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私は第二王子の婚約者。だからこその矜持があります。

作者: 大濠泉

◆1


 私、ブライト公爵家のサトリは、第二王子ボイス・エルタミアと婚約している。

 今、私は十八歳、ボイス王子は二十歳。

 もう一、二年もすれば結婚と言われているので、このまま何事もなく推移すれば、二十歳になった頃には、私は王族の一員となっていることだろう。

 私の実家ブライト公爵家も、王国三大公爵家の一角に数えられるほどの名家だが、さすがに王族ほどの格式はない。

 だから、この婚約は、玉の輿の予約でもあった。


 だがしかし、人も羨む未来だと見做されていようとも、今の私には深刻な悩みがある。

 婚約者である第二王子が、若者らしい野心を(たぎ)らせるのを、押し止めることができないことだ。



 もう冬も終わりに差し掛かった季節ーー。


 婚約者のボイス第二王子は、今日も昼過ぎから、我がブライト公爵邸に来訪していた。

 私との仲はギクシャクしているが、私の両親や姉とは仲が良いから、我が家での居心地が良いようで、王宮から頻繁に馬車で乗り付けて来ては、飲み食いしている。


 今も、私の対面でテーブルに着き、昼食後の紅茶を(たの)しんでいるが、改めて見てみると、私の婚約者ボイス・エルタミア王子は、たしかに良い男だ。

 美しい金髪はキラキラ輝き、赤い瞳は炎のように煌めいて、精悍な顔立ちをしている。

 おまけに筋骨隆々で、乗馬が上手く、学業成績も良い。

 学園時代から評判の「イケてる王子様」だ。


 だけど、私に言わせれば、残念なことに、社会的な視野に欠けている。

 それに、自分の立ち位置がわかっていない。

 第二王子として、これは決定的な資質欠如だ。


 案の定、今日も、ボイス王子は、彼の常套句を口にする。


「サトリ嬢。

 貴様は覇気が足りぬ。

 俺様の婚約者として、相応しくない」


 そう。

 ボイス・エルタミアは、第二王子として、肝心なことがわかっていない。

 いたずらに王位を望んで王位継承争いを激化させようとしているが、それを兄の王太子殿下のみならず、国王夫妻も、貴族たちも、王国民すらも望んではいない、ということを。

 我がエルタミア王国の安寧のために、慎ましくしていなければならないということを、ちっともわかろうとしないのだ。


 ボイス第二王子は、何かというと、「実力がある者が上位に立つべきだ」とか、「才能が発揮されない社会は、正さねばならない」などと、まるで平民の間でささやかれる革命思想のようなことを口にする。

 王族にあるまじき過激な言辞を吐いているが、その表向きの言葉にはたいした意味はなく、じつのところ、「兄の王太子を追い落として、俺様が王位に就くべきだ!」という自分本位な願望を口にしているだけなのは、誰の目にも明らかだった。


 そういう欲望丸出しなところは、私の腹違いの姉ダミア・ブライト公爵令嬢とそっくりだ。


 姉のダミアは、正室であるお義母様ブルル・ブライト公爵夫人の実の娘だ。

 一方で、私、サトリは、側室メルルの娘なうえに、私が三歳の頃に、実母は病没している。

 だから、幼い頃から、姉ダミアと私サトリは、主人と侍女のような間柄だった。

 ダミアは常に屈強な身体付きの従者を従え、ワガママ放題に振る舞っていた。

 私からお人形やぬいぐるみを気儘に取り上げては壊して捨てて、食卓を共にすると、私のお皿からお肉や魚を奪い取る毎日だった。

 おかげで、私は痩せ細った身体に育ち、対照的に姉はブクブクと肥え太っている。


 そんなふうに、私から何から何まで奪う姉だったが、唯一、私から奪えなかったものがある。

 それが、「ボイス第二王子の婚約者」という立場だった。

 こればかりは、エルタミア王家によって直々に要請された、私が三歳の頃に取り決められた縁組みだった。

 それが納得できないらしく、姉のダミアは扇子を広げながら、事あるごとに放言する。


「ボイス王子の婚約者は、妹のサトリではなく、私、ダミアであるべきだわ。

 だって、おかしいでしょ?

 私が姉で、サトリは妹。

 おまけに、私は正室の娘で、サトリは側室の娘。

 お母様の実家だって侯爵家で、サトリの母のような貧乏男爵家とは違う。

 なのに、サトリがボイス王子の許婚(いいなずけ)だなんて!」


 と、舞踏会でも、親戚縁者の集まりでも、声高に主張する。


 だが、こうした放言をすること自体、ダミアが事情を呑み込めていない証拠だ。

 ボイス第二王子と同様、なんにもわかっちゃいない。

 私、サトリ・ブライトは、側室メルルの娘だからこそ第二王子にあてがわれたのだ。

 そもそも、私がボイス第二王子と婚約すること自体が、王家の嫡男である王太子殿下のご夫妻と、差をつけるために縁組みされたものだった。


 昨年、我が国の王太子アリア・エルタミアは、筆頭公爵家のご令嬢セシル・スミルと結婚したばかり。

 もちろんセシル嬢は歴とした正室の娘で、学業優秀、おまけに美貌の持ち主だ。

 桃色髪が艶やかで、非の打ちどころのない貴族婦人でもあった。

 赤髪のアリア王太子の横で、白いドレスをまとって佇む姿は、とても美しかった。

 王太子の結婚披露宴は盛大に行われ、国を挙げての歓迎ムードとなり、特に王都では三日もの間、まるでお祭り騒ぎとなった。


 それが、ボイス第二王子を焦らせたのかもしれない。

 私、サトリのような貧弱な女と婚約しているようでは、王位を狙えない、と。


 いきりたつボイス王子とは対照的に、アリア王太子殿下ご夫妻は、じつに穏やかな態度で接してくださった。

 私たち、ボイスとサトリの婚約を祝福し、特にセシル王太子妃は、お茶会に誘ってくださったときも、手ずからポットを傾けて香ばしい紅茶を注いでくれて、私にまで気を遣ってくださる。

