09:魔導と秘密
灰に覆われた戦野。ミリアの剣は、雷鳴のように敵を穿ち、天を裂いた。
彼女が一歩踏み込むたび、敵陣が揺れ、周囲の兵たちは圧倒されて崩れていく。
断罪の剣士――その名に違わぬ、絶対的な力と統率。
高台に設置された幻影視鏡。その映像を静かに見つめていたのは、ミリアの屋敷で療養中の男――アッシュだった。
「……もう、俺の出番じゃないかもな」
かすかな皮肉混じりの笑みを浮かべて、彼は呟く。
かつて自分が戦場で見せていた“剣閃”を、今、弟子である彼女が再現している。
しかもそれ以上に、より速く、力強く、そして洗練されていた。
「……あれが、今のミリアの剣か」
かつての記憶が脳裏に蘇る。
幼かったミリアが初めて剣を握り、必死に腕を振っていた日々。
戦いの意味も知らず、ただ“強くなりたい”と涙をにじませながら剣を掲げたあの日々――。
今や、ミリアは誰よりも戦場に慣れ、誰よりも人々の信を集めている。
「もう、俺が戦う必要なんて……ないのかもしれん」
寂しさでも、悔しさでもない。
ただ、時代が前に進んだという実感。
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午後の陽が差し込むミリアの私邸。
暖炉の火が柔らかに揺れ、客間には温かな空気が流れていた。
「……先生、ほら。焼き林檎できたよ」
「お、これは……見た目はうまそうだな」
「“は”って何よ、“は”って」
アッシュは笑いながら林檎を口に運ぶ。
口の中に、ほんのりとした甘みと香ばしさが広がる。
「……悪くない」
「ふふん、当たり前じゃん。もう一個どう?」
「いや、そんなに食べられん」
そう言いながらも、ミリアの隣に腰を下ろすアッシュ。
彼女はすっかり気を許した顔で、彼の肩にもたれかかる。
「先生がこうして横にいてくれるだけで……何だってできそうな気がする」
「……お前、本当に強くなったな」
「うん。でも、先生の前では、弱くてもいいでしょ?」
その瞬間だった――
**「――甘えてる場合かしら、ミリア」**
バンッ!
ドアが乱暴に開け放たれ、杖を片手に立つ女の姿。
艶やかな黒髪と、鋭い眼差し。魔導衣の裾を揺らしながら、アイルが踏み込んできた。
ミリアは即座に反応した。
何かの結界が乱れた気配に気づいた直後、アッシュの手を引き、隣室の壁の裏へと隠す。
「……アイル」
「久しぶりね、“断罪の剣士”さん」
「勝手に入らないでよ。ここは私の家」
「勝手に“人”を隠すからでしょ?」
空気が一変する。
ミリアがゆっくりと立ち上がると、アイルと対峙するように向き合った。
「何の話?」
「とぼけるのは下手ね。あなたが戦地で拾った“無名の男”。あれ、ただの傭兵じゃない」
「証拠は?」
「理屈じゃない。……“勘”よ」
アイルは一歩踏み込む。
その目は、研ぎ澄まされた魔導士のそれでありながら――どこか、少女のような揺らぎを孕んでいた。
「あなたが必死に隠そうとしてるもの。その理由も、手口も、癖も……私は全部知ってる」
アイルはその日、結界のゆらぎに気づいていた。
魔導院の演算球に残されたわずかな記録、消されかけた戦地の魔素構成のズレ。
何層にも織り重ねられた改竄の跡を、彼女の頭脳は静かに辿っていた。
「魔力消失とされる男の記録、あれだけ魔素の痕跡が整いすぎているなんておかしいのよ」
「それが何?」
「またそれ。あなた、昔からそうだった。全部独り占めして……」
「っ……それは違――!」
声がぶつかる。感情が弾け、空気が緊張で裂ける――そのとき。
二人の魔力が膨張し、一色触発の状況だ。
**「――やめろ、二人とも」**
その声は、炎を鎮めるように、静かに降りてきた。
アッシュが立っていた。
二人の間に割って入るようにして。
「……先生……」
「アイル。なのか?」
「うそ……先生、本物なの?……」
アイルの目が、わずかに揺れる。言葉が詰まった。
ミリアは知らんぷりをしている。
「……ミリア。どういうことだ?」
「先生……」
ミリアが言いかけた瞬間、アイルの膝が、ふっと崩れた。
そのまま、床にへたり込み――
「……ずるい、ずるい……! 何で……生きてるなら……言ってくれなかったのよ……」
涙が、止まらなかった。
「毎日、魔導院で先生の本を読み返して……声が聞きたくて……」
「……アイル」
アッシュはそっと膝をつき、彼女の肩に手を置く。
「遅くなって、すまなかった」
「ばか……本当に……」
「アイル、大きくなったな。」
アイルは顔を伏せ、しゃくり上げながら、アッシュの胸にそっと額をあずけた。
ミリアは、その状況を少し離れたところでその様子を見ていた。
ほんの少し、胸がちくりと痛んだ。
(……アイルあんなに泣いてる。先生を想う気持ちは一緒か。でももう少し一人で先生を......)
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その夜。
ミリアの部屋の片隅で、ふたりの弟子が対面する。
「ねえ、アイル」
「……なに」
「黙っててごめんなさい。」
「うるさい。...でも同じ立場なら、私も同じことをしたかもしれない。」
しばしの沈黙。
「……負けないわよ」
「望むところよ」
火花は消えていない。けれど――
確かに、昔に戻ったような気がしていた。
「私たちどうして派閥を率いているのかしら」
「馬鹿な理由すぎて、忘れたわ。」
「嘘。先生は剣士か、魔法使いかで揉めたのが発端じゃない?」
「先生は魔法使いよ。」
二人の間に沈黙が流れた。争いはまだ続きそうだ。
しかし、今までとは別の形でだが...
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そしてアッシュは、遠い窓の外を眺めながら、呟いた。
「……さて。他の奴らは、どうしてるかな」
まだ見ぬ弟子たちの名前が、胸の奥に浮かび上がる。