第2話 悲涙の会津
佐江の爺が床に伏せっている。
お粥も喉を通らず頑強だった体もやせ細っている。
爺の体には鉄砲玉と刀の傷がたくさん残っていた。
佐江が爺に聞いても、体の傷の話は絶対に話さなかった。
慶応3年10月 江戸幕府十五代将軍徳川慶喜が政権を返上。
翌日、明治天皇へ奏上し大政が奉還され、明治が始まる。
しかし徳川家やその一門がそのまま残ることを良しとしない新政府軍は鳥羽伏見で旧幕府軍と衝突する。錦の御旗を掲げた新政府軍に徳川慶喜自身が戦線を離脱してしまい幕府軍は崩壊。新政府軍が勝利する。続けて徳川慶喜の蟄居、新政府軍が江戸城に入場した。
しかし明治新政府をよしとしない東北諸藩は奥羽列藩同盟を組み明治新政府と対立する。新政府軍は贖う列藩同盟を葬るべく軍隊を東北、上越へと進めた。
佐江の爺の名は秋山一之進。
今の福島県 会津若松市 会津藩の上級士族だった。
明治元年10月。新政府軍は一之進の守る母成峠に突撃した。
最新鋭の銃や大砲を揃えた新政府軍に対し、屈強と恐れられた会津の士族も旧型のゲーベル銃と刀では対抗できず、全滅してしまう。
一之進も沢山の鉄砲玉と突入してきた政府軍の刃に倒れ崖下へと転げ落ちていった。その後40キロメートル余りを突き進んだ政府軍は会津若松城下に突入した。
その頃、会津若松城下の屋敷で留守を守る妻や子供たちには凄惨な最後が近ずいていた。一之進の妻 佐千代は、城に籠り戦っている殿様たちの足でまといになってはならないと、母、娘二人と自刃の支度を始めた。長男の悠馬は白虎隊の一員として戦っている。
佐千代は次男の斗真に告げた。
「斗真、これから言うことをよく聞きなされ」
「はい 母上」
「良いか、この先どのようになるかは母にはわからぬ。しかし、この秋山家は残さなくてはならぬ。 わかるな。斗真はこの屋敷から出でよ」
「母上様、斗真はすでに8歳でございます。父、兄とともに戦いまする」
母は目に涙し、しかし厳しい口調で
「斗真、什掟を誦じよ!」
と言った。
「はい 母上
一、年上の人の言うことに背いてはなりませぬ
一、年上の人にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘を言うことはなりませぬ
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
一、弱いものをいじめてはなりませぬ
一、外でものを食べてはなりませぬ
一、外で女子と言葉をまじえてはなりませぬ
そして
「ならぬものはならぬのです」
と泣きながら言った。
「男子たるもの泣くでない。」
「はい 母上」
「そちは 父、兄にももしものことあらばこの秋山家をつなげていかなくてはならぬ。 これは父上からの厳命じゃ」
「はい 母上」
「婆様、母上、姉様はどうなさるのですか」
「そのような小言気にするではない。 良いか 斗真」
「はい!」
「おまい!」
と母は女中を呼んだ。
「先に言ったこと 頼みまする」
と、おまい に託すように言った。
「斗真 行け!」
佐江の父となる斗真は背後に銃声を聞きながら走った。
まず一之進の母“たな”が自身で刃を胸に突き刺し絶えた。
佐千代は娘二人に
「さあ、行こうぞ 次に生まれる時は、優しい世の中で出逢おうな」
娘二人は気丈に
「はい!」 と強く返事をした。
爺が死の床にある。死の直前 うわごとのように
「佐千代 悠馬 かえ たえ・・・・」
と言って生き絶えた。 でも口元が少し微笑んでいた。
佐江が今まで一度も見たことのない 笑顔を浮かべて。
一之進は気が遠のく中でドンパラどん ドンパラどん と変な音を聞いた。
音の方向に目をやると、そこには、ずんぐりむっくりした大きなお化けと
両手を繋いだ“かえ”と“たえ”が笑顔で立っていた。
その横には佐千代 悠馬 が手を振っていた。
ドンパラどん ドンパラどん
ドンパラどんはいつも悲しい時にやってきた。
いつもドンパラどん ドンパラどん とチンドン屋みたいな音を鳴らしながらやってきて 笑わないと死んじゃうよ って