 王太子殿下とセシルの二人も幼少時からの婚約関係で、結婚前から、婚約カップル同士で、仲良くさせてもらっていた。


 それなのに、先週、王宮でのお茶会に招待された際にも、ボイス第二王子は、国政を担いつつある兄のアリア・エルタミア王太子殿下を睨み付けては口角泡を飛ばし、「最近、我が王国は、周辺諸国に舐められている」だの、「俺には産業を活性化させる秘策がある」だのと、ネチネチとウザ絡みする。

 いくら私が婚約者として注意しても、聞いてくれない。

 アリアとセシルの王太子ご夫妻も、対応に苦慮なさる始末だった。

 

 往時を想い出して、私、サトリ・ブライトは溜息をつく。


 そして、今日も同じようなセリフで、息巻いている婚約者を、


「もう夕暮れ刻となります。

 今日のところは、お帰りください」


 と、玄関先まで誘った。


 夕刻まで長居したボイス王子が帰宅するのをお見送りする。

 そして、家族総出で王子をお見送りした後、私、サトリは階段を上がり、自室に戻った。疲れたから、今すぐ、ベッドに寝転びたかった。


 ところが、思わぬ事態に遭遇する。

 自室に入った途端、いきなり何者かに抱きつかれたのだ。


「声をあげるな。おとなしくしろ!」


 背後から羽交締めにされ、ナイフらしきものを首筋に突きつけられた。


(どうやって、こんな部屋の中にまで侵入を!?)


 私は驚いたが、即座に反応した。

 王子の伴侶になるために、護身術を身につけていたのだ。


 暴漢の脇腹を肘で突き、怯む隙を見て、男の身体を押し除ける。

 それから背後に回って、相手の腕を捻り、動けなくする。


「ガアッ!?」


 暴漢は呻き声をあげたが、私は容赦することなく相手を(ひざまず)かせ、その背中に身体を押し付けた。


 そこへ、私付きの若い執事モントレーと、なぜだか姉のダミア・ブライトが、私の部屋に飛び込んできた。

 私は暴漢を抑え込んだまま、姉にお願いした。


「あ、ダミアお姉様。

 暴漢を捕らえました。

 誰か人をお呼びください」


 姉は常日頃、体格の良い従者を数人、引き連れている。

 こんなときこそ、活躍してもらいたい人材だ。


 ところが、姉ダミアは言うことを聞かない。

 人を呼びに行くどころか、逆に私に身体を寄せてくる。

 そして、いきなり、ドン! と、体当たりしてきた。


「あ!?」


 私の体勢が崩れ、男の腕が自由になる。

 男はニヤリと笑って、私と姉を突き飛ばし、窓から出て行く。

 二階だったが、暴漢は難なく庭の芝生に着地して、夕闇の中を駆け去って行った。


「せっかく、捕まえましたのに……」


 私が悔しそうにしていると、姉は無表情なままに立ち上がり、執事モントレーに向かって、


「貴方は何も見ていない。

 良いわね。

 さあ、早く人をお呼びして」


 と言いつける。

 執事は鋭い目付きでうなずき、機敏な動きで退室する。


 すると姉のダミアは薄ら笑いを浮かべ、ビリビリと自らのドレスを引き裂いた。


 そしてーー。


「いやあああああ!」


 いきなり、ダミアお姉様は、悲鳴をあげた。


 執事に導かれて、お父様、お義母様、そしてボイス第二王子までが駆けつけてきた。

 ボイス王子が、なぜいるのか?

 私は驚いた。


「なぜ王子が? お帰りになられたはずでは?」


 ボイス王子は得意げに胸を逸らすと、棒読み口調で声をあげた。


「嫌な予感がして、舞い戻ったのだ。

 おお、ダミア嬢が、あられもない姿をしておるではないか!?」


 私の婚約者は、大袈裟な仕草で、姉ダミアの身体をマントで覆い、


「どうしたのだ!?」


 と姉に問いかける。


 すると、ダミアお姉様は、玉のような涙をこぼして訴えた。


「妹が見知らぬ男と密会していたのです。

 私は、その男によって、ドレスを破られました。

 ところが、妹は私を助けようともせず、男を逃したのです」


 大きく開かれたままの窓を指差して、姉ダミアはさめざめと泣いた。


 実娘の言葉を耳にして、母のブルル・ブライト公爵夫人が、顔を真っ赤にさせた。


「サトリ!

 まさか、男を連れ込むだなんて。

 やはり、育ちの悪い女は!」


 ボイス王子からは、バチン! と盛大な音を立てて、平手打ちを喰らった。


「このアバズレが!

