第1章:未開の地にて
第1話:教室という名の国会
1年A組の教室は、私の目には未熟な「国会」として映っていた。
授業の合間の十分休み。私は騒がしい教室の喧騒から距離を置き、パイプ椅子に深く腰掛けたまま、クラス内の勢力図を分析していた。
政治において最も重要なのは「数」だ。しかし、単に頭数を揃えればいいというものではない。誰がキーマンか、誰が浮動票か、そして誰が裏で糸を引いているか。それを見極めるのが、長年永田町で生き抜いてきた私の習性だった。
まず、教室の中央を陣取っている集団。
クラスカーストの頂点に位置する「陽キャ」グループだ。
中心にいるのは、サッカー部のエース候補と言われる桐島。声が大きく、教員に対しても物怖じしない。彼の一挙手一投足に、周囲の男子も女子も媚びへつらっている。
彼らはクラスの雰囲気(空気)を作る。彼らが「あれはダサい」と言えばダサくなり、「あれは面白い」と言えば面白くなる。まさに与党の執行部だ。
次に、窓際の後方。
ここには、特定の部活動や趣味で固まる小集団がいる。
アニメやゲームの話に興じる彼らは、クラスの主要な話題には入ってこないが、独自のコミュニティを形成している。彼らは野党だが、政策(興味)が合致しない限り動かない。
そして、教卓の最前列付近。
真面目に予習復習をし、教師の覚えがめでたい優等生グループ。
彼らは官僚タイプだ。体制(教師)に従順で、波風を立てることを嫌う。
最後に、教室の隅で一人、誰とも話さず本を読んでいる生徒たち。
無所属議員。あるいは、政治的無関心層。
(……ふむ。手始めに落とすべきは、やはり『情報』と『暴力』か)
私は、鞄の中から真新しい大学ノートを取り出し、万年筆を走らせた。
ページには、座席表と共に、各生徒の特徴や人間関係がびっしりと書き込まれていく。
私がまず目をつけたのは、窓際の席でスマートフォンを弄っている小柄な男子生徒だった。
名前は、影山。
彼はパソコン部に所属しており、クラスでは「陰気なオタク」として軽んじられている。だが、私の目は誤魔化せない。彼がスマホを操作する指の速度、そして時折周囲に向ける冷ややかな視線。
彼は、この教室の愚かさを軽蔑している。そして、テクノロジーに強い。
現代の戦争において、サイバー空間を制する者は世界を制する。彼のような人材こそが、私の「内閣」における官房長官、あるいは情報調査室長に相応しい。
次に目をつけたのは、先ほどの「陽キャ」グループの桐島……ではない。
桐島は目立ちすぎる。神輿としては優秀だが、実務能力には疑問が残る。
私が注目したのは、桐島の隣で静かに笑っている大柄な男、大野だ。
彼は桐島の腰巾着のように見えるが、周囲への配り(気配り)が異常に早い。桐島が何かを欲する前にそれを差し出し、他の生徒との摩擦が起きそうになると、笑顔で仲裁に入る。
彼こそが、このグループの実質的な調整役だ。彼を掌握すれば、クラスの最大派閥を裏からコントロールできる。
「おい、神条。何書いてんだ?」
不意に影が落ちた。
顔を上げると、ターゲットの一人である桐島が、興味本位の笑みを浮かべて私のノートを覗き込もうとしていた。
後ろには大野も控えている。
「随分と熱心だな。勉強か?」
「ええ、まあ。今後の『計画』を少々」
私はノートをパタンと閉じ、穏やかに微笑んだ。
中学生相手に動揺などしない。むしろ、向こうから接触してくるとは好都合だ。
「計画? なんだそれ、すげー真面目ぶってんじゃん」
桐島が茶化すように笑うと、取り巻きたちも同調して笑う。
典型的な同調圧力。出る杭を打ち、平均化しようとする日本教育の悪しき成功例だ。
「桐島くん。君は、今のこのクラスの状態に満足していますか?」
「は? なんだよいきなり。別に普通だろ。楽しいし」
「そうですか。それは良かった。ですが、君のその『楽しさ』は、教師という絶対権力者の気分一つで、いつでも粉々に砕け散る砂上の楼閣だとしたら?」
私の言葉に、桐島の笑顔が引きつった。
彼は直感的に、私の言葉が単なる屁理屈ではないことを感じ取ったようだ。
後ろの大野の目が、スッと細められたのを私は見逃さなかった。
「……何が言いてえんだよ」
「いずれ分かります。その時が来たら、相談に乗りますよ」
私はそれだけ言い残し、予鈴のチャイムと共に席を立った。
桐島は何か言いたげだったが、教師が入ってきたことで会話は中断された。
種は蒔いた。
次は、水と肥料をやる番だ。
私は視線を、窓際の影山へと移した。彼は今のやり取りを、スマホの画面越しに盗み見ていた。
彼のような人間は、強い者への反骨心と、自分を認めてくれる者への渇望を同時に抱えている。
放課後。
私は人気のない特別教室棟の渡り廊下で、影山を待ち伏せすることにした。
これは「陳情」ではない。「ヘッドハンティング」だ。
私の革命には、彼の技術が不可欠なのだから。
国会議事堂の赤絨毯よりも、このリノリウムの床はずっと冷たい。
だが、ここから始まるのだ。
私の、そしてこの学校の、新しい歴史が。




