第4部:崩壊の序曲・心理戦編
第20話:革命前夜、星空の下の誓い
決戦前夜。
午後8時。本来ならば、学校は完全に施錠され、静寂に包まれているはずの時間だ。教師たちも全員退勤し、校舎は闇に沈んでいる。
だが、今夜だけは違った。
北校舎の屋上。そこには、星空の下、奇妙な集団が集結していた。
私、神条湊。
情報局長・影山透。
元生徒会役員・一ノ瀬玲奈。
サッカー部主将・桐島健太。
その相棒・大野。
前生徒会長・西園寺圭介。
そして、新聞記者の有田五郎。
鍵は影山が複製した合鍵で開け、警備システムは彼がハッキングして一時的にループ映像に切り替えている。この屋上は今、この世で最も安全な、革命軍の秘密基地となっていた。
冷たい秋風が吹き抜ける中、私たちはコンクリートの床にランタンを囲んで座っていた。まるでキャンプファイヤーのようだが、そこで語られるのは青春の思い出話ではなく、明日のクーデターの最終確認だ。
「……これが、明日のシナリオだ」
私は一枚の紙を広げ、ランタンの明かりにかざした。手書きのフローチャートがびっしりと書き込まれている。
「まず、演説開始5分後。私が『教員評価制度』を提案した瞬間に、校長か権田が介入してくるはずだ。マイクを切るか、怒鳴り込んでくるか。彼らの沸点は限界まで下がっている」
「そこですかさず、僕がプロジェクターを起動する」
影山がタブレットを操作しながら引き取った。彼の顔はモニターの青白い光に照らされ、自信に満ちている。かつての陰気なオタク少年の面影はない。
「映像の順番は、①松島の体罰、②石田の不純異性交遊、③教頭の裏帳簿データ、そして最後に④権田の暴行音声。このコンボで、会場の空気を一気に『教師への不信感』で埋め尽くす」
「そこで俺たちの出番だな」
桐島がニヤリと笑い、拳を手のひらに打ち付けた。
「映像が流れたら、サッカー部と野球部の連中が中心になって、わざと騒ぎを大きくする。『なんだあれ!』『先生ひでえ!』ってな。3年生も巻き込んで、体育館中をブーイングの嵐にする」
「西園寺先輩、3年生の動きは?」
私が問うと、西園寺は眼鏡を光らせて頷いた。
「問題ない。受験勉強のストレスが溜まっている連中にとって、これは最高の発散イベントだ。『教師を吊るし上げろ』という空気は既に出来上がっている。僕が合図すれば、全員が神条支持に回るよ」
「そして、混乱がピークに達した時、私が止めを刺す」
一ノ瀬が凛とした声で言った。
「放送室をジャックして、全校放送で神条くんの『緊急信任決議』を宣言するわ。選挙管理委員会の美咲も協力してくれる。教師たちがマイクを取り上げようとしても、放送室の鍵は内側からロックするから手出しできない」
「そこで俺が記事用の写真を撮る、ってわけか」
有田記者がタバコを吹かしながら、一眼レフカメラを愛おしそうに撫でた。
「いい絵が撮れそうだ。見出しはもう決めてある。『生徒たちの反乱、腐敗した教育現場への鉄槌』。明日の夕刊には載るぜ」
完璧だ。
個々の役割が有機的に噛み合い、一つの巨大な歯車となって教師たちを粉砕する。
私は彼らの顔を見渡した。
半年前までは、互いに関わり合うこともなく、ただ理不尽な学校生活に耐えるだけだった生徒たち。それが今、一つの目的のために結集し、目を輝かせている。
これこそが、私が作りたかった「組織」だ。恐怖や利益だけでなく、志で繋がったチーム。総理大臣時代、派閥の論理に縛られて作れなかった理想の形が、まさか中学校で作れるとは。皮肉だが、心地よい。
「……ねえ、神条くん」
ふと、一ノ瀬が静かに口を開いた。ランタンの炎が彼女の瞳の中で揺れている。
「本当に、勝てるのかな。私たち」
その言葉に、一瞬だけ場の空気が沈んだ。
相手は大人だ。権力者だ。万が一失敗すれば、私たちはただでは済まない。退学、内申書の汚点、社会的制裁。リスクは計り知れない。
「怖いかい?」
私は穏やかに尋ねた。
「……うん。正直、怖いよ。足が震えてる」
一ノ瀬は膝を抱えて言った。桐島も、西園寺も、影山も、黙って頷いた。有田だけが、大人としての苦い顔をしている。
私は立ち上がり、屋上のフェンス際まで歩いた。眼下には、街の明かりが広がっている。人々が眠り、また明日が来るのを待っている平和な街。
だが、この学校だけは、明日、戦場になる。
「恐怖を感じるのは当然だ。それは君たちが正常である証拠だ」
私は背を向けたまま語りかけた。
「だが、思い出してほしい。君たちがなぜここにいるのかを。
影山くん。君は、自分の才能をゴミのように扱われた悔しさを忘れたか?