 サトリ! 貴様とは婚約破棄だ!」


 私は赤く腫れ上がった頬に手を添えた。


「誤解です。

 お姉様が、嘘をついているのです。

 私は……」


 ところが、私が弁明するより先に、再び王子の手が出た。


「言い訳するな!」


 今度は、ボクッ! と鈍い音が響き、頭がクラクラする。

 握った拳で、顎を殴られたのだ。

 床に倒れ込む私を見て、ボイス王子は舌舐めずりをして、興奮している。

 彼が抱きかかえる姉ダミアは、口の端を歪めてほくそ笑んでいた。


 その背後、娘の表情が見えない位置から、母ブルルは私を叱責する。


「殴られて当然です!

 王国貴族の奥方は、旦那様の決定に粛々と従うもの。

 それは婚約者とて、同じこと。

 潔く、婚約破棄を受け入れなさい!」


 バイアスお父様も苦い顔をして、私から背を向けた。


「謹慎しておれ」


 とだけ、小声で言い残してーー。


◇◇◇


 こうして、サトリ・ブライト公爵令嬢は、地下室に押し込まれて謹慎させられた。


 すると、ボイス王子と姉のダミアは、すぐに二人して姉の個室に雪崩れ込み、ベッドの上で抱き合った。

 それからヒソヒソ声で語り合う。


 ボイスの胸板の上に銀髪頭を載せ、ダミアが上目遣いで問いかけた。


「上手くいったわ。

 どう? 私の迫真の演技」


 ボイスは赤い瞳を輝かせ、ダミアの頭を撫でた。


「もちろん、魅力的だったさ。

 ところで、逃げた男は?」


 ダミアはボイスの胸にキスしながら、青い目を細める。


「モントレーとかいう、サトリ付きの執事ともども、始末する手筈よ。

 私が何のために大飯食らいの従者を何人も雇っていると思うの?

『妹と間男、そして執事が共謀して、ボイス様に危害を加えようとしていたから、仕方なく……』

 とでも言っておけば、お母様は私に同情してくれるはず。

 そうすれば、お父様はサトリを地下室に閉じ込めたままにして、私たちの仲を祝福してくださるわ」


「よし。

 正室の娘である君と結婚すれば、兄のアリア王太子にも引けを取らない格式になる。

 なに、大丈夫だ。

 王宮にも俺様の味方はいる。

 明日にでも、ご両親と共に、王宮へ参内しよう。

 サトリとの婚約破棄の了承を得るんだ」


「嬉しい。ようやく私たちは結ばれるのね!」


 ダミアは、ボイスの顔に口付けの嵐を叩き付けて身体ごとのしかかり、強く抱き締めた。


 このまま若い二人は濃厚な夜を過ごした。

 ダミアの両親は、隣室に居ながら、何も言って来なかった。


◆2


 翌朝ーー。


 ボイス第二王子と姉のダミアは馬車に乗り込み、ブライト公爵夫妻が乗る馬車を後続させて、王宮へと向かった。

 そしてそのまま、謁見の間に招かれた。

 使者があらかじめ出向き、国王夫妻に、ボイス王子とブライト公爵家の面々が来訪し、至急、面会を求めていることを伝えていたのだ。


 玉座に物憂げにすわる国王ドミトル・エルタミア陛下は、豊かな金髪の顎髭を撫で付けながら問いかける。


「いきなり、どうしたというのだ、ボイスよ。

 何か要件があるとか」


 後ろにブライト公爵家の連中を控えさせた状態で、ボイス第二王子は片膝立ちとなって、端正な顔を上げる。


「婚約者のサトリ・ブライト公爵令嬢が、私に隠れて男と密会しておりました。

 明らかな不貞行為がありましたゆえ、婚約を破棄したく思います」


 すると、後ろから、ブルル・ブライト公爵夫人が口を挟む。


「恥ずべき娘サトリは、自宅で謹慎させております。

 それよりも、間男によってドレスを引き裂かれた、姉娘のダミアが可哀想で……。

 幸い、ダミアの身体は、綺麗なままでございます」


 ドミトル国王は目を細め、最も奥に控える銀髪の年配貴族に問いを重ねる。


「バイアス・ブライト公爵。

 其方は、認めたのか?

 次女サトリとボイスの婚約破棄を」


 他の面々と違って、サトリの父親であるバイアスは胸中に思うところがあるのだろう。

 顔も上げずに、声だけを絞り出す。


「やむを得ぬ仕儀かと。

 どうやらサトリを甘やかし過ぎましたようで……」


 ドミトル国王は深い溜息をついて、玉座に深く身を沈めた。


「よかろう。

 サトリ嬢とボイスの婚約破棄を許可しよう」


 ボイス王子は顔をあげ、パアッと明るい表情になる。


「ありがとう存じます。

 されば、新たな婚約者を、姉であるダミア嬢にーー」


 ダミア・ブライト公爵令嬢が後方から進み出て、片膝を立て、礼をする。

 彼女の両親である、バイアスとブルルのブライト公爵夫妻も、この動きに追随する。


 ブライト公爵家の面々の動きを背後に感じながら、ボイスは心中、快哉を叫んでいた。


(勝った!

 思い通りに、婚約者を乗り換えられた。

 これで、兄の王太子と対等に、王位継承権を巡って戦うことができる!)


