表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/9

06:灰と呪い


拘束房の中。


アッシュの胸に刻まれた紋様が、黒く、赤く、静かに燃えていた。


それは、肉体という器を越えて、“魂”の根へと入り込もうとする何かの脈動。


「……っ、く……」


奥歯を噛み、息を詰める。


耐えがたい熱が、喉の奥からこみ上げてくる。焼け付くような疼きに、膝がわずかに揺れた。


幻影視鏡の映像が、淡く滲んで崩れ――世界が、塗り替えられる。


***


灰。灰。灰。


死した地平に、風はない。ただ沈黙と、終焉の匂いが広がっていた。


その中心に――いた。


「……また、来たか。英雄よ」


巨影が、灰を踏み鳴らして近づいてくる。


漆黒の鱗。深紅の双眸。燃えるような角と、巨大な翼。


かつてアッシュが討ったはずの邪竜、《ヴェル=ゼイル》。


「……夢か。あるいは、呪いの残滓か」


「そう決めつけてくれても構わん。だが忘れるな」


その声は重く、だがどこか静かだった。


「俺はお前の中にいる。ずっとな」


「……それがなんだ。消し去ってやる」


アッシュは睨みつけ、拳を握る。


「望むところだ。だが、“お前にそれができるのか?”」


ヴェル=ゼイルの声が、一拍おいて刺さった。


「十年。世界は変わった。お前のいない間に、全てが進んだ。剣も魔力も、“英雄の名”さえ、もはや過去だ」


アッシュの眉が僅かに動く。


「……その通りだ。だからどうした」


「だからこそ、お前は、今ここに俺を見ている。自分の中にあるものと向き合うためにな」


「違う。これはただの干渉だ。貴様は俺の中に紛れ込んだ、残響にすぎない」


「ふむ……ならば問うがいい。“今のお前に何ができる?”」


それは、さっきミリアに言われたばかりの言葉だった。


心の最奥に突き刺さった問い。癒えていない傷口。


だが――アッシュは、静かに息を吐いた。


「今の俺にできるのは、立ち上がることだけだ。何も持たずとも、抗い続けることだけは、できる」


邪竜が、一瞬だけ黙る。


そして――笑った。


「……ならば見せてもらおう。お前の“否定”が、どこまで続くのかをな」


次の瞬間、灰の海が崩れた。


空間が割れ、世界が断ち切られ――


***


アッシュは拘束房の床に膝をつき、荒い息を吐いた。


胸の痛みはまだ残っている。けれどその眼差しは、先ほどよりも深く、鋭くなっていた。


「……まだ、終わってない」


幻影視鏡には何も映っていなかった。だが、彼はゆっくりと顔を上げる。


「ミリア……」


かすれた声で名を呼んだ。


誰よりも、彼女にだけは、今の自分を“否定”してほしくなかった。


否――認めてもらう必要など、ない。


ただ、あの眼差しにもう一度、立ち向かうために。


(……生きて、ここにいる。それだけで、今は十分だ)


アッシュはゆっくりと立ち上がった。


己の中に巣食う“声”を、ただ黙殺したまま。


***


そのころ――


聖灰地帯の空。


すべてが終わった。否、“終わらせた”。


眷属の残骸は、もはや灰の一粒さえ残さず、消え去っていた。


――完全消滅。封印ではない。再生の可能性など、ひと欠片も残していない。


ミリアのカルマは、ついに“殺しきった”のだ。


戦場に残るのは、風と、焼けた地表と、静寂だけ。


その静けさの中で、彼女はひとり、崩れた監視塔の影に腰を下ろしていた。


剣を脇に置き、空を見上げる。


何もない。けれど、何かが始まっている。


「……先生、私は……」


ぽつりと零れたその言葉は、誰にも届かない。


けれど、それは祈りにも似ていた。


(あの人が、本当に本物なら)


(いつか、もう一度――)


その時、風が吹いた。


灰が舞った。


そして幻影視鏡の奥で、静かに――アッシュの呟きが、風と重なる。


「ミリア……」


ふたりの名が、ふたりだけの記憶の中で、ようやく交差し始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