革命と再生編
第40話:熱狂の渦と、拳が上がった瞬間
僕、田中優斗は、入学してから半年が過ぎたばかりの、どこにでもいる平凡な中学1年生だ。
部活は卓球部。成績は真ん中より少し下。クラスでは目立たないグループに属し、休み時間はスマホゲームの話をして過ごす。
この学校のことは、正直好きじゃなかった。
入学式の翌日、生活指導の権田先生に「靴下の色が白くない」という理由だけで、全校生徒の前で怒鳴られたことがある。あの時の恥ずかしさと恐怖は、今でもトラウマだ。
先生たちは絶対だ。逆らえば内申点を下げられ、部活でもいじめられる。だから僕は、空気のように気配を消して、3年間をやり過ごそうと決めていた。
今日の生徒会長選挙も、どうせ出来レースだと思っていた。
先生のお気に入りである2年の佐藤先輩が当選し、何も変わらない日常が続くだけだと。
だが、2年A組の神条湊先輩が登壇した瞬間から、世界が変わった。
彼が放った「通告」という言葉。
そして、スクリーンに映し出された衝撃的な映像の数々。
松島先生の体罰。佐久間先生の暴言。教頭先生の横領。
僕の隣に座っていたクラスメイトが、「うわ、マジかよ……」と絶句していた。
僕も画面から目を離せなかった。
恐ろしい。でも、どこか胸がすくような気持ちが込み上げてくる。
僕たちが心の奥底で感じていた「先生たちは理不尽だ」というモヤモヤを、神条先輩が形にしてくれた。しかも、動かぬ証拠と共に。
そして、その時は来た。
権田先生が、獣のような咆哮を上げてステージに駆け上がったのだ。
「ふ、ふざけるなァァァ! こんな捏造、許されると思ってるのか! テメェを殺してやる!」
権田先生の顔は、人間とは思えないほど歪んでいた。怒りと、そして隠していた秘密を暴かれた羞恥心で、理性が焼き切れた獣の顔。
僕の心臓が早鐘を打つ。
逃げろ、神条先輩。殺される。
誰もがそう思ったはずだ。
だが、神条先輩は逃げなかった。一歩も引かず、むしろ両手を広げて権田先生を受け止めるように立った。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
ゴッ!
権田先生の巨大な拳が、神条先輩の頬を殴り抜いた。
神条先輩の体が宙に浮き、ステージの床に叩きつけられる。
女子生徒の悲鳴が上がった。
「キャアアアッ!」
「神条先輩!」
僕の視界が揺れた。
殴った。
教師が、全校生徒の目の前で、生徒を殴った。
しかも、選挙演説という神聖な場で。
これは「指導」じゃない。ただの暴力だ。犯罪だ。
その瞬間、体育館の空気が一変した。
まるで火薬庫に火がついたように。
バシャバシャバシャッ!
閃光が走った。
2階ギャラリーから、そしてフロアの至る所から、カメラのフラッシュが焚かれたのだ。
サッカー部の先輩たちがスマホを掲げて叫んでいる。
「撮ったぞ! 暴力だ!」
「現行犯だ! 警察呼べ!」
「権田! お前もう終わりだぞ!」
僕も、震える手でポケットからスマホを取り出した。
校則で持ち込みは禁止されている。見つかれば没収だ。でも、今はそんなことどうでもいい。
この瞬間を記録しなきゃいけない。僕たちの怒りを、形に残さなきゃいけない。
カメラを起動し、ステージ上の権田先生に向ける。
彼は呆然と立ち尽くしていた。自分の拳を見つめ、キョロキョロと周囲を見回している。
その姿は、もう「恐怖の魔王」ではなかった。ただの、パニックに陥った哀れな中年のオッサンだった。
「ち、違う……俺は……指導を……」
権田先生の言い訳が聞こえた。
その弱々しい声に、僕の中の何かが弾けた。
こいつは、僕たちを「指導」していたんじゃない。自分のストレスをぶつけていただけだ。
僕が靴下の色で怒鳴られたあの日も、こいつはただ、誰かをいじめたかっただけなんだ。
「ふざけんな!」
僕は叫んでいた。
自分でも驚くほど大きな声だった。
隣の席の友達も叫んだ。
「暴力反対!」
「辞めろ!」
「謝れ!」
声は波紋のように広がり、体育館全体を揺らす轟音になった。600人の生徒の怒号。それは、長年この学校を支配していた恐怖政治への、一斉蜂起だった。
ステージの上で、神条先輩がゆっくりと立ち上がった。
口元から血が流れている。頬は赤く腫れ上がっている。痛々しい姿だ。
でも、彼の目は死んでいなかった。
ギラギラと輝くその瞳は、まるで勝利を確信した英雄のようだった。
彼は落ちていた拡声器を拾い上げ、口元に当てた。
「……皆さん! 見ましたか!」
神条先輩の声が、怒号を切り裂いて響く。
「これが! この学校の教師の実態です!
都合の悪い真実を突きつけられれば、議論も対話も拒否し、暴力で口を封じようとする。
こんな野蛮な人間たちに、我々の未来を指導する資格があるでしょうか!」
「ない!」
僕たちは叫んだ。喉が裂けるほどに。
「我々は奴隷じゃない! 生徒だ! 人間だ!
今ここで決めましょう!
腐敗した大人たちに支配され続けるか、我々が主権を握り、この学校を正すか!
私を生徒会長と認める人は、その怒りの拳を突き上げてください!」
神条先輩が、血のついた右手を天高く突き上げた。
その姿に、僕は吸い寄せられるように、自分の右手を突き上げた。
隣の友達も。
前の席の女子も。
後ろの3年生の先輩たちも。
ウオオオオオオッ!
地鳴りのような歓声と共に、体育館を埋め尽くす数百の拳が突き上げられた。
それは壮観だった。
教師たちが怯えて小さくなっているのと対照的に、僕たち生徒は一つになり、巨大な怪物のように膨れ上がっていた。
権田先生が、その圧力に耐えきれず、膝から崩れ落ちた。
教頭先生は椅子にへたり込み、校長先生は顔を覆っている。
勝った。
僕たちは勝ったんだ。
今まで絶対だと思っていた権力者たちが、僕たちの声の前にひれ伏した。
涙が出てきた。
それは悲しいからじゃない。嬉しくて、悔しくて、そして何より、自分が「自由」を手に入れたという実感に震えたからだ。
神条先輩は、突き上げた拳を下ろすことなく、崩れ落ちた権田先生を見下ろして何かを言った。マイクを通していなかったから聞こえなかったけど、きっと「チェックメイト」と言ったに違いない。
この日、僕の学校は死んだ。
そして、新しく生まれ変わった。
神条湊という、恐ろしくも魅力的なリーダーと共に。
僕は、赤く腫れ上がった拳を握りしめながら、これからの学校生活が、今までとは全く違うスリリングなものになることを確信していた。