 そう思い、ボイスは拳に力を入れる。


 ところが、この後、ボイスの思惑とはかけ離れた形で、事態が展開した。



 今度は、赤髪の王妃メリーヌ・エルタミアが、椅子から身を乗り出して、口を開く。


「おかしいですね。

 私が聞いた話と、あまりに違います」


 メリーヌ王妃はそのまま半身を逸らし、後ろに向かって手招きをする。

 すると、玉座の後ろから、思わぬ人物が姿を現した。

 サトリ・ブライト公爵令嬢が、青いドレスを身にまとい、白い扇子を手にして立っていたのだ。


 婚約者であったボイスが、思わず両目を見開き、立ち上がった。


「なぜ、おまえが!?

 ブライト公爵邸で謹慎しているはずではーー?」


 姉ダミアも、妹を無作法に指差す。


「玉座の近くから顔を出すなんて!」


 サトリは青いドレスの裾を摘んで、丁寧にお辞儀をする。


「昨晩のうちに、王妃様が私をお招きくださったんです。

『もし、貴女が身の危険を感じたら、私、王妃メリーヌを頼りなさい』

 と言われておりましたので、お言葉に甘えさせてもらいました。

 今朝、この謁見の間に足を運んだのは、ボイス王子様とダミアお姉様、そして私の両親にお見せしたいものがあったからです」


 目配せをすると、壁際に立っていた近衛騎士が前へと進み、袋を持ってくる。

 中から取り出したのは、血に塗れた暴漢の首であった。


 ダミアは、「そ、それは……」と、声を上げてから、喉を詰まらせる。

 サトリが背筋を伸ばし、凛とした声で解説する。


「以前、私の部屋に潜んでいた暴漢です。

 やっぱりお姉様に雇われた者でした。

 おかしいと思っていたんです。

 無警戒のまま、外の者が忍び込めるほど、ブライト公爵邸の警備は甘くないですもの。

 この暴漢さん、絶命する前にすっかり吐いたわ。

 お姉様に命じられて、私を(おとし)めるための計画を実行したのだ、と」


 ドミトル国王陛下とメリーヌ王妃殿下が、玉座からダミアを睨み付ける。

 姉ダミアは床にへたり込んだ。


 そんな彼女に向かって、ボイス第二王子が狼狽し、生唾を飛ばす。


「おい!

 コイツは執事ともども、始末するはずではなかったのか!?

 おまえの子飼いの従者どもは、何をしていた!?」


 ダミアは虚脱して、答えることができない。

 彼女の後ろにいるブライト公爵夫妻は、二人して、何が起こったのか、事態が理解できず、オロオロし始める。


 そこへ、新たな人物による、威勢の良い声が鳴り響いた。


「もちろん、私の手の者が捕まえたのさ」


 王太子アリア・エルタミアが赤い髪を掻き分けて、登場した。

 彼の後ろには、ダミアが贔屓にしていた四人の従者たちが、近衛騎士団によって捕縛された状態で引き出されていた。


 王太子は、弟ボイスと、ブライト公爵家の面々を、(さげす)んだ目で見下ろし、腕を組む。


「ダミア公爵令嬢の慰み相手どもが、我が王家に仕える近衛騎士に(かな)うとでも?」


 使用人たちは、唇を硬く結んで、うつむく。

 一方で、ボイス第二王子は顔を赤くする。


「な、慰み相手だと!?

 どういうことだ!」


 ダミアは王子の隣でうずくまったまま、顔を上げようとしない。


 代わりに、王妃様の座席後方から新たに登場した、黒髪の若い男が答える。

 鋭い目付きをした、執事モントレーであった。


「ブライト公爵家のダミア様は、思春期に入られてから、殊の外、異性に興味をお持ちになられまして。

 痴態を窺い見たのは、幾度か知れないほどでした」


 モントレーは苦笑しながら、私、サトリの隣へと歩を進める。

 彼が昨晩、サトリ公爵令嬢を地下室から出して、夜闇に紛れて王宮へと馬車を走らせたのだ。


 ボイス王子は口をあんぐり開けたまま、私とモントレーが並んで立つさまを見上げる。

 私、サトリが、元婚約者の驚愕する表情を見下ろしながら、解説した。

 

