04:再会と再開
「……またか......」
報告書を閉じ、ミリアは椅子の背に沈み込んだ。
天幕の隙間から、冷たい朝の光が差し込んでいる。
指先が、かすかに震えていた。
記録によれば、「アッシュ」を名乗る者が、灰神殿跡で発見されたという。
十年前の英雄、死んだはずの人間の名を騙る――その類は何度も見てきた。
英雄の名を騙る詐欺師。
残された記憶と噂話で演じる成りすまし。
そのたびに、彼女は自らの剣をもって“断罪”してきた。
「先生の名を……軽々しく呼ぶな」
何度そう呟いたことだろう。
だがそのたびに、心の奥底で、声が響く。
――でも、もしかして、本当に……。
否。そんなこと、あるわけがない。
あの戦いのあと、自分は血と灰の中で彼の名を叫び続け、
手を伸ばして、けれど届かず、そして……10年の月日が経ったのだ。
彼は死んだ。
それは、戦火を生き残った彼女自身が、最も痛みをもって知っている。
けれど。
十年が経ち、それでもまだ、夢に見る。
あの日の背中を。
なんの希望も持っていなかった私を優しく背負ってくれたあの日々を。
「……期待なんて、してない」
ミリアは自分に言い聞かせるように、繰り返した。
それでも、確かめずにはいられなかった。
***
軍本部の地下、特別尋問室前。
扉の前に立つ兵たちが敬礼する。
ミリアは無言で頷くと、彼らを睨みつけた。
「全員、下がりなさい。ここは私ひとりで行う」
「し、しかし断罪の剣士殿、対象は――」
「命令だ」
その声に、兵たちは一斉に背を伸ばし、即座に姿を消した。
石造りの廊下に、ミリアの足音だけが残される。
彼女は深く息を吸い、重厚な扉に手をかける。
ギィ……と軋む音と共に、鉄の扉が開いた。
室内に座らされていたのは、見るも無残な姿の男だった。
――右腕がない。
――顔は傷に覆われ、片目に包帯。
――それでも、ミリアはその男の輪郭を、すぐに思い出した。
十年前の記憶と、まったく変わらない“何か”が、そこにあった。
しかし、彼女の顔は、鉄仮面のように無表情だった。
「……名を名乗りなさい」
男は、静かに顔を上げた。
その目が、ミリアの目を正面から見つめ返す。
「……アッシュ、だ」
短い答えに、尋問室の空気が凍りついた。
ミリアの眉がぴくりと動く。
「……その名を、軽々しく口にしないで」
その声音は冷たく、刃のように鋭かった。
「英雄を騙る者が、これまで何人いたと思っているの? あなたのような成りすましを、私は何人も……断罪してきた」
男は黙って、その言葉を受け止めていた。
否――彼の視線には、静かな痛みと、何かを訴えるものがあった。
ミリアの胸が、かすかに波打つ。
(違う……この目は、あのときの……)
「……証拠は?」
彼女の声は、わずかに揺れていた。あれほどまでに夢見た日が現実になった。
だが同時にずっと押さえ込んでいたものが込み上げてくるのを感じた。
鉄面皮で有名な彼女だったが、そんなことはもうどうだってよかった。
「どうして、今まで生きていて、名乗り出なかったの。なぜ……私たちに知らせなかったの?」
「……気づいたときには、もう世界が変わっていた」
アッシュの声は、掠れていた。
それでも、その声は確かに、十年前のあの人のものだった。
「俺にとっては、一瞬だった。
目覚めたら……もう、誰の声も聞こえなかった。」
ミリアは、その言葉を聞いた瞬間、目を見開いた。
その語り口。
選ぶ言葉。
迷いながらも、誰かの痛みを抱えて語るようなその声音。
――まぎれもない、“先生”だった。
「……嘘……」
声にならない声が、唇から零れた。
視界が、滲む。
(泣くな。私は“断罪の剣士”。泣いてはいけない……)
だが、その制御は、音を立てて崩れていく。
「……先生……なの?」
アッシュは、黙って頷いた。
その瞬間、ミリアの膝が崩れた。
彼女は床に膝をつき、歯を食いしばって涙を堪える。
「……なんで、生きてたの……っ。どうして、私を残していったの......。」
「ごめん。俺にも、この状況がまだ分かっていない」
ただ、それだけの言葉に、彼女は顔を覆って泣いた。
久方ぶりの“再会”に、ようやく、ふたりは“今”を生き始める。
――だが、その余韻に浸る暇はなかった。
廊下の奥、警報の鐘が鳴る。
緊急魔道通信が、彼女の耳に飛び込んでくる。
《断罪の剣士殿、北境に異常魔力反応。規模、未知数――》
戦いは、まだ終わっていなかった。