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大正・昭和編 第1話 戦艦 武蔵去く

 昭和20年9月の夕暮れ、一面焼け野原の東京。遠くには真っ黒に焼け焦げた両国国技館が見える。

その焼け野原の真ん中に長く続く一本道をそいつはやってきた。

ドンパラどん ドンパラどん とチンドン屋みたいな音を奏でながらやってくる。

そのドンパラどんの横には1人の青年が優しい眼差しを向けながらこちらに向かってくる。

 佐江は「お帰りなさい」と涙を浮かべながら囁いた。 

その涙を真っ赤な夕日が染めている。

 ドンパラどん ドンパラどん ドンパラどんはいつも悲しい時にやってきた。

ちんどん屋みたいな音を鳴らしながらやってきて 

怖い顔を無理におかしな顔にして

笑わないと死んじゃうよ って  


 佐江が浅草の陶器問屋に嫁入りして、夫 昭雄にも周りが羨むほどに大切にされ、家業も順調に成長し

途中、関東大震災で大きな被害を被ることにはなったが、家族一丸となり 立て直しをはかり、

やっと落ち着きを取り戻しつつあった。子宝にも恵まれ、2人の男子、1人の女子が大きな病気もせずに順調に成長してくれた。  

 昭和8年 この時 長男の明仁 15歳 次男 忠仁 12歳 そして末っ子の麻衣子 8歳 


 静かなで平安な日々、そんなある日、長男の明仁が神妙な顔で声をかけてきた。

「父さん、母さん お願いです。 私を海軍士官学校に行かせてください。」

この時代海軍士官学校に行くということは誰もが羨むエリートコース。反対するものなどいないのが普通ではあるのだが、佐江は頑として首を縦に振らなかった。 

日露戦争で戦死した兄、新吉を思い出すのである。それに時代がだんだんと不穏な空気に包まれ出していた。

昨年には5.15事件が起こり武装した青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し内閣総理大臣犬飼毅を殺害した事件も発生。そして今年に入り日本の国際連盟脱退と時代は大きな戦争へと向かっているように思われた。

しかし、明仁の士官学校入学の意思は強く、17歳の春、トップの成績で66期生として入学することになった。

「おめでとう おめでとう」

真っ白な凛々しい制服をきた明仁が、皆から祝福を受けている。

「本日 広島県江田島にある海軍兵学校に参ります。お父さん お母さん お体を大切に 忠仁、麻衣子

あとは頼むよ」 

と声をかけた。   

「明仁 これをお持ちなさい」 

佐江は赤い糸の刺繍でお守りと縫われ袋を手渡した。 掛けたい言葉はたくさんあった  無理をしちゃ生けない  出世などしなくてもいい辛ければ帰ってきていいよ  

でも この時代そのような言葉は絶対に口には出せない。 

父、昭雄が

「立派な海軍士官になってお国のために尽くしなさい」  

と励ましの言葉で見送った。」

「はい 行って参ります」

明仁は敬礼をすると さっと背を向け 出立した。 

 

 “臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本日8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。・・・・・・・“


あー・・・とうとう、始まってしまった・・・・  

佐江は胸騒ぎが止まらなかった。明仁は海軍士官学校を主席で卒業。まもなく完成する大きな戦艦に乗ると聞いている。機密事項なため戦艦名は言ってくれなかったが、、、、、、  大本営のラジオが終わると町中から

「ばんざーい ばんざーい」

と、聞こえてきた。


 アメリカ、イギリス、オランダなど世界の強国を相手に戦争が始まった。 ハワイの真珠湾攻撃、マレー作戦 シンガポール陥落と日本軍の快進撃が続いた。 

日本中が勝利に沸き返った。 ただ佐江だけは、海軍の幹部候補として転戦している明仁の身を心配した。

「お願いします どうか 早く この戦争を終わらせてください。 お願いです・・・・・」


 大本営の発表ではその後も日本軍勝利の快進撃が放送され続けた。 

しかし、実際には昭和17年6月のミッドウェイ海戦で甚大なる被害を被り、劣勢へと変換していった。

 

 明仁は今、戦艦“武蔵“の艦上にいる。昭和18年2月、戦艦“大和“より連合艦隊旗艦の座を譲り受けた超大型戦艦である。明仁は作戦参謀の若手として、艦長と共に行動している。その巨艦“武蔵“は劣勢を跳ね返すべく、レイテ沖シブヤン海上に向かっていた。しかし日本帝国海軍の動きを察したアメリカ軍は大量の爆撃機を向かわせていた。


 東京浅草 毎日のように空襲警報が鳴り響く中、

大本営の発表では勝ち進んでおり、もう少しの我慢で戦争は終わると放送している。明仁からの連絡はここ半年は全くなく生死もわからない。

 

 佐江は夢を見た。 懐かしい音が聞こえてくる  

“ドンパラどん ドンパラどん“

あー ドンパラどん 佐江は走ってドンパラどんに向かって駆け出した。  

「はあ はあ はあ ドンパラどん!」

と息を切らせながら顔を上げると ドンパラどんの横には・・・・・・


 昭和19年10月 フィリピン周辺の海域で日米両海軍による大規模な戦闘が行われた。日本はアメリカ軍のレイテ島上陸を阻止を試みたが、空母4隻 戦艦3隻などの壊滅的な損害を被り、日本連合艦隊はこの日を境に組織的な作戦能力を失った。 合わせて 明仁が乗る戦艦武蔵は

アメリカ空軍の標的となり、シブヤン海の藻屑となった。


 沢山の空母、戦艦そして軍人たちが沈んだ海は何事もなかったかのように静かに波を打っている。そこに赤い糸でお守りと刺繍がされた白い袋が漂っている。 

その袋の空いた口から一枚の手紙が波にさらわれるように泳いでいた。


“父上様 母上様 お元気にお暮らしでしょうか。私はただいまフィリピンにむかっています。今度の戦いが日本の正念場となります。私に万が一の事がありましても、どうか・・どうかお嘆きにならぬようにお願いいたします。お国のためによく戦ったと褒めてやってください。

そうだ 少しだけ 甘えさせてください。 母さん・・・・ 

母さんの作るおはぎが食べたい 母さんの声が聞きたい、母さんの・・・・・

あとは海水に文字が滲んで流れていった。



 ドンパラどん ドンパラどん ドンパラどんはいつも悲しい時にやってきた。

ちんどん屋みたいな音を鳴らしながらやってきて 怖い顔を無理におかしな顔にして、笑わないと死んじゃうよ って  


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