出会い
私が物心ついてからこんなにも清々しい月曜日は久しぶりだと思う。ゴールデンウィークも終わり梅雨前だというのに暑くなり始めた5月下旬。今日の天気は快晴。雲一つない澄んだ空を見上げる。すごくきれい。やっぱり今日にして正解。最後に見る空が曇り空だったなら死んでも死にきれないよね。フェンスを越え一歩踏み出す。たったそれだけ。そうすれば苦しい日常から開放される。月曜日、もちろん学校があるが、私はサボっている。普通なら連絡が親に行き、親から子供に連絡するのが普通なんだろうけど私には何も連絡が来てない。私は心配されてない。私がいなくなっても誰も困らないし悲しまない。私はそういう存在だ。処理する人たちには迷惑かけちゃうな。そう思うと少し胸がチクリと痛む。知らない人だし関係ないよね。そう思えば胸の痛みも気にならなくなる。いざ、とフェンスに手をかける。
「ねえ、君この団地で飛び降りはやめてもらえないかな?」
そう声をかけられた。声がした方に振り返る。扉の方から声の主らしき女性が近づいてくる。綺麗な人というのが第一印象だった。続いて、誰?いつからいた?なんでここにいる?などと、次から次へと疑問が湧き出てくる。びっくりしすぎて黙っていると、
「聞こえてるよね?なにか反応をくれると嬉しいんだけど」
そう言った彼女は笑ってた。
「なんで笑ってるんですか?」
さっきまで次々に浮かんでいた疑問よりも今、目の前にいるこの人が笑っていることに何故か腹が立った。そのせいなのだろう。つい聞いてしまった。
「君があまりにもキレイだったからかな」
何を言ってるんだこいつは?意味がわからないし答えになってない。それに私がキレイだなんてありえない。あまりにも理解のできないことを言われたので睨む。
「怖い顔をしないでほしいなぁ。できれば笑顔を見せてほしいかな。君はキレイだから笑顔は素敵なんだろうね」
またこんなことを言ってくる。あぁ、そうか、こいつ自分が綺麗だって理解してるんだ。その上で私を見下し、からかって馬鹿にしてるんだろ。あいつらみたいに。
「そんなことどうでもいいです。どっか行ってください」
思い出したくもないことを思い出してしまい苦しくなる。
「どっか行ってと言われてもねぇ。君がここから立ち去るなら私も職場に戻るかな。でも、君がここにいるままじゃ安心できない。だから先に君が立ち去ってくれないかな? 私は君にここから飛ばれると困るんだ。」
と、意味の分からない答えを返してくる。
「何であなたが困るんですか? あなたには関係ないでしょ」
少し語気が強くなってしまった。目の前の女性はうーんと少し考えたあと口を開いた。
「幇助罪って知ってる?」
「ホウジョ罪?」
そう聞き返すと、彼女は笑って
「知らないよね」
と言ってきた。馬鹿にされているようでとても不愉快である。
「自分が知ってるからって知らない相手を馬鹿にしていいわけじゃないですよ」
と思ったことを言ってしまった。そうすると、
「そうだね。不快な気分にさせてしまったようだ。すまない」
と真面目に謝罪してきた。謝られるのに慣れてないので、なんて返すべきか戸惑っていると
「じゃあ、幇助罪について説明するね」
とさっきまでの笑みはどこへやら変わって優しい表情でそう言ってきた。
簡単に言えば、幇助罪とは犯罪の手助けをすることで問われる罪である。そして、自殺の手助けをすれば自殺幇助罪で罪に問われると彼女は説明してくれた。そして、
「今ここで私が離れれば、君は飛び降りるだろ。私がここを離れるという行為が君が自殺をするための手助けになってしまう。だから、私はここを離れられないんだよ」
そう締めくくった。
言っている意味はわかる。理屈も通っている気がする。でも、そんなことを言われたからってやめるような気持ちでここに来たわけではない。
「あなたがどこかに行かないなら今すぐ飛びます」
そう告げ、再びフェンスに手をかけると彼女は見るからに焦りだした。
「待ってほしい。飛び降りたいなら他の場所にしないかい?」
他の場所ならいいのか、そう思ったと同時に
「なんでこの団地から飛び降りるのを止めるんですか?」
と一つの疑問が浮かんだ。今までのやり取りを思い返してみると彼女は最初から自殺を止めるのではなく、ここから飛ぶことを止めようとしている。
「じゃあなんで君はここから飛び降りようとしてるの?」
質問に質問を返された。不服であるが、
「この高さから落ちれば確実に死ねると思いますし、この団地は自殺の名所で噂になってるからですよ」
と答えてあげる。すると
「そう、その噂。実際数年前に1度この団地から飛び降り自殺があった。だから、しょうがないとは思うんだけどね。話に尾ひれが付くことなんてよくあることだし。で、ここ数日屋上に人影が見えるってことで、その噂がまた広がり始めたの。そのせいで私の叔父が困っているんだよ。で、できれば他の場所にしてほしいと伝えてくれと頼まれてるんだ」
そう言われた。なるほど、だから執拗にここからの飛び降りを止めたかったのか。疑問が解消され少しだけスッキリした。
「わかりました。他のところにします」
そう言って彼女の横を通り過ぎ扉のドアを開けようとしたとき、
「待ってくれ、君少し私と話をしないか?」
そんなことを急に言ってきたので
「なんで私があなたと話をしないといけないんですか? 暇じゃないのでお断りします」
と答えると
「話をしてくれると言うならいい場所を教えてあげるよ」
と言ってきた。何を言っているか分かっているのだろうか。
「はぁ。それこそ、自殺幇助になるんじゃないんですか?」
と、呆れた口調でいうと、彼女ははっとした表情をした。
「確かにそうだね。やっぱりやめよう」
と肩を竦める。
一連のやり取りの中で違和感を覚えた。何なんだろうこの人は。はじめは笑顔だったせいもあるのだろうすごく嫌な感じだったけど一応言ってることは理解できるし、今は嫌な感じはしない。この人は変な人だけど多分悪い人じゃないんだろう。あいつらとは違って。私はそう感じた。
「日が沈む前に開放してくれるならいいですよ」
モヤモヤとした違和感があるままではスッキリ死ねないと直感で思ったのだろう。考えるより先にそう言ってしまった。そうすると彼女は
「じゃあ私の職場でゆっくり話そう」
と笑顔を浮かべそう言い、私の手を引っ張って歩き出した。その時の彼女の笑顔は、人を馬鹿にした人間の嫌な笑みではなく心の底から喜んでいる笑顔であり、今の私には眩しいなと感じた。
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