一ノ瀬さん。君は、都合の良い人形として扱われる屈辱に耐えられるか?
桐島くん、大野くん。君たちは、仲間の夢を理不尽に潰された怒りを飲み込めるか?
西園寺先輩。貴方は、自分の努力を裏切られた絶望を許せるか?」
私は振り返った。
彼らの目に、再び火が灯るのを見た。
「大人たちは言う。『我慢しろ』『社会とはそういうものだ』と。
嘘だ。
理不尽に耐えることが大人になることではない。理不尽と戦い、自分たちの手で正義を勝ち取ることこそが、真の成長だ。
明日の戦いは、君たち自身の尊厳を取り戻すための戦いだ。勝てるかどうかじゃない。勝たなければならないんだ」
私の言葉は、夜風に乗って彼らの心に深く染み渡っていった。
総理大臣としての演説ではない。一人の同志としての、魂の叫び。
「神条……お前、やっぱすげえよ」
桐島が立ち上がり、拳を突き出した。
「やるぞ。俺たちの学校だ。俺たちが決める」
「ああ。やってやろうじゃないか」
西園寺が立ち上がり、桐島の拳に自分の拳を合わせた。
「僕も……逃げないよ。最後まで記録する」
影山が続く。
「私も。もう、いい子は卒業する」
一ノ瀬も立ち上がった。
次々と拳が合わさっていく。
最後に、私が自分の拳を重ねた。
中心に集まった手。温かい。血が通っている。
これが、革命の狼煙だ。
「よし。解散しよう。明日は長い一日になる」
私は言った。
「全員、最高の笑顔で登校してくれ。それが教師たちへの最大の挑発になる」
彼らは一人、また一人と屋上を去っていった。
最後に有田が残った。
「……なぁ、神条。お前、本当に中学生か?」
有田はタバコの煙を吐き出しながら、疑り深い目で私を見た。
「時々、百戦錬磨の政治家と話してるような錯覚に陥るんだが」
「買いかぶりですよ、有田さん。私はただの、生意気な子供です」
私はニヤリと笑い、人差し指を口元に当てた。
「大人の世界を、少し早く知りすぎてしまっただけのね」
有田は肩をすくめ、苦笑いを残して去っていった。
一人残った屋上。
私は夜空を見上げた。満天の星。かつて国会議事堂の屋上から見た空と同じだ。
だが、今の私には、あの頃にはなかった高揚感がある。
守るべき地位も名誉もない。あるのは、信頼できる仲間と、変えるべき未来だけ。
なんて自由なんだろう。
「……さて、総理大臣閣下。いや、生徒会長候補・神条湊」
私は自分自身に問いかけた。
「準備はいいか? 明日は、お前の人生で最高のショータイムだ」
私はポケットから、明日の演説原稿を取り出した。
そして、それをビリビリと破り捨てた。
紙吹雪のように舞い散る白い紙片。
原稿など要らない。私の言葉は、私の魂から直接、彼らの心に届ける。
闇に溶けていく紙片を見届け、私は屋上を後にした。
階段を降りる足音は、確かなリズムを刻んでいた。
それは、古い体制が崩れ去り、新しい時代が足音を立ててやってくる予兆の響きだった。