「こちらのモントレーは私付きの執事ですが、同時にアリア王太子殿下の配下でもあったのです。

 王太子殿下より密命を受け、貴方様が不穏当な動きに出ないよう、監視していたのです。

 私付きの執事という立場で潜伏したおかげで、我がブライト公爵家の内情を良く知れたようです。

 今頃、彼に命じられた者たちによって、もぬけの殻となっている我が家、ブライト公爵邸の捜査が、急ピッチで進んでいることでしょう」


 ボイスの後ろで、今度はバイアスとブルルの両親が立ち上がり、慌て始める。


「な!?」


「そ、そんな勝手に……!」


 すかさずドミトル王は、玉座から(しゃが)れた声をかけた。


「案ずることはないぞ、公爵。

 何もなければ良いだけの話だ。

 謀叛の企みさえなければな……」


◇◇◇


 三日後ーー。


 私は王宮に呼び出されて、未来の国王夫妻ーーアリアとセシルの王太子夫妻とのお茶席に招かれていた。

 アリア・エルタミア王太子はカップを皿に置いて、赤い頭を下げる。


「サトリ・ブライト公爵令嬢。

 長きに渡るご協力に感謝する。

 残念ながら、君のお父上を救けることは出来なかった。

 まさか、捕らえられてすぐに毒杯を仰ぐとは」


 立場上、王太子が頭を下げるのは滅多にないことだ。

 私は驚いて、手にしたカップを落としそうになった。

 が、カップを丁寧に置いて、頭を下げ返し、それから少し胸を張った。


「名誉を重んじるお父様らしい振る舞いでした。

 それに、実際に第二王子派の首魁だったわけですから、王太子殿下に捕えられたら、覚悟も決めますよ」


 父バイアス・ブライト公爵は、ボイス第二王子を次期国王として擁立するための決起文をしたため、仲間を糾合して連判状を作成していた。

 決起文には、ボイス第二王子を国王に押し立てるのみならず、王太子を支持する他の二大公爵家をはじめとした貴族勢力、果ては現国王であるドミトル・エルタミア陛下をも弾劾する文章が激しい口調で記されていた。


 いわく、ドミトル陛下は、下級貴族や平民どもに甘すぎる。

 ボイス殿下が王冠を戴いた暁には、平民から私的所有権を奪い、貴族家の資産を増大させ、平民を職業別に分けて、それぞれの貴族派閥の下位に組み入れる。

 その上で、平民や下級貴族の未成年男子を騎士団に組み入れて兵力を増強し、周辺国家を圧倒する、貴族を頭に据えた軍事体制を築くーー。


 明らかに、身分が低い階層から力を吸い取って、上層部の権限ばかり強化する政策案で、健全な国家運営や、国民生活を脅かす構想だった。

 実際にこんなことを行ったら、平民を中心とした下層階級からの激しい反発を招き、逆に革命運動が起こって、国家体制自体が崩壊しかねない。

 ブライト公爵家をはじめとした、第二王子派の貴族たちが、本気でこんな政策を目論んでいたとは思えず、おそらくはボイス王子が得意げに語った構想をそのまま書き記し、


「ボイス殿下が国王となられたら、このようにできますので、今しばらくのご辛抱を」


 と軽挙妄動を控えさせるために、作成したものだろう。


 だが、連判状とともにある以上、正真正銘の決起文と見做され、十分な謀叛の証、国家転覆計画の証拠であった。


 ちなみに、それらの極秘書類は、本来は、ボイス第二王子が受け取っていた。

 が、ボイス王子は、決起文と血判状を王宮で保管するのは危ういと思い、ブライト公爵家の娘ダミアに託していた。

 それを執事モントレーの手の者によって探り当てられてしまった。

 血判状に記された名前によって、芋蔓的に、第二王子派が捕えられていく。


 結果、ブライト公爵家の両親、そして娘のダミアには、国家叛逆罪が適用されて、死刑判決が出た。

 第二王子派の中心として、水面下で動いていたからだ。


 私、サトリは、ここ三日の間に面会した人々の顔を思い出す。

 いずれも、眉間に深い縦皺を刻み、血色の悪い顔をしていた。


◇◇◇


 謁見の間で、私に対する陰謀が暴露された翌日ーー。


 私、サトリ・ブライトは、監獄に放り込まれた姉ダミアに会った。

 親族として面会許可をもらって、重罪の犯罪人を収監する監獄塔を訪問したのだ。


 姉は監獄塔の四階にある檻に閉じ込められていた。

 私が檻の外に姿を見せると、姉ダミアは、(かす)れ声をあげた。


「そろそろ来る頃だと思っていたわ。

 私を嘲笑いに来たんでしょ?

 良い気味だって。

 なによ、妾腹の娘のくせに!」


 本来の姉は、お父様譲りの銀色の髪をなびかせ、ふくよかな体躯をしていた。

 が、灰色の囚人服を着せられた檻の中では、髪の毛は白くなり、さすがに身体は太ったままだが、眼窩が大きく窪んで、青い瞳だけが怪しく輝く、気味の悪い化け物のようになっていた。

 ダミアは鉄格子を両手で握り締めると、私に向かって唾を飛ばしつつ叫んだ。


「私を今すぐ出しなさい!

 私はボイス王子と婚約したかっただけ。

 王家に謀叛なんか!」


 私は微動だにせず、鉄格子を挟んで、姉に向かい合う。


「王太子殿下について、

『あんなの、殺しちゃえば良いじゃない』

 などとお姉様が語っていた、とボイス様がペラペラと尋問官に向かって得意げに喋っていたそうです。

 おかげでお姉様は国家叛逆罪を犯した重罪人になったのですよ。

 アリア王太子殿下に刃を向けようとしていたと看做されているのですから。

 私ごときが外に出せるはずもないでしょう?」


 姉は私を睨み付けたまま、鼻を鳴らす。


「ふん、私は何も悪いことなんかしてないわ。

 私が何を言ったとしても、それは愛する彼、ボイス・エルタミアの望みだったからよ。

 私はボイス王子を国王にしようとしていただけ。

 婚約者として、当然の務めだわ」


「婚約者が暴走するのを止めるのも、立派な貴族令嬢の(たしな)みとは思いませんか?」


 私が静かに問うと、姉は鉄格子から手を離し、私を指差して哄笑した。


「はっははは!

