第2部:静かなる浸食・基盤構築編
第10話:聖職者の仮面を剥ぐ夜
学校には必ず一人はいるものだ。「いい先生」を演じているが、その実、最も陰湿で歪んだ人間性を隠し持っている教師が。
本校においては、3年B組担任、佐久間がそれに当たる。
30代前半、爽やかなルックス、物腰も柔らかい。生徒からの人気も高く、特に女子生徒からは「佐久間ちゃん」と呼ばれてアイドル扱いされている。彼は体罰もしないし、暴言も吐かない。
だが、私の目は誤魔化せない。元総理大臣として数多の人間を見てきた直感が告げている。
彼の笑顔の奥にあるのは、生徒を見下す冷徹な選民意識だ。彼は、成績優秀な生徒やお気に入りの女子生徒だけを露骨に優遇し、逆に成績の悪い生徒や目立たない生徒を、巧みな言葉で精神的に追い詰め、不登校に追いやっている。いわゆる「サイコパス教師」だ。
権田のような分かりやすい暴力教師は対処しやすいが、佐久間のようなタイプは厄介だ。生徒たちが彼に心酔し、洗脳されているからだ。
選挙前に、この「聖人」のメッキを剥がし、生徒たちの目を覚まさせる必要がある。彼が持っている「人気」という武器を無力化しなければ、私の改革は「いい先生をいじめる悪い生徒会長」という構図で見られてしまう。
私は情報局の影山と共に、ある作戦を実行に移した。
佐久間が頻繁に開催している「悩み相談会」という名の、お気に入り女子生徒を集めた放課後のお茶会。
その現場である特別教室に、高性能の集音マイクを仕掛けたのだ。
金曜日の夕方。情報局のアジトで、私たちはヘッドホンを当てていた。
佐久間の甘ったるい声が聞こえてくる。
『――だからさ、あいつら(成績下位の生徒)とは関わらない方がいいよ。君たちのレベルが下がっちゃうから』
『人間にはランクがあるんだ。君たちは選ばれた人間なんだから、ゴミ掃除なんか真面目にやらなくていいよ。それは、将来社会の底辺になる奴らがやればいい仕事だから』
『特にあの、1組の田中とかさ、生きてる価値ないよね(笑)。早く学校辞めればいいのに』
女子生徒たちの媚びるような笑い声が重なる。
ひどい内容だ。教育者としての欠片もない、純粋な差別発言と人格否定のオンパレード。彼は生徒を「人間」としてではなく、自分の自尊心を満たす「アクセサリー」と「ゴミ」に分類しているのだ。
「……うわぁ、幻滅。吐き気がするよ」
影山が顔をしかめ、ヘッドホンを外しかけた。
「これが彼の本性ですよ。優しさという名の猛毒だ」
私は冷静に録音データを保存した。
だが、これを今の段階で全校生徒に公開するのはリスクがある。信者たちが「捏造だ」と騒ぎ立てる可能性があるからだ。
必要なのは、彼自身に墓穴を掘らせることだ。彼が私に対して、その本性を剥き出しにする瞬間を映像で押さえる。
翌日。
私は「不登校になりかけている生徒」を装い、佐久間に個別の相談を持ちかけた。
放課後の教室。西日が差し込む中、二人きり。
私は胸ポケットにペン型カメラを仕込んでいる。
「先生……僕、学校が辛くて。みんなと馴染めなくて」
私は弱々しく、視線を落として演技をした。
佐久間は優しげな笑顔で近づいてきた。
「そうか、神条くん。辛いよね。分かるよ」
彼が私の肩に手を置いた。その瞬間、彼の声のトーンが変わった。温度のない、氷のような声。
「でもさ、正直に言うとね。馴染めないのは、君がつまらない人間だからじゃないかな?」
「え……?」
私は驚いたフリをして顔を上げた。佐久間は笑っていた。だが、目は笑っていない。
「努力も才能もない人間はさ、どこに行っても邪魔者なんだよ。君みたいなのがいると、クラスの空気が澱むんだよね。学校に来るのが辛いなら、来なくていいよ。その方が、クラスのみんなも喜ぶし。退学届、もらってきてあげようか?」
笑顔のまま、淡々と吐き出される毒。
言葉の暴力。精神を壊す刃。
これが、何人もの生徒を不登校にしてきた手口か。「君のためを思って」という顔で、自殺教唆に近い言葉を投げかける。
「……そうですか。先生の本音が聞けて、安心しました」
私は表情を一変させ、冷徹な目で彼を見返した。総理大臣として、政敵を葬る時に見せた目だ。
「え? 何?」
佐久間が眉をひそめ、後ずさりした。私の変貌に、本能的な危機感を覚えたらしい。
「貴方は教育者ではない。子供の心を食い物にする寄生虫だ。……その言葉、高くつきますよ」
私は無言で席を立ち、教室を出た。
カメラは回っていた。彼の「死ね」にも等しい発言は、鮮明に記録された。
これで「聖人・佐久間」は死んだ。あとは、この映像を選挙戦という処刑台で流すだけだ。
廊下に出ると、外は既に暗くなっていた。
私の足音だけが響く。
主要な敵、そして味方の駒は全て揃った。
次はいよいよ、第3部。選挙戦という名の戦争が始まる。
私はネクタイを緩め、夜の闇に向かって静かに笑った。
「さあ、祭りの準備は整った」




