第5部:革命と再生編
第37話:操り人形の演説と、凍りついた体育館
2時間目。
全校生徒が体育館に入場した。
鉄扉が閉ざされ、窓には暗幕が引かれる。昼間だというのに薄暗い空間には、湿った熱気と、600人の緊張感が充満していた。
普段なら私語やふざけ合う声が響くはずだが、今日は異常なほどの静寂が支配していた。
咳払い一つ聞こえない。衣擦れの音さえ躊躇われるほどの緊張感。
生徒たちは全員、背筋を伸ばしてステージを見つめている。その瞳には、これから始まる「何か」への期待と、微かな恐怖が宿っている。
ステージの袖で、私は出番を待っていた。
隣には、対立候補である佐藤健太がいる。バスケ部主将、爽やかイケメン。教師たちが「理想的な生徒会長」として擁立した操り人形だ。
彼は顔面蒼白で、何度も深呼吸を繰り返している。手には汗で湿った演説原稿が握りしめられている。
「……なぁ、神条。今日、何かやるつもりだろ?」
佐藤が震える声で聞いてきた。視線は合わせようとしない。
「何かとは?」
「とぼけるなよ。部活の連中が言ってたんだ。『今日は祭りになる』『神条が全部ぶっ壊すらしい』って。お前、何を仕掛ける気だ? 俺の選挙を邪魔する気か?」
私は彼を一瞥した。
「君には関係ないよ、佐藤くん。君はただ、教師たちが書いた台本通りに、美しい優等生を演じればいい。それが君の役割だ。君のその綺麗な経歴に、傷をつけるつもりはないよ」
「なっ……! 馬鹿にしやがって……!」
佐藤が何か言い返そうとした時、司会のアナウンスが響いた。
「それでは、立候補者演説に移ります。まずは、2年C組、佐藤健太くん」
佐藤は強張った笑顔を貼り付け、ステージへと歩いて行った。
拍手はまばらだ。儀礼的な、乾いた音がパラパラと響くだけ。
佐藤がマイクの前に立ち、演説を始める。
「えー、皆さん、こんにちは。私は、『挨拶でつながる明るい学校』を目指します。毎朝の挨拶運動を強化し、ゴミ拾いボランティアを……そして、校則を守ることで……」
退屈だ。
誰も聞いていない。生徒たちは虚空を見つめ、あるいは足元を見ている。まるで佐藤が存在していないかのような無関心。
教職員席の教師たちだけが、「うんうん、いいぞ」「しっかりした公約だ」と満足げに頷いている。彼らの表情には、「これで安泰だ」という油断がありありと浮かんでいる。彼らは気づいていない。自分たちの背後にある生徒席が、冷ややかな氷の海になっていることに。
演説が進むにつれ、佐藤の声が上擦っていく。会場の無反応さに耐えきれなくなっているのだ。誰も自分を見ていない。誰も自分に期待していない。その孤独感が、彼の自信を削り取っていく。
5分間の演説が、永遠のように感じられただろう。
ようやく彼が「……以上です」と締めくくると、再びまばらな拍手が起きた。佐藤は逃げるようにステージを降りた。
「続いて、生徒会長候補、2年A組、神条湊くんの演説です」
アナウンスが響いた瞬間。
空気が変わった。
それまで死んだようだった生徒たちの背筋が一斉に伸び、600双の目がステージの一点に集中する。
ざわめきすら起きない。完全なる静寂。
だが、その静寂は「無関心」ではなく、「固唾を飲んで見守る」種類の静寂だった。
教職員席の空気がピリリと張り詰める。校長が眼鏡を直し、権田が腕組みをして睨みつけてくる。
私はゆっくりと、一歩一歩踏みしめるようにステージの中央へ進んだ。
スポットライトが眩しい。
マイクの前に立つ。
私は何も言わずに、ただ会場を見渡した。
3秒、5秒、10秒……。
長い沈黙。
教師たちが「何だ?」「早く喋れ」とざわつき始めた頃、私はマイクのスタンドを外し、ハンドマイクとして握りしめた。
「皆さん」
第一声。
低く、落ち着いた声。
「聞こえますか? この静寂の音が」
生徒たちが息を呑む。
誰もが次の言葉を待っている。乾いたスポンジが水を求めるように、彼らは「真実」の言葉に飢えているのだ。
「これは、従順な羊たちの沈黙ではありません。嵐が来る前の、海鳴りのような静けさです」
私はステージの端まで歩き、生徒たちの顔を一人一人覗き込むように視線を動かした。
そして、ニヤリと笑った。
さあ、始めようか。
言葉という名の弾丸を、この腐ったシステムの心臓に撃ち込む時だ。