 世間がどう言おうと、私は貴女に、オンナとして勝ったのよ。

 彼、ボイスの心は完全に私のモノだったわ。

 まさに圧勝。

 見事に婚約者の地位を奪ってやったんだわ。

 ざまぁみろ!」


 ケラケラ!


 と笑い(ほう)ける。

 それからは何を話しかけても、まっとうな言葉は返って来なかった。


 しばらくしてから、これ以上、この場に居ても無駄と判断し、私、サトリは姉の檻の前から立ち去った。



 同じ日、今度は義母であるブルルの檻の前にも顔を出した。

 お義母様は、艶のある亜麻色の髪が自慢だったが、今では(くす)んだ茶色髪にしか見えない。

 それでも、ブライト公爵家の正室である彼女が気にしていたのは、家族の近況だった。


「サトリ、貴女のお姉様ーーダミアの様子は?

 会ってるんでしょ!?」


「元気よ。

 私を指差して笑い通しだったわ」


「そう……。

 で、旦那様ーー貴女のお父様は?」


「バイアスお父様は毒を仰ぎ、すでに自害なされました」


 父の末路を耳にするや、お義母様は両手で顔を覆った。


「ああ! まさか、こんなことになるだなんて!

 旦那様は、ボイス殿下のご機嫌を取るためにお心を砕いていただけなのよ。

 ねえ、貴女にも、わかってるでしょ?

 お願いだから、家族を助けて。

 貴女もブライト公爵家の娘なんだから。

 まさか、殿下がご実家である王家に弓引く計画を立てていたなんて、知らなかったのよ」


 散々、姉ばかり贔屓にして、私を妾腹(めかけばら)呼ばわりしていたくせに、自分が檻に入れられると、「貴女もブライト公爵家の娘」などと口走る。

 正直、虫唾が走る。


 私は(さげす)んだ目で、義母を見下して言った。


「お義母様が、かつて私に向かって言った言葉を、そっくりお返ししますわ」


 暴漢に襲われたのを、「間男との逢引き」と決め付けられた際、お義母様から言われた言葉を、私は忘れてはいない。

 ブライト公爵家の奥方である、ブルル公爵夫人は、こう言ったのだ。


『殴られて当然ですよ。

 王国貴族の奥方は、旦那様の決定に粛々と従うもの。

 それは婚約者とて、同じこと。

 潔く、婚約破棄を受け入れなさい!』と。


 だから、言い返してやった。


「お義母様は、死刑となって当然ですよ。

 王国貴族の奥方は、旦那様の決定に粛々と従うもの。

 潔く、王家に対し、謀叛を企んだという事実を受け入れてください」と。


 するとブルルは(ひざまず)き、懇願するような涙目で、私を見上げた。


「そんな……だって、ワガママを言っていたのはボイス殿下でーー」


 今まで散々、悪態をついてきた義母を見下ろしながら、私は淡々と語った。


「そのボイス殿下と、ダミアお姉様の愚かな策謀を止めずに加担するーーそのようにお父様は判断なされたのです。

 おそらくは、貴女ーーお義母様からも、強く勧められて。

 そうした決断が、今の状況を招いたのです。

 身に覚えがあるでしょう?

 結末を受け入れてください」


 すると、お義母様は急に両目を見開いて、金切り声をあげた。


「まあ! なんて酷い娘なんでしょう!?」


 彼女の声は周囲に響いたが、ここは監獄塔、お義母様にお追唱する貴婦人は誰ひとり存在しない。

 ただ、耳障りの悪い声が、壁伝いに反響するだけだ。


 私は再度、念を押すように語った。


「常日頃から、お義母様は、

『夫のために尽くすのが、夫人の道です』

 とおっしゃっていたではありませんか。

 最後まで、お父様にお従いください」と。


 義母ブルルは、両手で鉄格子を掴み、ギリギリと歯軋りする。


「貴女、それでもブライト公爵家の娘なの!?

 肉親を苦しみのどん底に叩き落としてーー」


 睨み付ける彼女の目を、私は侮蔑の色を湛えた目で見返してやった。


「ごめんなさいね、『育ちの悪い女』で。

 でも、そうしなければ、私の方がどん底に落とされていました。

 知らない、とは言わせませんよ。

 ブライト公爵家の奥方様」


「うるさい、うるさい!

 なによ!

 卑しい女の腹から生まれた女のくせに!

 ブライト公爵家の娘だと名乗るだけで、腹が立つ。

 ああああああ!」


 それ以降は、実娘のダミア同様、言葉にならない言葉を(わめ)き散らすばかりで、会話になりそうもない。

 私、サトリはクルリと背を向けて、お義母様の檻の前から立ち去る。

 後方では、甲高い叫び声だけがこだまし続けていた。



 翌日、最後に、元婚約者であるボイス王子に面会した。

 彼だけは監獄塔ではなく、王宮内邸の地下牢で監禁されていた。

 鉄格子の牢屋ではなく、鉄扉で塞がれている。

 小窓が開いていて、そこを通じての会話となった。


 覗き込めば、ベッドに腰掛ける、ボイス王子の姿があった。

 彼は囚人服は着ていない。

 普段通り、綺麗な刺繍を施された私服を身にまとっている。

 定期的に、身の回りを世話する侍女や従者が部屋の中に入っているようだ。

 それでも、隙を見て逃げ出そうとしないところは、さすがに王子としての矜持があるからだろうか。

 そうしたプライドはあるようだが、私の来訪を小窓越しに知るや否や、怒声を張り上げた。


「この裏切り者!

