第3部:静かなる浸食・包囲網拡大編
第12話:部活動費横領の「裏帳簿」と堕ちた商人
金は口ほどに物を言う。
政治の世界では常識だが、学校という閉鎖的で、ある意味で純粋培養された社会においても、その真理は変わらない。いや、むしろ「子供のため」「教育のため」という聖域がある分、一度腐敗するとその根は深く、外からは見えにくい分だけ醜悪だ。
私は情報局の影山と共に、第6話で発見した「部活動費の不正流用」の証拠を、単なる疑惑のレベルから、裁判でも通用する「決定的証拠」へと昇華させる作業を進めていた。デジタルデータだけでは不十分だ。現実世界での裏付け(ウラ)が必要なのだ。
秋晴れの休日。私は制服ではなく、少し背伸びをしたジャケット姿の私服を着て、市内の商店街にあるスポーツ用品店「タカハシスポーツ」を訪れた。
この店は、昭和の時代から本校の運動部指定の用具店として独占契約を結んでいる老舗だ。体操服、ジャージ、ボール、バット……全ての用品がここを通る。そして、教頭と野球部顧問が癒着している店でもあると、影山のハッキング調査で判明していた。
シャッターが半分閉まったような寂れた商店街の中で、その店だけは新しい看板を掲げていた。
店内に入ると、独特のゴムと革の匂いが充満している。客の姿はない。薄暗い店内のカウンターの奥で、店主の高橋が競馬新聞を広げ、赤ペンを耳に挟んでラジオを聞いていた。
「いらっしゃい。……なんだ、中学生か。冷やかしか?」
高橋は面倒くさそうに顔を上げ、私を一瞥しただけで視線を新聞に戻した。
「すみません、ちょっとお聞きしたいことがありまして。領収書の書き方についてなんですが」
「はい? 領収書? 買いもんしてから言えよ。うちは忙しいんだ」
「ええ、買い物を検討しています。実は、父が会社の経費で落ちる領収書を欲しがっていまして……『上様』で、但し書きを『品代』として、金額を空欄にしてもらうことって、この業界ではよくあるんですか?」
私は無邪気な子供のフリをして、核心を突くカマをかけた。
高橋の顔が一瞬引きつり、新聞を持つ手が止まった。空気が凍りつく。
「い、いや、そんなことは滅多にしないよ。今はうるさいからな、税務署とか。……坊主、どこの子だ?」
「そうですか。変だなあ。でも、ウチの学校の教頭先生は、よくここでそういう『調整』をしてるって聞きましたけど。父が『教頭ができるなら俺も』って言うもので」
私が「教頭」という単語を出した瞬間、高橋の目が泳いだ。競馬新聞をカウンターに置き、立ち上がる。額に脂汗が滲んでいるのが見える。
クロだ。あまりにも分かりやすい反応。小悪党特有の、罪悪感と怯えが入り混じった顔だ。
「……君、どこの生徒だ? 北中か? 何が言いたいんだ」
「北中学2年の神条です。単刀直入にお聞きします。教頭先生が先月、ここで野球部の新品バットを10本、計20万円で購入したことになっていますよね? 学校の会計報告書にはそう記載されていました。でも、実際に野球部の部室に届いたのは3本だけでした。残りの7本分の代金、約14万円はどこへ消えたんでしょう?」
私はポケットからスマホを取り出し、録音アプリが起動している画面を彼に見せた。波形が私の声に合わせて動いている。
高橋が息を呑み、顔色が土気色に変わる。彼はカウンターから身を乗り出し、私を威圧しようとした。
「て、テメェ、何者だ! 警察か? いや、ただのガキが……ふざけたこと言ってると学校に通報するぞ!」
「通報? どうぞ。警察にも電話しましょうか? その場合、貴方の店の帳簿も全て押収されることになりますが。架空請求、横領幇助、私文書偽造……実刑は免れないでしょうね」
私は冷徹に刑罰の可能性を羅列した。
高橋の膝が震え出す。彼はこの町で生きてきた。店が潰れれば終わりだ。その恐怖が彼を支配する。
「おじさん。貴方も被害者なんでしょう? 学校側から『指定店の契約を打ち切るぞ』『お宅以外にも店はあるんだぞ』と脅されて、不正に加担させられている。違いますか?」
私は相手を追い詰めるのではなく、逃げ道を用意した。
「悪いのは教頭で、店は悪くない」「脅されてやった」という言い訳を提示することで、彼の口を開かせる。これが尋問のテクニックだ。敵を追い詰めすぎれば噛み付いてくるが、退路を作ればそこへ逃げ込もうとする。
「……ああ、そうだよ。断れなかったんだ。あそこはウチにとって一番の太客だからな。全生徒のジャージだけで年間数百万になる。教頭が『リベートをよこせ』『架空の伝票を切れ』ってしつこくて……断ったら隣町のチェーン店に変えるぞって脅されて……」
高橋がカウンターに崩れ落ちるように手をつき、堰を切ったように口を割った。
「俺だって嫌だったんだ。子供たちのための金を、あんな……飲み代やパチンコ代に消えるなんて」
「証言、ありがとうございます。この録音があれば、もし警察沙汰になっても、貴方は捜査協力者として扱われ、情状酌量される可能性があります。私が保証します」
私は畳み掛けた。ここで引いてはいけない。
「その代わり、過去5年分の『裏取引』の伝票と、教頭とのやり取りを記したメモ、コピーさせてくれませんか? それがあれば、貴方が教頭に強要されていたという証明になります。貴方が身を守るための唯一の盾です」
高橋はしばらく葛藤していた。保身と正義感、そして教頭への恐怖。
だが、私の「貴方を守る」という言葉に縋るように、彼は観念して頷いた。
店の奥にある重厚な金庫。その中から、埃を被った分厚いファイルを取り出してきた。
そこには、教頭だけでなく、歴代の校長や事務長のサインが入った架空請求書、裏金の分配メモ、さらには「口止め料」として渡された金券の記録までが、山のように保存されていた。
これは単なる横領ではない。学校という組織が長年にわたって行ってきた、構造的かつ伝統的な犯罪だ。教育者という仮面を被ったハイエナたちの宴の記録。
私はファイルの山を見ながら、背筋が寒くなるのと同時に、強烈な高揚感を覚えた。
この学校の腐敗は、根っこまで進行している。もはや剪定では済まない。根こそぎ掘り返し、焼き払う必要がある。
だが、それは好都合だ。腐敗が深ければ深いほど、それを暴いた時のインパクトは絶大であり、私が新しい秩序を作る正当性は揺るぎないものとなる。
私は店のコピー機を借り、膨大な資料を複製しながら影山にメッセージを送った。
『爆弾の火薬量が想定の10倍になった。慎重に運搬する。これで教頭の首だけでなく、教育委員会、ひいてはこの街の教育行政全体を巻き込む大爆発が起こせるぞ』
高橋店主は、まるで憑き物が落ちたような顔で、コピー機がリズムよく紙を吐き出す音を聞いていた。彼もまた、長い間、良心の呵責と恐怖の板挟みに苦しんでいたのだろう。
私は全てのコピーを鞄に詰め込み、彼に深く一礼した。
「ご協力、感謝します。この資料は、必ず正しく使います」
店を出ると、秋風が火照った頬を撫でた。手に入れた分厚い封筒は、物理的な重さ以上に、多くの大人の運命を握る、鉛のような重さを持っていた。




