予約席
そこには、今は誰も座ることはない。
自分が行きつけにしているバーの、一番入口から遠いところにあるカウンター席。
その席は、はるかに昔に、このバーが開店したときくらいに来た最初期のお客さんの一人で、今に至るまでずっと来店をしていた人だ。
その人を記念して、その席は専用席となり、そして予約席という小さな三角形の金属看板も椅子の上に置かれるほどになった。
ただその人も人間だ。
バーが開店してから半世紀をしっかりと声、60年近く経った。
マスターも今や3代目。
当時20代だったその人もすっかりと定年を迎え、それからしばらくしてこなくなった。
常連同士で心配しているという声をかけていると、ふらっと彼がやってくる。
どうしたのかと聞いてみると、大病を患ったのだと。
そして明日をも知れぬ命なのだと宣告されたと教えてくれた。
さらに半年を過ぎた、寒い日の頃。
ご家族の方という人が、バーにやってきた。
亡くなったのだという。
そしてこの店のために一つ、遺品を残してくれたのだといって持ってきてくれたのだった。
今、その席があるカウンターのところに置かれている1つの百合の花の形をした焼き物。
それがそれだ。
そのことを記念して、この席だけ今や百合の席と呼ばれている。
故人の意思で、席はすでに解放されているが、百合の焼き物だけ、今も残されている。
ただそのために、この席が使われたことはない。