 初めから兄上に通じていたんだな!?」


 私は鉄扉から距離を取って椅子に座り、小窓越しに、真っ直ぐ元婚約者の顔を見詰めた。


「貴方様が婚約破棄さえしなければ、王太子殿下や陛下に、貴方様の不敵な野心をお伝えすることはありませんでした」


 王子はこちらを睨み付ける。

 が、すぐに白い歯を見せて、パチン! と指を鳴らした。


「そうだ。

 今、思い付いたんだが、サトリ、貴様、俺と再び婚約しないか?」


 はあ? と目を白黒させる私に、ボイス王子は能天気に言い募る。


「兄貴が怒ってるのは、ダミアが気に入らなかったからだろ?

 まあ、ああいう、欲望丸出し女だからな。

 その点、貴様は兄貴にも、その妻にも気に入られているからな。

 貴様と婚約し直せれば、俺様もこんなところから即刻出られるだろう」


 私は、はぁ、と溜息をつき、額に手を当てた。


「相変わらず、ご自分の都合ばかりおっしゃるのね。

 お姉様はどうなさるの?

 愛しの婚約者なんでしょ?」


「おいおい、嫉妬するなって。

 アレは貴様と違って、ブライト公爵家正室の娘だからな。

 姉と婚約した方が格が上がると思っただけだ。

 でも、兄貴たちに露骨に嫌われちゃ、やりにくいわな」


「では、姉を監獄から出してやらない、と?」


「使えない駒と知ったからな。

 俺様にとっては、貴様も同じ駒ーー王位を窺うための道具だ」


 さすがに、こめかみの血管が浮く感覚を感じる。

 やはり、このヒトは駄目だ、と改めて思った。


「ほんと、道具にされる側にだって、感情があることぐらい、わかって欲しいわ。

 悪いけど、私、ボイス様とは()りを戻すことは絶対にない。

 だって、貴方のような察しの悪い人は、王位を狙うどころか、王宮で生きて行くことも難しいはず。

 お先真っ暗だと思うわ」


 私がソッポを向くと、元婚約者の赤い瞳から、一気に輝きが失われた。

 そして、怯えたように、ガリガリと右手親指の爪を齧り始める。


「サトリ、貴様は知っているのか?

 知っているのなら、教えろ。

 俺様はこの先、どうなる!?」


 私は彼の顔を見定めたまま、ハッキリとした口調で示唆した。


「私のお父様は、毒杯を仰いで自害なさいました」と。


 ボイス王子は、目を丸くして、唇を震わせる。

 まさに、驚愕の態であった。


「ま、まさか、俺様に死ねと言うのか!?

 馬鹿な。

 俺様は王子なんだぞ!」


 彼はベッドから起き上がって叫ぶ。

 そのまま小窓に向けて、思い切り顔を近づけてきた。


「ああ、まだお解りになられていないのですね……」


 私も小窓に近づいて、元婚約者の眼前で、ゆっくりとささやいた。


「貴方様が王子だからこそ、王太子殿下は貴方様を生かしてはおけないのです。

 お解り? 野心だけが豊かな第二王子サマ」


 ボイスは大きく目を見開いたまま、呆然としている。


「処分が決定いたしましたら、潔いご最期を」


 そう言って、私は身を(ひるがえ)し、鉄扉に背中を向け、廊下を歩き出す。

 階上へと繋がる階段へと向かって。


 わあああああ!


 私の背後では、元婚約者が泣き叫ぶ声がとどろいていた。


◇◇◇


 階上に昇ると、王宮に仕える侍従が待ち構えていて、


「こちらへどうぞ。

 王太子殿下がお待ちです」


 と言われて、中庭のテラス席に誘われた。


 ボイス王子を閉じ込める牢獄の上には、赤や紫の薔薇が咲き乱れる、美しい庭が広がっているのは、なんとも奇妙な感じがする。

 光と影が交差する、王宮の奥深くに足を踏み入れているんだな、と思い知らされる。


 テラス席のテーブルに着くと、すでに紅茶がカップで湯気を立てている。

 向かいにはアリア・エルタミア王太子が片肘を付いた、くだけた姿勢で待っていて、


「弟の様子はどうであった?」


 と口にした。

 私は紅茶を少し口に含んだあと、


「泣いておられました」


 とだけ答えた。

 すると、アリア王太子はさも驚いたとみえて、声を裏返した。


「それは意外だな。

 最後まで、自分が生命の危機に立たされていることにも気づかないヤツだと思っていたが。

 さては、貴女が泣かせたのかな?」


「あら、人聞きの悪い。

 ご冗談はそれぐらいににして、用件を伺いたく」


 私は扇子を広げて口許を隠す。

 今日は、セシル王太子妃が同席していない。

 それだけ、キナ臭い話題を振ってくる可能性が高いと踏んだ。


 が、思いの外、軽い会話で片がついた。


「ブライト公爵家の家督は、サトリ嬢、貴女に継いでもらう。

 三代公爵家の一角を失うわけにはいかぬのでな」


 と王太子が言うので、私は、


「他の貴族の方々が納得なさるかしら」


 と、扇子の裏で口にする。

 すると、王太子は、


「問題ないさ。

 君を過小評価していたのは、私の愚弟と、君のご家族ぐらいだろうよ」


 と明るい声をあげてから、パンパン! と手を打った。


 ふと斜め後ろを見遣ったら、いつの間にか、黒髪のモントレーが灰色の瞳で私の横顔を見下ろしながら立っていた。


「ボイスの一件は片付いたが、モントレーには引き続きブライト公爵邸で執事をしてもらう。

 女当主一人で公爵家を切り盛りするのは大変だろうからな。

 家令とも通じている彼に頼ると良い」


 私は広げた扇子の上から、青い瞳を覗かせる。


「つまり、次の監視対象は、私、サトリ・ブライト公爵というわけですか?」


 アリア王太子はカップを口にしながら瞑目し、何も答えなかった。



 王太子が口にしなかった内容を知ったのは、執事モントレーと一緒に帰りの馬車に乗り込むときだった。

 本来、未婚の女性が独身男性と馬車に同乗するのは忌避されるものだが、王太子の命により、私がブライト公爵家の家督を継いで当主となるのであれば、秘書官として執事を同乗させるのは自然なことだ。


 モントレーは私の手を取り、馬車へと乗り込ませるときに、


「王太子殿下によれば、サトリお嬢様は宰相府でのお勤めと決まったそうです」


 と、ささやいてから、自らも馬車に乗り込み、対面の席で灰色の瞳を細める。

 私は、


「殿下も、人使いが荒いわね」


 とつぶやいて、吐息を漏らす。

 そして、


「モントレー。

 貴方、他にも何か王太子殿下から命じられているでしょう?

 私と貴方の仲じゃないの。

 正直に言っていただけない?」


 とカマをかけると、大袈裟な身振りで片手をあげてから胸元へと下ろして、


「もし貴女様が暴走したら、

『速やかにお止めしろ、なんなら殺しても構わない』

 と、命じられております」


 と白状して、深々と頭を下げる。

 物騒な告白ながら、モントレーの顔はにこやかなものだった。

 彼なりにおどけているようだ。


 同じように、アリア王太子殿下がニヤニヤしながら、ワイングラスを片手に、私への言伝を語るさまが、頭に浮かび、苦笑する。


「いかにも殿下が面白半分に言いそうなセリフね。

 でもーーそれほど、宰相閣下には尻尾を掴まれたくないようね」


 私なりに、今後の政局に思いを馳せる。

 危険な爆弾と言えるボイス第二王子の排除には成功した。

 後は、宰相一派をどのように取り込むかーーそれが王太子の腕の見せ所であった。


 宰相レクルド・タンパー侯爵はボイスとは違い、有能ゆえに手強い。

 実際、現国王であるドミトル・エルタミア陛下は、宰相の意向に一切逆らうことができない。

 特に内政において、宰相の権勢は絶大で、王権をも凌ぐ状態であった。


 次期国王である王太子は、そうした現状を打破したい、少なくとも宰相の権勢に楔の一つぐらいは打ち込みたい、と思っているようだ。


 どうやら、アリア王太子にとって、私、サトリ・ブライトは、モントレー同様、使い出のある有能な駒と看做されているみたいだ。


 私は目の前の黒髪、黒服の男性を見据える。

 彼、モントレーの年齢は詳しくは知らないが、私と似たようなもので、二十歳そこそこだろう。

 私が彼の顔を知った頃にはすでにアリア王太子の腹心であり、出自が不明であった。

 私は、外国からの亡命貴族の末裔ではないか、と推測している。


 そんな彼と、これからも共同して、政治の世界に身を投じていかねばならないらしい。

 そう考えると、「第二王子の婚約者」という立場のままの方が、どれほど気軽だったか知れない。


 だが、常日頃から、気を張り詰めていては、身が()たない。

 特に、私付きの執事の前ではリラックスしたい。


 私は扇子を広げて、対面の男に向けて仰いで、会話を楽しむことにした。


「モントレー。

 貴方がどのような密命を王太子殿下から受けていようとも、私は、むざむざとやられはしないわ。

 こちらからもやり返すから、覚悟することね」


 すると、相手も心得たもので、私の軽口に乗ってくれた。


「はっははは。

 血気盛んで、頼もしいお嬢様です」と。


「あ。女だと思って、馬鹿にしたでしょ!?」


「いえ。そのようなことは」


「嘘、おっしゃい!

 これからは、そういった軽くあしらうようなセリフを吐くのは、駄目なんだからね。

 もう私は公爵家の令嬢じゃない、公爵家のご当主様になるんだから!」


「はいはい」


 馬車の外では陽光が光り輝き、長かった冬が終わり、新芽が芽吹こうとしていた。


(了)

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― 新着の感想 ―
自分の立ち位置も理解しないで、妄想で他人を振り回すバカ王子の欲情の対象になったことを勝ち誇る 俺にはちょっと理解できない感覚だな・・・
面白かった。 アリア王太子が女性名としてしか耳にしたことがなかったので立太子した王女で、 廃嫡されたor死んだと思われてた第一王子が登場するかなと予想してたんですが、 「兄上」「兄貴」で普通に立太子…
ダミアと父だけはまだまともだったのかもな。 国の情勢的にも今更第1王子派にはなれんし、このまま第一王子が順当にいけば降爵で冷や飯、おそらくは冤罪かけられて謀殺。 父は担いだ神輿が思いの外クズでも今更投…
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